にげないからこそ思いは届く
「あれ? 二人して何してんの?」
『え?』
立花さんと部室に戻ろうと下駄箱に向かっていると、ふいにそんな声が飛んできて二人して同じような声を上げた。
声のした方を見ればそこにはこれから部活があるにもかかわらず今まさに帰宅せんと鞄を担いでいる間城の姿があった。
間城は俺たちが二人して同じ反応を示したせいかきょとんとしていたが、そんな間城を見た立花さんがにこりと笑って歩み寄っていく。
「先輩は、これからバイトですか?」
彼女はそんな間城の質問にも答えずにそう返した。少しだけ、裏側を感じさせる言い方で。
間城がそれに同意するようににこりと笑うと、それに返事をするかのように立花さんも笑って俺をちらりと見た。
「私先に戻りますね。あんまり面倒な人たちと一緒に居たくないので」
笑顔のまま、嘲るように言うと、立花さんは鼻息荒くも笑顔を浮かべて下駄箱へと駆けて行った。
俺はそんな彼女に苦笑いを浮かべたが、それを止めることをしなかった。止めたとしても彼女はさっさと行ってしまうだろうと思ったのはもちろんだけれど、それ以上に俺はこの場に残りたい理由があった。
立花さんが下駄箱の奥へと消えて言ったのを確認してから、間城に向き直る。
「……バイト、忙しいの?」
言うと間城は、苦虫をかみつぶしたような笑顔を浮かべた。
「美香ちゃんだけじゃなく松嶋にも嫌味言われるとはね」
「ごめん、そういうつもりじゃなくてさ」
俺が語尾をすぼませながら言うと間城は小さく手を振ってみなまで言うなと笑った。そしてふうと息を吐くと、少しだけ言い訳がましく呟いた。
「今日は本当にバイトだよ。忙しいって程じゃないけどね」
「そうなんだ」
相槌を打ったけれど、その声からは興味ないという気持ちがにじみ出ていて間城は苦笑いを浮かべた。
「なんか、聞きたいことでもあった?」
「…………」
見透かしたように言われて俺は目を逸らした。それを見た間城はふっと笑うとさっきまでの立花さん同様校舎に背を持たれて言ってみろとばかりに挑発的に微笑んだ。
俺は場所を変えるべきかどうか少し悩む。さすがに昇降口で聞くのは憚られる話題だ。中庭ほどではないけれど昇降口のど真ん中で話すよりかはいいだろうと思ってちょうど影になっていた中庭へと続く側の壁の方に回った。
間城が黙ってついてきたことを肩越しに確認すると振り返りもせずに俯き気味に問う。
「ソウとは、どうなったの?」
「え? 聞いてないんだ」
間城が思いのほか明るい調子で返してきたのに少し驚いて振り返る。見ればその表情も晴れやかなもので、いつかの様な沈んだ気配は感じられなかった。
「えっと、聞いてないけど……」
俺は少なからず戸惑いながらも視線で問う。
結局のところ、二人がどうなったのかは知らないままだ。ソウにそれらしく語られた時に大まかな流れとして話は聞かされたが、それでどんな結論に至って今どういった状況なのかは語られなかった。
だから俺は少なからずずっと気にしていた。気にせざるをえなかった。
お互いの気持ちを理解した二人がどういう結論に至ったのか。
俺の主観で言えば付き合うという結論に至るのは自然なことで、それ以外の答えを出すのが不思議なくらいだったのだけれど、ここ最近の二人の様子を見ていても判断がつかなかった。
ソウと間城は今までと変わらない距離感を保っている。もちろん細かいところまで見れば全く同じというわけではないのだろうが、それでも今までの、友達としての距離感のまま接しているように思えた。前よりも仲が良くなったような気も知るけれど、恋人という雰囲気ではない。
だから、判断がつかなくて。ずっともやもやしていた。
そんな俺のもやもやを感じ取ってくれまいかと少なからず期待したのだが、間城はほわっとした声音であっけらかんと言う。
「付き合ってないよ?」
「あ、そ、そうなんだ」
あけすけに言うから、俺が今まで気にしていたことは何だったんだと言いたくなってしまう。それなのに間城は「あれ? もしかしてうちがビンタした話とか聞いてない?」なんてきょとんとしている。
