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Primula  作者: 澄葉 照安登
第八章 熱が寒空を溶かして
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熱が寒空を溶かして 10

「ねえ、歩いて行ける所じゃないんだけど」

 少し前を歩くソウに恨めしげな視線を向けながらぼやく。しかしソウは楽しげに笑うだけだった。

 ソウに連れられてやってきたのは夏に花火を見に行ったあの河原だ。

 しかし、俺たちが手持ち花火をした場所ではない。駅一つ分離れた花火大会の会場となっていたあの河原だ。

 軽い散歩だと言って家を出たソウはあの後何のためらいもなく駅へ向かって電車に乗り込んだ。その時点で俺は踵を返せばよかったのだけれど呆気に取られているうちに電車に乗るよう催促され、そこからはもう引きずられるかの如くここまで引っ張ってこられた。

 病み上がりの幼馴染になんて仕打ちをするんだと思いながらマフラーに口元を埋める。マフラーの内側で息を吐けば漏れ出した吐息が鼻先にかかって熱を奪っていった。

 俺はマスクをしてこなかったのを今になって後悔して肩をすくめたが、そんな俺に対してソウは上機嫌だった。

「懐かしいな。もう半年も前か」

 言いながら空を見上げたソウだが、その目にはあの夏と同じものは映ってはいない。脳裏に映し出すだけで瞳の中に花は咲かない。

「懐かしむなら一人でやってよ」

 寒さに身震いしながら自分の肩を抱く。マフラーとコートをしっかり身に着けていると言うのにかけらも温かくはない。それもそのはず、すぐ真横から川のせせらぎが聞こえてくるのだ。うだるような夏場で涼を感じたいときにならば打って付けだが、冬本番の一月に河原を歩くなんて拷問だ。それが病み上がりの体であるのならばなおさらのこと。

 俺は今すぐにでも帰りたいと思いながらすがるような声をソウに投げるが、幼馴染はその場で足を止めて川に向かい合った。

「なにする気?」

 ありえないとはわかっているが、もしかして川に飛び込む気だろうかと思ってしまった。

 訝しげな俺の視線に居心地の悪さを感じたのか、頬を少し赤くしたままのソウは苦笑いを浮かべる。

「取材だよ。書けないものがあるときはそうするだろ?」

「詰まってるの?」

 俺がソウの真横に立って問えばソウは「ああ」と白い息で返事をした。

「今度はどんな物語? 童話系?」

 そう問えばソウは乾いた笑顔で「違うな」と答えた。

「異世界転生もの?」

「それを書くのは真琴だな」

「じゃあヒューマンドラマ?」

「恋愛」

「え!?」

 言われた瞬間俺は飛び上がった。その単語が好きとかそういうことではなくて、純粋な驚愕で。

「珍しいね。ソウが恋愛小説書くなんて」

「前にも書いたことあったろ?」

「一~二本ね」

 夏ごろに短編の恋愛小説を書いていたのを覚えているけれど、ソウが書く物語はほとんどが恋愛要素の無いものばかりだった。赤ずきんのおおかみ退治、だなんて童話をモチーフにした物語をよく書いている幼馴染は、進んで恋愛ものを書かない。もし書いたとしてもそれは恋を主軸にしたものではない。

「今度も振られるお話?」

 いつか認識の違いがどうといったコンセプトのもと、絶対にうまくいくようなほのめかしをされた失恋物語があったことを思い出す。

 きっと、ソウは好きだからどうなってという物語を書きたいとは思っていないのだろう。だから俺は冗談めかした声でソウに問いかけた。

「いや、どうするか悩んでる」

 けれどソウは本当に困っているかのような声でそう言った。

 そして続けてもう一言。

「だから恋ってなあに、なんて聞いたんだよ」

「言い方に悪意を感じるよ」

 まるで前のお前はこんなだったぞ、と言われているような気がして顔を逸らしてすねたふりをしてみる。

「新しい考え方みたいなのが訊きたかったってこと?」

 確かソウは前に「こいつのことを守りてえなって思ったらそういうこと」なんて言っていた。そのすぐ後で顔がよければいいなんて最低な言葉を吐かれてしまったせいで悪い印象ばかり残っているが、ソウはソウなりの答えを持っているはずだ。

