窮困と混迷、そして……
「げほっ……ごほっ……」
ベッドに横たわる1人の老人。恐ろしい事にかれこれ一月以上この状態であった。咳に始まり、次第に体の疲労感から、床に伏す時間が増えていき、しまいにはベッドから起き上がることも出来ない程に。
そして、この症状に苦しめられているのはこの老人一人ではない。今やこの村で病から逃れることが出来ているのはたった二人だけであった。
「今日もご飯を持って来ました。……お辛いですよね……」
「えほっ……す、すまないね……雪美ちゃ……げほっ……!」
雪美とクロックは配給された物資や食料を一日かけて村民の元へと届ける。そんな日々をずっと続けていた。
「……本当は……まだ元気な雪美ちゃんにこんな辛い事させちゃいけないのに……げほっ……」
村民たちは誰もが申し訳ない気持ちだった。自分の看病をさせてしまう内にまだ元気な2人も感染させてしまいかねなかったからだ。
「元気だからこそ……みんなの為に頑張ります。……誰かがやらなきゃいけないなら、私……辛くなんてありません。」
状況は人を変えるとはよく言ったもので、雪美は元来内気で且つ弱気な性格の女性だったが、いざ自分が守らなくてはならない人達が出来た時にそんな自分ではいけないという気概に目覚めたようで弱音など1つも吐くことなく一日も欠かさず看病を続けてきたのだ。
「(この世界に来て心細かったけど……それでも、この村は私の居場所には違いなかったから。)」
……
「……帰っていたのか。」
「あ、はい……」
「……こんな事を言うのは間違っているかも知れないが、疲れてはいないか。」
「疲れてなんて……いられません。私が疲れてしまったら、もうクロックさん一人で皆を看病しなくちゃいけなくなっちゃいますから……」
「……」
村民の人数は約900人余り。一人あたりの負担は現在450人という事になる。それが二倍になると言うのはもはや限界といっても差し支えないレベルの話だった。現実問題そんな事を続けることは出来ない。だからこそクロックも申し訳ないと思いながらも雪美の手を借りざろうえないのであった。
「……すまん。」
「大丈夫ですよ。ご飯、作ったんですけど……食べますか?」
「……貰おう。」
一足早く帰った雪美は疲れで体を休めるどころか自分達の食事まで作っていたのだった。
「お前がこの世界に来てくれていなければと……ゾッとする。」
「……それも、なんだか、複雑ですね……」
決して望んでこの世界に来たわけではなかったが、現実結果がこういう事になっているのだからもしもを考えた所で何の意味もありはしない。今を生きる。それが人の道だから。
「こんな事態だからと食料だけは良い物を寄越してくれているのだけ幸いだな。」
国も治療法が見つからない事へのせめてもの罪滅ぼしにと思い栄養価の高い良い食べ物を与えているのだ。根本的な解決にはなっていないが、結果的に村民たちの病気の進行を辛うじて食い止める程の効果はあったのかも知れない。
「……みんな苦しんでるのに私達だけ無事でいるなんて、みんな……どう思っているんでしょう。」
「……邪推しない方がいい。お前の心がまいってしまう。」
「でも……」
「こう考えろ。俺達も病に倒れていたらそれこそこの村は全滅だったのだ。だから難を逃れることが出来た者の責任だと思って俺は看病をしている。……思えば、俺が止めるのも聞かずにお前がラズリードへ行ったのが巡り巡って俺達を救ってくれたのだな。」
「……私も、そんな事になるとは思いませんでした。……それもまた、運命なんでしょうか。」
「かも知れんな。病気に見舞われたのは最悪だったかもしれんが、決してすべてが最悪ではなかった事を救いに思う。」
「……」
雪美は首からぶら下げているそれを見つめる。それはシド達が訪れた時に置き土産としてくれたカブールストーンであった。雪美は貰ったそれをクロックにもあげた。以来2人はペンダントとしてそれを身に付けていたのだった。そして、おそらくはそれが自分達を病気から守ってくれているのだとクロックは推測した。
