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Primula  作者: 澄葉 照安登
第八章 熱が寒空を溶かして
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熱が寒空を溶かして 9

 誕生花の図鑑を読んだあと、スマホでプリムラについて調べた。

 部誌に掲載する作品を書くためにプリムラという言葉を使いはしたけれど、その花について調べたことは一度もなかった。

 調べてみると、プリムラと言ってもその中でさらに種類があるらしい。中国原産のものやヨーロッパ原産のものもあって、プリムラと一括りに口にしてしまうにはいささか種類が多すぎた。その種類ごとに花言葉も違って、掲載されているサイトによっても微妙に異なっていて諸説あると言っていた真琴の言葉を何度も思い出した。

 ただ原産国や呼び方に多少の差はあれど真琴の言ったように、プリムラは冬から春にかけて咲く花だということが分かった。

 もちろん、真琴がその知識をひけらかしたかったわけではないことくらいわかっている。けれど、自分で確かめてみるまでは半信半疑だった。

 自分で調べてみて、真琴の言葉の中に嘘らしい嘘が何も隠れていなかったことを理解した俺は深く息を吐いた。そしてスマホの画面を隠すようにベッドへ置くと、自分の脇のところから計測が終わったことを訴える声が聞こえた。

「……熱下がったんだ」

 取り出してみてみれば、つい昨日までは高熱を記録していた俺の体温はすっかり平熱へと戻っていた。

 みんなのお見舞いのおかげだろうか。一昨日三人相手に会話をした後ベッドに倒れ込んだことなんてとうの昔のように感じる。昨日と一昨日の間に何か大きな違いがあるのではないかと思う程度には極端な回復傾向だった。

「お礼言わないと」

 三人にはもちろんなこと、休日にわざわざ外出してお見舞いに来てくれた真琴にも。そしてその中でも最も頻繁にお見舞いに来てくれたソウにはこれ以上の無い感謝を伝えなければならない。

 俺は何か簡単なものでも奢ってやろうかなと思いながら体温計のデジタル表示を消した。

 そうした時、まるでタイミングを計ったかのようにドアが開く。ノックもしない無遠慮な輩は誰だろうなんて考えるまでもない。

 俺はその相手を邪見にするでもなく迎え入れる。

「今日も来てくれたんだね」

「……よくなったのか?」

 ダウンのポケットに手を突込んだまま、寒さに頬を赤らませて部屋に入ってくる。はあと吐きだした息はきっとさっきまで真っ白だったのだろうが、俺の部屋では色がつくことは無い。

「ソウたちのおかげだよ。ありがとう」

「みんなに言っとけ」

 ソウは言いながらベッドの横まで歩いてくる。病み上がりとはいえ体調が回復した俺が布団にくるまったままというのも変な感じがして、羽毛布団を押しのけるようにして這い出る。

 ベッドの縁に座ってつま先を遊ばせればソウが目の前で胡坐をかく。床に座った幼馴染はポケットから出した手を着くと脱力したように仰け反った。

「寒い中来たってのに完全回復じゃねえか」

「さっきまで布団にくるまってた人なんだけどね」

 言いながら俺はパジャマの袖を見る。適度に汗を吸ったパジャマは俺が眠っていた証拠に不思議なしわを作っていた。

「着替えたらどうだ?」

「そうだね」

 来客の手前パジャマ姿と言うのも落ち着かない。俺は立ち上がってベッドの下部分のタンスを開けて適当に服を見繕う。するとソウがうわ言のように言った。

「そういや金曜さ。美香ちゃんが、ハルが風邪ひいたのは俺のせいだ、みたいなこと言ってたんだけど誤解解いてくんねえか」

「なんでそんな話になったの」

 苦笑いで返しながら着替え始める。肌が露出した瞬間一気に寒気を感じて俺は手早く着替えをすませる。

「初詣とか行ったりしたろ? あの辺俺が言い出しっぺだって言ったらそうなった」

「普通に誤解解けばいいのに」

「解こうとしたんだけどよ、結局俺のせいって結論にたどり着くんだよな」

「あー、なんかその光景が目に浮かぶよ」

 立花さんは普段でこそ溌溂とした年頃の女の子という感じではあるが、時折真琴とも口喧嘩できるのではないかと思うようなぐさりと刺さる小言を口にすることがある。クリスマスの時のあれはまた違うにしても、その前からたまにそういう鋭い一撃を浴びてきたからそういう姿は容易に想像がついた。

「ケーキバイキングはユサ主催だって話もしたんだけど、結局俺のせいって言われるんだよな」

「嫌われるようなことしたの?」

「心当たりはねえけど嫌われてんのかな、とは正直思う」

 そう口にした総だけど歯をのぞかせて笑っている姿を見るにかけらも思ってはいないだろう。そう思いながらパジャマをひとまとめにするとソウがあっと声を上げた。

「そういや、昨日マコは来たか?」

「来たよ」

 俺が答えるとソウは安心したからなのか、吐息を混ぜながら「そうか」と口にした。

 お見舞いに来ないとでも思ったのだろう。まあ面倒くさがりな真琴だからそう思われても仕方がないかと思って曖昧に苦笑いを浮かべておいた。

「まっ、マコはお見舞いらしいことしてなさそうだけどな」

「ソウも人のこと言えないでしょ」

 言えばソウは笑ってごまかした。そして表情のまま立ち上がると学習机の前に座る。見ればソウはダウンのポケットからもはや見慣れた小さなノートを取り出した。

「言ってる傍からだね」

「治ってんだから見舞いも何もねえだろ?」

 ニカッと笑ったソウは俺に背を向けると学習机に向かい合ってしまった。かすかに鉛が紙を擦る音が聞こえてくる。

「また何か思いついたの?」

「まぁ、そんなとこだな」

 ソウは俺の問いにうわ言のような抑揚の無い声を返す。早速集中し始めたのだろうか。幼稚園以前からの付き合いにしても馴染み過ぎだ。ベッドが二段ベッドなら俺とソウ二人の部屋だと言われても不思議はない。

