3-3 報告
朝の爽やかな風が奈津の頬を撫でていく。活動を開始して殺気立った街とは対照的に、奈津のセミロングの黒髪は空気の流れに合わせて静かに揺れていた。
拠点の高層ビル。その屋上の端に立ち、奈津はどこまでも遠くを眺めていた。
「わたしは、死ぬ前の人生を無価値だと思ってた。あの神崎健太郎とかいう、お父さんとお母さんの上司を憎んでた。あのクソ叔父の一家も、わたしを殺した運転手も憎いけど、神崎の親子ほどじゃない」
覚悟を決めて思い出した過去の中から、手がかりを探す。
自分の過去が莉多の犯行動機と本当に関係があるのだろうか。生前の出来事に、莉多は心を縛られているのだろうか。
そこまで考えたとき、奈津の頭に電気が走った。
「まさか、莉多さんも、誰かを恨んでる? それも、不幸因子でなにかをしようとするほどに……でも、規模が大きすぎる。ということは、恨んでるのは特定の人物ではなく社会? 社会が憎いから、不幸因子で変えようとしてる?」
昨夜の莉多と自分の過去が結びつく。
しかし、そこで新たな疑問が湧いてきた。
「じゃあ、なんでカラスさんは莉多さんに手を貸してるの? 莉多さんとは別の目的があるって言ってたけど、死神が考えそうな目的って何? 莉多さんの目的はカラスさんの手を借りてこの社会を変えること。それなら、カラスさんは、莉多さんを使って別の何かに影響を与えようとしてる?」
奈津は首を横に振る。
「これ以上考えてもわからないな……」
彼女は大きく息を吐いて、呟くのをやめた。
黒塊大量発生の犯人は莉多だとわかった。不幸因子を悪用する目的も動機もある程度予想はついた。それならば、次はどうやって莉多を止めるのかを考えなければならない。遣いの奈津が死神の事情を探っても仕方がない。そのようなことはメジロの仕事だ。
奈津は気分を変えるために、大きく背伸びをした。
その直後、メジロが少女の姿で屋上の中央に降り立った。
「終わった?」
「うん」
奈津は端の段差を下り、メジロに体を向けた。
「莉多さんがわたしと同じなら、この街の人間を恨んでるのかもしれない。だから、不幸因子を使ってこの社会を変えようとしてるのかも」
「奈津も、不幸因子を操る力があったら、莉多と同じようなことをするかい?」
メジロは奈津の隣まで歩き、街を見下ろす。
街は朝日に照らされている。だが、そう尋ねるメジロの顔は少し暗く見えた。
奈津は鼻で笑った。
「するわけないでしょ。憎い奴らも、今はもう関係ないし。それに、わたしがこの街に何か悪い事をしようとしたら、それこそわたしの人生を否定することになるから」
「そっか……」
奈津の言葉を聞き、メジロは安心したような表情を浮かべた。
カラスが悪事の片棒を担いでいることを知り、メジロはその衝撃から立ち直れずにいた。だからこそ、奈津の信念はメジロの支えになっていた。死神が遣いに励まされて情けないと思いつつ、自分はまだ二年目の新人なのだからこれでいいのだとメジロは思った。
メジロの穏やかな表情に、奈津もまた安らぎを得ていた。
奈津は屋上の端に跳び乗った。
「まあ、いいわ。とにかく集会に行きましょ。他の三組にも、莉多さんが犯人だって伝えなきゃ。味方は多いほうがいいし」
「それは待って、証拠がない。あと、奈津と莉多なら、他の三組は確実に莉多を信用する。かえって状況を悪化させるだけだよ。今は、何も言わないほうがいい」
メジロの厳しい言葉に、奈津は振り返る。
奈津は怒りを感じた。自分の言葉だけじゃ意味がないのかと。たった一組で戦わなければならないのかと。だが、メジロの真剣なまなざしを見て、奈津の理性が戻った。
「わかった。悔しいけど、今は様子を見るしかないね」
「でも、話せるところは話したほうがいい。もちろん、莉多が犯人であることは隠さないといけないけど」
メジロは段差を上って奈津の隣に立つ。
奈津はメジロの動きを目で追った後、真下の道路に目を向けた。
「となると、集会で話せるのは人型黒塊の出方だけだね……莉多さんの姿になることは当然ダメとして、出現ポイントの話もやめておこうかな」
「そうだね。偶然見つけたことにしよう」
言葉一つで状況が変わるかもしれない。あまりにも気が重い。
奈津は両手で頭を抱え、空を仰ぎ見た。
「莉多さんを刺激せずに、ヒントを与えなきゃなあ」
悩みつつも、集会で発言する内容が彼女の頭の中で組み立てられていく。気分的には重圧だったが、考えるものは簡単だった。どう報告するのか、すぐに決まった。
「よし! これでいこう!」
