喪失
私が生きているこの時間は、誰かが与えてくれたもの、今この時だって、誰かに与えてもらっているもの。
……なら、私が与えてもらったこの時間も、また、誰かのための時間になるのだろうか。
……それは人による。
私では無理だろう。……とも思う。
救ってもらった命の有効な使い方なんて結局分からないままのこの世界での人生だった。
でも私は頭が悪くてワガママなのだ。
無理やりな暴論を唱えようと思う。
……正しい答えなんて、ないのだと。
せっかくここまで救われてきた命だが、それを私がどんなふうに使おうがその全てが正解なのだと。
……自分が納得できさえすれば、どんなやり方をしようと、どんな使い方をしようと、それは正解でいい。
周りから見ればそんなことしても何にもならないと分かっていたとしても、私にはそうは思えない。いや、思いたくなどないのだ。
……それは私がバカだからだ。そして、私が駄々をこねる子供の様にワガママだからだ。
救えないものを救おうとするのは勇気ではない。
……今の自分ではそれを為すことが出来ないという現実から目を背けているだけなのだ。
……辛い現実に後悔しないために一生懸命生きなければならなかった。……今更取り返しなんてつかない。
じゃあ、逃げればよかったかと言えば、それも自分で自分が納得できなかった。……でも、残念ながらそれが一般的な最適解だ。あの場は逃げなくてはならなかった。一人でも多く生きるために。ましてや戻って来るなんて多分一番間違っている選択に違いないだろうと思う。
……でも、不思議なもので、私が思いつく限りの選択肢の中では、それが一番自分にとって後悔がないものだったのだ。
私の様な生きていくのが難しい人間に一般的な常識は通用しないのだ。元を正せば、私がここまでついてきた理由、その原点。それを中心に置いて考えれば導き出せる簡単な答えだ。
私は、死にたいのだ。……でも、一人では死にたくない。後、なるだけ痛くなく死にたい。
騙し騙しこの世界で生きてきたけれど、やっぱり根本的には私は変わってはいなかった。
死ぬための一手。そのための最善手。それが、これだ。
どうせ死ぬのなら、誰かを救って死にたいなどと口幅ったい事を思ったりしたがそれは無理だった。
……なら最後までワガママな私でいよう。
・・・・・・・・・
ふうふう……もう歩くのも辛い。
……ドラゴンと化してしまったエルニさんが居た。
……もはやどうでもいいことなのだけれど、やはりあのドラゴンはちょっとだけ不自然だった。……戦いの最中、何度も躊躇するような動きを見せるのだ。殺す気になれば私達などあっという間に殺せただろうに。……何故だったんだろう。
……まあ、ほんとに今となってはどうでもいい事か。……シド様の所へ行こう。
もちろん私達の間にはドラゴンが居るのだけれど、関係ない。私はシド様の所へと向かっていくだけだ。
「グググゥゥゥゥ……!!」
ドラゴンは私をロックオンすると、こちらへ向かってくる。……当然か。
「……ふっ……」
どうせ最期だ。……力を残す必要なんてない。……シド様の元にたどり着ければそれでいい。
私は一気に駆け出す。ドラゴンの股を抜けて向こう側へと抜ける。……つもり。
もちろんドラゴンは腕を振り上げ重力に任せて手を地面に叩き付ける。私を潰す為に。……流石にそんな死に方は、好きじゃない。
全力で前に飛びどうにか回避する。そのまま走ってどうにかドラゴンの後ろまでは来ることが出来たのだが……この時点でもう動くための体力をすべて使い果たした。その場で私は倒れこむ。……最後のワガママすら、叶わなかったか。……限界だった。
私は、目を閉じた。
……
シノがこちらへやってくるように、シドもシノの元へと向かっていたのだった。