いよいよ気にかけているのが馬鹿らしくなってきてしまって、俺は苦笑いを浮かべた。
「ビンタしたって言うのは知ってたけど、それ以上のことは聞いてなかったから気になっててさ」
「総に聞けばいいじゃん」
「答えてくれたら間城に聞いてないよ」
俺がもやもやしていた原因の一つがそれだ。もうあの時から二週間も経っているんだ。確認しようとその話題を振ろうとしたことだったもちろんある。真正面から結局どういう状況なのかと尋ねたことだってあった。
しかしソウはそのたびに歯をのぞかせて笑っては俺の話にすり替えるのだ。そうやって話を逸らされてしまうから、もうソウに聞くのは諦めてしまって間城に聞くしかなかった。
他人の色恋に首を突っ込むことほど鬱陶しいこともないとは思うが、あんな話をされてはぐらかされた手前やはり気になってしまうもので、授業中も二人の背中を見ていた。
「まあ、松嶋にはもう一回告るって宣言してたしね。気になるのも仕方ないか」
そんな俺の意を組んでくれたのか、間城は数度頷くとニカっと笑った。
「付き合ってはいない。けど、両思いだって言うのはわかった。だから何だろうね、友達以上、恋人未満、って奴なのかな」
「……そのフレーズいいね」
俺がそんな風に呟いたから間城はプッと噴き出した。
「まあもしかしたらソウに、付き合いたいってもう一回言えば恋人になれるのかもしれないね」
「……する気はないの?」
なんだか間城の言葉から、もう告白はしないという意図が見て取れてそう聞き返した。
すると間城は少し悩むそぶりを見せた。
「んー、なんだろうね。多分ソウはそれを望んでないんだと思うんだよね。ほら、小説が恋人なわけじゃん? 今は、小説に打ち込んでたいんだと思う」
「それなのに何回も告白したんだね」
そんなことずっと前から分かっていただろうにと思うながら少し引き気味に言えば、間城は手刀を振った。
「いやいや、告白するかどうかはうちの自由だからね。それでどうするのかも総の自由。……だから、今は総の気持ちを汲んでやろうかなって思ってさ。それで、総が満足したら付き合うって感じにしたいなって」
「満足したら、か」
なんとなく、その未来が浮かんだ。きっとソウの満足いく結果は、賞に選ばれることだろう。みんなに秘密にしてまでやっていたことだ。意地になっていたと言っていたのもきっとそれが関係しているんだと思う。
ふと、間城はそのことを知っているのだろうかと思って、問いそうになった。
しかし、もしも知らないのであればそれはソウのいない場所で口にしてはいけない気がして苦笑いを浮かべて誤魔化した。
「そんな風に考えられるって、すごいね」
代わりにそんな風に称賛を向けてみる。もちろん苦し紛れの話題転換のために口にしたわけではない。本当にすごいと思って口にした。
けれど間城はどこかからかうみたいに口角を上げた。
「なに、松嶋は待てないってこと?」
「……そういうことじゃないよ」
たははと苦笑いを浮かべて見えもしない部室を見上げてみる。
「心変わりされるとか、そういう不安がなさそうだねって思ってさ」
自分の失敗とも呼べる出来事を思い出して、そう呟いた。
俺は、それで焦ってこの状況を作り出してしまった。もしも彼女がほかの男と付き合ってしまったら。なんて考えたから、俺は焦って、告白して、そして振られた。
間城とは色々な気持ちを共有してきたと思っている。だから、違うところを見つければ気にかかって、それが自分にない魅力と呼べるものであれば思うところもあるのだ。
一言でいえば、羨ましいと思った。
お互いの気持ちを理解しているとはいっても、それは今のことであって永遠ではないのだ。少し前までは付き合えばそれは永遠の愛に代わるんだと思っていたけれど、真琴の話や自分に起きたことを鑑みれば、それが幻想の類であることはもはや語るまでもない。
けれど間城は恋人という形にならずともそれを信じているんだ。お互いの気持ちを理解し合って、わかりあって、そこまでで足踏みしているのに信じることが出来るということが、とても羨ましかった。
