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屋上で、触れた

 学校の屋上で風に吹かれるのって、すごく気持ちいいんだなぁ。

 こんなことなら、もっと早く体験しておけば良かった。


 あたしは、高い視点からこの街並みを見おろして、そして胸いっぱいに空気を吸い込んだ。


「よお」


 会いたいと思っていた人の声を聞き、振り返ったあたしの顔は、自然に微笑んでいた。


「やっぱり来てくれたね。近藤くん」

「怜奈、気がついたのか?」

「うん。あたし達、もう死んでるんでしょ?」


 あたしの問いに、近藤くんはあっさりうなづいた。

 あんまりにも彼の態度があっさりし過ぎて、あたしは逆に笑ってしまう。

 もうちょっとドラマチックにできないもんかな? これ、けっこう衝撃の事実だと思うぞ?


「死んでるわりに、あたし達って元気だよね? ……っていうのも変な言い方だけど」


 でも他に言いようがない。死んでるくせに、なんでこんな普通に学校生活を過ごしてるんだろ?


「死んだ事実を認識できるまで、生前の日常に近い生活を過ごすらしいぞ?」

「ふうん。死んだ人の魂ぜんぶが、そうなの?」

「そうでもないらしい。死んだ自覚がなかったり、恨みとか、強い執着を遺した者がこうなるみたいだ」

「近藤くん、妙に事情にくわしいね」

「教えてもらったんだよ、俺も。いまの俺たちと同じ状態の奴と会ったときに。この学校は特殊な場所に建ってるせいで、霊的な現象を引き寄せるんだとさ」

「あたし達のこと、生きてるみんなは気づいていないんだね」


 言われてよくよく考えてみれば、思い当る。

 学校で真貴子や近藤くんと一緒に過ごした記憶はあるのに、他の友だちとの記憶はないもん。

 下校してから家族と過ごした記憶もない。そのことを不思議に思って当然なのに、なぜか今までちっとも変に思わなかった。

 これが死んでる者の感覚なんだろうね。きっと。


「この屋上に来られるのも、そのせいだろうね」

「普通なら立ち入り禁止だもんな、屋上って。これも一種の特権だな」

「死んでる特権って、なんかそれスゴイねー」


 あたし達は声を上げて笑った。

 おかしいことがあれば、こうして笑って。

 嬉しいことがあれば、あんなに胸がトキめいて。

 近藤くんと繋いだ手の温もりも、真貴子と抱き合った感覚も、ぜんぶ本当のことなのに。


「それでもあたし達、死んでるんだねぇ……」

「真貴子はイジメが原因で自殺したらしいな」

「うん。さっき真貴子本人から聞いた」


 両親のことも、友だちのことも、真貴子はどうしても許せなかった。

 だから彼女の魂はここへ来たんだ。

 そして真貴子は、やっと許すことができた。


「あの白い花の正体は?」

「白い花が咲いたなら、その罪は許される」

「……?」

「俺に事情を教えてくれた奴が、そう言ったんだ。意味はよくわかんねえけど」

「そっか」


 あの花は、咲いた。

 限界をこえるまで真貴子を追いつめた罪に苦しみ続ける、友だちの所に。

 娘を救えず死なせてしまって、それこそ死ぬほど自分たちを責め続ける両親の元にも。

 花は咲き、真貴子は許した。


「あたしね、病気で死んだんだ。近藤くんは?」

「俺は交通事故。雨の夜に横断歩道で」


 近藤くんは口をへの字に曲げて、難しい顔をした。


「俺、ちゃんと信号守ってたんだぞ? なのに制服が黒くて、傘の色も暗かったから見えなかったんだとさ」

「そうだったんだ」

「男物の傘の色なんて暗くて普通だろ? ひでえよなあ」

「反射シールを貼るべきでしたねー」

「小学一年生か、俺は」


 あたし達は、また笑った。


「許せなかったんだ。あんまりにも突然で。こんなのありかよって」

「……うん」

「俺、まだまだやりたいこといっぱい、あった。だから……」


 だから、恨んだ。憎んだ。

 俺を轢いた相手を。


 加害者は、腎臓の悪いおじいさんだった。

 遠い病院で透析治療を受けた、その帰り道だったらしい。

 疲れてたんだろうな。きっと。

 病気と戦いながら、ずっと大変な毎日を送っていたんだと思う。

 そのあげく、こんな死亡事故まで起こしちまって。


 ……わかるんだ。これは、純粋に事故なんだって。

 あの人に悪気があったわけじゃない。


 だけど、じゃあ、俺は誰を責めればいい?

