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遥かなる異空の門  作者: もこもっこ
序章編
9/39

序章3-1 「庄堂蒼空」

TS表現注意です。



 




 ゆめ


 夢を見ている。

 でも、これは自分で夢を見ているという自覚があるのだから、所謂いわゆる明晰夢というものだと僕は知っている。


 だから、目覚めは近いんだな…と頭の片隅で考えることが出来る。

 と、同時に、とても憂鬱な気分が僕を支配する。


 だって、僕が生きる“現実”は、どんな悪夢より酷いものなのだから。




 僕が育った環境は、決して裕福という言葉から程遠い暮らしの家庭だった。

 それでも僕が小学校を卒業するぐらいまでは、父さん、母さん、僕の家族三人で、貧乏ながらも慎ましく幸せな生活を送ってきたと思う。


 よく周りの友達は、家族で海外旅行へ出掛けたり、誕生日に高いプレゼントを親から貰ったり、休日には両親と美味しいものを食べにお店に出掛けたりしていたみたいだけれど、僕はそれを羨ましいとは思ったことは、一度だって無かった。


 だって、僕の家族は本当に仲が良かったから。

 父さんは、お酒に少しだけだらしないところがあったけれど、責任感のある立派な人だった。

 母さんは、体が少し弱くて病気がちだったけれども、他の誰よりも優しさに満ちた人だった。

 両親の仲は良く、そんな二人の愛情を一身に受けることが出来た僕は、本当に幸せ者だったと思う。


 それに、親が苦労している姿を幼い頃から間近で見てきた僕は、自然と我侭わがままを言って両親を困らせないようにしようと、子供心ながらに学び、それを実践してきた。

 だから僕はずっと“良い子”でいられた。いや、むしろそれが当然のことだと思ったし、別段それが嫌だと感じたことも無かった。


 ともかく、仲睦まじい父さんと母さんとの間で大事に育てられた僕は、生活の面では多少の我慢は必要だったものの、それ以外は何一つ不満は無かった。



 でも、そんな幸せな日々は、ある日を境に永遠に失われてしまう。



 切欠きっかけは、両親が共働きで営んでいる会社の事業拡大の失敗だった。

 元々、家の親は自営で細々と商品・商材の卸売業を営んでいたのだが、ある時、大手の競合先の進出により、両親が経営する会社の売上が急速に落ちてしまい、経営が立ち行かなくなってしまったのである。


 父さんは経営回復を図る為、新規の事業を立ち上げ業績の巻き返しを狙ったのだが、結局うまくいかず失敗、しかも、それが原因で様々なトラブルを呼び込む羽目になってしまった。

 結局、起死回生を図った一発賭けは更に自分の首を絞める結果となったのだ。


 そして、経営不振が続き、資金繰りが悪化。

 損失を補填するための自己資金は底をつき、金融会社から借金をするようにもなった。

 だが、その借金を返済しようにも、銀行からは業績の低迷を理由に貸し渋りを受け、更に公的金融機関からも断られ、とうとう消費者金融――所謂街金にまで手を出してしまう。


 後はもう泥沼だった。

 借金に次ぐ借金。

 街金の高利息の返済に追われ、両親が身を粉にしてひたすら働き続けても抜け出せない蟻地獄のような日々が続く。


 でも、もっと最悪だったのは、僕があまりにも無力だったことだ。

 父さんが、そして母さんが徐々に壊れていく姿を只見ていることしか出来なかった。

 せめて、少しでも家計の手助けが出来ればと思い、知り合いのおじさんのツテで新聞の夕刊配達のアルバイトをさせてもらったが、そんなのは正しく焼け石に水にしか過ぎなかった。


 そして、ついに決定的な破局が訪れる。


 僕が中学三年の時、母さんが病死した。

 末期癌だった。


 体の具合が悪いにも係わらず、無理を押して家の自営業の他に、借金返済の為パートやアルバイトなどを掛け持ちしていたことが発見を遅らせる原因となった。

 母さんは職場で倒れ、救急搬送されて精密検査を受けた時にはもう手遅れの状態だったのだ。


 そして母さんは、余命1ヶ月と宣告を受け、担当医の紹介により、小さい病院に入院し、そのまま退院することなくその人生を終えた。


 優しい母を永遠に失ってしまった僕の悲しみと喪失感は、言葉で言い表せられないぐらい辛いものだったが、しかし、それ以上に絶望のどん底に突き落とされてしまったのが父さんであった。


