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Primula  作者: 澄葉 照安登
第九章 冬に咲いたサクラソウ
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らくな事ではないけれど

 ひとまず岩屋まで行こうという話になった俺たちは人の波に従って歩みを進める。夏場に比べればいくらか人口密度は低いものの、防寒具で体積の膨れ上がった人の波はそれなりにきついものがあって、俺たちの足はそれほどうまく進んでくれなかった。

 だから、階段を上り切った開けたところで、俺たちは一時その波から外れていた。

「永沢さんって結構食べるんだね」

「あ、はい……」

 恥ずかしそうに目を伏せた彼女は、手に持っていた大きなせんべいで顔を隠す。

 食べ歩きをして、カフェにも寄ったはずなのだが、彼女はまだ食べたりないのかタコせんべいを食べたいとリクエストしたため人の波から外れていたのだ。

 隣にいる彼女は、自分の顔が優に隠れるほどのタコせんべいを黙々と食べ進める。俺はと言えば特にすることもなく、かといってスマホをいじるわけでもなくただじっと、彼女の姿を見ていた。

 本当に、新鮮だ。それは俺がそれだけ彼女と目を合わせていなかったからかもしれないけれど、それでも今日一日、この数時間で彼女のいろいろな一面を垣間見ることが出来た。

 考えてみれば、永沢さんが立花さんと話しているときはいつも楽し気で、どこか幼くて、俺の抱いた静かな少女という印象には当てはまらなかった。

 おいしいものに次々と口をつける姿も、考えてみれば何のことは無い。初めて文芸部でお祭りに行った時も、彼女は大袋のわたあめを一人で平らげていた。

 少し考え振り返れば不思議な事なんて何もないのだけれど、それから目を逸らし続けていた俺はそれが新鮮でたまらなかった。

「あの、先輩も一口、いりますか?」

「え?」

 そんなことを考えていると、永沢さんが蚊の鳴くような声で呟いた。

 見れば、三十センチ四方ほどもあったせんべいはもうとっくに半分以上が彼女の口の中へと消えていて、永沢さんは小さくなったそれで口元を隠していた。

「……じゃあ、一口貰えるかな?」

 もしかして、俺が口にした言葉のせいで一人で食べきるのが恥ずかしくなってしまったんだろうかと思いながらも、俺はせっかくだしと思って笑顔を浮かべた。

 彼女は小さく「はい」と頷くとせんべいの端を割ってそれを俺のほうへと差し出す。俺はそれを受け取りながらお礼を口にした。

 人の波を横目に二人しておせんべいをかじる。そう簡潔に口にしてしまうとまるで縁側にいる老夫婦のような印象を抱いてしまうが、目の前を歩くカップルの群れを見て改めてここはデートスポットなんだということを理解する。

 もしかしたら、折れて地二人もそんな風に見られているのだろうかと思うと途端に恥ずかしくなってきて、俺は意味もなく急いでおせんべいを平らげた。

「……そろそろ行こうか」

 彼女が食べ終わったのを見計らって提案する。ごみを丸めた彼女を少し待ってから人の波に戻ると、心なしかさっきよりも流れが緩やかに感じた。

「…………」

 だから自然と、隣にいる彼女に視線が向く。

 隣、と一口に言ってしまえば簡単でその事に間違いなどないのだけれど、改めて歩みを共にして思う。

 歩調が僅かにずれる。

 お互いの性格のせいもあるのだろう。俺が彼女に合わせようとして歩調を落とせば彼女が気遣って歩幅を合わせる。彼女が俺の足を見れば俺もまた彼女の足を見て足が乱れる。

 まるでレースのつばぜり合いのように、どちらかが前に出るたびにもう片方が頭を出しを繰り返している。

 だから、歩幅も何もなく歩みを合わせやすいはずの階段でも僅かにかみ合わなかった。

 俺の少し後ろ、けれど二人で歩いているということは伝わってくるという距離感で階段を下っていく。

 なんだかそれが少し居心地悪くて、俺も歩調を落としたりと試みたのだが、真隣りに彼女が来ることは無い。

 だから自然と、俺は少し振り向くような形で彼女のことを見た。

「……永沢さん、どうかした?」

 不意に、彼女が俺の腰あたりを見ていたことに気付いて尋ねてみる。

「あ、えっと、なんでも、無いです」

 すると彼女は明らかに慌てて目を逸らした。いったい何だろうと思ってさっきまで彼女の視線が注がれていた自らの腰あたりを見つめる。何かついているのだろうかと思ってまさぐってみるが何もない。あるのはコートのポケットに入ったハンカチのみ。

