第2話 「相良直達という男」
相良直達。 2025年現在は第103代内閣総理大臣。
歴代最長となる15年連続で内閣総理大臣を務めており、
一部の国内外の人たちからはいまだに根強い人気がある。
そんな彼だが、渡部嘉郎と同じく・・・。
週刊真偽「パラダイス」2025年12月号より一部抜粋してお届けします。
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1976年:千葉県立大学を首席で卒業をすると、東京に上京して
(24歳) 警視庁警察学校に入校してそれもまた歴代警察学校卒業生の中でも類を見ない
成績で試験をクリアして総代で卒業する。
「警察学校の教官方、学校長、半年に及び私たちに対して指導をしてくださり
ありがとうございました。」
若き相良が警察学校の校庭にて大きな声であいさつをすると。
同期の全員が「ありがとうございました。」と続けて大きな声で感謝の意を述べる。
「私たちは、明日から警察官として誇りと使命感を持って、国家と国民に奉仕し
人権を尊重し、公正かつ親切に職を執行することを誓います。」
警察官の職務倫理第二条一と二を拡声器もない中、さっきと同様大きな声で言う。
一部の教官たちは、相良の警察学校をずっと見てきたものもいるため号泣している。
浅間学校長は、「半年に及ぶ訓練大変ごくろうであった。明日から頑張ってくれ。」
とねぎらいの言葉をかけると相良は素早い動作で元の位置に戻っていく。
相良はその後、警察学校を卒業する少し前に警視庁の人事から声がかかり
「君が、相良君だね?」
「はい・・・。そうですけど、私に何か用ですか?」
「私は、警視庁警備部のものだけど、
早速だが、爆発物処理班には興味ないかね?」
この時の相良はまだ純粋は警察官としての誇りと使命を持っていた。
そして迷うことなく「自分でよければぜひ配属を希望したいです。」と担当に言う。
「そうか。興味あるのか、それはうれしい限りだよ。
警察学校長にはあとから話をつけておくから、残りの訓練を頑張りたまえ。」
「ありがとうございます。」元気な声でお礼を言い、深々と頭を下げる。
担当は相良に背を向けたまま「ナイス」のサインを右手で大きく上げ、
それを掲げながらどこかへ行ってしまった。
通常、スカウトはないのだが、警察学校長が同期で当時の警視総監と仲が良く
彼の話になり特例でスカウトということになったらしい。
1978年:警部補→警部に昇進
(26歳) 警察庁に出向(約3年)することとなる。
1981年:警察庁→警視庁刑事部捜査二課管理官に栄転。
(29歳) 警部→警視に昇進
「相良君。君に辞令が届いている。4月には異動するように。」
「えぇ~。」
「何かあるのか?」
「・・・いえ。また警視庁に出戻りかと思うと少し寂しくなります。」
相良の言葉がうれしかったのか辞令を持ってきた刑事局長は少し目に涙を浮かべている。
「私も、君のこの3年間での活躍は部内全員が認めているほどのものだ。
警察庁刑事局長になって今年13年が経つが、こんな優秀な人材は初めてだよ。
3年間という短い時間だったがありがとう。」
刑事局長の思ってもみなかった言葉に涙を流すのを必死にこらえながら
口からたった一言だけを紡ぎだす。
「・・・。別の部署でも頑張ります・・・。」
1983年:警視庁刑事部捜査二課管理官→警視庁刑事部捜査二課長に昇進。
(31歳) 階級は警視のまま。
警察学校を卒業し数々の事件を担当してきて
順調に昇進・管理職を全うしていてそれと同時に刑事もしていた。
彼にはその時結婚してもうすぐ6年目になる最愛の妻ともうすぐ5歳になる息子・
そして、3歳になる娘の4人家族で幸せに暮らしていた・・・。
1985年:10月初旬に発生した殺傷事件「練馬区妻子殺傷事件」で
(33歳) 妻と娘を亡くし、息子は意識不明の重体。
半年間の休職をとる。
「練馬区妻子殺傷事件」は未解決事件となることに。
1987年:4月1日付で警視庁刑事部捜査二課長→警視庁警察学校へ異動
(35歳) 階級は警視のまま。
初任教養部で教官を4年務めたのちに、副校長に昇進し2年務める。
理由は表向きは指導がものすごく上手い等だが、
上層部が渡部を将来的な警視総監に持ち上げたいためだそうだ。
1993年:4月1日付で警視庁警察学校副校長→警視庁警務部参事官に異動
(40歳) 階級は警視から警視正に昇進。
2000年:7年間の長きにわたる様々な功績と称えて
(47歳) 警視庁警務部参事官→警視庁刑事部長に栄転。
階級は警視正→警視長
2000年から2005年までに数々の殺人事件等が発生し刑事部を指揮し、
解決へと導いてきた。そして・・・。
2008年:前警視総監と民正党で当時の内閣総理大臣推薦の元、
(55歳) 警視庁刑事部長→警視総監に就任となる。
階級は警視長→警視監
2009年:突如として警視総監を依願退職する。理由は不明。
(56歳)
2010年:政党「改進党」を立ち上げ、夏の参議院選挙で大躍進し野党第一党の党首となる。
(57歳) 冬の衆議院選挙でも過半数を取り第99代内閣総理大臣となる。
当時、裏には反社会的勢力や警視庁・警察庁がいるとうわさがあったが真偽は不明。
そして、彼の思惑がこの2010年から始まった。自らの野望のために。
相良直達は、33歳という若さで妻と娘を未解決事件となった殺人事件で失い、その後
息子はその約1年後に死亡し絶望の淵にいたが次第に反社とかかわるようになり
反射の事件を自分の権力を武器にし数々揉み消してきた。
いつかはわからないが「なんにもだれも助けてくれない。人生は残酷だな。」と
当時のある雑誌のインタビューで答えていて、
その悲惨さからか国民から多くの同情が寄せられた。
さらに、「政治団体を立ち上げ、この国を救ってください。」といった手紙なども
彼のもとに届けられていてそうした境遇から政治団体を立ち上げたのかもしれない。
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「なぜ、あなたは独裁政治なんかを作ったのですか?」
週刊真偽の記者が突拍子もなく質問してきた。
相良は記者の質問に少し疑問を抱きながらこう答えた。
「私は独裁なんてした覚えも野望もありません。ただ、この国のために。
妻も愛する我が子も失い絶望に打たれていた当時、救ってくれたのは彼らだけでしたから。」
相良はそう告げると記者のほうを最後に見つめ、
刑務官に合図し座っていた椅子から立ち上がり面会室から独房へと去っていった。