 父さんにとって母さんは全てであった。

 父さんは母さんを深く愛していたし、母さんもまた父さんをとても愛していた。

 それは、どんなに家の状況が厳しくても、二人が罵り合う姿を一度も見たこともなかったことからも窺い知れた。

 ごく自然に互いが人間として足りない部分を補い合うという形の、息子の僕から見ても父さんと母さんは理想の夫婦であったと思う。


 しかし父さんは、己の半身とも云うべきその伴侶を永遠に失ってしまった。

 その失意と絶望は、最早取り返しのつかないものだったのだろう。

 だから父さんは、酒に逃避するしか手段がなかった。


 母さんを失った寂しさから父さんは毎日浴びる様に酒を飲み、自分を見失ってしまった。

 仕事をしなくなり、家で酒浸りの日々が続く。

 だが、そんな父さんに対して更に追い討ちを掛けるように、借金の取立ての為、ヤクザみたいな柄の悪い人間が家へ連日押しかけてくるようになった。


 いよいよ追い詰められた父さんは、その過度のストレスの捌け口として、一つの手段を選択する。

 息子の僕に対する暴力だ。

 なまじ僕の顔立ちが母さんに似ているものだから、余計やるせない気持ちに拍車を掛けたのかも知れない。


 酒で現実逃避し、暴力を振るって憂さを晴らす父さん。

 傍から見れば最低の父親だったろう。

 事実、僕も父さんのことを少しずつ避けるようになってしまった。


 でも結局、僕は父さんを見捨てるなんてことは出来なかった。

 家出も頭に過ぎったことあるが、父さんの深い悲しみは手に取るように分かるから、何とかしてあげたいと思い、暴力を受けても我慢をし続けてきた。

 僕なりに色んな努力をしたし、力になってくれそうな大人にも相談した。

 父さんが立ち直る切欠をずっと模索し続ける日々が続いた。


 けれど、ある日父さんが僕に向かって言い放った言葉が全てを駄目にした。

 それは、いつものように悪酔いし、僕を一発殴った後だった。



「お前が母さんの代わりに死ねばよかったのに」



 ―――頭が真っ白になった。


 気がつくと僕は家を飛び出していた。

 無我夢中で走り続けた。

 途中で疲労から足がもつれて何度も転んだが、直ぐに起き上がり、とにかくがむしゃらに走り続けた。


 やがて疲れが極度に達し走れなくなっても、ずっと歩き続けた。

 目的地は特に決めてはいなかった。

 只、もう二度と家には帰りたくはなかった。


 涙は止まらず、気持ちがずっと痛かった。

 怒りや悲しみ、憎しみ、寂しさ、失望感などの負の感情が全部グチャグチャになって、頭がおかしくなりそうだった。

 只、鮮明に思い出すのは、優しさに満ち溢れていた、まだ僕が幼い頃の幸せな記憶。

 でもその記憶を思い返す程、全てが失われた今が余計に悲しかった。


 どれほど歩いたのだろう。

 ふと気付けば、知らない山道を歩いていた。

 でも、不思議と何の不安も恐怖も感じなかった。


 別に死んでもいいや、という気持ちの方が強かったからだろう。

 同時に、どこか全く知らない世界へと行きたいと強く願っている自分もいた。

 だから、どんなに疲れても決して歩みを止めることはなかった。


 それが希望に繋がる道だと頑なに信じて、山の中を彷徨さまよい歩いた。



 そして――――





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 どこかで獣の遠吠えが聞こえる。


 それは、長く尾を引くような不気味な吠え方だった。


 そして、その声によって、庄堂蒼空しょうどうそらの意識は完全に覚醒した。


「………嫌な夢」


 ボソリと蒼空の口から言葉が漏れる。

 思い出したくもない現実を追想する夢など、蒼空にとってどんな悪夢より酷いものでしかなかった。


 どうやら寝ていた間も涙を流していたらしく、指先で瞼に引っかかっていた雫を拭き取ってから視界を定めると、蒼空の瞳に飛び込んできたのは、雲一つない眩い青空であった。

 眉根を寄せながら目を細めて周囲を見渡すと、果てしなく広がる筈の蒼穹は、歪なひし形の中に閉じ込められていた。

 つまり、張り出された樹木の枝や葉が幾重にも重なり、それが林冠となって青空を隙間から覗かせているのであった。


 それが意味するのは、当然の如く蒼空の身体は仰向けに寝ているということだ。

 その事実を認識してから、蒼空は濃厚な緑の匂いを一つ大きく肺に吸い込み、ゆっくりと身を起こした。

 気付けば、草むらの上で寝ていたらしく、蒼空が着ていた衣服には若干の湿りと共に、千切れた草がこびり付いていた。


(いつの間にか寝ちゃったんだな…)


