4章 前編②
ガロンにたどり着いた二人は目の前の男に、主にロベルトが冷や汗をかいていた。門番を張っ倒せば入れる。いつものガロンならそのはずだった。
だがこの男がいるのは聞いてない。
十代目、ガロン。ガロンという国は代々、国王がその名前を継ぐことが決まっている。
つまり目の前にいるこの男こそがガロンであり、国そのものなのだ。普通なら国の入り口である関門にいることはまず有り得ないのだが、何故だかこの男は今ここにいる。
熊よりもデカい体格、盛り上がった筋肉を鎧で包むことすらせず、背中に背負った大剣は竜の顎をもぎ取ったと言われても信じられるくらいに巨大であった。見上げる、その顔は、ゴリラと遜色ない。というかゴリラそのものだった。
イケメンの方だ。
「なんだ、こんな時に入国か。しかもその様相、アーカイブトルムだな?吾がここにいるとは思っても見なかったという顔だ」
腹の底を打つような低い声に、アイシャは身を隠すようにロベルトの後ろに移動する。
「その通りだよ、何でまた国王がこんなところまで出て来てやがる」
「ハッハ!国を取りにいくのに出ない阿呆がおるものか。アーカイブトルムは無くなるぞ、こんな所でウロウロしていていいのか」
「僥倖だ。あんな国に帰るつもりはねえ」
「ほぉ?まぁ良かろう。民に何かしようというつもりはない。国が落ちればそこまでよ」
それより、
「国を失えばお前達の居場所も無くなるぞ、どこに帰るつもりだ?」
「そんなら流離うだけだ。国に縛られなきゃ生きられねえようなヤワな生き方はしちゃいねえ」
「お前はそうかもしれぬ、が、そこの娘はどうだ。如何にも箱入り、俗世も知らぬ生娘ではないか」
「知ったような口を利くなよ、コイツは自分の意志でここまで来た。自分の足でだ。そこらの女と一緒にするな」
ロベルトの言葉に、ガロンは大きく口の端を吊り上げると、良かろう、と関門を開く。
「…どういうつもりだ」
「入りたまえ、その娘の靴についた土に免じて、お前達の入国…、いや、最早亡命か、それを許そう。先ずは体を休めるが良い。戦士であれば、吾々は拒むことはせぬ。吾が戻るまでに、心の準備をしておけ。吾は、甘くはないぞ」
そう言い残して、ガロンは地面を踏みしめ、跳んだ。
見事な跳躍、驚異的な身体能力。瞬く間にその姿は彼方に消え、残された門番は二人に中に入るように促した。牢獄のような鉄格子の先には、取り引きの声も、何かの歓声もよく響く。
一歩中に踏み入ってアイシャは辺りを見渡す。ヘレンカイトとは違い、ここの露店には食べ物よりも武器や防具、己を目立たせるためであろう装飾を売っているところの方が多かった。ヘレンカイトでは先ず見ない光景だ。そして何故か皆肌の露出が多い。浅黒い肌には見せつけるかのように傷をこさえていた。
ロベルトは周囲に自分達に注目している者がいないかを確認した後、普段彼がここに入った時に根城にしている場所を目指す。
入国条件を知っていてここに流れ着く人間は何もロベルトに限った話ではない。
ガロンははぐれ者、流れ者に寛大だ。だから普通に商売をしている輩も、闘技場で名を売る闘士も、他所から来ていることがままある。
ロベルトは未だに辺りを興味深そうに見渡すアイシャの手を引いて路地裏に入る。細い道をいくつか抜けると、熱量は先ほどの通りよりも低いものの、人で賑わう路地に出る。
一目で、この国の人間ではないことはわかる。肌の色、露出の少ない服装。傷はあれども決して見せびらかすようなことはしない。
どこの国にもある、国内にある外国。普通なら疎ましがられ目の敵にされることも多いが、彼らは見たところ、抑圧されているようには見えなかった。
「お、珍しいなお前が女連れてるなんて。何かの依頼か?」
