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Primula  作者: 澄葉 照安登
第八章 熱が寒空を溶かして
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熱が寒空を溶かして 7

  懐かしい匂いがした。昔と言うには新し過ぎるほんの少し前に嗅いだはずの匂い。

 不思議とそれは雨空を連想させて、脳内でノイズじみた音が響たせいで瞼を開けた。

「起きたか」

「え?」

 自分の視界に天井が映った瞬間そんな声が聞こえて振り返る。

 枕に頭を擦りつけながら横を向けば、椅子に座って冊子を手にしている真琴の姿があった。

「あ、真琴か……」

 俺は安心半分落胆半分に吐き出す。真琴はそんな俺に対して見ればわかるだろと言わんばかりにため息を吐いた。

「よく寝てたな」

「結構前からいたの?」

「これ読もうと思うくらいには」

「起こしてくれてよかったのに」

 秋に文芸部で作った部誌を掲げる真琴に苦笑いで返す。すると真琴はふっと息を吐くと会話の流れも無視してどうでもいいことのように呟いた。

「体調、よくなったみたいだな」

「え? ……あー」

 言われて、自分の体がいくらか軽くなっていることに気付く。

 上体を起こしてみても体に残っただるさは昨日までとは比べ物にならないほどに軽いものだった。

「ずっと寝てたからかな」

 そう言いながら体を伸ばす。やっぱり体が軽く感じる。比較でしかないけれど昨日までとは大違いだった。

 そう思っていると真琴が俺のもとまでやってきて体温計を差し出す。

「測ったらどうだ?」

「うん、そうだね」

 素直にそれを受け取ってスウェットの首元から脇に差し込んだ。脇に挟んだ体温計が少し冷たく感じたがその事とは関係の言ことでも少し驚いた。

「本当に来てくれたんだね」

「どういう意味だ」

 笑顔を混ぜながら言うと真琴は少し気に食わなかったのか半眼で言った。

「休みの日にわざわざお見舞いに来てくれると思わなかったからさ。面倒くさがってこないんじゃないかって思ってた」

「大人数で押しかけるのは迷惑だろ」

「そんなことないよ」

 そう喋っているうちになんだか喉がカサカサになってきて、飲み物は置いていなかったとキョロキョロする。

 熱を放出するために体中の水分が抜けてしまったのだろう。スウェットは汗でべたべただ。張り付く服と籠った湿気と熱が少し気持ち悪くて布団を足で押しやる。そしてそのまま一仕事終えたとばかりに額の汗をぬぐおうとした。

 しかし、汗だくの体とは違って顔の周りには汗が浮かんでいなかった。もちろん触れれば汗をかいた名残が残ってはいるのだが、雫としては一滴たりとも残っていない。

 自分の体を不思議に思って額から首筋まで指を合わす。それに従って視線も映っていく。

「あっ」

 そうして首を傾げたところでベッドのすぐ下にビニール袋があるのを見つけた。手を伸ばしかけるがそれが誰の持ってきてくれたものかわからずに一度手を引っ込めた。

「真琴、何か買ってきてくれたの?」

「俺じゃない」

「え? そうなの?」

 問い返すと真琴は何度も言わせるなと言いたげにため息を吐いた。

 真琴じゃないならソウかまたは母さんだろうか。そう思ったが確認もできず、許可を取るべき相手もわからなかったのでそのビニール袋を掴んで持ち上げる。中身はスポーツドリンクだった。

 もう一度真琴に買ってきてくれたのかと視線で問いかけてみるが、お見舞いにやってきてくれたはずの真琴は興味なさそうに部誌をパラパラとめくっていた。

 真琴でないというのなら母さんか誰かだ、後でお礼を言おう。そう思って俺はペットボトルを取り出してキャップを鳴らす。一口煽れば冷たい感触と塩分に刺激されてせき込んでしまいそうになった。

「……それ、ソウが持ってきたやつだね」

 せき込みそうになったのを誤魔化しながら真琴の手元へ目をやれば、真琴は手に持っていた部誌を一瞥してぼそりと言った。

「余ってたからな。……なんでこれ選んだんだか」

 くるりと部誌を裏返した真琴は呆れたように嘆息すると表紙を捲った。表紙の裏には目次が記されている。そして作品の中で一番最初に記載されているのはソウの作品だ。

「ソウのを読んでたの?」

「お前の読んでた」

 問えば間を開けずにそう返ってきた。ソウの小説を読んでいるものだと思っていたから俺は少し驚いた。

「あ、そうなんだ」

「お前のは俺が清書したわけじゃないからな」

「あー、そういうこと」

 言われて、文化祭の時の真琴に清書作業を投げ出されたことを思い出す。俺と立花さんの作品を除いてすべての作品を真琴はデータ上に打ち直してくれたのだ。

 だから、当然と言えば当然なのだけれど、真琴は俺の作品に目を通していなかったらしい。文化祭からしばらくたっているからてっきり目を通したものだと思っていたが、思い返してみれば真琴に部誌の件で何かを言われたことは無かった。

