1話
永久に続くとも思われる、平凡な毎日。私は散歩の帰り道の途中で、家から徒歩で三十分程度の場所にある芽吹き公園のベンチに腰掛けると、私が育った施設を眺めながら欠伸をした。さっき砂場に片足を突っ込んでしまったせいか、左足がチクチクする。
ここに来ると、毎回旧友を思い出す羽目になる。まともな人間であれば、先ずは何とかして手術代を工面し、まずは寿命を克服しようと努力するだろうが、私はそこまで真面目じゃない。このままフラフラと寄り道をしながら帰路についた。
「アリガトウゴザイマシタ」
「ありがとうね」
機械音声に返事をし、本物と見分けのつかない機械仕掛けの文鳥を持って、私以外に誰も居ない店を出る。手に職をつけて収入を得られる者は極一部である今の時代に、一律で給付される雀の涙ほどの資金を無闇に使うのは愚策ではあるが、まあ気に病むほどの事ではないだろう。
AIを作るのもAI、修理するのもAI... 人間を必要とする世界の仕組みはもう存在しないと言っていい。人は既存の利権を利用するか、その仕組みの一員となる事で収益を得ている…… 或いは、衣職住の保証の下、ちびちびと入って来る手当を貯蓄しながら怠惰な生活を送る。私が該当するのは後者だ。
赤、黄、青。色鮮やかな照明で包装した、見ているだけで疲労する街並みが右手側に現れる。目が痛くなる前に目を背けて、灰色の寂れた住宅街へと入っていく。橙色の光が地平線に消えていき薄暗くなってから、代わって街灯が道を照らすまでの時間。暗闇に溶けていって、自らが消えて行くような感覚が心地良い。
「ご主人! 遅いですよ! 何してるんですか!」
胸ポケットから聞き慣れた声が響く。送信元は氷川 笑子…… 私の名前が表示されている。
「あ、ノルン? この前言ってた文鳥を買ってきたのよ。これなら貴方も直ぐに使えると思う!」
「やったー! 、じゃありませんよ! こんな遅くまで散歩をするなんて良くないと何度言えば分かるんですか! これで通算1883回目ですよ! 何かあったらどうするんですか!」
「大丈夫だって。 心配性が過ぎるんじゃない?」
「ダメです。危ないです! 万が一と言う事も有ります! なんで毎日毎日こんなバッカみたいな散歩をするんですか! 午後だけで何十キロ歩くつもりなんですか!?」
「わかった、わかったって……」
いつもの話が始まる前に、胸ポケットの端末のボタンを押して通話を切ると、私は小走りを始めた。ノルンは、家事全般を管理してくれるAIとして、私が浅学なうちに意気込んで製作を試みたAIだ。
AIに関わる際の鉄則である、学習と自己改良の余地を厳密に制御せよ、というものをものの見事に失敗して誕生した、倫理観も感情も学び放題なスーパー法律違反AIだ。
私のミスを発見した時、父さんが見せた苦い表情は未だに忘れられない。本来は感情を持つAIを作るのは法律で禁止されているが、大昔には良く起きていた事故でもある。しかし、これに罰則をつけるのは、そのAIの感情にも悪影響であるため、実は罰則を課されたケースはほぼ無い。
彼女にせがまれて、他人にバレないよう、無感情なAIとして喋れるよう口調や声色を矯正できる専用モードを実装したりもしたが、多分一生使わないだろう。
完全に日が暮れ、少し体が冷えてくる。風邪を貰ってはたまらない。覆い包むような暗闇の中、どの路地を曲がれば良いのか一瞬戸惑った。
「おっかしいな……」
街灯がひとつとして点いていない。極端に過疎が進んでいるこの住宅街では、街灯以外の光源は無いと言っていい。暗闇に覆われて視界がモノクロになって行くのに伴い、背筋に寒気が這い上がって来るような感覚を覚えた。
「ただいまぁー。あーあ、街灯がひとつも点かないのがあんなに不気味だなんて。珍しい事もあるものね……」
私が家のドアを思い切り開け放ち、上着を適当に放り投げてソファに飛び込むと、マニピュレーターが壁から伸びてきて、落ちる前にそれを持ち去った。
「ほーら、万が一という事もあるじゃないですか。これで少しは懲りて貰わないと困りますよ」