「いい方は悪いが、病原菌の蔓延している最中に居る俺達が未だこうして無事でいられるのははっきり言って異常だ。そして、他の奴らと俺達の違う所と言えば……これを身に着けているかそうでないか、だろう。」
もっともそうだったとしてもそれがずっと永久的に効果のある物だと言う確証もない。単にかかりにくいだけでいつかは罹ってしまう可能性だって否定は出来なかった。
「……これを、みんなが持っていれば……」
「……」
雪美はそう呟くが、仮に全員分のカブールストーンがあったとしても事態は収束しない。
雪美やクロック、もっと言えばシド達もあずかり知らない事だが、カブールストーンは装着している人物を病原菌から守る力はあるが、それは既に病に罹ってしまった人の病気を治す力とはまた異なるものなのだ。ましてやゲンガー病はそれに加えて人にとってとても厄介な性質を持つ病気であるため、完治には全く至らないのである。
「……俺達が落ち込んでいても仕方あるまい……やれる事をやり続けるしかない。」
「……きっと、みんな、治りますよね……」
「ああ。」
もちろんその言葉には根拠などなかった。だが、クロックの言葉は力強かった。その言葉に少し安心した雪美は食卓に並んだ料理を食べていく。まだ、先の見えない病気との闘いの為に。
……
「他国への協力の要請をッ!!」
「既に水面下で進んでいるのだ。しかし……」
「しかしなんだと言うのですか!!」
今日も今日とてクロックの弟シロックは荒れていた。もっとも対象が酒ではなくなったのはまだマシだっただろう。酒に逃げても何も解決しない。
「まあまあシロック、あんまり大臣さんを困らせちゃ駄目だって。」
「だがッ!」
年端もいかないババラーニにそんな事を言われてしまうがある意味彼を対等に見ているシロックにとっては何の抑止力にはならなかった。
「人がこぞって集まったからどうなる問題でもないって事だよ。……とってもとっても厄介な問題ごとになっちゃったね。」
「……ゲンガー病は、治療法そのものが確立されておらんのだ……どの国の技術をもってしても、治す方法は……」
「ッ……!!」
怒りをぶつけた所で何の解決にもならないが、シロックはそれで感情を抑えられるほど冷静な男でもなかった。いきり立った感情のままその場を後にする。
「……はぁ……」
「ババラーニ殿……すまない。」
「いいっていいって。大臣の気持ちも分かるし、シロックの気持ちもよーく分かるから。」
どちらも間違ってなどいない。だが最善の方法を取った所で未だ事態は改善の糸口すら見せない事にいら立つのも無理は無かった。
「……ほんとに治し方、分からないの?」
「……治し方は、未だ分かりませんが、治し方を知っている人物は過去に居たと言う記録が……」
「ふーん……その言い方だと、もう死んじゃってたりするの?」
「……何せ、数百年前の人物ですから。」
「うわ、そりゃ死んじゃってるね。間違いなく。……なるほど、今はその人が残した何かを探してるってとこかな?」
「その通りです。……ですが……」
「あんまり進展は思わしくない……ってとこかな?……数百年前かぁ。歴史上の人物だよねぇ、それって。そんな不確かな情報じゃ、シロックも納得しないだろうしねぇ……」
子供ながらにババラーニは周囲との軋轢を気にするタイプで皆が円滑な関係を築けるようにと日々頭を働かせていたのだった。そんな彼でも流石にこの状況をどうこうするのは至難の業である。
……
「……」
変わらない状況に、何より何も出来ない自分に腹が立つシロックは怒りの向くまま歩き続ける。向かう先は4将軍が集う作戦会議室……と言う名の4人の溜り場。
「シロック……また、大臣の所へ行ってたの……?」
いかにもおっとりとした喋り方をする彼女、シュリーク・シャルベットはその見た目に反して4将軍の一人である。そして唯一の女性でもある。
「……私はッ……」
「アガルタに行く。……ってんなら無しだからな。じゃなきゃ俺が殴られ損になっちまう。」
「……くっ……」
激情的になってしまうシロック程ではないが、他の3人だって当然口惜しい想いでいっぱいだった。だが、3人がシロックと違っていたのは、自分達はあくまで戦いによって戦果を挙げる人間だと自覚している事だろうか。