「あんまり出来よくないでしょ」

 初めての作品で、時間だって余裕があるとは言えなかった。完成度云々の話になればあまり褒められたものでない自覚もある。だからあまりいい言葉は出てこないだろうなと思って先んじてそう口にする。

「まあ初めてだしこんなもんだろ」

 その予想に違わず、真琴はフォローするでもなくあっけらかんと言った。

 真琴踵を返して部誌を学習机の上に置く。そして俺に背を向けたまま呟くように言った。

「本、役に立ったか?」

「誕生花の図鑑?」

 俺が問い返せば真琴はこくりと頷く。

「役に立ったと思うよ。それがなければ書けなかったと思うし」

 お礼の意味を込めて笑顔でそう口にしたのだが、背を向けた真琴にそれが届くはずもなく悪友はぶっきらぼうに「そ」と単音で返事をした。

 お見舞いに来たてくれたはずなのに、ソウだけでなく真琴まで気遣うそぶりも見せずに平常運転なのかと思って苦笑いが浮かぶ。とはいえ今更だ。真琴がぶっきらぼうな態度をとり続けることに何ら不思議はない。

 俺は苦笑いを浮かべながらも安心して深く息を吐いた。

「……真琴?」

 それなのに、振り返った真琴はどこか悩むように眉根を寄せた。真琴はもともと目つきが悪いから普段通りにしていてもときおり睨んでいるんじゃないかと疑ってしまいそうなときがある。だから、見方によればそれは睨んでいるようにも見えたんだと思う。

 けれど、それが俺には悩んでいるように、迷っているように見えた。

 どうかしたのだろうかと思って真琴の返事を待つ。けれど真琴は難しい顔をするだけで何も答えない。言葉数が少ないのはいつものことだけど少し様子が変だ。不思議に思った俺はもう一度真琴の名を呼ぼうとした。

 けれど、その時、真琴はぼそりと言った。

「永沢を、もとにしたんだな」

「…………うん」

 言われて、学習机の上に置き去りにされた部誌を見つめた。

 俺の書いた物語は永沢さんを主人公とした物語だ。名前こそ変えているが読めばすぐに気付かれてしまうのはわかり切っていた。それほどまでに永沢さんを思いながら書いた。

 とはいえ、当初の予定通り恋愛物語、とはいかなかった。もし仮に恋愛物語を書いていたとしたらそれは俺の欲望をそのまま形にしただけの物語になっていただろうし、そんなものを書いたところで部誌に乗せようなんて思うはずもなかった。

 俺が書いた物語は、主人公の女の子が前に進むための一歩を踏み出す物語だ。

 部活内でいじめにあった女の子が部活をやめて、気力なく過ごすシーンから始まる。登場人物は主人公の女の子ただ一人。ほかに出てくるキャラクターは全部名無しだった。

 物語はとてもシンプルで短い。その少女は小さなきっかけでもう一度人を信じるために新しい部活に入ろうと決意する。不安に思いながら、それでも希望を信じて。

 物語のラストは、入部届を出した少女が新しい部室のドアに手をかけるシーンだ。そこで物語は完結する。

 そんな程度の短いシナリオだった。

 それは言わずもがな、永沢さんの経験をもとにさせてもらった。本人の許可を取ってはないけれど、そのことを根掘り葉掘り尋ねたわけでもないけれど、そんな物語を部誌に掲載した。

 もともと、そこまで彼女の出来事とシンクロさせるつもりはなかったら許可を取らなくてもいいかなと思っていたから許可を取ろうとも思っていなかった。けれど題材の一部にしてみようと思っただけだったはずなのに、書き上げた物語は完全に夏前の彼女を連想させる物語となってしまった。

