嘲笑うレーヴァス
ベレストラン家当主、ベレストラン・ヤマは入り口の扉にかけた魔法を解く。
この魔法は、万が一、彼が返り討ちに逢うようなことがあっても、侵入者を地下に閉じ込めるためのものだ。
……結果的にだが、シド達が彼にとどめを刺さなかったのは正解だった。
扉の内側からは二度と開ける事が出来なくする魔法。そして術者が死んでもその魔法はずっと残り続ける……
この扉に加え、地上へと戻れる道はこの地下の真奥の鍵のかかった扉のみ。そのどちらにもこの魔法をかけている。
……彼が死ねば、娘たちも共々、永遠にこの地下の住人となる。
また地下から誰かが抜け出せばそれは即ち彼の裏切りを意味する。それがもたらすものは……やはり絶望だった。
……地下に響く足音、その音はやがて立ち消え、二人は地上へと戻る階段を上って行った。
当主、そして、地上ではロミネと呼ばれる少女、真の名はラナ。
二人が地上へ戻った頃、辺りはもう暗くなっていた。
(ずいぶんと長い事地下にいたのだな……自分の心の整理が追い付かん……)
そんな事を思いながらゆっくりと歩っていた。……この伏魔殿を。
当主などとはもはや名ばかりのものに過ぎない。敵の根城と化してしまったこの屋敷。気の休まる時などありはしなかった。
……地下から戻った時には、まず決まった部屋へと足を運ぶ。それがルールだった。いや……違う、要求だった。
部屋に入った時、背中が見えた。そして急に思い立ったかのようにこちらに顔を向ける。見たくもない顔を……
「はっ……!ご主人様、いかがなされましたか!?」
その部屋には男が一人。その身に黒のスーツを纏い、外見は執事の格好だ。内面は見れたものではないが……
「……白々しいものだ。」
いかにも憎々しい言い方でその男へ言葉を返す。それもそのはず、最愛の妻と娘を奪った連中の一人、それも幹部クラスの男。レーヴァスだ。
「……ックックック……嫌いですかぁ?私は大好きなんですがねえ?」
「悪趣味なものだ……」
「アッハッハッ!!!…………オラァ!!!」
醜悪な笑いを急にやめたかと思えば、その足を当主の腹部へと直撃させる。
「……グッ……!!……うぅ……」
「……っ……お父様……」
当主は蹲り、ロミネは目を背ける……レーヴァスはまた笑い転げる。
「アッハッハッハ!!!無様で惨めで無力だなぁ!!!オラッ……!」
更に垂れたその頭を足蹴にする……ジリジリと踏みにじる……もはや尊厳も誇りも全て踏みにじられつくされていた。これが現在の有様なのだ。
「……」
ロミネは……止めたい。出来る事ならば……こんな男、一思いに殺してやりたいッ……!!だが、逆らうことなど許されていない。出来るのはその悲痛な光景をせめて見ないように、グッと耐える事……
怒りの気持ちを表面に出す事すら、それは愛する父親を苦しめることになる……かつて反抗的な態度を取ったがゆえに、自分ではなく敬愛する父へと攻撃が加えられたことが幾度もあった。……もう、抵抗する気力もなければ意味もない事を嫌と言うほど、知っていた。
ならば、1秒でも早くこの忌々しい時間を終わりにしなくてはならないのだ……耐え続ける……ただそれだけがこの生き地獄を終わらせる術だった。
「いやぁ!楽しい楽しい!!さて、立ちな。いくらでも遊んでいたいけど、面倒だからさっさと聞くが、地下に行った二人はしっかり始末したんだろうな……?」
「……二人とも地下の住人の仲間入りだ……」
「まあ、じゃなかったら娘が一人死ぬだけだけどな。」
「……」
「にしても結構時間かかったなぁ?そんなに手ごわかったのか?」
「……貴様らの呪いが効かないぐらいだ。これまでの奴らとは違う……もっとも、私の敵ではなかったが……」
「ふーん……?そうなのか?」
今度は、ロミネに尋ねる。ロミネは、彼を含め、呪術の徒の人間の命令に逆らえず、且つ、嘘を言う事も出来ない。真偽を確かめるにかなり確実な方法だった。
「…………はい、その通りです。」
「しっかり、始末したんだよなぁ……?」
「…………はい。もちろんです。」
その言葉でレーヴァスは目の前の男が嘘を言っていないことを確信する。