 俺自身にはなんの落ち度も罪もないのに、大切な命を奪われて。


「憎むしかねえだろ? あの人を」


 近藤くんはそう言って、街並みを見下ろしながら遠い目をした。

 きっと、この街のどこかにいるんだろう。

 彼の命を奪った人が。


 家や、ビルや、公共施設の屋根を見下ろす、この空の下。

 舗装された道路を車や人が行き交う、こんな……

 こんなにも普通の世界の中に。


 あたしは彼の横顔に向かって、わざと明るい声で話しかけた。


「あたしの場合はさ、病気だったから、それなりに覚悟みたいなのはできてたんだ」


 もちろん、もっと生きていたいって望んでいたし苦しみもしたけど、病気は誰のせいでもないし、誰も憎んではいなかった。


「別に恨みも執着もなかったはずだけど、なんでここに来ちゃったかな?」

「ごめん! その原因、たぶん俺!」


 近藤くんがクルッとこっちを振り返り、頭を掻きながら謝罪した。


「へ? それ、どゆこと?」

「俺さ、実は生きてた頃から怜奈のこと知ってたんだよ」

「え? なんで?」

「通学路が同じだった。で、怜奈のこと、可愛い子だなぁって思ってずっと見てた」

「か、かわいい!? あたしが!? なに言ってんの近藤くんてば!」


 あたしは目を白黒させながら、慌てて彼の言葉を否定した。


「あたし、可愛いくなんかないよ。近藤くんの目、変だよ」

「そんなことないぞ! お前はすっげ可愛い!」

「…………」

「明日こそ話しかけてみようって決意した、その夜の事故だったんだ」


 またまた……爆弾発言をされてしまった。

 あたしはドキドキしてしまって、この胸の確かな熱さがすごく嬉しくて、そしてちょっぴり、切なかった。


「俺のこの気持ちに、怜奈が引っ張られたんだと思う。また会いたいってずっと思っていたから」

「そ、そっかぁ」

「だからまた怜奈に会えて、すっげえ嬉しかった!」


 そう言って笑った彼が、ハッと息を飲んでシュンとしてしまった。


「……悪ぃ。怜奈も死んじまったのに嬉しいなんて」

「あ、ううん。謝らないでよ。あたし感謝してるくらいだし」

「感謝?」

「うん」


 あたしは笑顔でうなづいて街の方を向き、そして両手でメガホンを作って大声で叫んだ。


「お父さあぁぁん! お母さあぁぁん!」


 胸いっぱいに息を吸って、ありったけの気持ちを言葉に乗せて吐き出す。


「ありがとおぉぉぉーー!」


 友だちのみんなも、ありがとう。

 親戚のおじちゃん、おばちゃん、従妹たち。

 みんなみんな、本当に本当にありがとう。

 嬉しかったよ。ずっと支えて、励ましてくれて。


 みんなだって、弱っていくあたしを見ながらきっと辛かったよね。

 なのに、いつもあたしに笑顔を見せてくれた。

 その笑顔があたしの宝物だったよ。

 お礼を伝えたかったけど、最後は意識が朦朧としてしまって、この気持ちを伝えられないのが悲しかった。

 だからさ、こうしてお礼が言えて良かったよ。


「ここでいくら叫んだって、みんなにはぜんぜん聞こえてないんだろうけどねー。あっはっは」


 元気に笑うあたしを、近藤くんはなぜかキョトンとした顔で見ている。

 そして、言葉では言い表せないほど素敵な表情で微笑んだ。


「そんなことないさ。きっと届いているよ」


 優しく緩む口元から、真っ白な歯が覗く。


「きっと、怜奈の大切な人たちの元に白い花が咲いたはずだ」


 喪失に苦しむ心を慰め、悲しみに沈む心を救う、白い花が……。


「なあ怜奈。俺たちさ、生きて会ってたら絶対、カップルになってたと思わねえ?」


 近藤くんがイタズラっぽい顔をしてそんなことを聞いてきたから、あたしは目をパチパチさせて頬をポッと赤く染めてしまう。


 カ、カップルって……。

 そんなこと、聞かないでよ。ばか。

 恥ずかしいじゃん……。


「さあ、どうですかねえ?」


 照れ隠しにツーンと顔をそむけて答えるあたしに、彼は熱心に繰り返す。


「絶対だよ。絶対、確実。間違いなく俺たちって恋人同士になってたって」


 “恋人同士”。

 それって、なんて恥ずかしくて、甘くて、憧れる言葉なんだろう。

 その言葉の持つ甘酸っぱい響きを、あたしは噛みしめた。


「だからさ、お願い。……キスさせてくれ」


 なぬ!?