……だが抵抗もむなしく、倒れたシノは竜の一撃によってシドの方向へと吹き飛ばされる。……そしてその小さな体が壁に叩き付けられる。
「っぐ……おおおおおッッ!!」
シドにとっても残った力全てをドラゴンに向かって叩き付けたが、もはやかすり傷一つ負わせるだけの事すら出来ずに薙ぎ倒される。
「かっ……はっ……」
瀕死に近いであろうリーナ、壁に叩き付けられたシノ、為す術ないシド。……もう誰にもこの状況をどうにかすることは出来なかった。
……
痛かった……ていうか、今も痛い。……意識がくらくらする。体をさすろうと思うのだが、その手が動かない。動かそうとすると激痛がとんでもないのだった。……なるべく痛くなく死にたかったのに。
意識が、遠のくのを感じる。……そうか、私はここまでなのか。
……
……
眠りにつくように、痛みという感覚も失われていく……
……
……
「シノッ!!」
……だがシドの声を聞いて、シノは少しだけ意識を取り戻した。
「あ、シド様ですか……シド様……ごめんなさい……」
「……逃げろって言わなかったか?」
「言いました。……怒ってますか?」
「当たり前だろうが。俺の言う事は絶対聞くもんだろうが。……次やったらおしおきだぞアホが。」
「……もう、次なんてないから、大丈夫です。……シド様は、私よりもっとずっと優しくて強くて頼りになって……スタイルのいい人を探してください。……私は、もう、傍には居てあげられないみたいです。……迷惑ばかりで……すいませんでした……」
「……生きろ、馬鹿。……話はそれからだろうが。……みっちり説教してやる。だから生きろ。いいな。これは命令だ。次破ったらマジで御仕置きしてやるからな。」
「……ふふ……」
……最期くらい、私、笑えているかな。……なんだか、痛みとか色んなものが飛んで行ったみたいだった。
……本当に、私なんかには過ぎた幸福だな。
「……シド様……」
「……」
「す……」
「……」
「……」
「す……なんだ?」
「……」
「……おい、す、なんだ。」
「……」
……
それから何にも言わなくなった。
……
「あーあ……最悪じゃねえか。」
誰に聞こえるでもないが口から悪態が出る。これが悪態付かずにいられようか。……このままいけば最悪の事態は免れないだろう。時を待たずしてこの竜によって俺達の命は奪われる。
「……あ?」
……偶然、それはたまたま見えた。……気がする程度のものだが、結晶に、亀裂が入っているように見える箇所があった。……首筋の部分だった。
だがそもそもそんな場所に攻撃を行った覚えはない。無論シノもリーナもだ。ならば初めからあった事にならないだろうか?だが、それがはたして弱点である可能性はどれだけあるだろう。そしてたとえ弱点だったとしても再びその部分を克服して再び俺の前に立ちふさがるだろう。
……だが……思えばこの竜は、やはりおかしい。今この瞬間だって、なぜか苦しげな表情をして佇んでいるだけだ。……あの魔結晶とかいうやつはあいつの説明だと未完成の状態のはずだ。……ならば本来意図していない状態になっている可能性だってある。……本当に心の底まで魔物と化してしまったのならば思考より早く行動に移る行動がもっとあっていい。
……ロマンチストな考え方だが、もしかしたらまだエルニの意識があの竜に作用しているのかもしれない。……心の中で抵抗する気持ちが残っていてそれがあの竜の動きに関わっているとすれば……
確実に殺せるような状況であっても踏みつぶすような行動はほとんどとらなかったし、さっきのシノへの攻撃だって俺の目から見て思った事だが、そもそも竜が振り下ろした手の落下地点は明らかにシノへの直撃を避けようとしているように見えたのだ。……見えただけか?