「はっ。ご苦労ご苦労。これでまた少してめえの娘は元気になるわけだ。いいお父様じゃねえか……ハッハッハ!」
……侮辱、屈辱、恥辱……何度受けようともその反抗の気持ちが消えることはなかった。いや、強くなる一方だった。それが人のあるべき感情だと言わんばかりに。
「……」
「……娘はしっかり学習したってのに、なんで当主のてめえは、そう反抗的な目をやめねえんだ?」
「……」
「分かってるよなぁ……?お前の娘の命は、俺たちが握ってるんだぜ?」
悪党の常套句だった。逆らえるものならとっくに逆らっている。
「……分かっている……分かっている……」
「理解が足らねえなぁ!!!だったらもっと従順になれよぉ!?」
「……お前たちの望み通り、私はやっている……お前たちからすれば、なんでもいう事を聞く便利な奴隷の様なものだろうが。」
「そうだなあ。お前に何やっても抵抗しないもんなぁ。……けど、それじゃあ俺は、面白くないんだよ。お前が!!心から!!俺たちに服従しなくちゃあなぁあああ!!」
「……」
これほど何もかもを奪ってきてもまだ飽き足らない様子だった……人の欲の深淵そのものだった。
「お前を苦しめても駄目。なら、他の奴ならどうかな……?」
「……娘に……手を出したら……貴様らの命は……無いッッッ……!!!!」
「……」
レーヴァスは少しだけ表情を曇らせる。その発する殺気に気圧されたというのもあるが……
非常に一方的な取引ではあるが、追い詰めすぎることは逆に自分たちの不利益につながる部分もあった。
まず第一に、取引できる材料は彼の娘3人の命。それは何よりもかけがえなく人質としてはこれ以上ないものだったが、裏を返せば彼が服従しなくてはならない理由はそれ以外にはない。それを奪ってしまえば逆上した怒りが呪術の徒に向けられるであろうことは自明の理だった。
……しかし、だからと言って、出来るのは一矢報いる程度だろうが……
このレーヴァスも態度以上に強さは折り紙つきの猛者だ。それに加え、ラナ、リナ、ルーナの三姉妹が加われば、流石の当主でも太刀打ちしようがない……
そして、もう一つの不利益は、長年かけて気づきあげてきた自分たちの隠れ家が消滅するかもしれないということだった。流石のこの屋敷も当主が何らかの事情で不在という事になれば今までの様な隠れ蓑としては落第点だ。
命と引き換えなどと言う事になれば捨てざろう得ないが、一朝一夕に手に入るものではないことは疑う余地もない。
これからの自分たちの未来の為には基盤となるこの屋敷とこの関係を崩すことはよほどでない限りするべきではないのだ。
「……」
追い詰めすぎても駄目なのだ。手負いの獅子を生かさず殺さず、その牙を自分たちの為に振るわせる。それが賢いやり方なのだ。
「……ッち……変な気なんて起こすんじゃねえぞ?」
ほぼ何でも思い通りに行くのだが、この部分に関してだけは我慢を強いられることにいら立つレーヴァスだったが、その不自由を纏めて解決する方法があるとしたら……いや、もうあと一息だとしたら……
下卑た笑みを浮かべながらこう言うだろう。
「……言っておくがな。てめえの命なんて俺たちにとっちゃどうだっていいんだよ。もうすぐ、お前だって必要なくなる。」
「……」
「そこの肉片人形が幾らでも作れるようになれば……てめえそっくりの肉片人形を作って俺たちの手足のように使ってやるのさ……」
……そう、このままいけば、どちらにせよ、死が待っている。ならばどうする……
娘たちの命を見捨てて、ささやかな抵抗をするか……
苦しむ娘たちを見続けて、最期に自らの命を絶たれるか……
いずれにしても、絶望しかない。ここが、行き止まり……
「まあ、娘がだーいすきなお父様の事だから、血迷ったことはしないだろうけどよ……」
レーヴァスはロミネに向きなおり、命令する。
「……いいか?もし、こいつが、俺たちに反抗するようなことをしたら、こいつを、殺せ。反逆行為を取ったら即殺せ。俺たちに少しでも攻撃を加えたりしたら、即ッ!!!!ぶち殺せッッ!!!いいな?」
……ロミネはあくまで彼の行動を監視し、場合によっては粛清するために送り込まれている。