 だから、自分とは違う考え方を知りたいと思ったのかと思って聞いてみた。

 しかしソウは苦笑いを浮かべた。

「いや、単純にわかんねえんだよ。恋とかさ」

「え、だって前言ってたじゃん。守りたいと思ったらそういうことだって」

「ハルにとってはそうなんじゃねえのかって聞いただけだよ」

 言ったソウは深く息を吐いて自分の掌に視線を落とす。その瞳はどこか先日の真琴と同じように見えて、俺は首を傾げそうになった。

 しかし俺が体を動かすよりも早く、ソウはぼそりと呟いた。

「俺は、恋が出来ねえんだ」

「…………何、それ」

 幼馴染の、自嘲気味のらしくない微笑みに驚愕して眼を見開く。

 するとソウは愛想笑いを浮かべ、ふうと一つ息を吐いてから誰でもない目の前の水面に向けて言った。

「ハル、俺はお前のことが好きだ」

「………………えちょっと待ってえ?」

 突然の愛の告白に驚いて早口になってしまう。けれどそんな俺を置いてソウは続ける。

「マコも、美香も、楓ちゃんも。みんな好きだ。文芸部も大好きだ」

「あ、そういう」

 そういう意味だったのかと思って安堵のため息を吐く。

 すると少し落ち着いた脳内で自分が言う。今更すぎるカミングアウトだと。

 ソウが文芸部を好きな事なんて言われなくてもわかっている。あの中で最も文芸部らしい活動をしているのはソウだし、そもそもあの部だってソウと真琴が進んで作った部活動だ。そしてソウは部長という役職についていて、文化祭だったり歓迎会だったりというイベントごとはいつもソウが仕切っている。今更語られずともソウが文芸部を好いていることはわかり切っている。

 そもそもそう思っているのはソウだけではない。俺だってそう思っているしほかのみんなだってきっとそうだ。そこに例外はなく、後輩の二人も含めてみんな文芸部を好いている。

 しかし、ソウの言いたいのはそういうことではないということが、なんとなくわかった。

文芸部や友達に対しての好きと、異性に対しての隙の違いが分からないということを言いたいんだろう。好きの違いが、俺にはわからないと、そう言っているんだ。

 だから俺はなんと言葉を返せばいいかと悩んだ。しかしその悩む間すら与えてくれずにソウは「でも」と続けた。

「俺は小説を一番愛してる」

「…………」

 それこそ、今更語る必要もなかった。

 ソウが小説を大好きな事なんて周知の事実で。逆にそれ以外で好きなことを探す方が難しかった。

 しかし、だからそれが何なのかと思った。今ソウが知りたいのは好きの違いついてだ。わざわざ小説が好きだなんて話は蛇足にしかならない。

 俺は不可解に思いながらもソウの言葉を待つ。

 するとソウは空を仰ぎ見た。

「文芸部も、部員みんなも大好きだけど、それは結局小説のためで、みんなと一緒に居るのも小説のためなんだ。もちろん何も考えずに楽しく遊んでる時だってあるけどよ、それでもやっぱり思うんだ。一番は小説なんだって」

 言うとソウは自虐するかのように噴き出した。

「それは絶対変わんねえんだってわかるんだ」

「…………それは――」

 お母さんとの唯一のつながりだから? と問おうとした。

 けれどソウは俺が口にするよりも早く心を読んだかのように言った。

「母さんは関係ねえよ。きっかけは確かにそうだったけど、俺が小説を好きになったのは自分の趣味趣向の話だ。小説を好きになったのは誰かの影響でもなくて、俺が自分で夢中になれたからってだけだ」

 そこまで言うとソウは「だから」と結論を語った。

「俺はお前みたいに誰かに真剣に恋できない。かわいい子がいたりしても次の瞬間には小説のキャラクターとしてどうか、とか考えてんだ。俺は、恋が出来ねえんだなって、ずっとそう思ってたんだ」

「…………」

 その感覚は、クリエイター気質ではない俺からしたらよくわからないことのほうが多かった。

 けれど、ただそれを聞いて思うことはあった。

 一番が小説で、それ以上に夢中になれるものも人もなくて、友達ですらその一番の壁には届かない。それはわかったしソウが小説に対して真摯に向き合っていることを知っていたからショックでもない。

 でもだからこそ、思った。

 二番目には何があるのかと。そこには、誰がいるのかと。

 忘れてなんかいなかった。江ノ島へ出かけたとき、間城にかかってきた電話が誰のものかと予想していた時、ソウが息を止めた様な顔をしていたことを。そしてついさっき、好きだと語られた人の中に彼女の名前がなかったことも。

