18:潮汐固定
杏子さんへのプレゼンをまとめ、その旨を伝えると、和泉さんは「では石橋邸にお越しください」と連絡を寄こした。
なんでも杏子さんが、自分の結婚に関することはプライベートだから、会社に来られるのは困ると、わざわざ仕事を抜け出してくるらしい。
大勢で行くのも迷惑だろうと、私とリーダー格の学生・文屋さんが代表してすることになった。
「政略結婚なんですよね?
どちらかと言えば、仕事なんじゃないんですか?
石橋産業はここの所、業績に陰りが見えます。対して竹取物産は堅実に推移しています。
あの人が竹取の御曹司と結婚したい気持ち、分かりますよ」
石橋邸に行く道すがら、文屋さんが言う。
彼女には杏子さんの本当の目的を伝えてあった。秘密にしろとは言われてなかったし、彼女を説得するには相手の事情を知っておくことも大事だと思ったからだ。
不純な動機だと怒ると思いきや、文屋さんは気にしないようだ。「だって私も就職活動の為に、この企画の一員に加わったんですもの」
「だからこそ、成功させたいんです。じゃないと、面接でアピール出来ないじゃないですか。
あの人、ちょっと腹が立つけど、一理あります。
この経験は上手くいけば、いいアピールになりますよ。プレゼンの練習にもなるし!」
大学三年生の意気込みである。彼女はすでに何社か志望する企業を選んでいるようだ。それで、石橋産業の業績も知っているのだろう。
「石橋産業って、業績が落ちているの?」
「らしいですよ。
去年だったかな、いや、もうおととしになるのか? 社長が倒れたらしくって。今は療養中だそうですよ。
もともとワンマンな会社だったから、内部が混乱してしまって。
そこで社長の娘が舵取りを任せられたことまでは知っています」
それがあの石橋杏子さんという訳か。
私と文屋さんは顔を見合わせた。
彼女のやり方はワンマンと称された父親譲りのようだが、父親ほどの効果が出てない所をみると、やり方に難があるのだろう。あの学生たちへの態度は、いくら理由があっても酷い。和泉さんがいなかったら、ただ反感を買って終りだった。
石橋邸の門扉の前で、その和泉さんが大きな身体に陽を受けながら、私たちを来るのを待っていた。
冬の日の夕暮れは彼の影を長く伸ばした。
***
結果を言えば、杏子さんへのプレゼンは成功した。
「なかなかいいわ。やれば出来るじゃないの」
すごく上から目線で褒められた。
その後も万事そんな調子で、いちいち杏子さんにプレゼンをして了解を求めることになった。
文屋さんは杏子さんのやり方が肌に合うのか、段々と彼女に心酔するようになっていったが、一部の学生はあまり議論に参加しなくなっていく。
どちらも杏子さんに対し「自分たちを試している」という思いを抱いていたが、その受け取り方に好悪が出たのだ。
学生たちと感覚が近いであろう、ショッピング・シャワー・チャンネルの若きスタッフ・菅原更紗ちゃんに言わせれば、「解を導くまでの過程がないと、零点にしちゃう数学教師みたいね」だそうだ。「しかも、その答えは、その人が欲しいものなんでしょう? つまんない。天才的な、とまでは言わないけど、直観的な閃きも潰している。教師としては最悪。閃きを実用に耐えうる形に持っていく技量もないなんて、経営者としても失格ですよ」
やけに厳しい。私に対しても、容赦はなかった。
「それにしても、輝夜さん、妙に忙しそうだと思ったら、そんなことに首突っ込んでいたんですね。
まったく、お人よしすぎますよ。
なんだって、そんな人に付き合っているんですか?」
私の忙しそうな様子に、また変な男に引っかかっているんじゃないかと更紗ちゃんは心配してくれているのだ。
「なぜって……」
美弥さんから頼まれたし、学生たちは確かに”お客さん目線”というより、”杏子さん目線”になっているが、それが大きく外れているかと言えば、そうでもなかった。画期的な商売を始める訳ではない。一日限りのブースでは、直観的な閃きよりも、堅実な運営だ。
杏子さんにプレゼンする過程で、予め様々な問題点に気づくことが出来たし、道具や食材の準備、オペレーションの作成もばっちり決まった。
人間関係以外は、何の不安もないから、離脱する理由もない……から。
***
「杏子さまはご自分にも他人にも厳しい方なのです」
杏子さんと学生の仲をなんとか取り持つように心を砕いている和泉さんは、私にそう言った。
