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Primula  作者: 澄葉 照安登
第九章 冬に咲いたサクラソウ
135/139

さわやかな空は夏の思い出

 窓の外を流れる景色が、時折キラキラと輝いて見せる。

 それが川に反射した太陽の光なのか、それとも家屋のガラスか何かなのかはわからないけれど、流れるそれらを横目に見ながら、俺は天気予報に目を落とした。

 昨日まで雲のマークが広がっていたそれには赤い太陽が表示されている。窓から空を見上げれば、快晴とはとても言えない雲の多い空ではあるが、確かに街には日光が降り注いでいた。

 俺は使い馴染んだボディバッグの上から折り畳み傘をひと撫でして、同時に小さく息を吐いた。それが安堵のものか、それともそれの出番がなかったことを惜しんで漏れたのかは自分にも分らない。

 だから深く考えるのはやめて、電車の進む先を見つめた。

 電車に乗って、もうすでにニ十分ほどが経っている。だからまだ少し早いけれど目的地が地に近づいていることを実感して心臓が駆け足になる。

 スマホをコートのポケットに突っ込んで指先に触れた布をつまんでみる。

 藍色のそれをポケットから覗かせて、俺はもう一度それをポケットに入れた。

 今来ているコートは普段学校に着ていくものとは違うけれど、ソウに言われたことを律義に守っているおかげで習慣になり始めているのか、それをちゃんとポケットに入れてきていた。

 自分ではほとんど使うことなんてないけれど、なんとなくそれがあると落ち着いて、物理的にではなく距離が近くなったように感じるのだ。

 そう思ったからか、まるで心の声に反応するかのようにスマホが震える。俺はしまったばかりのスマホを再び取り出して画面を見る。表示されていたのは幼馴染の名前だった。

 バイブレーションが何度も訴えかけてくるそれを無視して、俺はソウとのメッセージ履歴を開いて、今電車の中にいるという旨を伝えた。

『出かけてんの?』

 すぐに、ソウから返事が返ってくる。俺はそれに返事をしようとして、電車が目的地に着いたことを知らせるアナウンスを聞き逃すところだった。

 もともと終点だから乗り過ごすということもないのだが、俺は速足に電車から降りて改札を抜ける。

 改札前では邪魔になるので導線から避けて立ち止まり電話をかけた。

「あ、ソウ? ごめん電車乗ってて」

「んや、別にいいんだよ。出かけてんのか?」

「うん。そんなところ」

「そっか、どこ行ってんだ?」

「…………竜宮城、かな」

 俺はそのままを伝えるかどうか迷ったが、今しがた抜けてきた駅のホームを振り返りながらそんな風に行った。

「ホテルか?」

「違うよ」

 それにソウが素っ頓狂な声を上げるから俺はおかしくなってしまって、笑いをかみ殺しながら潮の匂いを吸い込んだ。

 さすがに冬場に海辺の気温は刺激が強い。雨上がりということもあるだろう。動き出せば暖かくも感じるのだろうがじっとしていては震えだしそうなほどで、俺はマフラーを顎の先程まで持ちあげながら身じろぎをする。

「何か用事だったの?」

 ソウに問うと、電話口から「んあー」と間抜けなうめき声が聞こえてきた。

「暇なら遊びに行こうかと思ったんだけどな。県外なら仕方ねえな」

「だからホテルじゃないって」

 呆れて言えばソウがまたしても「はん?」と間抜けな声を上げる。もしかして寝起きなのだろうかと思いながらも空を見上げるが、正午を迎える太陽は俺たちの真上だ。

「駅にいるんだよ。竜宮城の」

「…………あー、なるほど。そういうことか」

 そこまで言って、ようやく俺の言いたいことが伝わったらしいソウは電話越しでも伝わってくるほど大きく頷いていた。電話口からかすかにカサカサという何かのこすれる音がする。

