エルネス王子
「それでは報告を聞こうか」
そう声を発したのは豪華な椅子に腰掛けた老人だった。顔の皺や顎に蓄えた髭が高齢である事を物語っている。だがその身に纏う覇気は力強く、とてもだが老人のそれではなかった。
「はい陛下」
赤い絨毯に片膝をつき、頭を下げながら首元まで鈍い銀色の光を放つ甲冑を着こんだ男が返答する。銀の長髪に隠された目は鋭い輝きを放っていた。
「昨日我々の隊の者が羽虫の住処を発見いたしました」
「………!それは誠か?」
「はい」
「よし………これでようやくこちらから仕掛ける事ができる。奴らの抱えるアレは我らにとって必要不可欠な物だ。何としても奴らから奪い取らねばならん」
「は、陛下。ただ万全を期すには今暫く時間が必要でございます」
「………どれくらいかかる?」
「おそらく2、3年程でしょう。奴らの使う特殊な術を封じる兵器を開発中でございます。それが出来次第になるかと」
「……焦って失敗する方がマズイか。良かろう、もう暫く待つ。一刻も早く完成させろと伝えよ」
「御意。……それともう一つご報告がございます」
「ん、何だ?申してみよ」
「奴らの住処の近くにて………『裏切り者』の姿があったと」
「………っ!」
その言葉を受けて老人は一瞬目を見開いた後、悲しそうに目を細めた。
「我らの邪魔になるようであれば………殺せ」
「……良いのですか?」
「………ああ」
「畏まりました。報告は以上です、失礼します」
男は心臓の位置に拳を当て臣下の礼を取り、回れ右してその部屋から退出した。
老人は男を見送った後、窓の外に目をやる。
(何故こうなってしまったんだろうな、アレックス……)
老人は心でそう呟いた。
「クククッ、もう少しだ」
部屋から退出し、長い廊下を一人で歩く男の口端は獰猛な曲線を描いていた。
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「んん……んー」
う、光が眩しい……。
俺は光に慣らすようにゆっくり目を開いていく。真っ先に天井が目に入った。この世界に来て一番初めに目にした物と一緒だ。つまりここは家の中という事になる。何だか随分長い間眠っていた様な気がする。
俺はボーっとした頭で何となく視線を右にやる。そこには椅子に座って厳しい顔でこちらを見つめるエルネス王子。目が合った。
俺は速攻で目を閉じ、寝たふりを決行。
何で王子ここにいんの!?しかも父さんと母さん周りにいないし!殺されるって!
王子が椅子から立ち上がり近づいて来る気配を感じた。そして俺の頭の横あたりで立ち止まる。
薄っすらと目を開けて確認すると王子が俺の頭に向かって手を近づけているところだった。
あ、これ詰んだ。
俺はぎゅっと目を瞑り全身を強張らせる。どうか痛くありませんように!と全力でお祈りしていると………ポンポンっと頭を撫でられた。
思わず目を開けて王子の顔を窺う。相変わらず少し顔は怖かったが危害を加えるつもりはないのか、殺気などは感じられなかった。
取り敢えずここで死ぬことは無いらしいと分かり密かに安堵していると、王子が撫でるのをやめて部屋から出て行った。
数秒後、ドタドタドタッ!と大きな音がして部屋に母さんと父さんが走りこんで来た。
「良かったぁ!シウくん目が覚めたんだね!」
母さんが勢いそのままに俺を持ち上げ抱きしめる。母さんの後ろでは父さんが優しい目で俺の事を見ていた。………その後ろで王子が凄い目つきで父さんを睨んでいるのは見なかった事にしよう。
それにしても……父さんと母さんは怖くないのだろうか。どう考えても気絶する前のアレはやりすぎだった。あんな赤ん坊絶対におかしい。気味悪がる人の方が多いと思う。そう思うと少し怖くなった。今見捨てられたら何も頼るものがなくなる。
恐る恐る母さんの顔を見た。マイナスな事なんてちっとも考えてなさそうな心底嬉しそうな顔をしている。どうやら怖がられては無さそうだ。何だか母さんの顔を見ていると心配しているのが馬鹿らしくなってきた。……うん、この家に転生させてくれたアウラに感謝だな。
どこからか、もっと敬いなさいと聞こえてきた様な気もするが多分幻聴だろう。うん、そうに違いない。それよりも今は他によっぽど気になる事がある。
それは何で王子がここにいるのかだ。確かあの人さっきまで戦争とか言ってなかった?
母さんは満足したのか抱き抱えるように俺を持ち直し、王子の方へ向き直る。
「この人がシウくんを助けてくれたんだよ」
え、そうなの!?ていうか助けてもらわないといけないぐらい俺ってヤバい状態だったのか……。
「さて、シウはあなたのおかげで助かりました、感謝します。それでは約束通り……」
約束?何のことだ?