 まさかそれを見ていたわけでもないだろうと思いながら彼女のことを振り返れば、やっぱり同じようなところを見ていた。

 いったい何だろうと思いながら改めて視線を追えば、どうやら腰ではなく俺の袖元を見ているようだということが分かった。

 俺は少し驚きながらもおかしなことがないかと手の平と手の甲を交互に見つめる。

 けれどやっぱりおかしなところは見当たらず、俺はまた彼女に問いかけた。

「手が、どうかした?」

「あ、ちが、何でもないんですッ」

 言った瞬間、彼女は恥じるように顔を真っ赤にしてしまった。

「あ、そう?」

 本当に何でもないのかと問うと彼女は大きく頷いた。

 やっぱり何かあるようだったけれど、どうにも答えてくれなそうに無いので、俺は悩みながらも半ば諦めて「そっか」と返した。

 しかしその時、俺の背中に小さな刺激があった。

 驚いて首だけで振り返ると、彼女の細い指が俺の背中を掴んでいた。

「大丈夫?」

 もしかして転んでしまったのだろうかと思ってそう問うと、彼女は顔を紅くしたままぼそりと言った。

「あの、少しだけ、掴んでていいですか……? 靴、慣れてなくて」

 言われて彼女の足元を見れば、ローファーのような黒くきれいな靴は踵のところが少し上がっていた。

 ピンヒールのようなものではなくて、三センチあるかどうかの本当にささやかなヒールなのだが、それでも見ただけで歩きにくそうだというのが伝わってくる。

「あ、ごめん! 気付かなくて」

 俺は慌てて歩調を緩める。彼女の足音があまりにも静かだから気付かなかった。ヒール特有のコツコツという音が聞こえなかったからわからなかった。

 いや、思い至れなかった。彼女がヒールを履いているということに。

 学校に履いてくるローファーだってヒールがある。彼女がヒールを履いているはずがないなんて思いこみのほうがおかしいくらいだ。

 けれど、ヒールと言われて真っ先に浮かんだのはあの何センチもあるコツコツという足音が特徴のあの靴だった。

 だから、普段と目線の高さの変わらない彼女がヒールを履いていると想像できなかった。

 学校に履いてくるローファーにもヒールがついていて、だからこそ普段と目線の高さが変わっていないから気付けなかった。

 出会ってすぐに彼女の服装について感想らしきことを口にしたというのに、その事に気が付かないなんてなんて気が利かないのだろう。

 そう思って慌てて言ったのだが、彼女は申し訳なさそうに言う。

「あ、本当に大丈夫です。あの、少し掴ませてもらえれば……」

「……大丈夫?」

「はい」

 確認のため、そしてわずかばかりの期待を込めて言ったのだが、彼女は笑顔でそう答えた。

 俺は安堵とも落胆ともとれるため息を吐いて自分の手を横目で見た。

 手を繋ごうと、きりだせればよかった。どうせならそのほうが安心できると思うよって、手を差し出して、握ってしまえたらよかったって後悔した。

 自分が、そんなことが出来る人間じゃないのなんて重々承知だけれど、簡単なことではないけれど、そうできたらよかったって、そう思った。

「…………」

 そう思ったら、ふと彼女のさっきの視線を思い出した。

 もしかして、そういうことなのだろうか。彼女もそれを、望んでいたのだろうか。

 そんな風に都合のいい期待をしながら俺は振り返る。

 彼女と目は合わないけれど、少し恥ずかしそうに逸らした目を見てなおさらそうなんじゃないかという期待が膨らむ。

 期待したらそれだけその後が恐ろしいものになると知っているのに、自意識というものは恐ろしい。膨らむそれを押しとどめてはくれない。

 高い居場所に行けば落差を考えて不安が募るものなのに、なぜかそれは収まらない。

 理性で自分を戒めても、心の内は結局変わらないまま。表面だけ誤魔化すことはできても、心の内を変えることはできない。

「…………永沢さん。あの……」

「はい……?」

 俺が振り向きもせずに呼ぶと、彼女は不安げな声を上げた。

 俺の目の前には、さっきよりも急こう配な海側へと続く階段がある。その道はいつか彼女が転び、俺が受け止めたあの場所でもあった。

 心の内は変わらなくて、不安も期待も膨らむばかり。なら、せめて少しくらい、それを勇気に変えてみよう。待ち受ける未来はまだわからなくて、もしかしたら望まない答えにたどり着くかもしれないから。

 恥ずかしくて、照れくさくて、自分からそんなこと言えない、できないと思っていたけれど、それを後押ししてくれる環境が少なくともあるから。

 だから俺は、目を逸らしながら、けれど体だけ振り返って彼女に言った。

「手、繋が、ない……?」

 言い訳があって、願望もあって。でもそれを隠したいから、目も合わせずに口にした。

「さっきよりも、急だから……」

 断られてしまえば、この後どうにかなってしまう。せっかくの楽しい雰囲気が壊れてしまう。それを危惧して言葉を付け足す。

 そんなにも不安に駆られるなら初めから口にしなければいい。そう思うけれど口にしてしまったものは仕方ない。だって何もしない方が後悔すると思ったのだから。

 俺は恐る恐る彼女のことを見る。嫌な顔をされていないか、気まずい雰囲気になっていないかと思いながら。

 そうしてぎこちない動作で振り返った俺は、固まった。

 彼女は真っ赤な顔で、今にも泣きだしそうな瞳で俺のことを見ていた。

 先日の時のように、何か言いたげに、けれどうまく言葉にならないといった様子で、俺と、俺の手を交互に見つめていた。

「……どう、かな?」

 ダメ押しとばかりにもう一言付け足した。彼女の顔を見てさらに膨れ上がった期待を隠すように目を逸らす。

 すると彼女は、答えなくてはいけないと慌てたのか、うわごとのように「あ、そのっ」と数度繰り返し。それから少しだけ落ち着く間をおいてから、やはり消えそうな声で言った。

「……はい。お願い、します」

 彼女は、言うが早いか俺の手を取った。差し伸べる暇もなくそうされてしまって、今度は俺が変な声を上げてしまいそうになるがそれを何とか飲み込んで握り返す。

 手を握る、と言うには弱弱しい指先だけ結び合ったような繋ぎ方だけれど、それでもそのおかげで、俺たちの距離は縮まった。

 半歩後ろを歩いていた彼女が、今は俺の隣にいる。

 まだお互いの歩幅も理解していなくて探り探りだけれど、確かに同じ場所を歩いている。

 海風はとても冷たくて、気付けば太陽も海に向かっている。冬場だから日が落ちるのも早いというのもあるが、集合した時間も朝早くというわけではない。

 だから、だんだんと見え始めた帰途への時間を思って、俺は少しだけ強く、彼女の手を握りしめた。


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