だから、ちょっとした妬みも混ざってしまってそんなことを口にしてしまったのだが、それでも間城は気にしたそぶりもなく飄々と言ってのける。
「まあね。今はとりあえず、両思いなのがわかって幸せだから、何でもプラス思考に考えられるんだよ」
そこまで明るいトーンで言い切ると、間城は深く息を吐いて声を落とした。
「松嶋のほうは、どんな感じ?」
「何も変わってない、かな」
苦笑いで返すと間城はこくこくと頷いた。
「まあ、美香ちゃんにかまけてるようじゃそうだろうとは思ったよ」
「間城この話題になるとちょっと言葉に棘混ざるよね」
二年生皆でケーキバイキングに行った時もそうだが、冗談めかしてはいても少し針状なものが混ざっている気がしてならない。
だから俺は肩を落としながら勘弁してくれと頭を振ったのだが、間城はあくまで明るく言う。
「叱咤激励、ってやつだよ。松嶋、一人じゃ歩き出せなそうだからね」
間城はそう言うと、悪戯っぽく笑って見せた。
事実といえばそうなのだけれど、それをこんなにもあっけらかんと言われてしまえば自然と苦笑いも浮かぶもので、俺はぐったりと項垂れた。
「間城のそれ、叱咤しか入ってないよ」
「そんなことないよ」
異を唱えると間城は心外だと言いたげに鼻を鳴らす。俺としては本当に叱られている気しかしないんだと目線で訴えると、間城はそんなものどこ吹く風で笑って見せた。
「まぁ、前まではそうだったかもだけどね。……松嶋、不安でも何かし始めたんでしょ?」
「え? なんで……」
「うちと同じ目をしてるから」
驚いて問い返せば、間城は常識でも語るかのように言ってのけた。
「だから、叱咤激励。頑張りなよ、松嶋」
間城は得意げに言い切ると、手をひらひらと振って俺に背を向ける。別れのあいさつ代わりなのだろう。ソウと同じ空気を感じてそれを理解する。
踵を返した間城は、校舎に戻ろうとはしない。バイトがあるという話を聞いていたので驚きはしない。むしろ俺がこの時間に昇降口付近でうろうろしていることのほうがおかしなことだと言える。
間城はバイトに向かうために校門へと、俺は部活へ戻るとために昇降口へと向かう。
背を向けた間城に別れな挨拶をするかしないかを選ぶだけで、この後の行動は決まっていた。
けれど、俺はそれに背いて、間城の後を追うように一歩踏み出した。
「間城、あの、さ……」
「なーに?」
煙みたいな声で言ったのに、間城はしっかりと振り返ってくれる。
だからはっきりとした声になる様にと心がけて口を開く。
「間城が応援してくれるのは、どうして?」
「くっ、ぷははッ!」
立花さんの時と同じように問えば、間城はおかしいものでも見るかのように体を折って笑った。それはもう転げまわるほどの勢いで。
真剣に問いかけたはずなのにそんな反応をされてしまって、俺は呆気に取られてしまう。
何も言えなくなってしまった俺に対して間城は、笑いが引っ込むのも待たずにひーひーと荒い呼吸を繰り返しながら再び背を向けた。
「じゃね、がんばって」
「え、まし――」
笑いをかみ殺しながら手を振った間城を呼び止めようと声を上げるが、間城はそれを許さないというかのように小走りで去っていく。
「…………またはぐらかされた」
立花さんだけでなく間城にもはぐらかされて、俺は諦めて昇降口をくぐった。
「……あっ」
その時、奥の廊下に永沢さんの姿が見えた。
職員室にでも行っていたのだろうか、階段とは逆側から現れた彼女の少し驚いて声が漏れた。
「ッ……」
その声が、大きかったというわけではないだろう。けれど彼女は俺の姿に気付いて横目ながらも目を見開いた。
すぐに目を逸らされたため、目線は交わっていない。それはニヵ月前から変わらない。
本当に、あのころから何も変わっていない。
あの頃に思ったことも、願ったことも、何も実現できていない。
彼女の横顔をもう一度見ても、当然気まずそうに伏せた瞳が見えるだけ。俺が見たいと望んだ顔は見ることが叶わない。
それを思い出して、俺は手のひらを見つめながら、まだ咲くには早いのかもしれないと、そう思った。