 そんな事を思いながら、蒼空は服に付いた草を払おうとして、ある違和感を感じた。

 そして直ぐにその違和感の原因に思い当たる。

 自分の格好がおかしいという事に。


「な、なんだこれ……?」


 蒼空は息を呑んで、忙しなく自分の体を見回す。


 着ている衣服は、家を出た際に着用していたパーカーとジーンズではなく、よくファンタジー映画などで登場する魔法使いが身に付けているような、上下一続きの純白のフード付き長衣ローブという格好だった。

 更に、靴もスニーカーから、これも白色のショートレザーブーツに変わっていた。

 そして、蒼空が寝ていた場所の直ぐ傍に、先端が鍵状になっている独特な形状をした木製の長杖スタッフが、地面に無造作に転がっている。


「ど、どうしてボクはこんな格好で……えっ? あれ? ええっ!?」


 酷く狼狽した声が口を衝いて出ると同時に、更なる異変を認識した蒼空が驚愕する。


 声のトーンがいつもより甲高いのだ。

 そして、狼狽した声音だったとはいえ、その声はいつも自分が聞き慣れているような声の調子ではなく、鈴を転がしたような澄んだ響きを伴っていた。

 そう、それはまるで、玲瓏たる音色を奏でたような、少女特有の美声であった。


「あー、あーっ、おかしいよ、何でこんな声出るんだ? それに……」


 男性である蒼空では、本来出る筈のない女性の声質に愕然としながらも、それ以上の違和感を身体から感じ、言葉が震えて途中で止まる。

 その存在を認め、ある結論に達しようとする思考を全力で拒否しようと蒼空は試みるが、それはあまりにも無駄な抵抗にしか過ぎなかった。


「どうしてあるんだよ……」


 蚊の鳴くような呟きは、虚しく大気へ溶けて消える。


 不安に駆られた蒼空は、震える手でゆったりとしたローブの胸元を広げ中身を確認する。

 そして、ある物体が存在するのを現認してしまった。

 決して大きくはないが、それでも男性では有り得ない大きさで自己主張をしている膨らんだ胸。

 それは、女性のみが有する柔らかくふにゃっとした、マシュマロの如き神秘の双丘。


 つまり、おっぱいという名の女性のシンボルが確実に存在していたのである。

 そして同時に、男性のシンボルたる相棒が消失するという驚愕の事実も判明する。



 結論を述べると、庄堂蒼空は、オトコノコからオンナノコへと突如性転換してしまったのである―――



 水気を含んだ雑巾を絞ったみたいに、蒼空の全身から冷汗が噴き出し、思考が完全に停止する。

 極度の混乱に陥った蒼空は、しばし茫然自失の状態で下草の上に座り込んでいた。


「なんでボク…、女になってるんだよ……」


 表情を歪ませて、その事実を涙声で呟く。

 元々蒼空の顔立ちは、美人だった母親譲りの女性的な容貌であり、更に体つきも全体的に華奢で小柄だった為、口の悪い学校の級友からは「女みたいな奴」とか「男の娘ハァハァ」等とよく言われていたのだが、彼は正真正銘の男であった。

