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Primula  作者: 澄葉 照安登
第九章 冬に咲いたサクラソウ
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ゆえに彼女は苛立ち続ける

「先輩、今日何月何日ですか?」

「……一月二十八日です」

 力なく言えば立花さんはそうだと言いたげに大仰に頷く。

「先輩が風邪で寝込んでたのはいつですか?」

「二週間前です」

 俺がそう言うと立花さんはにこっと笑顔を浮かべる。そしてその顔のままこてんと首を傾げて可愛らしく言った。

「なんで何も行動してないんですかね?」

「すみません」

 どれだけ笑顔を浮かべても隠れていない怒気に怯えながら頭を下げると、立花さんは「ふふふ」なんて穏やかそうな笑い声をあげた。

「……面目ない」

 その笑顔がまた恐ろしくて、俺は年下の女の子の隣で消えそうな声で謝った。

 立花さんに呼び出されるなり中庭へと連れていかれた俺は、校舎の壁に寄り掛かる彼女の真隣りで小さくなっていた。

 しゃがんでいるわけでもなければうずくまったりもしていない。目線の高さはいつもと変わらず、肩が触れるほどの距離で隣り合っているだけなのに、俺はただひたすらに自分が小さくなっていくのを感じていた。

 そんな俺に対して、彼女は苛立ちを通り越して呆れてしまったのか俺のほうを向くこともなくため息を吐く。

「できることはやってみるって、先輩が言ったはずなんですけどねー」

「面目ない」

 まるで独り言のように呟いたけれど、彼女の言葉の切っ先は明確に俺に向けられていて俺は三度謝った。

 しかしいくら謝ろうとも彼女の機嫌は直ることは無いし、これまでの自分の行いが変わるわけでもない。彼女は、今一度大きくため息を吐くと指折りで数えるかのように自分のつま先を見ながら体をゆする。

「別に風邪をひいてたのはわかってるのでその間は大目に見ますよ。治ってからも、どうやって距離を詰めるか戸惑うのも私には理解できないですけどー、わかるふりをします。で、も、ですよ! もう一月終わるんでよ! この意味わかってます!?」

「はい、もう一カ月がたちます」

 自分のあまりのふがいなさに肩を落とした。

 クリスマスのあの出来事から、早くも一カ月が経とうとしている。目の前にいる彼女に、諦められないなんて口にしたあの日から。

 それなのに、未だ永沢さんとの関係は進展も後退もしていない。後退したらそれこそ意味がないのだが、それでも変化があれば何かがあったということが否が応でも伝わるだろう。

 しかし、それがないということは、いくら心象に変化が生じても何もしていないのと同じことで。諦めない、できることはやるなんて言葉を直に聞いた立花さんからしたら苛立ってしまうのは無理のないことかもしれなかった。

 苛立ちを露わにした彼女は俺の答えが気に入らないのか両掌で眼を抑えると「あー」と唸り声をあげる。

「ぜっんぜん分かってないじゃないですか」

「え、そういうことで怒ってるんじゃ、ないの……?」

「違いますよ」

 恐る恐る尋ねれば立花さんはぎりっと俺のことを睨んだ。それがまた恐ろしくて後退りそうになりながらも息を呑む。

「えっと、じゃあ、どういうこと……?」

 つっかえながらも尋ねれば、立花さんは先ほどにもまして目つきを悪くした。

「なんで私がそんなこと言わなきゃいけないんですか。自分で考えてください」

「あ、ごめんなさい」

 俺がまた謝れば立花さんは先ほど同様ため息を吐きだした。

「謝って解決するなら別にそれでいいんですよ。解決しないから私はイライラしてるんですよ。謝るくらいならさっさと告るなりなんなりしてくださいよ」

「えいや、俺一回振られてるし、脈絡なく告白なんてできな――」

「ヘタレ」

 ハッ、と吐き捨てるように言うから俺は肩身が狭くなって身震いをした。外気温も相まって露出した掌が痛いくらいに冷たい。

「まあ、先輩が女々しいのは知ってますけど、さすがにうざいです」

「いつもと比べものにならないくらい突き刺さるね」

 多少辛らつな言葉を吐かれることはあったけれどここまであからさまに棘のある態度は初めてで、申し訳なさ以上に戸惑いが大きくなってしまって苦笑いが浮かぶ。

 それを見てさすがに言い過ぎたと思ってくれたのか、立花さんが呼吸を整えるかのごとく大きく息を吐いた。

「まあ冗談はこれくらいにしても、本当に何もしないままでいいんですか?」

「全然冗談に聞こえなかったんだけど……」

 俺は弱弱しく異を唱えるが、そんな声が立花さんの心に届くはずもなくかえって怒りを買う結果となりまた睨まれてしまう。

 俺に苦笑いを返せば立花さんはいよいよ呆れてしまったと言いたげに吐き捨てるような溜息を吐いた。

「とにかく、諦められないなんて言うくらいならなんかしてくださいよ。二人で話すとまではいかなくても挨拶とか目を合わせるとかそんなんでいいんですよ。スマホであけましておめでとう、とかそんなの送るのでもよかったじゃないですか」

