17:水月を取る
話はあのオオノフーズの番組があった日にさかのぼる。
その日は、私の『減俸六ヶ月』の処分が掲示され、部長からも呼び出しを受けて注意され、改めて個人情報の取り扱いについての講座を受けに行くようにも命じられた。
自業自得なのは分かってる。分かってはいるが、小野さんの件もあったし、落ち込んでもいいじゃないの。
朝で、貯金はすっからかんの上に、減俸になってしまったけど、帰りに何か気晴らしをして行こうと決めた。家にも酒類はあるけど、外で飲みたい。通勤していくサラリーマンを横目に、一杯、引っかける。
背徳的な快感を得た私の前に、和泉史郎さんが待ち構えていたのだ。最初は、せめて今日は遠慮してほしいと断ろうとした。
「杏子さまがお呼びです」
有無を言わせずに、石橋邸に連行されてしまった。
石橋邸は美弥さんのレシピ集から感じられた暖かみのある雰囲気ではなく、冷たい印象を受けた。
きっと座っている杏子さんが与えるものが、そうなのだろう。
杏子さんは妹のことを悪くは言わなかったけど、思いやる様子もなかった。
「あの子に頼もうとした私が間違っていたのよ。
石橋家の大事ですもの。私がすべきだった」
そう言う杏子さんの隣で、忠実なる"家臣"和泉さんが頭を垂れた。
よろしくお願いします、ということだ。
前回の失敗……あれを失敗と呼ぶのならばだけど……取り戻すために協力することになった今回の課題は、先にも言ったように、シェルフェスティバルへの出店だ。
イベント自体は、大学生が主体となって企画運営するもので、営利目的というよりも、産地と消費者を繋ぐPRの目的の方が強い。全体の運営だけでなく、学生たちの”学び”のために、彼らが主体となるブースが数か所ほど設けられ、メニューを決めたり、什器を準備したり、当日は調理や売り子を担当することになってた。
その中の国内で養殖されたムール貝を紹介するブースに、石橋杏子さんは社会人アドバイザーとして任命されたという訳だ。
もしも、出店者がこういったフードフェスティバルの経験豊富な飲食業の人たちだったら、杏子さんの態度も少しは違っただろう。
もしも、スタッフ全員が石橋家からの人間だったのならば、杏子さんの態度はもっと理解されたかもしれない。
しかし、そのどちらでもなかったことが問題となった。
杏子さんは大学生たちを頭っから、経験不足の未熟者といった感じで見ていて、自分が厳しく教育しなければ使い物にならないと考え、その通りに扱った。
まずはメニュー決め。
これが決まらないと、食材、調理道具、提供するための食器の準備も出来ない。
「ムール貝なら、酒蒸しがいいと思います」
「そうね、この間のビール祭りで食べたけど、美味しかったし」
「そうそう、みんな食べてて、貝殻を捨てる場所が貝塚みたいになってて、面白かった」
「じゃあ、それでいいじゃない?」
「決まり!」
学生たちが和気あいあいと話すなか、杏子さんは眦をきっと上げた。
「そんな安易な決め方で出店するなんて、客を舐めているわ」
杏子さんは若かったが、学生はもっと若い。
立派な大学で経済学を修め、今は実家の石橋産業で専務をしていると自己紹介した彼女の意見に。「それもそうだな」という空気が流れた。
そこから、パエリアにしてみたらどうか、アヒージョもいい。ペスカトーレも好きだ。パン粉焼きも美味しいかも! などと、活発な討論が起きた。
杏子さんの問題提起は効果があったのだが、出された意見の全てに飽きれたように首を振るのがいただけなかった。
アイディアを出させるだけ出して、検討もしないで却下され続けた学生側のモチベーションは目に見えて下がっていった。
「何がいけないか教えてくれませんか?」
学生の中でもリーダー格の子が控え目に、しかし、はっきりと杏子さんに聞いてきた。
この子は自己紹介の時に、何度かこうしたフードフェスティバルでアルバイトをしてきたことがあると言っていた。多少なりとも自負があるのだ。彼女の後ろで、数人の学生が目配せをしたり、頷いたりしている。