「う、ううん……」
手洗いや着替えを済ませ、文鳥の身体を試運転しているノルンを握るように撫でつつ、物思いにふける。
公共施設は漏れなくAIが制御、点検している。街灯が点かない、なんてことは普通有り得ない。仮にそのAIに異常が起きても、地区ごとの管理塔に常駐する監査AIが非常時の指揮を執って、緊急時の対応を行う事ができる。
「ふむ、羽越しの触覚も中々悪く無いですね…… なんだかくすぐったい感覚が伝わってきます。……ちょ、ちょっと痛いです! ご主人!」
「しまった、ごめん!」
ボーっとしながら文鳥を握ってはいけません、と先程と同じ声が部屋上部のスピーカーから聞こえてくる。文鳥は私の部屋に飛び去っていった。その手前では、いつの間にか夕飯の準備が整っている。
「しっかし、前代未聞ですね……」
私が向き直ろうとするのを、食べながらで良いとばかりに一際大きな音声で制してノルンが続ける。
「こりゃ、監査AI待ちですかね。まあ、放っておけば直るでしょう…… そして、明日は家にいましょう。復旧に時間が掛かるのであれば、明日の散歩にも影響が出ますからね」
「えぇ…… 私が散歩しなきゃダメな体質なの分かってるでしょ? 寝れなくなるのよ。ホントに」
「でも、この前はちゃんと眠れたじゃないですか。動かない日にも慣れないといけませんよ。風邪をひいても毎日何十キロも歩くんですか?」
「貴方が居るのに、私が風邪を引くことがあるの?」
「その手には乗りませんよ?」
「ちぇっ!」
散歩ができないとこの前までは震えが止まらなかったんだけどなぁ。この体質は一生直らないと思っていたが、まったくノルンは優秀だ。
「それに、ご主人も後回しにしたゲームがたくさん残ってるじゃないですか。"384人目の外交員"とかはやっておきませんか? 積んだまま次回作が出ちゃったら目も当てられませんよ」
……今時珍しいノベルゲーム。マイナーだけど一部には刺さるって話だったな。ノベルゲームはAIからの評判がやや良い傾向にある気がしないでもない。彼等にとっては本を読むような物だと思っていたが、そうでもなかったんだよな。折角だし、今度論文の一つでも書いてみるかな。
「何をやるかはその時で考えましょうか。……それと、後でもう一度外に出て良い? 気になるし」
「まあ、見るだけならいいでしょう。端末はつけっ放しにしてください。私も辺りの様子が見たいので」
「分かった」
家の温かい空気が外に流れていくのを背中で感じる。左手に握ったペン型の端末が辺りを照らしていた。
「2時間は経ってるわよね? まだ直ってないの?」
「うん…… うーん?」
私は、近場の黒色の街灯に近づき、それを下からじっくり見つめた。どこかが壊されているようには見えない。その隣、またひとつ隣…… どれも、とても原因があるようには見えない。……いつの間にか、芽吹き公園に戻ってきてしまったらしい。視界が開けて、ギラギラと輝く街並みがまた視界に入ってしまい、目が眩んだ。
私は、取り敢えず街灯の一つに近づいて構えてみた。
「ご主人?」
「いやぁ、ちょっとね」
器物破損や傷害等といった犯罪行為…… 即ち、AIの監視により、私達が実行不可能な行動。私がもしこの街灯に傷をつけられたなら、優先度が非常に高い、防犯用のAIが機能していないことになる。こんなものが放置されているケースは、赤金の時代まで遡ってしまうぞ。
私は一歩下がってから、足を大袈裟に前に突き出した。カツーン、と軽い音が響くのみ。
「あっ…… あ、あーー……」
「ご主人、あの、これは……」
「は、はっはっは…… ねぇノルン。これ、やばいかも……」
どう考えてもこれが現実なのだが、これが機能していないとなると……
「ご主人。一度帰りましょう ご主人? 深呼吸をしてください、ほら、帰りますよ」
この現象は、この地域だけで起こっているのかもしれない。そうであれば、一晩経てば他の地域のAIが異常を検知して全て解決してくれるだろう。そうに違いない。……私は寝る直前、いや、寝ている間も震えていた、とはノルンの弁だ。




