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体育館、振り返って

 次の日の朝、登校したあたしは体育館の横をひとりで顔を綻ばせながら歩いていた。

 教室で近藤くんに会うのが楽しみで、でもちょっぴり恥ずかしい。

 彼はどんな顔で、あたしに挨拶してくれるかな?

 またあんな風に、優しく笑ってくれるかな?

 これから始まる彼との時間への期待感で、この胸がワクワクと弾んでる。


 ―― タン……


 その時体育館の中から、ボールの弾む音が聞こえてきた。

 あれ? 今日はバスケ部の朝練は休みのはずだけど。自主練かな? 真貴子?


 扉を開けて中をそっと覗き込んだら、真貴子がフリースローの練習をしているのが見えた。

 ガラーンとした体育館には、真貴子ひとりだけで、彼女は真剣な表情でバックボードのリングを見すえながらボールを構えている。


 フリースローラインの外にある彼女の足がクッと沈み、リズミカルに飛び上がりながらシュートを放つ。

 流れるような素早い姿勢ながらも一瞬の迷いも見えず、綺麗に伸びた両腕の手首が返って、ボールが放物線を描いた。


 ―― シュパッ……!


 小気味良い音をさせて、ボールはリングのアミを素直に通り抜ける。


「おおー、ナイス!」


 思わず声が出てしまって、真貴子がこっちを振り向いた。


「あ、怜奈、オハヨ」

「オハヨ、真貴子。邪魔しちゃった?」

「んーん。誰もいないから入っといでよ」


 真貴子に笑顔で手招きされて、あたしは体育館の中に入り込んだ。


「じょうずだね、真貴子。あんなところによく入るよね」

「コツさえつかめば、なんとかね。あとは反復練習あるのみ」

「才能も必要だよ。あたし、小学校の頃からフリースローって一回も成功したことないもん」

「え? そんな昔から一回もないの?」

「うん。バスケって苦手。なのに中学ん時の体育教師がバスケ大好き人間でさ。大変な目にあったよ」


 実技テストでヘトヘトになるまで熱血指導されたんだけど、どーやってもこーやっても、なにをやっても無理だった。

 だってそもそも、ボールがリングまで届かないんだもん。

 しまいにキレちゃった先生が、

『お前は腕力も体力も無さすぎだ! そんなヘタレ根性でこの先、どんな人生を歩んでいくつもりなんだ!』

 って、ポイントのズレた説教し始めて。


「頭にきて先生に思いっきりボールぶつけちゃってさー。大ゲンカになったさ」

「……ぶっ」

「笑いごとじゃないよ。横暴教師だと思わない?」

「怜奈ってどこの中学だっけ?」

「真貴子と同じじゃなかった?」

「違うよ。あたし県外の中学だもん」


 あたしはマユを寄せながら、首をかしげた。

 あれ? そうだったっけ? なんか全然、記憶がないんだけど。


「真貴子、引っ越して来たんだっけ?」

「実はね、白状するとさー」


 真貴子は手に持ったボールを、バンバンと床に強くバウンドさせる。


「あたし、中学の時イジメられててさ。不登校になったんだよね」

「…………」

「部活でも教室でも、自分の居場所がなかったの」


 真貴子がボールを繰り返しバウンドさせる音が、静まり返った体育館の隅々まで響きわたる。

 あたしは、ボールと床をじっと見ている真貴子を見ながら口を開いた。


「知らなかった……」

「そりゃそうでしょ。話してなかったもん」

「なんで言ってくれなかったの?」

「いやー、話して楽しい話でもないしー。 けっこう壮絶な内容だから言いにくくてさー」


 壮絶な内容……。

 わざと明るい調子で言う真貴子の様子を見れば、逆にどんな深刻なイジメを受けていたのか、真貴子がどれほど苦しみ、傷つけられたのか想像できるような気がした。

 あたしの腹の奥から、ふつふつと怒りがこみ上げる。


「真貴子みたいないい子が、イジメられる理由なんかないのに」

「イジメに理由なんか、あって無いようなもんよ」


 そう言って彼女はちょっと笑ったけど、あたしは笑うどころじゃない。

 強い怒りがジリジリ腹の底を焼いて、不快でたまらない。

 大好きな真貴子をイジメてたっていう、その連中にまとめてケンカを吹っかけてやりたかった。


「しいて言えば、あたしが必死過ぎて引かれちゃったのが原因かな?」

「必死? 真貴子が?」

「うん。うちの家系ってエリートが多いんだよ」

「ああ、そういえばお医者さんとか、親戚に多いんだっけ?」

「そうなの。有名国立大卒とか、有名私大卒やらがゴロゴロしててさ。あたしバカだから、ほんと肩身狭くて」

「あー、それ、わかる。周りが優秀なのばっかりだと、引け目感じてつらいよね」

「だからさ、バスケだけが心のよりどころだったの。親戚中のみそっかすだった自分にとって、たったひとつの誇れる物だったから、本当に真剣にバスケに取り組んでたんだ」

「なにかひとつでも、好きで得意なものがあるっていいよね。救われるもん」

「うん。でもあんまり真剣すぎて、部活の仲間にもそれを無理やり押し付けちゃったせいで、少しずつ仲間と距離ができた。そりゃウザイよねー。他人の事情を勝手に強要されたんじゃさ」