 バッと振り向くと、近藤くんはパチンと両手を合わせて『お願い』ポーズをした。


「女の子とキスする経験もないまま人生終了なんて、あんまりだろ? 哀れな少年を救うと思ってさ」

「あ、あたしだって哀れな少女なんですけど!?」

「だからさー、哀れな者同士で」

「なにそれ! 近藤くんてそんな理由で女の子にキスすんの!?」

「違うよ。怜奈が好きだから」

「……!」

「好きな女の子とキスしたい。理由はそれだけ」


 好きな女の子と放課後デートしたかった。

 好きな女の子と一緒に下校したかった。

 好きな女の子と手を繋いで歩きたかった。


「だからお願いします! 好きな女の子と……怜奈とキスさせて下さい!」


 ヒザとオデコがくっつくんじゃないかってくらい、近藤くんは頭を下げて頼み込んでいる。

 あたしは目と口をパカッと開いたまま、そんな彼を見て……


「ぷっ。あはは!」


 つい、吹き出してしまった。


「なんだよぉ? 笑うなよ! こっちは本気で必死なんだぞ?」


 じとぉっとした目で見上げる近藤くんを見ながら、あたしは笑いが止まらない。

 だって、おかしいよ。キスってそんな丁寧に必死に頼みこんでするもんなの?

 それじゃムードもなにも無いじゃん。

 ひとしきり笑って弾む息を整えながら、あたしは聞いてみた。


「ねえ、あたし達って天国に行ったら、またこうして会える?」

「あー、んー。……それは」


 近藤くんは困ったように口ごもってしまって、それであたしには、わかってしまった。


「そっか。うん、そうだろうね」


 命は、この世にひとつだけ。

 人生も、一生一度だけ。


 人は、死んだ後には生きられない。


 だからこそ人は、死を恐れる。

 そして精いっぱいの命を生きようとする。

 天国を信じて、そこでも生き続けたいと願うことは、二度とは生きられない人生をそれほど大事に思うことの証でもあるんだ。


「あたしたち、もう二度と会えないんだね」

「怜奈、そう決めつけるのは早いと思う」


 近藤くんはゆっくり首を横に振った。


「俺は天国が存在するかどうかなんて、知らない。だから俺たちがまた会えるとも、会えないとも言えないんだ」


 本当のことは、だれも知らない。

 だったら、願うくらいは許されるんじゃないか?

 きっと再び、ふたりが出会えるって。

 それが天国なのか、来世なのか、一年後か、十年後か、百年後かはわからないけれど、それでも、いつか会えると信じたっていいんじゃないか?


 このキスは、その約束。

 未来へ続く希望の証明。


「死者が未来へ希望を繋ぐなんて、おかしいと思うか?」

「ううん」


 おかしいなんて、そんなこと思わないよ。

 決して思わない。


「だからね、あたしも近藤くんとキスしたいな」

「……うそ!? マジ!?」

「うん。あたしも希望を持ちたいもん」

「うおぉぉーー! やったあーー!」


 近藤くんは飛び上って、両腕を天に突きあげて勝利のポーズをキメた。

 その子どもみたいなハシャギっぷりを見て、あたしはまた吹き出してしまう。

 彼は何度もガッツポーズしてから、すっごい照れくさそうな顔で近づいて来た。

 そして、あたしたちは向かい合って見つめ合う。


「えーそれでは、いざ、よろしくお願いします」

「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」


 お互い、深々とおじぎをし合って頭を下げて、それから顔を上げて……


「ぶふーっ!」

「これって、何!? んもう!」


 こらえきれずに、大爆笑した。

 手を叩いて、ヒザを叩いて、腹を抱えて大笑い。


 ああ、こんな風に近藤くんと過ごす瞬間が

 笑い合えることが

 幸せで、幸せで、幸せでたまらない。


 たとえもう二度と、彼に会えないのだとしても。


 それでもこの喜びは、この気持ちは、本物なんだ。

 それは間違いようもない、真実。


 笑いの発作がようやく治まって、あたしたちは再び向き合う。

 その時、彼の顔を小さな白い光が照らした。


「あ……」

「白い花が……」


 あたしと近藤くんの足元に、白い花が咲いていた。



『白い花が咲いたなら、その罪は許される』



 花を見下ろす近藤くんの表情は、この上なく優しく、静かで、そして本当に満ち足りていた。

 彼は、許したんだ。

 不運だとか、不公平だとか、幸とか、不幸とか、この世界に在る罪であるのかそうでないのかも、わからない物を。

 そしてなにより、人を憎み続けた自分自身の心を。


「怜奈、好きだよ」

「あたしも好き。近藤くんのことが好き」


 あたしたちは、言える。

 “好きだった” じゃなくて “好き” と。


 まぼろしではないから。

 この気持ちは確かに存在して、本当に、本当に大切なものなんだから。



 春のさえずり。

 夏の波。

 秋の艶めき。

 冬の透明。


 雨の静けさも、雪の冷たさも、風のささやきも、虹の光も。

 人も、笑顔も、涙のしずくも。


 なんて素敵なんだろう。

 この世界は、こんなに哀しくて。

 そしてこんなに、美しい。

 なにもかも、これほどまでに価値がある。

 そして……


 わかってくれているよね? 近藤くん。

 あたしね、あなたが好きだよ……。



 あたしの意識は全てが純白に包まれて、目の前の近藤くんの顔すら、消え去ってしまった。


 でも。

 彼の唇が、あたしの唇に……



 確かに、触れた。







      【END】


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