奈津は声を上げながら両手を下げ、そのまま飛び降りていった。
「ちょっ! 奈津!」
メジロは慌てて奈津の後を追った。
集会場所に到着したときには、奈津とメジロしかいなかった。
少し待っていると、葉月とスズメ、結衣とタカ、小夜とフクロウがやって来た。そして、最後に莉多とカラスが何食わぬ顔で降り立った。
奈津は反射的に莉多を睨んでしまう。
莉多は意味深に微笑み返すだけだった。
「では、集会を始めましょうか」
莉多の号令で空気が引き締まる。
葉月も、結衣も、小夜も、いつも通りの表情をしている。葉月は明るく、結衣は少し険しく、小夜は眠そうに。莉多もまた、変わらずに余裕のある笑みを浮かべていた。そのなかで、奈津だけは、いつも以上に真剣な面持ちだった。
「まずは、昨夜の報告をしてもらいましょうか。と、その前に」
莉多の言葉が止まった瞬間、奈津は嫌な空気を感じた。
それと同時に、莉多の視線が奈津に突き刺さる。
「今日は奈津から、重大な発表があるそうよ」
奈津は目を見開いた。
背筋が凍る。いきなり発言を促してくるとは思わなかった。いつものように流れるような報告であれば気が楽だった。しかし、今のように特別な指名をされると、全員の注目が集まってしまう。気が重くなる。
莉多は不敵な笑みをこちらに向けている。どのような行動に出てくるのか、試しているのだろう。
莉多が先手を打とうが、言う内容は変わらない。
奈津は自信を持って口を開いた。
「昨夜、人型黒塊の発生現場に出くわしました。そこで、人型黒塊が出来る様子を、この目で見ました」
その言葉で、遣いたちに動揺が生まれた。
莉多はそれをすぐに手で制し、奈津を見据える。
「静かに。奈津、続けて」
奈津は小さく頷き、再び話し始める。
「時間は午後八時頃。場所は、西区と南区の境界にある路地裏でした。不幸因子にとりつかれた女性が苦しみ始めると同時に、女性の体内で不幸因子が増大してました。そして、女性の体から人型の黒塊が飛び出ました。女性は気を失いました。すぐに黒塊を撃破し、女性から不幸因子を吸引しましたが、女性に不幸因子を操る力はありませんでした。黒塊がすべて人型だったのは、人の体内で形成されたからだと考えてます。これが人為的なものか自然的なものかは、まだわかりません。報告は以上です」
考えていた内容を話し終え、奈津は小さく息を吐いた。
周囲の反応をうかがう。莉多以外の三人は、何を話せばいいのか迷っているようだった。肝心の莉多は、満足そうに頭を小さく縦に揺らしていた。
「ありがとう、奈津。お手柄ね。これで、調査は大きく進むわね」
莉多の言葉を皮切りに、他の三人も奈津に讃えた。
「なっちゃんすごーい!」
「奈津、ナイス……」
「やるじゃねえか」
だが、奈津はその言葉を素直に受け取れなかった。
苦笑いをするしかなかった。犯人は目の前にいるのに、それを言えないのがもどかしくて仕方がなかった。
場が静まり、莉多が再びリーダーとして動き出す。
「小夜、昨日黒塊が発生したとき、何か感じたことはあるかしら?」
「いつも通り、不幸因子の気配がした、だけ……奈津がいたから、任せて、何も言わなかった、けど……」
「他には?」
「特に、ない、かな……」
「そう。ありがとう、小夜」
莉多は小夜との問答を終えると、またしても満足そうな笑みを浮かべていた。
「葉月と結衣の報告も欲しいわね」
莉多はその二人に目を向ける。
「葉月の北区は特になかったよー」
「アタシの東区も特にない。不幸因子も薄かったぜ」
「わかったわ。ありがとう、葉月、結衣。他に、何かある人はいる?」
莉多は葉月と結衣の報告を受け、最後の問いかけをする。
奈津は手を挙げそうになったが、寸前で思い留まった。犯人が莉多であることを公言したかった。だが、言ってしまえば最後。彼女は狂人扱いされ、今後一切の発言を信用してもらえなくなるだろう。だから、耐えるしかなかった。
誰も手を挙げずに十数秒が経った。
「特になし、と」
莉多は表情を引き締め、締めの指示を出し始める。
「小夜はこのまま中央区で感知に専念して頂戴。結衣、葉月、奈津も担当区域の調査を続行。私も中央区と南区の調査を続けるわ。小夜は不幸因子の不自然な増大を感じたら、すぐに知らせること。感知場所から一番近い人が確認に向かうこと。黒塊については小夜以外の四人で対処。以上。では、解散」
莉多の号令を受け、葉月、小夜、結衣は返事をして飛び去って行った。
そのなかで、奈津は自分の意思でその場に留まった。