商売によって戦果を挙げる人間は商売人。戦いによって戦果を挙げる人間は兵士。そして人を治す事で戦果を挙げる人間を医者と言う。どう逆立ちしても専門家には叶わないという事だ。
……しかし、今回の場合はその専門家が揃ってお手上げと言うゆゆしき事態なのである。
「もう一カ月か……」
「一カ月以上だッ!!」
「……そうだな。悪かった。」
どうしてもシロックが加わる会話はピリピリしてしまう。決して彼が悪いわけではないのだ。普段ならば温厚で正義感の強い男だが、それが裏目に出てしまっているのだ。
「……私達は、私達の役に立てる時が来る。……それまでは、待つしかない。」
「……待てと、言うのか……こんな面持ちで……」
「誰かが戦わなくちゃいけない時……きっと街の人達は、辛い想いをしていると思う。自分達の為に誰かが戦っている事って、辛い事だから……それを見守っているのは、辛い事だから……」
「それはっ……」
「……みんな、頑張ってる。病気の人達も、お城の人達も、もちろんシロックも。」
「っ……」
淡々と述べているにもかかわらず、どこか人の心に深く刺さるような彼女の発言に、シロックは頭に登った血が下がっていくのを感じていた。
……本当は、自分が何も出来ないと言う不甲斐無さを誰かに八つ当たりとしてぶつけている事をよく分かっていた。そんな情けない自分を、認めたくなかったのかも知れない。
「……私は……私は……本当に無力だッ……」
「……そんな事、ない。シロックは、頑張ってる。シロックが一生懸命だから、みんなも一生懸命になってる。だからきっと、治療法は見つかる。」
「……」
壁に突き当たって悩んだ人の心を溶かすのは、時に心からの温かい言葉なのだ。
「誰も……見捨てやしねえ。そうだろ。」
「カイ……」
「俺はお前がアガルタに行くってのは止めるが、それ以外の事なら何だって付き合うつもりだ。それこそ命懸けだって言われても構わねえさ。その為の命だ。」
「……」
「頼りねえかも知れねえけど、頭数くらいにはなるぜ。」
「……頭数など、とんでもない。お前は……俺の最高の盟友だ。シュリークも……ババラーニも……」
紆余曲折あったとしても、奥底で心は繋がっている。だから本気でぶつかり合うこともある。それは相手を知る為、思いやる為。
「それに、お前1人ほっとくとまた1人でヤケ酒始めちまうからな。」
「なっ!」
「シロック……お酒強くないのに、どうしてお酒飲むの?お酒、美味しくない……」
「……さ、酒に、溺れてしまった未熟な自分を知る事で、それに打ち勝たんと言う確固たる信念を持つために……」
「言いわけ下手なんだからよせよ。まあ、男ってのはそんな時があったりするもんなんだよ。」
「そうなの?お酒、美味しくない……」
「つーか結局あれはどうなったんだよ。店の人も気を使って報告はしなかったんだろ?」
「もちろん私の口から王様へと報告した!」
「……へー……それでどうなったんだ?」
「減給3カ月という事で容赦して頂けた。」
「……あ、そ。」
「シロック、そう言うところ真面目過ぎて損するタイプ。」
「人に誠実を求めるのに自分が誠実でないのは道理に合わないだろう!」
「……はは。まあ、シロックらしいな。」
少しずつ和やかさが戻ってきたところにババラーニもやって来る。
「ん?なになに?何の話してるの?」
「シロックがアホだって話をな。」
「アホじゃなくて馬鹿正直って言う話。」
「それはもう痛い程分かってるって……いつも板挟みになってる僕の気持ちにもなって欲しいよ……」
一番年下にして一番苦労人なのはババラーニなのかもしれない。
ともあれ3人の介添えがあってかシロックはどうにか落ち着くことが出来た。
助けようとする側が焦ってもいけない。むしろ無事であるからこそ冷静に動かなくてはならないのだ。そうこうしている内にも時間だけはゆっくりと過ぎ去って行ってしまっているのだから。
……
「ここが、氷牙山か……」
そして、その時の流れの中で、シド達は次なる行動に移るべく今と言う時を生きていた。