「僕の左腕を切り落としてもらって構いません」
そう言って父さんは左腕を突き出した。
いやいやいやっ!俺が気絶してる時になんて約束してるんだよ!?か、母さん早く止めないと!
こんな異常事態にも関わらず母さんは哀しそうに目を伏せたまま動かない。
え、嘘でしょ?嘘だよね?
突如空間を支配したピリピリとした空気に俺はオロオロするしかなかった。
王子は酷く冷めた目で父さんを見ている。父さんは静かに王子の目を見つめ返していた。
永遠かと思えるような時間の後、王子がフッと浅く息を吐いた。
「お前の左腕なんぞいらん。あの約束はお前の覚悟を試しただけだ。アレをホイホイ貸すと思われては困るからな。第一妹が悲しむ様な事を俺ができる訳ないだろう」
そう言い、王子がチラッとこちらに目をやる。
「そこの赤ん坊も目を覚ましたみたいだし、俺はこれで失礼する。………一つ言い忘れていたが、もし妹に何かあれば左腕なんかじゃなくお前の息の根を止めてやるから覚悟しておけ」
王子はそう言い捨てて出て行こうとした。
「待ってください!」
その背中に向かって父さんが呼び止める。王子が歩みを止めて億劫そうに振り返る。
「なんだ?まだ何か用か?」
「僕はシウを助けてもらった恩を返してません」
「だからお前の腕なんぞいらんと言っているだろう」
「でも何もしないなんて僕の気が済みません」
父さんは頑として譲りそうにない。先に折れたのはエルネス王子だった。
「………ではまたここに来てもいいか?」
「………え?」
「どうなのかと聞いている」
「えっと、それは全然構いませんが……」
「それいいね!兄さんが来てくれたら私も嬉しいよ!」
エルネス王子が再びチラッと俺を見る。俺はここぞとばかりにニコッと満面の笑みを浮かべてやった。王子の顔が少し赤くなった。赤ちゃんスマイルは効果覿面のようだ。
俺の命の恩人みたいだし……これぐらいはね?
「本当にそんな事で良いんですか?」
王子の要求に父さんは不満そうだ。対価として見合ってないからだろう。
「……それならもう一ついいか?」
「はい、何ですか!?」
父さんは良くも悪くも責任感が強いのだろう。嬉しそうに王子の要望を聞く。
王子がまたこっちを見る。しかもチラ見じゃなくじっと。あぁ……なんだかまた面倒なことになりそうな予感がプンプンする。
「そこの赤ん坊が大きくなったら俺に魔法を教えさせろ」
え、マジで?
「え、兄さんが教えてくれるの!?やったねシウくん!これでも兄さんって1万年に一人の天才って言われるくらい魔法を扱うのが上手いんだよ!」
「これでもって何だこれでもって」
王子は不満そうな口調だが母さんに褒められて嬉しそうに口角がピクピクしている。この人そんなにすごい人だったのか。認識を改めなければいけないな。
「何でそこまでしてくれるんですか?」
父さんが王子に問いかける。それに対し、王子は穏やかな色を母さんと同じその翠色の目に浮かべながら、
「妹の……サラの子供ということは俺にとっても家族みたいなものだ。家族を助けるのに理由がいるのか?」
「……あなたには敵いませんね」
「ただお前の事は家族とは認めんからな」
王子がフンっと鼻を鳴らす。それに対して父さんは、
「認めてもらえるよう頑張ります」
そう言って苦笑した。
長居しすぎた、もう帰ると言う王子を俺たちは玄関まで見送った。
玄関を出ると何処からともなく王子の従者であろう人達が姿を見せる。何処にいたのか全然分からなかった。やはり森の中は彼らのフィールドなのだろう。
そのうちの一人がボソボソと何かを呟く。するとその目の前の空間に亀裂が走り、人が通れる程の大きさの穴ができた。呟いたのは何らかの呪文だったのだろう。
いきなりの魔法に吃驚していると王子がこちらに向き直った。
「ではな」
王子は短くそう言い、従者と共に空間に出来た穴を潜ろうとする。
「兄さん、またね!」
「またお会いしましょう」
俺も内心魔法に興奮しながら笑顔で手を振る。
王子はその言葉を受けて一瞬驚いた後、フッと相好を崩した。
「ああ、また……な」
穴へと足を踏み入れながら、王子は少し前の事を思い出した。
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エルネスside
「シウくん!シウくん!」
ぐったりした赤ん坊にサラが呼びかけるが反応がない。何度もヒールで治療を試みている様だが一向に良くなる気配はなかった。
この赤ん坊は生命力を削りすぎたのだ。これでは生命力が回復し始める前に力尽きてしまうだろう。サラは今にも泣きそうな顔をしている。