「えっと、一応それはやったんだけど」

「よそよそしい感じで返ってきたんですか?」

「そういうことです」

「はぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ…………」

 言うと立花さんは今までで一番大きなため息を吐いた。今日一日どころかこの数分間で彼女が何度呆れ返ったのだろうと思いはしても決してその回数を振り返りたくはない。

「そこからなんか会話を繋げればいいんですよ。お正月の話でも何でもいいじゃないですか」

「あー、えっとそれなんだけど……」

「何て送ったらいいかわからないって奴ですか? どれだけヘタレなんですか」

 俺の思考を先読みしようと割り込んでくる切れ味のいい言葉に苦笑いを浮かべながらも一度呼吸を整える。そしてコートのポケットに手を突っ込んでスマホを取り出した。

 それを見た彼女は何スマホいじってるんだとばかりに訝し気な視線を向けてきたが、俺の操作する手を止めようとはせずにじっと見つめるだけにとどまってくれた。

 俺はそのことに内心で感謝しながらも刺すような視線に苦笑いを返してスマホを操作する。見慣れた緑のアプリを開けばいくつものチャット履歴が表示された。

 俺はそれのうち一つをタップして彼女とのログを表示させる。

 それを立花さんに差し出そうとして、一瞬迷う。

 説明するためには見せるのが手っ取り早いし、過不足なく伝えることが出来ると思う。けれど、個人での会話を他人に見せるのもいかがなものかと思った。見られて困るような会話なんて何もないのだけれど、もしかしたら永沢さんが嫌な思いをしてしまうんじゃないかって、そんな風に思う。

 しかしながら、隣にいる立花さんは退屈そうにはーっと白くならない息を吐き出しているし、あまり待たせるとまた刃のような言葉が飛んできかねない。俺は心の中で永沢さんに頭を下げて隣の彼女へスマホを差し出した。

「こういう、感じなんだ……」

 俺がスマホを差し出せば、立花さんはじーっと画面を見つめる。

 瞳が何度も往復してディスプレイの光を反射する。そんな彼女の様子をじっと見つめながら待つと、彼女はまるで糸が切れたように首を垂れさせた。

「あの、立花、さん? どうし――」

「ぃあぁぁぁぁああぁぁぁ!!!」

「はえ!?」

 俺が話しかけた瞬間、立花さんは頭を掻きむしって奇声を上げた。

「え、ちょ、どうしたの!? 大丈夫!?」

「これが大丈夫に見えるんですか!!?」

「見えてない! どうしたの!」

 声を荒げた彼女と何とか対話しようと俺も同じく声を張り上げて問い返す。すると彼女は奥歯をギリギリと鳴らしながら口の中でぶつぶつとお経を唱え始めた。

「ホントもうマジ何なのめんどくさすぎ二人して何してんのバカじゃないのほんともうイライラして仕方ないしもう嫌になるっていうか私がクリスマス潰した意味理解してないってどういうこと!!」

「立花さん!? 落ち着いて!?」

「落ち着いてないのはどっちですか!」

「立花さんだと思うよ!」

 クリスマスには綺麗にセットしていた髪の毛を振り乱し、あわや自分の手で掻きむしりながらホラー映画のお化けの様な髪形になった後輩を見て、さっきまで感じていたはずの困惑も吹き飛んで彼女のことを心配していた。

 しかし彼女は落ち着くどころか錯乱し続ける。

「なんでこんなことになってるんですか!!」

「いやそれはもう仕方ないんじゃ――」

「何が仕方ないんですか頭大丈夫ですか!!?」

「俺よりも立花さんのほうが――」

「先輩たちの脳みそは何なんですか!? パプリカですか!?」

「立花さん本当に落ち着いて?」

 あまりに話を聞いてくれなくなってしまったので静かに語り掛ける。なにも立花さんがそこまで荒ぶることもないだろうに、と思いながら彼女に突き出したままだったスマホを引き戻す。