金髪の男がロベルトに声をかける。糸のように細い目は彼がどこを見ているのかを悟らせてくれない。ロベルトは男の方を見てから大きくため息をつくと、何も言わずに歩き出した。唐突に手を離され、少し見送ってしまった所でアイシャはロベルトを追いかけるように歩き出した。
ガシ
唐突に手を掴まれつんのめる。不思議そうに振り向いた瞬間、アイシャは咄嗟に魔力を放出する。ズン、と地面が揺れる。掴まれていた手は、掴んだ手をそのままに、ゆらゆらと揺れ、やがてその場に落ちた。
何が起こったのかは、当人を除いてすぐに理解した。
あぁ、よくある事だ。
ロベルトの行為は、アイシャが依頼の品ではなく手出し可能な『女』である事を示した。それを理解した男は、文字通り、『手を出した』のである。だがそれは無残な結果を残した。地面にめり込んだ男は、手を出した報いを受けた。ただそれだけだ。
「あぁ、言い忘れたが、そいつは俺以上に魔法を使えるバケモンだぞ」
聞こえちゃいねえか、そう言いながら戻ってきたロベルトは、アイシャの様子を見て大きくため息を吐いた。短く、浅い呼吸、驚きと恐怖で体が震え、その目は男を注視したまま離せずにいる。手は男を突き飛ばした状態のままだ。
このままここに置いていくわけにもいかないだろう。
「アイシャ」
「っ…」
ハッとした彼女はロベルトの方を見てから、さらにその表情をくずした。今にも泣きそうな顔に、ロベルトは罪悪感が込み上げてくる。とはいえ、だ。ここがどんな場所なのかを知るには一番手っ取り早く、かつ簡単な方法だった。
アイシャも、何をされるのかを瞬時に理解出来た。
それだけでも大きな成長とも言える、が、荒療治が過ぎたようだ。ロベルトは無理矢理アイシャの手を引いて、ガロンでの根城に向かうことにする。
(それにしても、突発的に出る魔法が重力魔法とは恐れ入るぜ。高等も高等だぞ。一瞬、しかも局所的、かなりの高い負荷だ。手首だけ残してかけるってどんだけ器用なんだ)
重力魔法は分類としては闇に区分されるものの、仕組みは一般的な魔法とは大きく異なる。魔法はイメージ、空想の具現化だ。しかし重力魔法やエンチャント、召喚魔法は、そもそも在るものを利用するものであり、イメージだけでは効力を発揮しきれないことの方が多い。
それこそ、モノを知っていることが前提条件になる。
どこからその知識を仕入れたのかは定かではないが、やはり彼女の持つ知識は魔法に傾倒している。
無論六道になるためには必須のものかもしれないが、真っ当に六道を目指す者でさえ、重力魔法を扱えるようになるのには長い年月がかかることもある。
そう考えると、アイシャが受けてきた教育は英才であった事に違いない。
ボロボロの根城に到着するまで、そんな事を考えながら、目の前のボロ屋の扉を開く。侵入者の形跡はない、物取りが入った様子もない。入り口付近に仕掛けていた罠を解除して、内側から施錠する。施錠と言いつつ、ノブと鍵を氷漬けにして開けられないようにするだけだが、それでもないよりマシだ。むしろ普通の鍵の方が信頼性は低いだろう。
適当な椅子に座らせ、ロベルトは未だに身体が竦んだままのアイシャの頭を撫でた。
「その…なんだ、悪かったよ。先に一言言っておくべきだった」
「………、嫌だって…思った」
「なに…?」
「あなた以外に触られるのが、すごく嫌だった。何でかわからない。けどすごく嫌だった。どうしたらいいのかわかんなくて、気がついたらあんな事になってて…」
荒い呼吸のまま、アイシャはハッとしてロベルトに尋ねる。
「さっきの人…死んだの…?」
「…さぁな」
「私、人を殺したの?」
「………、どの道あの傷じゃあ長くねえ。多分介抱する奴も居ねえだろうから、じきに死ぬだろうよ。それで?それがどうかしたか?お前に害を加えようとしたやつが死んだ。それだけの話だろ」
