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Primula  作者: 澄葉 照安登
第九章 冬に咲いたサクラソウ
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くちには笑みを携えて

 お昼時ということもあって、俺たちはまず食事をとることにした。

 とはいえ場所は江ノ島。どこか店に入って食事をするというよりはゆったりと食べ歩きをしながら観光する方がメジャーな楽しみ方だろう。その例に漏れず、俺たちも橋を渡る前にもキッシュなるものを食べ、江之島へ渡った後にもお団子や中華まんを口にしていた。

 しかし、育ち盛りな高校生にはそれではやや物足りなかったのか、彼女の視線をきっかけに、俺たちはカフェに入って一休みしていた。

「…………」

「…………」

 注文を済ませ、手持ち無沙汰に店内を見回す。

 一言で言ってしまえばオシャレな店内。特にあれこれと装飾されているということは無いがシックな雰囲気がとても心地いい。有名パンケーキ店がどれほどのものか行ったこともないのでわからないが、それに勝るとも劣らない魅力がこのカフェにはある気がして自然と深い息が漏れた。

 正面に座っている彼女も同じように思ったのか、店内を見回しながら子供のように目を輝かせている。その見慣れない姿になんだか笑みが浮かんでしまって、それを隠そうと口元に手を当てた。

 そうこうしていると、すぐに注文していたものがテーブルに運ばれてくる。あまりに早さに少し驚いたが昼時をやや過ぎた店内は人もまばらで余裕があったのだろう。俺は会釈を返しながら並べられたそれらをちらりと見た。

 カップにミルクティが二つ。それに小さめのパフェが一つ。

 俺はカップを手に取って、彼女は少し恥ずかしそうにパフェとカップを引き寄せた。

 この店に入ろうという話になったのは、彼女の視線がきっかけだった。このお店に入りたいと言われたわけでもない、ただ表に出ていた看板に記載されていたメニューが彼女の目を奪ったのだ。

「いちご、好きなんだね」

「……はい」

 彼女はイチゴパフェの影に隠れるようにしながら、見ないで欲しいというかのように小声で答えた。

 俺はその姿に微笑みを返しながらぽつりと言う。

「前も言ってたね」

「え、っと?」

 彼女は、何のことかわからなかったのか戸惑ったような声を上げた。

 俺もさすがに言葉が足りなかったかと思って苦笑いを一度浮かべてから説明する。

「前も、好きだって言ってたから。……いちご飴、だっけ?」

 俺が言っているうちに彼女は目を見開き、言い終わると同時に目を細めた。

「……覚えてたんですね」

 そんな些細なこと、わざわざ覚えていなくていいのにと言いたげに小さく、けれど彼女は嬉しそうだった。彼女の心の内なんてわかるはずもないけれど、浮かべた笑顔はきっと偽物ではなかったと思うから。

 俺の笑顔を浮かべてあの時のことを思い浮かべる。

「結局夏祭りの時も花火大会の時も買えなかったよね」

「そうですね。多分、時期的な問題もあったんだと思います」

「あー、イチゴってクリスマスくらいからよく見かけるようになるよね」

 いちごの旬はいつだろうと思いながら、なんとなくクリスマスが浮かんでそう口にした。真琴に言ったらそれは違うなんて小言が飛び出してきそうだけれど、その真琴は今ここにはいないので植物の知識の乏しい者同士で合っているかもわからない会話を続ける。

「大きな神社とかの出店なら、売ってると思います」

「あー、そうかもね。永沢さんは初詣って行った?」

「はい、家族と行きました。……先輩は行きました?」

「ソウたちと行ったよ」

 そんな本当に他愛もない会話を繰り返しながら、ふと思う。何も身構えることなどなかったと。

 不安に思うことなんてなかった。今こうして微笑みすら浮かべながら言葉を交わせている。詰まることなく話題が出てくる。そのことに俺は安心した。

 考えてみれば、俺と彼女の間に話題の種などあり余っているくらいだ。何せもう三か月も言葉を交わしていなかったのだから。お互いその間のことを知らないのは当然のこと。次へ次へと会話へと実を結んでいくのは、自然なことだった。

 知りたいこと、聞きたいことはいっぱいある。目を合わせることのできなかったこの数ヵ月の間、彼女にどんなことが起きていたのか、それで彼女はどんな気持ちを抱いたのか。そして、そこに俺に関係することはあったのか。