そんなサラを見ているのは正直辛かった。そんな俺の様子に気づいたのか、幼い頃からの付き合いである従者から小さな声で進言があった。
「あの赤ん坊ですが、アレを使えば助かるのではないですか?」
アレとは、我らの一族に古くから伝わる……秘薬の事だ。万病に効き、寿命すら伸ばすと言われている。万が一の時の為に俺のような要人は少量常備している。確かに秘薬を使えばこの赤ん坊は助かるだろう。だが作り方を含めこの存在を知っているのは一族の中でもごく一部。今この場では自分とこの従者一人だけ。サラすらも知らない。そんな貴重な薬をこの赤ん坊に使えというのか。
出来るわけがない。そうかぶりを振ろうとしたその時、サラの目から零れ落ちる雫が見えた。
「その赤ん坊を助けたいか?」
知らず知らずのうちに声が出ていた。
「……助けられるんですか?」
サラの近くに立っていた男が問いかけてきた。……確かアッくんとか呼ばれてたか。
「ああ」
そう答えると、その男は間髪入れずに地に頭を擦り付けながら、
「頼みます!シウを助けてください!」
そう懇願してきた。
いやいや、こんな赤ん坊に使えないとさっき考えたばかりだろう。
我に帰り断ろうとすると、男が左腕を突き出してきた。
「僕の事が気に入らなくて助けないというのなら、この腕を切り落として貰って構いません」
「え、アッくん!?」
横でサラが驚いた声を上げる。それも仕方ないだろう。いきなりこの男が突飛な事を言い出したのだから。だが俺はサラを取られたやっかみもあったのか、
「片腕じゃ足りん。両腕なら考えてやる」
と意地の悪い返しをしてしまった。まあこれでこいつも諦めるだろう。そう思っていると男が、
「………それは出来ません」
そう答えた。
……やっぱりな。所詮その程度だという事だ。
しかし、なら無理だと断ろうとした直前、男が言葉続けた。
「両腕を失ったら……俺はサラとシウを……家族を守れなくなる。だからそれは出来ません」
……家族……家族か。
家族想いのやつに悪いやつはいない。その事を妹が一番大切な俺は知っていた。それにここで赤ん坊を見捨てれば、俺が家族……妹を悲しませる事になる。
「おい、家の中からコップを持ってこい」
俺の突然の要求に男はキョトンとした表情を浮かべる。
「早くしろ。赤ん坊を助けたいんだろ?」
「分かった、すぐ取ってくる!」
宣言通り男は消えるような速度で移動し、数秒で戻ってきた。男から小さな木のコップが渡される。
秘薬は劇薬だ。このまま赤ん坊に使えば効き目が強過ぎて逆効果になる。水で薄めるくらいで丁度良い。
魔法でコップ一杯分の水を出す。俺に取っては造作もない事だ。
その水を使って持っていた秘薬を十分薄めた後、赤ん坊に飲ませる。すると先程まで青ざめていた顔が徐々に赤みを取り戻し、穏やかな顔つきになった。
……何処となく妹に似ているな。当たり前か、子供だからな。ということは俺の甥という事になるのか。
俺は何となく赤ん坊を抱き上げた。先程までと違い呼吸も落ち着いている。喜んでいる二人に向かって口を開く。
「これで助かるとは思うが、早く寝かせてやらねばならんだろう。ベッドは何処だ?」
家の中へ入り、赤ん坊をベッドに寝かせる。その安らかな寝顔からは先程のような強力な魔法を使えるだなんて到底想像できない。
……この赤ん坊が持つ力は凄まじいものだ。この才能を腐らせてしまうのは非常に勿体ない。良い師に巡り会えれば良いのだが……
ふと、一つ妙案を思いついた。自分が教えれば良いのでは?と。ただ、彼らがそれを受け入れるだろうか。それにどう提案すれば良いのだろう?
チラッと赤ん坊に目をやる。どんどん体調は良くなっており、この分だとすぐにでも目を覚ましそうだ。ここまでして何かあったら気分が悪い。目を覚ますまでは見守ってやろう。
なるようになるかと俺は考えるのをやめ、ベッドの横の椅子に腰掛け赤ん坊が目を覚ますのを待った。
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気がつくといつの間にか郷の入り口に到着していた。さて、幾つかやらなければいけないことがある。まずは、
「父上に報告しなければな」
サラの居場所を見つけたと。父上も俺同様サラを溺愛していたから、問答無用で連れ戻そうとするだろう。しかしサラは嫌がるに違いない。妹の我儘を聞くのは兄の責務だろう。………後ついでに秘薬を使ってしまった事も。
俺はどうやって父上を説得しようかと頭を痛めながら、郷に足を踏み入れた。