アイシャの両肩に手を置いて、彼女の目をまっすぐ見据える。
「いいか、人が殺して、殺されるなんてのは日常茶飯事なんだよ。俺とお前がここに来るまで、どれだけの死体を見た、どれだけのやつを殺した?力があるやつが力のないやつを食う。だからお前は生きてあいつは死んだ。いい加減覚えろ。この世界はそうやって出来てんだよ」
ここに来るまでの道中、何もなかった訳ではない。盗賊やゴロツキに襲われ、その度に返り討ちにし、魔物のテリトリーに入れば、同じように殺した。だが、アイシャは手を掛けなかった。
殺しきれなかったのではなく、殺す事を躊躇った。当然そこまで弱っている相手を逃がすほどロベルトも優しい人間ではない。
アイシャは見てきたはずだ、人が死んでいく様を、生命が息絶える瞬間を。それでも直接手を下さなければ実感には繋がらない。
今、アイシャは間違いなく実感している。人を手にかける感覚を、人を殺すという感覚を。
「いいか、躊躇うな。臆すれば殺される、退けば嬲られる。アーカイブトルムにある平和はもう何処にもねえ。わかったな」
アイシャはここに来る前、ロベルトがあの太った男に言っていた言葉を思い出す。
「芽を摘みとって…、地面を踏み固める…」
「そうだ。それが俺たちが生き残る道だ」
小さく頷く。
納得した訳ではない。
決心がついた訳ではない。
彼と共にいるために、それが必要だというのなら、
「わかった」
悪魔にだって、なれる気がした。
翌朝、聞きなれない音に目を覚ます。金属がぶつかり合い、地面を揺らすような低い音が響く。耳慣れない咆哮に、体のどこかで鳥肌が顔を出す。
身体を起こしたアイシャは、隣で寝ているロベルトを一瞥して、ちらりと窓から外の様子を伺う。こちらの通りでは無いようだ。とするなら、関門のあったあの道だろうか。好奇心がそろりと忍び寄るが、背後からの声に身を潜めた。
「ガロンが帰ってきたんだよ。終わったんじゃねえか、いろいろとな」
終わった。ガロンが国を出た理由は本人から直接聞いている。それが終わったということは…
「アーカイブトルムは…無くなっちゃったのかな」
「そうじゃねえだろうよ、国自体が無くなるこたぁこのご時世まず有り得ねえ。国はあるが、戦争には負けたんだよ。嫌な条約でも結ばされたんだろうよ」
「………?」
あまりピンときていない様子のアイシャに、ロベルトはため息をついて身体を起こした。
「いいか、戦争ってのはな、相手の国を無くして自分の領土にするっつーもんじゃなくなったんだよ。国が欲しいのは、その国が持ってる技術、人材、富だ。国が無くなっちまえば、人材は勿論技術だって無くなっちまう。だから国は残す。だが自由にさせるようじゃ意味がない。人材、技術、富、それらの一部を寄越すように進めるのが今の戦争のやり方さ」
「じゃあ、アーカイブトルムはそれをあげることにしたって事?」
「そういうことだろ。じゃなきゃガロンがそんな早く帰ってくるこたぁ無え」
とはいえ、一晩で帰って来る事は異常だ。他にも何か要因があった事に違いないが、何が要因かまではわからない。アーカイブトルムを狙った国がもう一つあったか…
(あの日兵士達が出て行った件と何か関係があるのか…)
最後にヘレンカイトを見たあの時、何があってあの兵士達が出て行ったのか、二人は知らないのだ。だが、それを知る術はもう無いだろう。こうなっては、国へ戻る事は難しい。タイミングが良かったと考えた方がいい。
それよりも、目の前の問題に対処せねばならない。
ロベルトはベッドの縁に引っ掛けていた上着の袖を通し、ふぅ、と息を吐いた。
「行くぞ」
「どこに?」