 ましてや、蒼空自身は男らしいという程の性格では無かったが、至って平凡な男子であったし、決して女性化願望を内に秘めていた訳でも無かった。


 それ故、今蒼空の身に降り掛かっているこの出来事は、間違いなく歓迎すべき状況ではなかった。


「こんなの嘘だ……」


 絶望的な呟きを吐き出しながら、蒼空はこのような事態へ陥ってしまった原因を探るべく、昨日の記憶を手繰ろうと思考を巡らせ始める。

 家を飛び出し、無我夢中で走り歩き続け、やがて見知らぬ山道へと行き着いた。

 そして、現実逃避そのままに山の中を彷徨い続け、その後―――


「あ、れ?」


 喉が干乾びたように、千切れた疑問の声が漏れる。

 次いで、悪寒が小さなさざなみとなって、蒼空の背中に押し寄せる。

 記憶がそこで途切れていた。


「なん、で…?」


 愕然とした声を出しながらも、山中を歩き回った後、この場所で寝る直前までの記憶を懸命に脳裡に思い浮かべようと努力するが、それが実を結ぶことは終ぞ無かった。

 記憶が途中でぽっかりと消失しているのだ。

 それはまるで、深く暗いうろが昨夜の回想を蝕んでいる様に酷似していた。


 絶望に打ちひしがれる蒼空は、思考停止したまま、茫乎ぼうことした視線を宙空に投げ掛けるだけの人形の如き存在と化していた。


 故に、それが接近している事に気付くのが遅れてしまった。

 蒼空という名の極上の獲物の肉を欲する、凶悪かつ凶暴な魔獣の存在に。


 それの外見は、狼に酷似していたが決定的に違う点があった。

 その特徴として、凶悪な皺に包まれた顔には上下に一対ずつ――計4つの双眸そうぼうが有り、更に全てのひとみは、絵の具で染め抜かれたような真紅の色を有し、体躯は普通の狼と比すると遥かに巨大であった。

 性格は正に獰猛そのもの。その為、人間は恐怖と嫌悪を込めてその魔獣を“ブラッドウルフ”と呼んでいた。


 魔獣が発する不気味な低い唸り声と気配に蒼空が気付いた時には、既に逃げるという選択肢を取るには致命的な距離まで詰められていた。

 凄まじい速度で、魔獣ブラッドウルフが蒼空目掛けて突進してくる。


 一方の蒼空は、それの姿を認識しつつも、思考が全く状況に追い付いておらず、からだは凍りついたまま指一つ動かすことが出来なかった。

 だが、混乱の極みでありながらも本能が目前に迫った“死”という危機を察知し、防衛行動を促す。


「うあぁッ!」


 喉から絞り出される甲高い叫び声を上げながら、蒼空は無意識に傍に転がっていた長杖スタッフを手にし、それを座り込んだままの状態で真横に振るう。

 しかしそれは、まだ僅かに魔獣との距離が開いていたことから、直接叩きつけるといった攻撃にもならず、この行為それ自体は、偶然近くに置いてあった武器になりそうなもの――木の棒を、追い払う為に闇雲に振り回しただけに過ぎなかった。


 勿論、そんな行為は、この魔獣にとって無意味以外の何ものでもない。

 ――――それが、常人の行為であったのならば。



 その時、蒼空が思い描いたイメージは“壁”。

 自分と相手を隔てる強固な防壁が、迫り来る危機から守ってくれることを無意識化で念じ、全細胞を通じた強烈な意思の下で、魔法という法術的手段を伴って“壁”が具現化される。



 ブラッドウルフが、蒼空の頭を噛み砕こうと大口を開け跳躍した転瞬、物理障壁アンチフィジカルの魔法が発動。

 蒼空の間近で展開された半透明の障壁は、魔獣の凶々しい牙を寸前で防ぐ。


 広げられた口腔から覗く牙が、蒼空を喰らい裂こうと執拗に噛み合わされるが、魔法で作られた壁がそれを邪魔する。


「ひぃっ…!」


 その光景を目の当たりにした蒼空は、無様に尻もちをついた状態で後退りながら、短い悲鳴を発する。

 完全にパニックに陥っている蒼空であったが、今何が起こっているかを理解しろというのは到底無理な話であったし、また、その時間的猶予すらも無かった。


 凡そ現状の事を何一つ理解出来ていない蒼空であったが、それでも今現在、目前でナニカが起こり、それによって魔獣の凶牙を免れているという事だけは認識することが出来た。

 そしてその認識が、蒼空に何とかこのまま逃げられるかも知れないという淡い希望を持たせる。


 だが、次の瞬間、その希望すらもあっさりと打ち砕かれる。

 蒼空を守護する最後の砦とも云うべき魔法の壁が、ブラッドウルフの猛攻によりひび割れが生じ出したのだ。


 原因は、想像力――イメージ力の不足と、魔力操作の未熟さであった。

 尤も、魔法という概念すらも理解できていない蒼空にとって、それは無理からぬものである。

 何故ならば、特に物理障壁アンチフィジカルのような防御魔法の場合は、発動もさることながら、その障壁を継続させる為には、強いイメージ力の継続と、それを可能にする緻密な魔力操作が必要なのだ。


 そのどちらも決定的に欠如している今の蒼空では、本来、絶対的強度を誇る“壁”であるにも係わらず、人々に怖れられているとはいえ、魔獣程度・・・・の攻撃でこうも脆く崩れてしまうのは自明の理であると言えた。