「なんだよ、行くなら俺も一緒に…………」

「………………ソウ?」

 何かを言いかけたところでソウの声が聞こえなくなってしまって呼びかける。けれど返事は返ってこなくて電波が悪いのかなと思いながら画面を見つめた。

「…………」

 瞬間、我ながら感情の抜け落ちた顔をしていると自覚した。

 ソウの声が聞こえてくるはずの電話口からは規則的な単音が、スマホの画面には通話終了という文字が躍っていた。

 俺はすぐさま電話をかけなおす。ついさっきはワンコールで出たというのに今回はかなりの時間を要した。

 たっぷりと五回ほどコール音を聞き流し、ノイズとソウの息遣いを感じると同時に真琴の真似をするようにぶっきらぼうに言う。

「なんで切ったの」

「なんとなく察して」

「何を察したの?」

「男一人でデートスポット行って心の傷をえぐろうってことだろ」

「なにも察せてないんだけど」

 十中八九ふざけて言っているのだろうが、あまりに的外れな答えに俺はため息を吐いてしまう。ソウはケラケラと笑いながら「悪い悪い」なんて言葉面だけで謝った。

「で、なんでそんなとこに居んだよ。小説の取材か?」

「ソウと一緒にされても困るよ。……まあ今回はそうなんだけどね」

「お、マジか、俺も行っていいか?」

「あーっと、それはちょっと、ご遠慮していただきたい、かな」

「んにゃ? なんだよデートか?」

「…………」

 俺が黙った瞬間、ソウはまた電話を切った。俺はすぐさまかけなおして文句を言う。

「いきなり切るのはおかしいでしょ」

「いや、マジ邪魔したなって思って。すまん」

「いいよ。まだ待ち合わせまで時間あるし」

 言いながらロータリーに時計がないかと見まわしてみるが、放送用のスピーカーくらいしか見当たらなくてスマホを操作する。

 待ち合わせまではまだ十分以上の余裕がある。ここでソウと無駄話に興じていてもいいだろう。待ち合わせ場所はここなのだから。

 そう思ってスマホを耳に当てて提案してみる。

「真琴誘ってみたら?」

「あー、まあ、それもそうだよな……」

 好意的な返事は返ってきたものの、その声に感情は乗っていなくて上の空だというのがひしひしと伝わってきた。

 俺はなんとなくソウのその態度の理由に心当たりがあってソウの言葉を待つ。案の定というべきか、すぐにソウは声を投げてきた。

「いつから付き合ってんだ?」

「いやまずそれじゃないでしょ」

 呆れながら返せば、ソウはやっぱり呆けたような声を上げた。

「んじゃあ、誰と出かけんだ?」

「永沢さん」

「いつから付き合ってんだ?」

「その質問に行くの早いよ。というか付き合ってないし」

 普通なら聞いたとしても付き合っているのかどうか、からだろう。付き合っていることを前提で話を進められるとは思いもしない。ましてや俺たちのケースに関して言えばそれは最たる例なのだから。

 今まで目を合わせるのだってためらってきた。それをソウを含めた文芸部のみんながずっと見ていたのだ。どう考えたって驚愕のリアクションをするのが先だろう。

 そう思って苦笑を浮かべたのだが、ソウはあっけらかんと言う。

「え? 違うのかよ。ならフツーにデートか?」

「あー、永沢さんの取材に付き合うって感じ、かな」

「はーん?」

 ソウは、わかったのかわかっていないのかわからない返事の後、やれやれだと言うようにため息を吐いた。

 そのため息の吐き方がどこかもう一人の後輩を連想させて、なんとなくだけれど言いたいことが伝わってくる。

 だから俺はごまかすように笑って冗談半分に言った。

「間城でも誘ったら?」

「ユサはバイトだってよ」

「そうなんだ」

 もうすでに連絡していたことに少し驚いてそんな返事しかできなかった。

 やはり二人は付き合っているんじゃないかって思ってしまう。というかどこからどう見ても付き合っていると思う。部活の帰り道の時だって二人で仲睦まじく語らっていたし、そもそも間城だって最近よく部活に顔を出す。

 きっと俺だけではなく立花さんも思っているだろう。この二人は付き合っているんだろうって。

 けれど、どうやらそうではないのか。それともそのことを隠しておきたいのか。はたまたどう口にしていいのかわからないのか。ソウからそのことについて明言されることは一度もない。間城はあっけらかんと現状を説明してくれたが、ソウは何が理由かはわからないがそれを語りたくはないらしい。

 だから俺も無理に訊こうとは思わなくて、駅のホームから人が出てくるのを横目にしながらソウに言った。

「じゃあ、そろそろ時間だから」

「おう、邪魔したな」

 大雑把な返事をすると、俺が切断ボタンを押すよりも先に電話が切れた。それと同時にホーム画面のデジタル時計が表示されて、もう待ち合わせまで五分を切っていることに気付く。

 俺は、もしかしたら今駅から出てきた人の中に彼女の姿があるかもしれないと思って目を凝らす。しかしそうしたところで彼女の姿が見つかることは無く、手袋をしていない手がかじかんできてスマホをしまうついでにコートのポケットに突っ込んだ。

 駅の前から、人がいなくなっていく。ホームから出てきた人はみな一様に海を渡る橋のほうへと向かって行く。中には水族館のほうへ行く人もいるが、どちらかと言えば橋に向かう人のほうが多い。

 夏に比べれば人口密度は低いし、今から向かう人は前回に比べれば少ない。お昼時というのもあってか駅前は比較的ゆったりとしていた。

「…………」

 しかし、そのせいで俺は少し不安になる。彼女がこないかもということを気にしているのではない。もちろん可能性としてなくはないのだが、それ以上に不安なのは彼女に会ってからの方だった。