 そうしたところで立花さんの目に光が戻り始めたので、苦笑いを挟んでから冷静を心がけて口を開く。

「仕方ないことだと思うよ。やっぱり一回振られちゃってるし、無理に一緒に居ようとしても、もっとぎこちなくなるだけだと思う」

 冷静を心がけたはずなのにその声は憔悴しきっていて、苦笑いを混ぜたはずの頬は涙腺が緩むのを我慢しているみたいだった。

「…………」

 俺の言葉を聞いた立花さんは、電源が落ちたかのように静かになる。返す言葉もないのだろう。当たり前だ。彼女は俺のことを焚きつけようとした側の人間だ。そしてその結果がこれならば、気まずく思うのも無理はない。彼女が責任を感じることは何もないしむしろ諦めなくていいと言ってくれたことには感謝している。あの言葉がなければ俺はとっくに諦めていただろう。

「立花さんのせいじゃないよ。誰のせいでもないんだ、きっと」

 だから俺はそう言って笑顔を浮かべようとした。けれど、頬は引きつるばかりで苦笑い以上のものは出来上がらない。それでも無理に笑おうと力を入れれば手に持ったスマホの縁が手に食い込んだ。

 カバーも何もしていないスマホは冷たく固い手触りで、それが何だか無性に虚しく感じられる。つけっぱなしのスマホの画面には、ついさっき開いた彼女とのチャット履歴がいまも表示されていた。

 初詣の時に部員全員に送った新年のあいさつ。それより前の修学旅行の他愛もない世間話。今月初めにはそれしかなかったはずの履歴には、もう一件メッセージが追加されていた。

『また、部員として仲良くしてもらえるかな?』

 そのメッセージに、返事はない。もう二週間も前に送ったメッセージだけど今なお既読の文字が付く以上の変化は起きていない。

「やっぱり、簡単にはいかないみたい」

「はぁあぁぁぁ……」

 苦笑いを浮かべて言えば、立花さんは大きなため息を吐いた。

「なんか、期待に沿えなくてごめんね?」

 そう謝れば立花さんは俺のことをぎろりと睨んだ。

「何で先輩が謝るんですか。先輩悪くないじゃないですか。……いや間違いなくメッセージのチョイスは最悪ですけど」

「そう、かな……」

「そうですよ。……でも、先輩はそこまで悪くなかったみたいですけどね」

「え?」

 いきなり手のひらを返されて、俺は声を上げた。

 横にいる彼女を見やれば、その視線はなぜだか職員室のほうへと向けられていて疑問が重なる。けれど立花さんは俺が小首をかしげるよりも早く大きくため息を吐くと振り返った。

 そして彼女は今一度ため息を吐く。一瞬俺を睨むような目つきになり、けれどそれを払うかのように頭を振る。いったいどうしたんだと思いながら見つめ返せば彼女は不服そうに唇を尖らせて言った。

「すみませんでしたっ。先輩は悪くなかったですっ。悪いのはあっちの方だったみたいですっ」

「え、あっちって……」

 それが彼女のことを指しているということは、なんとなくわかった。だけどそれを問うよりも前に立花さんは怒りをかみ殺すような声で言う。

「すみませんでした。……そっちは、私に任せてください」

「え、ちょっとま――」

「先輩、簡単に諦めないでください」

 立花さんは怒りをあらわにしながらも、真っすぐに俺の目を見て紳士的に言う。彼女の目を見てしまった俺は言葉に詰まってしまった。

 彼女はそれを無言の肯定とでも取ったのか、背をもたれていた校舎の壁を蹴飛ばすと俺の正面に立つ。すると彼女は精一杯の笑顔を張り付けた。

「とりあえず、戻りましょうか」

「え、ちょっと待ってッ」

 さっさと戻ろうとした彼女を慌てて呼び止める。彼女は振り返ってニコリと微笑んで見せた。

「なんですか?」

「…………」

 俺は、その笑顔が牽制にも見えて一瞬ためらう。けれど確かめなくてはいけない気がした。嫌確かめたかった。不安なままで、それを後押ししてくれる何かがやっぱり欲しくて。だから、大きく息を吸い込んでから、それでも声は大きくならないようにと口にした。

「なんで、そんな風に言ってくれるの?」

「…………」

 俺が言った瞬間、彼女は少しだけ苛立ったように眉を動かした。しかし彼女は小さく深呼吸をすると笑顔を張り付ける。

 そしてその笑顔のまま、今度は声も柔らかく飾りながら言った。

「答え合わせは、卑怯ですよっ」

 柔らかいその声には、二度とその問いをするな、という言葉が隠れていた気がした。


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