 しかし、蒼空にとってはその“壁”がどんなに脆く儚くとも、命綱であるのは間違いない事実であったのだ。

 それが破られる―――即ちそれは、命運が尽きると同義である。


 蒼空を防護する半透明の障壁は、最早崩壊寸前であった。


 そしてそれを、凶悪な魔獣も本能で悟っていた。

 後一撃で、この忌々しい“壁”は壊れる……と。


(これは夢だ…悪い夢なんだ……)


 既に障壁は半ばまで砕け散り、ブラッドウルフの牙が残存する部分の壁を容赦なく噛み砕いている。

 その光景が、否が応にも蒼空の瞳に映し出される。

 それはつまり、もう間もなく“壁”は消滅し、今度こそ蒼空は無残にも喰い殺されるという凄惨な運命が待ち受けるという現実であった。


(そうだ、今までが全部悪い夢なんだ…。優しい父さんが居て母さんもちゃんと生きてて、そしてもちろん男のボクも居て、みんな一緒に仲良く暮らしているのが本当の現実なんだ……。

 次に目を覚ました時は、ボクはちゃんと部屋のベッドで寝ているだろうから、すぐに起きてリビングに居る父さんと母さんに朝の挨拶をして、それから、それから………)


 とめどなく溢れる涙と想いを最後に、蒼空の意識は暗転した。



 そして、“壁”は全壊し、直後、魔獣ブラッドウルフが怒号を放ちながら、意識を手放した蒼空へ凶牙を突き立てようと――――


 閃光。

 爆音。

 爆発。



 ―――刹那、魔獣の頭部が爆砕した。



 そして凄まじい爆風が、周囲の草木を薙ぎ倒す。

 それは、凄まじい魔力放出の余波であった。


 無詠唱で撃ち放たれたのは、出力と有効範囲を限定し、ほぼ零距離で射出された爆裂魔法スパークであった。


 だがこれは、高位レベルの魔導士だけが可能とする魔法であり技法である。

 決して、魔法の概念すらも知らぬ、今の蒼空が扱えるレベルのものではなかった。


 しかし、実際に爆裂魔法スパークを撃ち放ち、魔獣ブラッドウルフを屠ったのは、たった一人だけしかこの場で存在し得ない。


 だが、もし同一人物であるとするならば、その存在は、あまりにも異質過ぎた。

 冷酷な眼差しも、身に纏う鋭利な雰囲気も、そして、荒れ狂う程の桁違いの魔力量も。



「ケダモノ風情が…、オレに牙を剝くなど100万年早い」



 更に、汚い花火だったな、と小さく呟いた後、どこまでも冴え凍る瞳を、頭部はおろか胴体や四肢までも木っ端微塵に爆殺した魔獣の成れの果てに向けながら、その人物は至極つまらなそうに言い捨てた。


「まったく…。いきなりオレの出番かと思いきや、さっそく絶体絶命の状況に陥っているとは流石に恐れ入ったよ。

 どうにも忌々しいが、女神あいつの思惑通りということか……」


 酷薄な冷笑をその美しい顔に浮かばせて、吐き捨てるよう口調で言う。


「こんな有様では、今しばらくは主人格ソラの尻拭いが続きそうだな。

 あくせく働くのはオレの性に合わんが、まぁこの状況では仕方があるまい」


 溜め息と共に独り言を吐き出しつつも、魔獣から逃げようとした際に蒼空が落としてしまった長杖を再度拾い上げて、大儀そうに立ち上がる。


「さて、これからどうしたものかな。というか、面倒だからさっさとソラの奴が目を覚ましてくれると助かるんだが……」


 爆風によって軒並み薙ぎ倒された周囲の木々や草花を、醒めた目で見渡しながら、もう一人の蒼空と云うべき者が、さも面倒臭そうな口調で誰ともなしに言った。


「カイ…か。あの女神おんなが名付け親ってのが、全くもって気に喰わんが、まあ主人格ソラをサポートする為の交代人格オレが生み出された以上、面倒だが義務は果たさねばなるまいな……」



 唇の端を吊り上げて自嘲の笑みを浮かべながら、濃緑の木々に遮られながらも、隙間から覗く青空を見上げて、カイと言う名を与えられた蒼空の別人格は、前途多難であろう未来に思いを馳せ、ひっそりと誓いの言葉を呟いた。



 かくして、ユグシルドという異世界の水面に波紋を広げる人物が、また一人動き出し始めた。



 運命は更に加速する――――









ここまでお読み下さりありがとうございます。

相変わらずの遅筆ですが、未完にするつもりは絶対にありませんので、末永いお付き合いをして頂ければ光栄でございます。

引き続き、次話も宜しくお願いします。

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