 俺も彼女も、どちらかと言えば人の話を聞いている側の人間だ。自分から何かをしゃべるような活発なタイプではない。

 だから、彼女と二人きりになったとき会話がうまく続かないんじゃないかって、少し不安だ。今までも二人で話す機会は確かにあったけれど、それはあまり雑談と呼べるような会話ではなかった。

 話したいこと、話すべきことがあるから会話がつながっていたけれど、それがなくなったとき、俺たちはお互いに気まずくならずにいられるだろうかって、不安だった。

 今も不安で、いきなり二人きりになるのは無理があったんじゃないかってあまりにも早すぎる後悔をし始めている。

 けれど。それでもやっぱり二人きりにはなりたいんだ。そうじゃないと話せないこともあって、感じれないこともあって。何より、彼女と肩を並べて歩きたいと思っていたから。

 俺は、自分を落ち着けるために深呼吸をする。そして息を吐くと同時駅のほうを見た。

 視線の先に、彼女を見つけた。

 マフラーとコートを着込み、黒い髪の毛を振りながら何かを探すようにキョロキョロとしている彼女のことを。

 俺はすぐに彼女の元へ歩いていく。駆け寄るほどの距離でもなくてゆっくりと近づけば彼女もまた俺のことに気付いて恥ずかしそうに視線を逸らした。

「すみません。お待たせ、しましたか……?」

「そんなことないよ。まだ集合時間じゃないしね」

 言いながら、クリスマスの時に立花さんに叱られたことを思い出した。

 俺が今来たところだと返すべきだったかと思って苦笑いを浮かべると、彼女は上目遣いに俺のことを見た。

「えっと、その、今日はありがとう、ございます……」

「あいや、こちらこそ」

 そんなぎこちないやり取りを交わしながらお互い頭を下げる。同じタイミングで頭を下げたから、少しだけ彼女との距離が近づいて女の子特有の甘い香りがした。

 それは、やっぱりどこか雨空を彷彿とさせて、けれどなぜかその香りは風邪で寝込んでいた時のことも思い出させた。

 顔を上げて、視線を交わす。文芸部みんなで出かけているわけではなくてお互いしかいないのだから当たり前なのだけれど、それが特別なことのように感じて視線を逸らした。

 それは彼女もまたそうだったのか、顔を逸らしたタイミングに合わせて彼女は早口に言った。

「えっと、それじゃあ、お願いします」

「えっと、こちらこそ」

 やはりぎこちないままに肩を並べる。そうして一歩歩きだせば、彼女もまた半歩遅れて足を動かし始める。

 気まずい、とまではいわないけれどぎこちなさはやっぱりあって、少し不安を膨らませながら横目で彼女を窺う、

「…………」

 そうしたところで、彼女の姿を改めて見て違和感を感じた。

 違和感、と言ってしまうと語弊があるかもしれない。違和感というには嫌な感覚ではなくて、むしろ新鮮さを感じると表現する方が妥当だった。

 いったい何に、と自分に問いかけながら彼女の出で立ちを観察してみれば、その足元で視線が止まった。

 黒いタイツ。それ自体はなんの変哲もない。冬に入ってから彼女は防寒具としてタイツをよく使っていた。

 けれど、それに真新しさを感じた。今まで見たことのないような、そんな気がした。

「……スカート」

「え?」

 不意に口をついて出て、俺はしまったと思った。

「あ、その、永沢さんのスカート姿、見たこと無かったから……」

 言って、何を言っているんだと思った。永沢さんのスカート姿なら毎日見ていた。何せ学校指定の制服はスカートなのだから。

 それを見たことが無いと言うなんて、まったく自分は今まで何を見ていたんだと言いたくなる。

 けれど、そんな俺に反して彼女は納得したように微笑むと控えめながらも頷いた。

「そうですね……。あんまりスカートは、穿かないです」

 言われて、その新鮮さの正体に気が付いた。

 俺は、彼女の私服姿でのスカートを見たことがない。夏祭りの時も、前回ここに来た時も。彼女はズボンを穿いていたんだ。だから俺は新鮮だと感じたんだ。

 そのことに遅ればせながら気付いて、自分が話を振ってしまった手前何か返さなければと思って言葉を探す。

 悩んで、けれど間が空きすぎないようにと急いで出した答えに恥ずかしさを感じる。けれどそれを意外に言葉が浮かばなくて、俺は顔を逸らしながら呟くように言った。

「似合ってる、と思うよ……」

「えっ、あ……ありがとう、ございます……」

 消え入りそうな声で言った彼女の顔は、きっと俺と同じく赤くなっていたことだろう。

 やっぱりまだぎこちないけれど、そんなぎこちなさもそのままにお互いの心を探りながら、俺たちは二人で江ノ島へと向かった。


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