19:脱兎のごとく
で、話は前日まで戻ってきた。
和泉さんの努力の甲斐もあって、チーム・ムール貝は、なんとかそこまでは持ちこたえていた。
それは最後の役割分担の確認の時だった。
前々からうっすらと杏子さんは何を担当するのだろうか? という疑問がみんなの中に漂ってはいたのだ。
綿密に決められたオペレーションの中に名前はなかった。全体を見て手伝ってくれるとか、指示を出すのかな? と言うのが、一応の、一致した見解だった。ちなみに、私の役割はそれだ。遊軍というやつ。おそらくは呼び込みをしていると思う。それこそが、私がもっとも得意とする技能だから。
では、杏子さんの得意とすることは?
「売り込みをする?」
呼び込みではない。
「そうよ」
戸惑う学生を前に、腕組みをして足を少し交差させて立つ杏子さんは、自信満々だ。
「このシェルフェスティバルの目的は、ただ飲み食いさせるだけじゃないのは知ってるわよね?」
消費者と産地を繋ぐ貝柱になる――。
今回のシェルフェスティバルの裏方のテーマだ。
各自、担当する貝の基礎知識から、生産の方法などをまとめたパネルも用意してある。ハマグリのチームは、貝合わせを作って、来場者に遊んでもらうことにしたと聞いた。他にもホタテの殻に蝋を流し込んでつくる蝋燭や、貝殻を使ったアクセサリーのワークショップなど、とにかく、貝に親しんで貰おうという趣旨なのだ。
杏子さんの考えが、そこからさらに一歩、踏み込んだものだった。
「私はこの国産の養殖ムール貝の販路を拡大させたいの」
きらきらと目が輝いている杏子さんは、まさに純粋……かもしれない。可愛くも……見える。
妹の美弥さんは完売に拘ったけど、姉の杏子さんはそこに重きを置かなかった。竹取物産の嫁として相応しい姿を見せるための方法として、シェルフェスティバルを足掛かりに、商談をしようと目論んでいたのだ。方向性は正しい気が……しないでもない。
「そんなの聞いていません!」
「え? あなたたちが知る必要なんてないわ。これは私の役目だから。
あなたたちは、あなたたちの職分をしっかりとこなせばいいの。
大丈夫。これだけ綿密にシュミレーションしてつくりあげたオペレーションよ。
この通りに動けば成功するに決まっているわ。
困ったことがあったら、そこの讃岐輝夜さんに頼りなさい。そのために、彼女がいるんだから。
よろしくね、輝夜さん!」
「なんだよ……それ」
男子学生が呟く。
ぬかった。完全に出し抜かれた。みんなで一丸となって目標に向かって走ってると思いきや、一人だけ目指すゴールが違うなんて裏切り行為だ。
私だって、杏子さんがそんなことを考えているなんて、思ってなかったわよ!
よくもまぁ、あの忙しそうな本業に加え、学生たちの会合に出席し、合間にプレゼンを聞きながら、売り込みの準備までしたものだ。一所懸命……。和泉さんの評価は、フィルターがかかっているはいるが、正確だ。だけど、あまりにも他人の気持ちに配慮を欠いている。杏子さん的には、気遣いしているようだけど。
「心配しないで。あなたたちに迷惑はかけないようにする。
もう何人かに連絡をしているの。
有名なイタリアンやスペイン料理のシェフを呼んであるわ。
それから大手ファミレスの幹部も。
採用されたら、とても素晴らしいことじゃない?」
私はてっきり、学生たちが怒り出すかと思った。あの文屋さんですら、悲しそうな顔をしている。
「じゃあ……そういうことで……」
誰ともなく、そんな声が聞こえ、学生たちは静かに席を立って出て行った。
「じゃあ、明日……」と言ったのは、文屋さんだけだった。
「杏子さん! 今すぐみんなに謝って!」
私が彼女に向かってそう言うと、杏子さんは怪訝な顔をする。
「謝る? 何を? 商談は高度な判断な要求されるのよ。責任だってあるの。学生には無理よ」
面と向かって話しているのに、会話にならない。見ている方向が違いすぎるのだ。
「そうじゃないわ……そうじゃないと思うの」
「ごめんなさい。急ぎの仕事があるから、後で」
私を手で制し、杏子さんは電話をかけ始めた。和泉さんを見れば、とても不安そうだ。彼もまた杏子さんの思惑を聞いていなかったらしい。そして、この事態が楽観視できないことも察したのだろう。