 そう言って真貴子は、素早く身構えてシュートを放った。

 滑らかな放物線を描き、手から離れたボールはリングに吸い込まれる。

 そしてネットを揺らし、床に落ちて大きな音をたてて弾んだ。


「辛かった。学校に行けなくなって。バスケができなくなって。仲間からも見放されて」


 体育館の端っこの方へコロコロ転がっていくボールを、真貴子は見つめている。


「でもね、一番辛かったのは、親が理解してくれなかったこと」


 真貴子はボールに向かって走り出し、ヒョイッと拾い上げて、パッと広げた右手の上に乗っけて素早く手首のスナップを効かせる。

 真貴子の人さし指の上で、ボールが地球儀みたいに勢いよく回転した。


「理解してくれないどころか、責められたんだ。前々から親には、部活よりも勉強に専念しろって怒られてたから。親の言うこと聞かないで、勉強もしないでバスケなんかしてるからこんなことになるんだって言われた」


 ボールは真貴子の指の上で回転を失い、ポロリと落ちた。


「お前の自業自得だ。……ってさ」


 タン、タンと音を響かせ、弾んで床の上を転がるボール。

 でも真貴子はそれを見ていなかった。

 彼女の目は、自分の過去を振り返っている。


「辛かった。悲しかった。恨んだ」


 仲間だったはずのチームメイト。

 友だちだったはずのクラスメイト。

 どんなにあたしがみそっかすでも、きっと最後の最後はぜったい味方になってくれるはずって、信じてた両親。


 なのに、あたしの心は誰にも届かなかった。

 それが、どうしても許せなかった。

 心の底から、本気で憎んで憎んで、絶望して。


 だから、あたしは……。


「でもね。もう、いいかなって」


 吹っ切るように、真貴子はボールに向かって元気に走り出す。

 そして大事そうに小脇に抱えて、こっちに駆けて来た。

 いつも通りの明るい笑顔の彼女が、語りかけてくる。


「ずっとここで、大好きなバスケをしていられて。怜奈とも一緒にいられて。そう思えるようになれたんだ」


 真貴子は再びボードに向かって身構える。


「怜奈、見ててね」


 そして両目をそっと閉じ、彼女は軽やかに飛び跳ねる。


 天に向かって伸びる腕も

 ふわりと揺れる黒髪も

 地上から解放された足先まで

 真貴子は、すべてが自由だった。

 彼女の指先から放たれたボールは、彼女が信じた通りの道を描く。


 ―― シュパッ……!


 ボールがリングを通る音を聞いた真貴子は目を開けて、見たこともないような嬉しそうな笑顔で微笑んだ。


「怜奈、ほら、あそこ」


 そして真貴子が指さす先に、あたしは見た。

 体育館の床の上に、あの白い花が咲いているのを。


 そんな場所に咲いているのに、ちっとも違和感を感じなかった。

 この花が普通の花じゃないことは、すでにわかっていたから。

 そして真貴子がこの花を見ることができた理由を、あたしも、真貴子も、今この瞬間に全て理解した。


「怜奈」


 真貴子があたしに抱きついてきて、両腕を背中に回し、ギュッて強く抱きしめてくれた。


「怜奈、大好き。大好きだよ」


 心からの、彼女の言葉。

 なによりも嬉しい最高の言葉が、あたしの耳に確かに聞こえる。

 うん。今度はちゃんと届いたよ。真貴子の心が。

 あたしも大好きだからね。真貴子のこと。


「ありがとう怜奈。じゃあ、あたし行くね」


 抱きしめる腕を離し、真貴子は駆け出した。

 あたしは遠ざかっていく彼女の背中を、じっと見送る。

 そして、その姿が見えなくなって、あたしはそのまましばらく立ち尽くし……


「……ふう」


 ひとつ、大きく息を吐いた。

 あぁ、

 あたし、近藤くんに会いたいなぁ。



 体育館をぐるりと見回し、後ろ手を組んで、ゆっくりと、あたしは歩き出した。





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