「闘技場だ。この国の通過儀礼だ、入国した次の日にゃ闘士である証明しなきゃなんねぇ。ようはぶっ飛ばすかぶっ飛ばされるかすりゃいい」
まぁぶっ飛ばされたかねえだろうがな。
「負けたらどうなるの?」
「どうにもなんねえよ。この国は慰め者を作るような風習はねえ。闘ったことに意味があるんだからな。ようは、逃げなきゃいいんだよ」
「…わかった」
この関係になってからアイシャがロベルトに反抗したことはない。だが、この街に来てから、もっと言えば、あの一件があってから、アイシャの中で何かが変わったように思える。何が、というのはわからない。だが確実に彼女の中で何かが変わった事は間違いない。
いい変化では無いだろう。
ロベルトは直感的にそう感じていた。
従順というのは飼う上ではこの上なく重要な要素だ。だが、それは同時に彼女の自主性を奪うものでもある。いつかアイシャはロベルトのもとからいなくなる。確実に決まっている。そうでなくては少年をあのイケ好かない野郎に預けた意味がない。
ロベルトが預かったのは人形ではないのだ。元通りに返す必要がある。だからこそ、この変化は芳しくない。
とはいえ、悩んでいる時間も無い。行くぞ、とだけ声を掛けて、玄関の扉を開く。迎えの闘士が驚いたように伸ばしていた手を止めた。
「場所は」
「第一闘技場だ。なんだ慣れてる野郎だな」
鼻で笑い飛ばし、歩き出す。
アイシャが扉を閉めて追いかけて来る。斜め後ろについた彼女に並ぶように闘士が歩く。
「嬢ちゃんもやんのかい」
「…うん。多分」
「へぇ、まぁ死なねえようにな。今日のは荒っぽいのが多いからよ」
「…殺してもいいの?」
「ダメだ。お前は加減をしろ」
闘士が答える前にロベルトがそう言うと、アイシャは黙って頷いた。
「奴隷…、いやファミリアか?」
「なんでも無え、ただの連れだ」
そう言いのける割には、アイシャが従順過ぎる。もしかして、と邪推が始まる前に闘士は考えることをやめた。それを知ったところでなんの得にもなりはしない。使命を全うした以上、彼らにこれ以上関わる必要はない。
第一闘技場に到着する。少し脇に目を振ると、昨日見た関門が見える。入り口からみえた正面の建物。大きな喧騒を起こしていた場所が闘技場だったようだ。
入り口には武器を持たないが明らかに闘いに来たであろう闘士達が集まっている。男も女も入り混じって何かを待っていた。
その集まりの一番後ろに二人が立つと、それを見届けて二人を案内した闘士は彼らの前に置かれた台の上に立ち、真っ直ぐ手をあげる。ざわめいていた闘士達がぴたりと口を閉じる。
「今日は飛び入りが二人いる。あとはいつも通りだ。武器は用意されたものを使え、魔法は使っても構わないが、観客に被害は出すな。闘いに来ているお前達に改めて聞く必要はないだろうが、その二人のために敢えて聞こう」
す、と息を大きく吸い込む、筋肉で盛り上がっていた胸板が吸い込んだ息でさらに大きく膨れ上がる。
「力が欲しいかァッ!!」
「応ッ!!」
「名声が欲しいかァッ!!」
「応ッ!!」
「闘志を燃やせ!求めろ!勝ち取れ!力をッ!!」
ガロン!ガロン!ガロン!………
ビリ…、と空気が振動し続ける。思わず耳を塞ぎたくなるが、目の前の男を見て、上げかけた手を下ろし、その空気を全身に感じる。
本物、本気だ。
ガロンは闘うことを望んでいる。一部がではない、この国は、闘いで出来ている。彼らを支えるのは飽くなき渇望。力への渇望だ。その環境に染まるつもりはない、ロベルトはあくまで傭兵だ。彼が求めるのは力ではなく金だ。
履き違えてはならない。
力は目的ではない。手段だ。
目的を達成するために、手段を選ぶ必要はない。
アイシャはここでの目的を確認する。
「ロベルト」
「…あ?」
「私は何をすればいい?」