……偽りとはいえ、親子に殺し合いをさせるとは、どこまでも……狡猾で残虐だった。
「…………はい、分かりました。」
「ックックック……本当にいい肉片人形だ。お利口さんだなぁ……」
「裏切ったりなど……しない。」
「そうだ。裏切ったり、しない。出来ない。させない。お前も、お前の家族も、全部、全部俺たちの思いのまま、ハッハッハッ!!!!」
どこまでも醜悪な笑い声が響き渡る……呪われた一家に、光など射す余地も無かった……
弄ぶだけ弄んだら二人を部屋から出した。再び当主とその娘を演じさせるために。
……
……呪術の徒。構成員は500を越える。そもそもこの集団が何を求め、何のために行動するのか……
もっとも、その内400名余りは戦う力が皆無の一般の人間だった。では彼らはいったい何のために存在するのか。
彼らは理由は違えど、各々殺したい相手が居る人間たちだ。そしてそのターゲットたちを次々呪いによって殺していくのが彼らの行動原理。
呪いという魔法を執り行う場合、その呪術士のレベルが高ければ高いほど少ない犠牲で他者へと呪いをかけることが出来る。
……まず知り得ることが出来ない情報ではあるが、呪いレベル10の者は犠牲などなしに他者へと呪いをかけることが出来る。レベル9では1人の犠牲。8では5人と言ったところだ。
彼らが長として崇め奉る人物、呪術の徒のリーダー。その呪いは他者の命を奪うという逸脱した能力。それらに魅了され、自らの命を投げ捨てる事すら厭わないもの達が呪術の徒となる。
……早く組織に入った者から順に自分の殺してほしいターゲットを殺してもらえるのだ。着々と勢力を伸ばし、裏で彼らが呪いによってすべてを支配する。彼らの野望の終着点だった。
誰しも見えない物に脅える。彼らは見えないところからの支配を目論むものだった。
そして彼らが目下着手しているのが肉片人形の研究の確立だ。
現状で彼らの手の内に存在するのはラナ、リナ、ルーナの3体。だがまだ改善点が多く残る代物。
最終形は、この肉片人形を言葉通り呪いの為の人形として扱う事だ。
人形を使い呪いをかけ、肉片から再度人形を生み出し、再び呪いをかける……そうなってしまえば彼らの天下だった。
また、その研究のための資金はベレストラン家の財産から賄われている。
貴族と言っても、もはやそんなものは張子の虎、財産の所有権は実質的に呪術の徒が握っている。
……こんな絶望的な状況にありながら、それでも生きる。
伴侶を、娘を、屋敷を、資産を、名誉を、地位を、尊厳を全てを奪われてもなお、生き地獄にあって生き恥を晒しながら、それでも生き続ける。
だが、その日々が無駄でなかったと証明するための出来事が、着々と動き始めていた。
それが実を結ぶと、祈り、信じ続けるしかない。
……どこまでも破天荒で型破りなその冒険者、シドに。全て、託された。
……
「がー。がー。」
……シドは寝ていた。
「すー。すー。」
シノも寝ていた。
……
……彼に託したのは、失敗だっただろうと答える人物がほとんどだろう。
彼らが目を覚ましたのはそれから更に4時間後、夜もだいぶ更けた頃だった。
「シド様、シド様。」
「……もうちょい寝かせろ。」
……約束の時間だ。流石にそろそろ起きた方が良かった。
「シド様、シド様。」
「……分かった分かった。」
もう少し寝ていたい気分だったものの十分な睡眠でコンディションは申し分ない。何よりこれを片付けた後の褒美が彼にとっては何よりの魅力だった。
二人はあらかじめ渡されていた鍵を使い、大部屋から地上へと上がる階段に続く扉を開け放つ。
その先にまた一つ扉があるのだが、その扉にかけられた開かずの魔法は既に術者によって解除済みだ。
「おっし、じゃあ行くか。」
シドはのっしのっしと階段を歩き始める。
シノは……少し待つ……
「……」
足音がする。もちろん自分ではない。シドの足跡はずいぶん前に聞こえなくなった。
「……」
……向こうからもおそらくは見えているとは思うが……シノは、階段ではない方向からやって来た、ある人物の姿をしっかり確認する。
「……」
数分経ってから、シノは遅れて後を追いかける。