 そんなことが気になって、次に口を開けばそんな深いところまで聞いてしまいそうになる。けれどそのことを口にするのはやっぱり憚られた。

 いきなりその話題を出してしまえば、今あるこの柔らかな雰囲気も消えてしまうだろう。それは同時に、彼女の笑顔も。

 気まずくなって、俯いて、苦笑いを浮かべてぎこちなくなる。そういう未来が簡単に見えてしまうから、俺は他愛もない会話を続けた。

「前回江之島に来たときは、お店とかに入らなかったよね。食べ歩きだけで」

「そうですね。食べ歩き、というほど食べてもいないですけど」

 自嘲気味に同意した永沢さんは細い指でスプーンをつまんで、パフェを口へ運んだ。イチゴのソースがかかったクリームが口の中に消えると同時、彼女は満足げに微笑んだ。

「本当に好きなんだね」

「あっ…………。はい……」

 子供のような笑顔を浮かべた彼女を見てくすりと笑いながら言えば、彼女は恥ずかしいのか肩をすくめて小さくなってしまった。

 そのしぐさが年下の女の子らしくて、彼女から静かという印象を受けていた俺としては新鮮に映る。

 恥ずかしがりながら、それでもスプーンを止めない彼女を見て、俺はふと思う。

 多分だけれど、彼女と真っすぐに会話をするのはこれが数度目だ。

 気を使ったり、誤魔化したり、そういう半透明なものに覆い隠しての会話はとても多かったんだろう。夏の時から、秋の間までずっと。

 もちろんゼロではなくて、何一つ壁も段差もなく話すことが出来たときはきっとあっただろう。けれどやっぱり何かを誤魔化しながらの会話のほうが多かった。俺も、彼女も。

 だから思う。こんな風にスムーズに、何かに気取られながら、誤魔化しながらではない、意味らしい意味の無い雑談を交わすのは、とても珍しい事だ。

 そう思ったらなんだかほっこりしてしまって、口元に運んだミルクティの香りも相まって息を吐くと同時に力が抜ける。

 唇の先で紅茶の水面を掬う。頬杖を突きそうになってふと気づいた。

 彼女の口の端にクリームらしきものがついている。本当に子どもの様だなと思いながら俺は自分の口元を指さした。

「永沢さん、ついてるよ」

「……えっ!?」

 数瞬遅れて声を上げた彼女は手で口元を隠す。よほど恥ずかしかったのか彼女の顔はどんどん赤くなり、俺は噴き出しそうになりながらも背もたれに掛けたコートのポケットに手を突っ込んだ。

「永沢さんこれ――」

 そう言いながらポケットからハンカチを取り出そうとしたのだが、彼女はそれよりも早くペーパーで口に着いたクリームを拭きとっていた。

 その速度は目を見張るもので、本当に恥ずかしかったんだというのが一挙手で伝わってくる。

「慌てなくて大丈夫だよ」

 なにも慌てて食べていたわけではないだろうけれど、俺はいい言葉が浮かばなくてそう呟きながらコートのポケットにそれを戻した。

「す、すみません、はしゃいでしまって……」

「大丈夫だよ、時間は余裕あるしさ」

 そう言いながら、腕時計を付けていない俺はテーブルに置いたスマホを視線で促して言う。

 永沢さんはそれをちらりと見るとまだ頬の赤みが消え切らないままに、あっ、と何かを思い出したような声を上げた。

 どうかしたんだろうかと思って首を傾げると、彼女は早口になった。

「あ、いえその、特に深い意味はないんですけど…………」

 永沢さんはそこまで言うと一度言葉を区切り、僅かに口角を上げながら申し訳なさそうに呟いた。

「前回来たときは、いろいろうまくいかなかったなって、思いまして……」

「……そうだったね」

 抽象的な言葉だったが、その視線で言いたいことが分かった俺は指先でスマホに触れながら、笑顔を浮かべて頷いた。

 夏休みに江ノ島に来たときは文芸部の取材という名目だったが、俺と彼女は他にも目的があった。

 お互いの連絡先を知ること。

 そんな今更過ぎる目標を掲げながら俺たちはお互いの様子を窺っていた。

「結局、交換したのは夏休み最後の部活でだったね」

「そう、でしたね」

 言うと彼女は苦笑いを浮かべた。俺も自分の不甲斐なさを思い出して同じように笑う。

 結局すれ違い続けた俺たちはあの日連絡先を交換し損ねて、そのまま夏休み最後の部活が始まったのだ。

「あの日は、私が先輩を送って行ったんですよね」

「そうだったね」

 お互いの傘に入り合った。夏休み前は俺が彼女を駅まで送って、夏休みの時には彼女が俺のことを家まで送ってくれた。

 思い起こせば、なんだか青春と呼べるような出来事がたくさんあった気がする。その時はそんなこと意識しなかったのに。雨のイメージが、それとイコールで結びついていた。

「私、なんだか先輩は、雨の人って印象なんです」

「えッ?」

 すると、まるで彼女が俺の心を読んだかのように言うから驚いて声を上げた。

 それに対して彼女はあたふたとしながら申し訳なさそうな声で言う。

「あ、そういう意味じゃなくてですねッ。なんだか、先輩と一緒に居るときに雨が降ってることが多いせいか、そういうイメージがあると言いますか……。あの、本当に悪い意味ではなくて……」

「…………ぷっ」

 俺は、耐えきれなくて噴き出してしまった。それを見た彼女がきょとんとしているのが見えて何とか笑いを抑えようとするがおさまってくれない。俺は小さく深呼吸しながら自分を落ち着けた。

「ごめんね。なんか、永沢さんと思ってること一緒だったから、おかしくて」

「え?」

 なおも首を傾げて見せる彼女になんと説明したものかと思って、俺は深く息を吸ってから彼女の言葉を借りた。

「俺も、永沢さんに雨のイメージがあるんだ。悪い意味じゃなくてね。やっぱり、雨の時に一緒に居ることが多かったから、それが原因というか理由なんだと思うけど。なんか、同じこと考えてたんだって思ったら、笑えて来ちゃって……」

「…………ふッ」

 ようやく落ち着いて、笑いが引っ込んだけれど、今度は彼女が噴き出した。

 それがまたなんだかおかしくて、愉快で、幸せで。また笑いがこみあげてきて、何とかそれを噛み殺しながら、二人で小さく笑った。

 お互いのカップのミルクティーも、同じように揺れていた。


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