そして、その不安通り、当日、チーム・ムール貝のブースにやってきた学生はリーダー格の文屋さんとファミレスでバイトしている橘さんだけだった。
「私だって、本当は来たくありませんでした! でも、シェルフェスティバルには絶対、行きますと言っちゃったし……」
「それに……」と橘さんは私を見た。
「あの時、輝夜さんに『心強い』って言ってもらえて嬉しかったから」
それから人手不足の飲食店がいかに大変か身に染みて分かっていること、自分は産地に行って生産者の人と話をしてきたことがあり、このイベント自体は絶対に成功せたいことなどを語った後で、彼女はこう言った。
「私と文屋さん、そして輝夜さんと和泉さんの四人がいれば、なんとか回せると思ったんです。
その間に、あの人に反省してもらえれば……」
みんな、戻ってくる、と。
どうもボイコットした学生たちは示し合わせて一か所にいるらしい。そこで杏子さんに誠意を見せて欲しいと望んでいる。
けれども、その話を聞いた杏子さんは反省どころか、学生たちの無責任さに呆れた。
「あの子たちときたら、最初っからお遊び気分だったのよ。
いくら気に入らないことがあるからって、当日に仕事に来ないなんて、学生だからって、自分たちの責任に自覚がなさすぎるわ」
「その通りかもしれないけど、そこまでさせたのは杏子さんにも原因があります」
「私に? 言いがかりは止めてよ。
私はやるべきことをしている。批判される謂れはないわ!
来ない人間なんかに頼るよりも、今いる人間でなんとかすることを考えます。
和泉? 和泉はどこ?」
ある意味、力強い宣言の後、杏子さんは途端に動揺を見せた。
あの和泉さんが側にいないからだ。
「どこに行ったのよ!」
明らかに杏子さんの様子が変わった。さすがに和泉さんがいないのは予想外なのだろう。
私も、だ。
「――やっぱり、史郎だって私を裏切るんだわ……」
杏子さんがそう唇を噛んだ時、”彼”がやって来た。
妹の時も来た、竹取征吾さんだ。それから隣には、同じくらいの年頃の男性。
「「大伴准教授!」」
学生二人がその人の名と身分を教えてくれた。どうやら彼女たちのゼミの担当教官らしい。
「うちの学生たちがどうも、すみません」
どういう経緯で石橋産業の専務がアドバイザーとしてねじ込まれたのかは知らないが、そのせいで、学生たちが一斉にストライキに入ってしまったと言うものの、大伴准教授は自分の監督不行き届きを詫びた。彼もまた、学生たちから散々、苦情を受けていたのかもしれない。
これで単位がどうとか、内申書がどうとかなるようなことはなさそうだが、竹取物産の御曹司の嫁探しのせいで、結構な迷惑じゃないの?
私の批判的な視線に、黒縁眼鏡の縁を押さえた征吾さんが見つめ返してくる。
「輝夜さん?」
文屋さんが私をつついた。私が見ている人物が誰なのか、知りたがっている。
しかし、どう紹介していいのか私には分からない。今日もお忍びのようではあるが。彼の役割は大伴准教授が教えてくれた。
「人手が足りなくて困っているでしょうから、助っ人を連れてきました。
サトウです。
私の高校の時の同級生なのですが、今ちょっと無職で暇しているらしいので」
こき使ってやって下さい。
そう紹介されると、杏子さんは征吾さんを一瞥しただけで、すぐ大伴准教授に向き直った。
「ありがとうございます。助かります」
いい年をして無職、という段階で、杏子さんの征吾さんへの興味は失われたようだ。
まぁ、杏子さんにしてみれば、そうかもしれないけど、何か目的とか事情とかあって仕方がない人だっているかもしれないじゃない!
無職ではないけど、美弥さんの恋人・貫田太一にも風当たりが強かったんだろうな、と私は思い、ついでに、何の目的もなくブラブラしていた将司のことを思い出して渋い顔になる。自分にも他人にも厳しい杏子さんなら、絶対に、将司なんかの口車に騙されなかっただろう。
「時間がありません。早速、取り掛かりましょう」
勤労意欲が高すぎて休職中になってしまった征吾さんは、どれだけ働くのが好きなのか、手早くスタッフ用のエプロンとジャンパーを身につけると、腕まくりをして「さぁ、輝夜さん」と、私を誘った。
で、私と征吾さんは二人並んで、貝を洗うことになったという訳だ。