和泉さんも気遣う様子を見せるが、当の杏子さんは気付かない。
「そんなこと、いちいち説明しないと分からないの?」
だから駄目なのよ。遊びじゃないんだから。話にならないわ。もっとよく考えてみなさい。
そう学生たちを一喝すると、杏子さんは出て行ってしまった。残った和泉さんと私に学生たちの戸惑いと困惑の視線が集まる。私の立場はアドバイザーのアテンド……なんだそれ? なのだ。
「私たち、あの人の部下でも手下でもないんですけど」
「と言うか、あの人にメニューの決定権あるんですか?」
「他のグループはメニューが決まったらしいですよ」
「えー、なんで私、このグループになっちゃったんだろう。
今からでも、別なグループに移れないかなぁ」
不平不満が噴出する。
スケジュールを確認すると、あまり時間がない。備品の手配などの準備を考えると、学生たちが今日中に決めてしまいたい気持ちも分かる。
が、確かに、学生たちは誰かの意見に流されたり、スマホで調べて上の方にあがってくるムール貝のレシピをただ羅列していただけの気もする。
私もフードフェスティバルは初めての経験だけど、要は対面販売よね。だとすればどうするべきか。
考えていると一人の学生がおずおずと立ち上がった。
「私、そろそろ行かないと。バイトがあるんです」
「バイト?」
そういう学生は多いだろうと、何気なく聞くと、橘と名乗った学生は慌てて弁解しはじめた。
「ファミレスでウェイトレスをしているんです。
今日、突然、体調を崩してお休みする子が出て、その代わりに早めに出ることになったんです。
シェルフェスティバルの当日は、もうお休みしますって申請していますから、必ず出ます!」
心外なのと後ろめたい気持ちのようなので、私はそうでない旨をやんわりと伝えなければならなかった。
「ウェイトレスの経験があるなんて、心強いわ。
……ねぇ、他に飲食業でアルバイトしている人はいる?」
良いことを思いついたので、そう質問してみたが、思惑は外れてしまい、男子学生一人だけしか手があがらなかった。
「お好み焼き屋でバイトしています。
だからムール貝のお好み焼きもいいかなとは思ったんだけど、他の店で出す牡蠣のお好み焼きと被るから、やめました」
惜しい。
お好み焼きはいいアイディアだった。
でも、そこで私は考え方を変えることにした。……うん、大丈夫。次の質問には、全員の手があがるはずだ。
「フードフェスティバルに行ったことがある人」
思った通り、手を挙げていない学生はいない。
「私はさっきの話を聞いて、ムール貝の酒蒸しがいいなって思ったの」
そう言うと、全員がほっとした顔になった。
「なぜですか?」
さっきのリーダー格の女の子……文屋さんも方向性を示されて安堵の表情を浮かべながらも質問してきた。
当然よね。他の案を出した子もいるし、そもそも、杏子さんを納得させる理由がなくてはいけない。彼女が尋ねなくても説明をしたつもりだけど、そちらからアクションを返してくれるのは心強い。
「そうね……まず、第一に、私たちは素人だけど、来てくれるお客さまには関係がないってこと」
材料は産地から格安で手に入れるが無料配布ではない。金銭の授受が発生する以上、生半可なことは出来ない。
杏子さんの言う「遊びじゃないんだから」は一理ある。学生たちのノリはどこか文化祭の出店のようだった。
「たとえ無料配布であっても、産地名を冠するってことはそちらにも責任があるのよ。
大事なのはお客さまを納得させて、満足してもらうこと」
そう言うと、半分の学生の顔はひきしまり、残りの学生は怖気づいた様子だ。気軽な気持ちで参加したのに、とんだ貧乏くじを引いたと思っているのだろう。
うん、私も同感。だけど、私の場合、やる気があるとかどうかとかは問題じゃない。売るか、売るか、である。その方法を、探すのだ。
「私もだけど、みんなもフードフェスティバルの運営を主体的にするのははじめてでしょう?