本当に、彼が杏子さんの気持ちを代弁しなかったら、ここまではこれなかっただろう。石橋さんはいつも「杏子さまはあなた方に期待しているのです」「もっとよい計画が出来ると信じているからこそ、リジェクトされたのです」と、学生たちの萎えそうになる気持ちを鼓舞し続けた。おそらく会社でも同じことをしている。
「それは分かりますけど、本人の口から学生たちにフォローを入れた方がいいですよ」
私が出られなかった話し合いの席で、一部の学生と杏子さんがやり合ってしまったらしく、和泉さんが私の会社まで出向いてきた。
もしかしたら、杏子さんは敢えて悪役を演じ、学生たちを発奮させているのかもしれないという見方をしたこともあったが、ならば、もう少し、手加減しなければ、心が離れていくばかりだ。
一階のオープンな喫茶スペースでカフェラテをすする。この出費も痛い。最近は「いつでもあったかく、いつでも冷たく。あなたの喉と心を潤します!」でお馴染みの保冷温タンブラーに家から飲み物を持ってきていた。
中身は「フェアトレードのノンカフェイン・コーヒー」。ショッピング・シャワー・チャンネルはフェアトレードにも力を入れていて、折々に紹介するだけでなく、普及を兼ねたフェアトレードの日もある。
その時に私も注文したし、将司も偽装のために買っていたようで、生産地に申し訳なくなりそうなほど、たくさんの在庫が家のパントリーに眠っていたから、今はもっぱら、この消費に励んでいる。
あとは例のオオノフーズの青汁林檎ジュース。
これが、水分補給だけでなく、栄養補給も兼ねて、とても助かる。「オーガニック小麦粉のパンケーキミックス」に混ぜて使うのもありだ。
今更ながら、ショッピング・シャワー・チャンネルのロングセラーの実力を思い知った。
――あれからオオノフーズの番組は無く、小野さんとも会っていないが。
「もっとよく分かり合わないと、いつまでも一体感が無いと言うか……不協和音と言うか……それをまとめあげるのが杏子さんじゃないですか。
それが、追い出しにかかるなんて」
「やる気がないのなら、外れなさい」と、杏子さんが言ったらしい。それを受けて数人が席を立ったとか。
シェルフェスティバルの参加は義務ではない。あくまでボランティアなのだ。彼らだって、濃淡はあれど志があって参加しただろう。それを無碍にされたら……「やっぱり面白くないですよ」
杏子さんは自分と同じポテンシャルの人間しか認められないのだ。和泉さんは項垂れた。その向こうに、鋭い視線。征吾さんが通り過ぎたのだ。彼もこの事態を知っているのかもしれない。なんと言っても、婚約者候補だし。
久々にちゃんとしたカフェインの入ったカフェラテを飲んだせいか、胃がムカムカしてきた。なんで私が彼のためにこんな苦労を? 元をただせば、征吾さんが早く相手を決めなかったのが悪いんじゃない。
「杏子さまは一所懸命で、とても純粋な方なのです」
和泉さんは杏子さんへの批判は許さない。
「だからって甘やかしていいんですか? 和泉さんのフォローがなかったら、もっと大変なことになっていますよ」
離席した学生たちに頭を下げ、弁明し、再び、チームに参加することを納得させたという和泉さんの忠誠心には敬意を表したいが、正直、やりすぎなんじゃないかしら。これではいつまでたっても、杏子さんは自分を顧みられない。
「杏子さまを手助けするのが、私の仕事です。些末なことに心を煩わせることなく、仕事をして頂きたいのです。
甘やかしではありません」
大体において常識人の彼なのに、こと杏子さんのことになると、途端に盲目的になる。
純粋で一所懸命なのは和泉さんの方だ。
ああ、胃がムカムカする。
「それは……分かります。和泉さんの気持ちも」
うん? 和泉さんの気持ち?
心なしか彼の頬が赤らんだ気がする。
バイトの休憩中なのか、「サトウ(征)」の名札を首に掛けた征吾さんが、コーヒーが乗ったトレイを持って窓際の席に座る。ついそれを視線で追いかけてしまったのを、軌道修正する。
「和泉さんは竹取家からの課題を成功させたいと思っています?」
「勿論です!」
なんのためらいもない返事だった。それが杏子さんの望みだからだ。美弥さんの顔が浮かんだ。美弥さんは姉の杏子さんに似ていない。どちらかと言えば、目の前の和泉さんの方がよほど似ている。”好きな人のためならば”自己犠牲は厭わない。そんな所が――。
またか! またなのか!?
私は頭を抱え、腕の隙間からコーヒーを飲んでいる征吾さんを見た。
彼も――こちらを見て、ちょっと笑った。