……こんな事、いくら考えたって無駄か。考えるより行動だな。
「おっし。とりあえず、狙っていくか。……待ってろよ、シノ、リーナ。」
二人の行動は不利益ばかりに働くものだったかもしれないが、生まれた利益も確かにあった。……もうちょっと戦う気持ちが出てきた。……そうでも思わなきゃあの二人が報われん。全部出しきったつもりだったが、俺が思うより限界ってのは先にあるようだな。
「……いくぞッ!!!」
俺は一気に駆け出すッ!!……竜の首筋の亀裂目がけて。
竜の剛腕が唸りをあげて俺へと襲い掛かるが、何とも大ぶりな一撃だった。少なくとも最速の攻撃には程遠い。当たれば大ダメージは免れないだろうが当たらなければ何とやらだ。
そして俺は振り下ろされた腕へと自らの足を進める。ここからの動きは大体パターン的だ。体のデカい敵だが、あまりにも近くに寄られると逆に攻撃がやりづらいという小回りの利かなさがある。なのであまりにも接近された場合に取る手というのは……
「オオオォォォォッ……」
……その手を再び天空へと翳し、地面へと思い切り叩き付ける。
これをされたらまず圧死するか、衝撃で吹き飛ばされるかと言ったところだろう。……セオリー通りだ。
「っぐッッっ!!……つぅ……ったく、また頭か……」
上空へと運ばれた俺は竜の頭頂部目がけて飛び降りた。……衝撃によるダメージは避けられないが、今はそんな事気にしてる場合じゃない。……巨人の時もこんなんだったな。我ながら泥臭い戦い方だ。
竜の手が再び俺に襲い掛かろうとする。
「……だぁぁぁぁッッッッ!!!!!」
だがそれより早く俺は首筋へと見つかった亀裂に向かって力の限り剣を突き立ててやるッ!!!……そこで再び俺の限界が訪れた。
「ぐっ……ち、ちくしょう……」
……なんとなく手ごたえはあった気がするのだが亀裂に見た目の変化は無かった。……剣と共に俺は地上へと落下する。……せめてと思い受け身をとって着地するも、もはや戦うための戦意が沸き起こって来ない……心は戦う覚悟をしていても体が言う事を聞こうとしないのだ……
竜は……
……
……
「ググググ……グゥゥ……」
攻撃によって竜の首筋に広がった亀裂だったが、数秒の後、その傷は新たな黒い結晶により包まれ、再び強固な鎧となったように見えた。
……結局は、こうなっちまうのか……打つ手は、ないか……
……
諦める。
いや、諦めないだろうが。
……自分の後ろに横たわっている二人の事を考えたら、諦めるなんて選択肢は存在するはずが無いだろうが。
……
全身を痛めつけられ、体中から出血し、普通の人間ならばこれだけでもシノやリーナの様な状態にあってもおかしくはない。だが、彼はシドなのだ。彼が倒れないという意志を持つならばその体は何度だって立ち上がる。
「……さあ、かかってこいよ。」
そのボロボロの体で、折れた剣を手に。目の前の竜へと言葉をぶつける。この折れない心だけを、ぶつける。
竜は一呼吸置いたかと思うとシドへと襲い掛かろうと動き出す。
「ググ……グァァアアアアアッッ!!!」
だが、その咆哮は、怒りの咆哮ではなかった。……苦しみの、咆哮。
「オオオオオオオオォォォォォッッッ!!!!」
そして、竜自身の、滅びの咆哮。その叫びが響き渡る。その残響が止んだ、その瞬間。竜は、頭から、腕へと、そして体全体から崩れ落ちた。
「な……なんだと……いったい、どうなってんだ……」
瞬く間に状況が一変したことにシドは頭の中で理解が追い付かない。
だが朦朧とする頭に活を入れて、自分が今やらなくてはならない事をしっかり刻み込む。
……何があったのか訳が分からないが竜は、倒れた。……そして、その体は消滅し、代わりに忌まわしき魔結晶が再び顕現する。
……二人の命を弄んだその結晶へと……
「くっ……はあ……はぁ……ぐっ……」
シドは歩みより……
「……ぐぅっ…………おおおおぉぉぉぉッッ!!!!!!!!」
剣で魔結晶を、叩き割った。……形を失った魔結晶はもはやただの鉱石でしかない。忌まわしき悲劇を生んだ魔結晶は今ここに、消滅した。
「……」
だが、それを成し遂げた喜びも無ければ、それを分かち合える人間も今は居ない。シドはただ一人、佇むだけだった。……何を思うのか、それは彼にしかわからない事だ。
……シドは今にも倒れこみたかったが、それでもやはり二人の元へと向かっていく。一歩一歩、足取りが重くとも、一歩ずつ確実に……
……
それからしばらくしての事だ。この街の警備兵達がこの惨状を目の当たりにしたのは。
「……こっ……これは、一体、どうなっているんだ……」
駆けつけた彼らが見たのは荒れ果てた風景と倒れている二人の女性と座り込むシドの姿。
「あ、あの人はッ……!!ぶ、無事ですか!?」
「……んー?……おお、お前らか。……まあな。」
だが、その姿は見るからに無事などではない。三人が三人共重症と見て間違いないだろう有様であった。
「す、すぐに手当てをしないとッ!!」
「……そうだな……さっさと手当してくれ。」
「わ、分かりました!!ではこちらへ!!そちらの二人も安全に運ぶんだ!!」
「……俺は後でいい。さっさと二人を手当しろ。」
「……分かりました。とにかく教会へと向かいましょう。」
……
あーあ……疲れた。
……こんなに何にも出来なかったのは、どれくらいぶりだろう。……バカみたいだ。