だけど、行ったことはあるんじゃないかしら? その時、どう思ったかを考えてみることからはじめたらどうかしら?」
一番、やる気を漲らせている先程のリーダー格の女子・文屋さんは我が意を得たとばかりに食いついてきた。
「はい! 私も、現状において、酒蒸しがもっとも最善の選択だと思います。
他のメニューだって、美味しいし、見た目がいい物も多いです。どれを選んでも、お客さんは来てくれるはずです。
でも、調理の煩雑さや、材料の準備の点から見ると、限られたスペースに不慣れなスタッフでは、思うように提供出来ない恐れがあります」
文屋さんの言い方は、他の案を出した人に配慮しつつも、自分の案の利点を端的に現すものだった。
多くの学生たちがその言い分に賛成し始める。
「そうよね。すっごく並んでいるように見えても、店員さんが手際よくサクサク進めてくれると気分がいい」
「逆に、ゴタゴタしていると腹立つわよね」
「それに何人かで行くからいろんなメニューを試したい。酒蒸しはシェアし易そう」
「今回は養殖ムール貝の美味しさを知ってもらうのが目的だから、シンプルな方がいいよ」
お好み焼き屋のバイトの学生も言う。
「調理も比較的簡単で、一度にたくさん出来るだろう?
難しいのは駄目だよ。ブース自体、大きくないし、慣れない人間じゃ、回しきれなくなる」
ファミレスでバイトをしている橘さんも続いた。
「配膳も、貝の大きさ次第だけど、一皿何個で決めてしまえば、素早く出来るはず」
杏子さんは学生を経験不足と侮っていたけど、”お客さま”としての経験値は幼い頃から積んできている。客の立場に立ってみるのは簡単なことだし、気づくことも多い。
「お客さんを待たせないことは、回転もよくなって、売り上げのアップにもつながるしね」
利益云々ではなく、在庫を抱えたくない。
私の言葉でもって、メニューは酒蒸しに決定された。
「でも……あの人、納得します?」
来週までに私を納得させるものを出しなさい、と言って去って行った杏子さんのことが話題にあがると、学生の視線がまたもや私に集まる。
そこに、今まで黙っていた和泉さん口を開いた。てっきり彼が説得をかって出てくれたのかと思ったら、違った。
「納得していただける素材は十分、揃いました。
あとは具体的にまとめて説明すれば大丈夫です。
皆さんが真剣に考えたことを、杏子さまは無碍にはいたしません」
つまりはプレゼンをしろ、と。
三度、学生たちから困惑の視線が突き刺さる。
「それは、私たちが真面目に考えていなかったということですか?」
一人が和泉さんに聞いた。和泉さんは大柄な男性だが、細身の杏子さんよりも威圧感がない上に、見るからに優しそうなので、質問しやすいのだ。
「考えていたと言えますか?」
対する和泉さんは物腰柔らかだったが、意外と厳しかった。
皆が押し黙る。
「杏子さまは、皆さんにもっとメニューを真剣に考えて欲しかったのです。
なぜ酒蒸しにするのか。
たとえ同じ結論に達するにも、なぜそれを選ぶのか、深く考えることで見えてくることがあるでしょう。
調理手順、必要な用具、設備、動線、提供の方法……。
そう言ったものを踏まえて皆さんが決めたのならば、杏子さまは反対なんてしません」
果たしてそうなのか。
杏子さんに絶対的な信頼を寄せる和泉さんとは対照的に、半信半疑な学生たちは、それでも自分たちの意見をまとめプレゼンを行うことになった。