「簡単に気付くよね」

 自嘲気味に笑って言えば、真琴はベットのすぐそばまで寄ってきて、俺に背中を向け、ベッドを背もたれにして床に座った。

「真琴、どうし――」

「悪かった」

 不思議に思って真琴の顔をのぞき込もうとした瞬間、俺を遮るように真琴が言った。俺はとっさのことで体が動かなくなってしまって相槌も打てなくなってしまう。

 すると真琴はもう一度、振り返りもせずに言った。

「邪魔して、悪かった」

「…………」

 いつかも、そんな風に言われたことがあった。

 いつかなんて言うほど昔ではなくて、一カ月もたっていないほど最近のことだった。

「前も、そう言ってたよね。どういうこと?」

 顔を合わせたがらない真琴に合わせて俺も天井を見上げながら問う。興味なさそうな体を装って問いかける。

 すると真琴は幾ばくかの間をおいてからぼそりと言った。

「修学旅行の時から、邪魔ばかりしてた」

「……それは……」

 言われた瞬間に修学旅行の時のことを思い出した。修学旅行最終日の早朝。日の出を見たあの瞬間を。真琴に、お前のそれは好意じゃないと吐き捨てられた時のことを。

 けれどそれが浮かんだからこそ、俺は真琴にそう言った。

「でもそれは、真琴が思ったことを口にしただけで、悪い事なんて何もしてないよ?」

「…………思ってなかった」

「え?」

 吐息に混ざった言葉を理解できなくて、俺は問い返した。真琴はすぐに繰り返してくれる。

「思ってなかった。そんなこと」

「……どういうこと?」

 わけがわからなくて聞き返した。真琴が何を言いたいのかわからなかった。

 すると真琴はため息を吐いてからぼそぼそと言う。

「前にも話しただろ。中学の頃の話」

「覚えてる、けど……」

 俺と出会う前の真琴の話。まだ恋を切り捨てていなかった頃の真琴の話。あの話は簡単に忘れられるようなものではなかった。

 初めてできた恋人に振られ、挙句その相手はその後短期間で大勢の男子と付き合った。あんな衝撃的な話を忘れられるはずがない。

 もしかして、その時の話の補足か何かだろうか。そう思って耳を澄ます。けれど、真琴の口からは吐き捨てるような言葉しか出てこない。

「俺は、簡単にどうでもよくなる気持ちが嫌いだ」

「…………」

 前にも聞いた言葉だった。

 俺のことを、言われている気がした。

 俺は諦めたわけではないけれど、諦めようとはしてしまったから。だから真琴が俺のことを責めているんじゃないかって思ってしまった。

「真琴は、簡単に換えがきく恋愛が、嫌いなんだよね。……簡単に諦められる程度の気持ちが、嫌いなんだよね」

 自分が小さくなっていくのを感じながらも最後まで言い切る。

 なんとなく、続く言葉は想像できた。結果を見て見ろと言われるんだろう。結局うまくいかなくて、諦めかけて、周りを巻き込んで巻き込んで、今なお何一つ成果らしい成果は無いだろうと。

 ならばその気持ちはやはりその程度何だろうと。そんな風に言われる気がした。

 けれど真琴は頷きながらもぼそりとこぼした。

「そうだけど、そうじゃない」

 行動と言葉何一つ嚙み合わせることなくそう呟いた。

 なぞかけのような言葉に困惑しながら真琴のことを見つめる。けれど見えるのは漆塗りのような髪の毛だけ。表情が見えることは無い。

 だから俺はのぞき込もうとした。いつもよりいくらか覇気のない。何もかも断言するかのごとく自信満々に言葉を吐いてきた真琴のどこか弱弱しい態度に、声に、不安を感じて。

 けれど、それをするよりも早く、真琴はぼそぼそと喋り始めた。

「俺が嫌いなのは、簡単に乗り換えれる誰かじゃない」

 悔やむように、懺悔するように。重々しい口調で言う。それのせいというべきか、おかげと言いうべきか。顔は見なくとも真琴の表情らしいものが理解できた。

「簡単に諦める誰かが嫌いだったんじゃない」

 そこでいったん言葉を区切った真琴は、一瞬振り向くようなそぶりを見せる。しかし結局それは途中で止まって背中を向けた体制に戻ると、かみ殺すような声で言った。

「悪かった、陽人」

「……どういうこと、真琴」

 いつかもしたように、なるべく優しい声音を心がけて真琴に言う。すると真琴は膝を抱えるかのように背を丸め、肩を強張らせる。

 そのまま静かに深く息を吸うと、真琴は心底口にしたくなかったと言いたげにかすれた声を吐き出した。

「俺は、簡単に諦められた自分が大嫌いだったんだ」


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