19 初めてのおつかい
誠は志乃の弟になった。ただ、弟と言っても正確には弟分、体のいい奴隷であった。もしくは付き人とでも言うべきか。
志乃がまず向かったのは公園の外であり、それを誠は必死に止めていた。すこし離れれば車通りの激しい大通りもあるし、何より先日の一件でどこに誘拐犯がいるかわかったものではないのだ、子どもだけで公園という聖域から離れるのは得策とは言えなかった。
そもそも公園と言ってもぽつんと遊具が立ち並ぶような小さなものではない。上野公園ほどある敷地に、遊具だけでなく小高い丘や木陰を作る樹林、水遊びできる小川など、子どもがのびのび遊ぶのに十分すぎるほどのスペースがあった。
それでも志乃は「外へ出る」と言ってきかない。その理由は――。
「お菓子、買ってあげる」
そう言って見せてきたのは穴の空いた銀の硬貨だった。
たまたま拾った宝物か、なんでも買える引換券か。小銭ひとつでどれだけのお菓子が買えるのか、志乃が正しく理解している様子はない。それでも姉貴分としていいところを見せたいのだという気持ちは伝わり、誠は自然と笑顔になっていた。
微笑ましい――それだけに、その気持ちを無下にするのは心苦しい。しかし大切なお金を自分ごときに使わせるのももったいないが、やはり善意は断れない。他人の家の教育方針にも関わることなのでおいそれと口を挟むのもはばかられ、誠は真剣に悩んで末に、
「わーい、ありがとう」
最後には悲しい顔が見たくないという結論に落ち着いていた。
公園という立地だからなのか、市道を挟んで向かい側にひとつ駄菓子屋があった。古臭い――という名の情緒あふれる店構えには見えるように安価なお菓子が並べられ、子どもたちの足を止めていた。
親からすれば無駄にお金を使わされ、夕飯を食べなくなる弊害もあれば、とりあえず言うことを聞かせるのに役立つこともある。そういった地域に密着することで生きている昔ながらの店だった。
そんな郷愁を誠は持ち合わせていなかった。今世ではもちろん、前世でもお小遣いというものを知らないのだからである。だから知識として知っていても、いざ目の前にすると、「なんだ、随分古びた店構えだな」と心の中でぼやいていた。
子どもながらにして子ども心を忘れた享年二十二歳のことはどうでもいいとして、初めての社会勉強をすることとなった志乃は、半分怯えながらも誠を引き連れて入店していた。周りは小学生低学年の男女が数人いる中で、少し悪いことをしているような、でも普段は親の選別を通らないと買えない様々なお宝に目を奪われていた。
並ぶ商品はどれも価格は十円、二十円と安価である。ものにもよるが志乃の所持金では三個なら買えるだろう。
「あんた、何が欲しい?」
志乃が聞く。自分だって欲しいものがあるだろうに、ちゃんと姉としての威厳を保つ努力を忘れないところが好感に値する。唯一悲しいのは姉が自称であることくらいなものだ。
反面、誠は駄菓子を見ても、ほとんど興味を示していなかった。人工的な色味、人工的な甘味料、カツといいながら原材料に豚肉の使われていない模造品。こんなもので腹を満たすくらいなら空腹のまま家で真由の手料理を待つほうが何倍も幸福だったからだ。
この世界――というか、この多夫多妻家庭特有のものなのだろう。冷蔵庫や調理家電など、業務用と見間違えるほど大きく、その買い方も豪快である。成人だけで十人もいるのだから当たり前なのだが、いちいちちまちま買っていては買い物だけで日が暮れる。基本的に全て宅配だった。
山積みの食料、山積みの生活用品。それらが一階の倉庫にパレットで搬入されていく。野菜など、市場から直送されたかのようにダンボールで梱包されているが、中は皮が剥かれてパウチされていた。
効率的といえば効率的である。小分けにしない分、工程も経費も削減でき、ゴミの排出も少ない。買い手側もキャベツひと玉大根一本など、一人暮らしでは躊躇してしまう買い物も難なく、フードロスの削減が無駄な出費を抑えていた。
日本全体を見れば買い物に使われる合計時間は前世より減っているだろう。そしてそれは圧倒的過半数を占める多夫多妻家族向けのサービスであり、極小数の一夫一婦家族や一人暮らしが割を食っているのは当然のことだった。
話を戻すが、大量に作るご飯は味が良くなることがわかっている。もちろん作り手の技量や調理方法にもよるため一概には言えないが、煮込み料理に関しては科学的根拠があった。それを除いても真由の作る料理は、家庭料理と呼ぶのがおこがましいほどに美味い。そのため佐藤家に菓子類が常備されていることはほとんどなかった。
かといって正直に家のご飯が待っているので大丈夫というのは馬鹿の台詞である。それくらい気を使える誠は、真剣に悩んだ末にひとつ、手に取っていた。
「……これ」
それは赤い包装に包まれたチューインガムである。コーラ味という、信用ならない文字が書かれたロングセラー商品だ。
ひとつ十円。志乃の予算内であり、食べてもお腹が膨れることはない。ベストな選択に誠は誇らしげにしていた。
しかし、
「駄目」
志乃はひょいと誠の手の上からガムを取り上げると元に戻してしまう。なぜかといえば、
「ガムはもうちょっと大人になってからってママが言ってたもん」
なるほど、誤飲の可能性を考えたなら志乃の言うことは正しい。
しかし、そうなると誠は困ってしまっていた。ガムが駄目なら恐らくグミも駄目である。チョコならいいかと見れば安くて三十円からとなかなか高額で、志乃の分まで買うことができない。一応奥の手はあるが露見した時のことを考えるとなるべく取っておきたい。
仕方なく、フィルムに包まれた長い棒状の駄菓子を手に取る。一本十円で非常に軽い、しかしこんなものを食べてしまえば、この後家まで口の中がパサパサになることは目に見えていた。
いけるかな、どうだろうか。誠が葛藤している隙に「これね」と志乃に駄菓子を奪われていた。あっ、という間もなく、レジを前にして座るおばあちゃんの前に突き出し、
「これください」
「お金は?」
言われ、待ってましたと硬貨を差し出す。
沈黙。老婆の顔が徐々に険しくなるのを見て、誠は察した。
恐らく、お金が足りないのだ。誠のスナック菓子だけでなく志乃の駄菓子も買ったため、無事予算オーバー。それもまた社会経験だった。
が、これもまた社会経験――とはいえ苦い思い出が本当に正しいものか、誠にはわからなかった。しかしこのままでは志乃が恥をかいてしまうということだけはわかっていた。
悩みたくとも悩む時間などなくて。仕方ないと、誠は持っていたポーチから紙幣を取り出していた。
それは、お小遣いではなく、正真正銘誠の稼いだ金だった。そして、使い道のない金でもあった。
誠が志乃の後ろで紙幣を振る。その姿を見た老婆は納得したように笑みを返すと、商品を志乃に渡した。
「……やった」
感極まった声、初めてのおつかいである。
手の中の戦利品を大事に抱え、志乃は後ろを向く。よかったね、と誠は笑みを浮かべながら彼女の横を歩いていき、見えないように背中から紙幣を老婆に渡していた。
「かわいい妹じゃないか。お兄ちゃん、大事にしなよ。」
「ははは……はい」
お釣りとともに渡された言葉に、誠は苦笑いで返していた。
まさか志乃のほうが年上などと言えるはずもなく、それでもよくやったほうじゃないかと、誰でもなく、自分自身を褒めていた。