 ずっとそうなんじゃないかとは思っていた。修学旅行の告白の一件からずっと。

 あの時のソウは余計な気を遣わせてしまった申し訳なさよりも、どうしたらいいのかわからないという困惑の表情をしていたから。

 一番は変わらないのかもしれない。それだけのめり込んだ趣味からはどうやったって抜け出せないのかもしれない。

 けれど今のソウは一番しか見えていなかった。

「ねえ、ソウ。多分ソウはさ――」

 うまい言い回しが思いつかなくて、正直に彼女のことが好きなんだと思う、と口にしようとした。けれどそう言いかけたところで、ソウは打って変わって明るい声を出した。

「って話をしたらよ、ビンタ食らったわ」

「え? ビンタ?」

 呆気にとられた口を開けるとソウはほのかに赤くなっている頬を乱暴に擦って笑った。

 その頬の赤みはビンタされたことの名残だとでもいうのだろうか。俺はてっきり寒さのせいで赤くなっているものだとばかり思っていたのに、それは違うとソウは続ける。

「うちの気持ちを舐めないでよ。だってよ。一番じゃなきゃいけないなんて言ってない、なんて言われて両頬ビンタ食らったわ」

 左右平等に赤くなっている頬は、やはりビンタされた跡には見えない。寒さに抵抗しようと体が体温を上げているのではないかと思ってしまう。

 けれどソウは一人納得したように息を吐いた。

「結局は、意地だったんだろうな。小説以上に大切にはできないから、その程度にしか愛せないなら、答えられないってさ。気持ちに気付いてても、知らないふりしてたんだよ」

「知らないふりって……」

 どっちの意味だろう、と思った。

 間城に気持ちに気付いてたことに対して? それとも――。

「自分の気持ちにだよ。意地だって言ったろ」

 ソウは恥ずかしそうに苦笑いを浮かべながら、隠すようなそぶりは何もなく言った。そしてまたすぐに頬を抑える。

「ほんと、情けねえよな。人の気持ち知ったような顔して、それに答えられねえなんて悟ったふりして挙句これだ。……なあハル」

「なに?」

 ソウが俺の名前を読んだから反射的に返事をした。

 ソウのその呼びかけが、今から結論を語るぞと言っているようで。今までの話はただの前口上だと言っているようで。妙にしっかりと返事をしてしまった。

「お前も、こうなるぞ。悪いものしか見えてないと」

「…………」

 そんな俺に、ソウはやはり目も合わせずに言う。水面を見つめたままのソウは、顔をうつむけた俺よりも少しだけ遠くを見ているようだった。

「信じてみろよ。もう半分は気付いてんだろ?」

 主語は含まれていなかったけれど、ソウが何を言いたいのかはなんとなくわかった。そもそも、そんな風に言われれば察してしまう。気付いてしまう。そんな、前を向けと言いたげな声を聞いてしまえば。

 今更気付いてるも何もない。あれだけあからさまな応援をされてしまえば思わずにはいられない。

 もしかしたら見込みがあるのではと。

 俺が振られたことをみんな知っているのに、みんなして諦めるなと言いたげに背中を押してくるんだから思わずにはいられないだろう。

 立花さんも、間城も。ソウも、真琴でさえも。諦めるのは間違いだと言うように俺に言葉を投げてくるんだから。

 俺は、頷くべきかと思った。ソウの言葉は問いかけの体をなしていたから。けれど、頷くには少しだけ勇気が足りなくて、俺はぽつりと呟いた。

「……ねえソウ。昨日お見舞いに来た?」

「んや? 昨日は行ってねえけど……?」

 ソウは本当に心当たりがないと言いたげに首を傾げた。水面に映ったソウの表情も困惑に揺れている。

「…………うん」

 揺れるソウの隣には、口元を緩ませた自分が映っていた。

 もしかしたら、と思わずにはいられなかった。

 真琴でもなくて、ソウでもない。母さんならば声くらいかけるだろう。

 ならばあのスポーツドリンクは誰の持ってきてくれたものかと考えれば、彼女の姿が浮かんだ。

 彼女が一人で俺の家まで来るなんて考えにくいし、もし仮に来ようとしてくれたとしてもたった一度、それも見通しの悪い雨の日の夕方に行ったきりの場所だ。迷わずたどり着けるなんて考えにくい。

 けれどそんな気がした。あの時なぜかそんな気がしたから。もしもそうならと思った。

 だから願望を込める意味も込めて、俺は少しだけ顔を上げながら息を吐いた。

「そっか」

 水面は揺れ続けていたけれど、少しだけ先のほうまで見えた。


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