 そう思って趣味に没頭するソウの背中を見ていると、さっき同様うわ言のような声が飛んできた。

「なあ。前にハルが恋ってなにって聞いてきたの覚えてるか?」

「覚えてるよ」

 覚えてるどころか忘れられるはずもない。いい意味ではなく悪い意味で。思い返せば俺はなんて質問をしたんだろうと恥ずかしくなってしまう。

 苦笑いを浮かべる俺に、ソウは続けて問うてくる。

「ハルは、恋って何だと思う?」

「意趣返しのつもり?」

 変ないじわるをするものだなと思いながら返せば、ソウは「んー?」と曖昧なうめき声をあげた。

「まあとりあえず答えてくれよ。今なら答えられるだろ?」

「はいはい」

 取材か何かのつもりなのだろう。シャーペンを動かす手は一切止めずに問いかけてくる。

 俺はそんな質問を後輩二人にもしたことがあったなと思いながら自分なりの答えを探す。

 好きな相手は誰かと問われるのならば浮かぶのは彼女だけだ。恥ずかしさで口ごもったり口を噤もことはあるだろうが、考えなくても答えは出る。

しかし恋とは何かという漠然とした問いになるといささか違う。浮かんでくるのは彼女と共に歩んだ記憶はもちろんなこと、それ以外にも悩んだこと、期待したこと、怒られたことなど彼女のこと以外のことも浮かんでくる。

 それら一つ一つを鮮明に思い出しても、言語化するには少し時間がかかる。

息を吸って、吐いて。そんな当たり前の動作を意識するくらいにはいろいろなものに意識が取られた。後輩二人の答えを思い出して、それと同じようなものを自分に当てはめようとしたけれどうまくはまってはくれない。

 自分は何て難しい問いを投げたのだろうと思いながら悩むこと暫し。ようやく出てきたのは、いつからかずっと俺の中にあったものだった。

「永遠を信じられて……信じたくなるようなもの。かな」

 恋に恋い焦がれていた時から思っていたことだけれど、少しだけ違っていた。

 信じられる、ではなく信じたくなる、が当てはまると思ったから。信じることができるのならばそれが一番で、俺の求めた理想の形だとは思う。けれど不思議と信じたくなる、のほうが気持ちとして当てはまる気がしてそう口にした。

「運命、ではないんだな」

 するとソウは抑揚は希薄ながらに驚いたように言った。

「うーん……そうだね。それは憧れかな」

 自虐的に笑って言えばソウはまた曖昧に「ほっか」なんて返事をした。

 そんなソウの背中を見ながら、俺はふと思う。ソウがこんなにもプロットに向き合っている姿を見るのは初めてだと。

 もちろん文芸部の部室でそういう姿を見ていないわけではない。自宅にいるときのソウがどんな状況かまで事細かには知らないが、俺は今までさんざんソウの書いた小説を読んできた身だ。それこそいつそんなに各時間があったんだと問いたくなるくらい。だから気分が乗ったときは徹夜で執筆にいそしんでいるソウは、自室にいるときはほとんど小説のことを考えているんじゃないかと思う。

 だから、初めてではない。だけれど、初めてだった。ソウが俺の部屋に来てまでこんなにも真っすぐ小説に向き合っているのは。

 いくら気心知れた仲と言っても同じ家に住んでいるわけではないのだから言葉も交わさない熟年夫婦のようなやり取りをしているわけではない。いくら普段から小説のことで頭がいっぱいなソウであっても俺や真琴と一緒に居るときは俺たちのほうに顔を向けて喋っていることのほうが圧倒的に多かった。多分部活中を除いて今のようにプロットを熱心に書いている姿を見たのは修学旅行くらいのものだと思う。

 だから俺は少しだけ珍しい光景だな、なんて思いながら鉛を擦り続けていた幼馴染の背中を見ていた。

 しかしそれも永遠には続かなくて、切りのいいところまで書いたのか、はたまた詰まってしまったのか。ソウが両手を天井に突き出して「んー」とうめき声をあげるとこちらに振り返る。

「ハル、出かけねえか?」

「え?」

 いったい何を言っているんだと思った。ソウはお見舞いに来た身だから体の心配はないのかもしれないが、俺はついさっきようやく熱が下がったのを確認したばかりだ。

 小説のことを考えすぎて記憶が混濁してしまったのかと思いながら訝し気な目を向けると、ソウはニカッと笑った。

「あんま遠くには行かねえって。散歩だよ。ハルも寝っぱなしで体変になってんだろ」

「…………まあ、少しくらいならいいけどさ」

 その場で足踏みしながら体の調子を確かめれば確かになまってしまっているのか動きが鈍く感じる。

「軽く歩こうぜ」

「病み上がりなんだけどね」

 そう言いながら苦笑いを返せば、ソウはニカッと笑って外へと向かった。


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