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Primula  作者: 澄葉 照安登
第八章 熱が寒空を溶かして
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熱が寒空を溶かして 6

「三学期早々何してるんですか先輩」

「あはは……」

 翌日の夕方、後輩にたしなめられた俺は何も言えずに苦笑いを浮かべていた。

「冬休み何してたの松嶋?」

「バイトです」

 同級生唯一の女子はきょとんと首を傾げて尋ねてきて。

「叱られてるみたいだな」

「みたいと言うか、半分叱られてる気がするよ」

 幼馴染は面白いものでも見ているかのように歯をのぞかせる。

 三者三様の部員たちに気圧されてしまい、自分の部屋にいるはずなのになぜか居心地が悪くて苦笑いしか浮かばない。喉の渇きを感じるのに枕元のペットボトルに手を伸ばすのもはばかられてしまう。

 そんな俺を威圧したいわけではないだろうが、立花さんがずいっとにじり寄ってきた。

「そんなに休みなかったんですか?」

「ちょっと、立花さん近いよっ。風邪うつるからっ」

 マスクもつけずにベッドに手をついて顔を近づけてくるから、俺は反射的に口元を抑えてのけぞる様に彼女から距離を取る。

 しかしそれを曲解した立花さんが呆れたようにため息を吐いた。

「何気にしてるんですか、照れてる場合じゃないですよ」

「いやそうじゃなくてっ、風邪うつるからッ」

「あ、そういうことですか。大丈夫ですよ、先輩じゃないんですから」

 俺の胸中を理解してくれたらしいが、立花さんは一言大きめに余計だった。

 いつにもましてグサグサと刺すような言葉を投げつけてくる後輩に思わず苦笑い。それを見たソウは「仲いいな」なんて他人事のように呟いている。

「先輩、まだ熱下がってないんですか?」

「まだ全然よくならないよ」

 ため息と当時に体温を吐き出して言う。

 それを見た立花さんは少しだけ不安そうな顔を見せるとため息を吐いた。

「本当に、何してるんですか先輩」

「……返す言葉もないよ」

 苦笑いで答えれば立花さんはもう一度ため息を吐いた。

 きっと彼女は風邪をひいたことに対して呆れたのではないだろう。風邪をひいて、行動できなくなったことにため息を吐いたのだと思う。だから、何も言えなかった。

「今何度ですか?」

「八度六分」

 俺が答えるとソウが「マジかよ」と声を上げた。

「昨日よりも悪化してんじゃねえか」

「誤差の範囲内だよ。それに朝測ったから今は――」

「ふらついてねえか?」

「あはは……」

 言っているうちにベッドに手をついたことに気付いたのだろう。ソウが訝しげな瞳で俺の手元を見る。俺はただ苦笑いを返すしかできなかった。

「早く帰った方がいいか?」

「いや、大丈夫だよ」

 三人とも申し訳なさそうな顔をしたからそう答えてしまったが、風邪をうつしてしまう可能性がある以上早めに帰ってもらうに越したことは無かったかもしれない。

 数秒遅れてそんな風に後悔してみたが、それで自分の口から出た言葉が戻ってくるわけでもない。力のない笑顔を浮かべたころにはまた立花さんが口を開いていた。

「インフルではないんですか?」

「うん、インフルエンザではないよ。もしそうならお見舞い来ないでって言うよ。ただの風邪」

「それにしては重症ですね」

「普段風邪ひかないから、ひいた時はこんな風になっちゃうんだよね」

 苦笑いを浮かべて、前に風邪をひいたのはいつだったかと記憶をたどる。高校に入ってからは風邪をひいた覚えはないし中学のころだろうか。その時も本当にただの風邪なのかと言いたくなるような高熱にうなされた覚えがある。

 その時のつらい経験を思い出したせいで重々しいため息が漏れた。

「総先輩にも聞きましたよ。本当に辛そうですね」

 それを見た立花さんがどうでもいいことのように呟くと、部屋に入ってきたときから手に持っていたレジ袋をガザりと鳴らして俺に突き出した。

「先輩、甘いものって苦手じゃなかったですよね? とりあえず無難なもの買ってきました」

「ありがとう」

 レジ袋を受け取りながら中身を見れば、そこにはオレンジのゼリーとスポーツドリンクが入っていた。

「なんかごめんね。買ってきてもらっちゃって」

「別に頼まれたわけでもないですし気にしないでください。三百円で買えるので」

 そう言うと彼女はにこりと笑った。俺はもう一度ありがとうと呟いてからそれを枕元に置く。

「えっと、クッションとかないけど座って?」

 おずおずと言えば、俺の部屋に来慣れているソウは学習机とセットになっている椅子を引きずってくる。ソウが視線だけで誰か座るかと問えば立花さんが笑顔で腰を下ろした。

 ソウは立花さんの隣で胡坐をかく。それに少し遅れて間城がソウの隣で体育座りをした。

「部活休んでまでお見舞い来てもらってごめんね」

 三人の顔を見ながらそう口にすれば、ソウが笑顔で手刀を振った。

「もともと部活らしいこともやってねえだろ? 文化祭も終わったんだからよ」

「そうですよー」

 何をいまさらなんて顔で口にしたソウに同調して立花さんも笑顔を浮かべる。

「文化祭も終わったんですからもう小説書けなんて言われないですしね」

「そういう話じゃないと思うよ」

 ふふんと得意げに言い放った立花さんに苦笑いを浮かべるとソウが思い出したようにあっと声を上げた。

「あ、そういやハル、これお前持っとけよ」

 そう言ってソウが鞄から取り出したのは秋に俺たちが作った部誌だった。

「え、なんで?」

 受け取りながら不思議に思って首を傾げるとソウは笑顔で答えた。

「いや、部誌のあまりが多いからそれぞれ記念に一冊づつ持って帰らせようと思ってな」

 笑顔で答えたソウだったがその隣にいる立花さんは嫌そうな顔をした。耳を澄ましてみれば「別にいらないんですけどね」なんて呟きが聞こえてきて苦笑いが漏れる。

「まあ、持ってていいってことなら」

 せっかく自分たちで作ったものだ。記念に取っておくと言うのも悪くない。そう思いながらホチキス止めされた背表紙を隠すように張られた黒いテープをなぞる。そしてそのまま小さな作品集をくるりと裏返した。

「……なにこれ」

「ん? どうした?」

 訝しげな顔をした俺を見た幼馴染が不思議にそうに首を傾げる。そんな幼馴染の目の前に呆れ気味に部誌の裏表紙を突き出した。

「これ落書き?」

「ん? ……あー」

 突き付けられた文字を見たソウは今思い出したと言いたげな声を上げた。

 ため息を吐きながらそれを手元に戻して目を落とせば、本来何一つ文字なんて入っていなかったはずの裏表紙にいくつかの単語が記されていた。

 愛の告白、失われた愛、望みの無い愛。

 シャーペンで記されたその文字は、俺を煽っているかのような文章だった。

「何ですか? どうかしたんですか? …………プッ」

 椅子のキャスターを転がしながら近づいてきた立花さんもその文字を見て噴き出す。そのままお腹を抱えてしまったところを見るに俺と同じことを考えたのだろう。とはいえ立花さんからしたら他人の身に起こったことだが、俺はその当事者だ。笑うことなんてできるはずもない。

「ソウにこんな風に嫌味言われると思わなかったよ」

「いや、俺が書いたんじゃねえってッ。悪かったよ。ほかの今度持ってくるから」

 不貞腐れたように呟けば一緒にため息も漏れる。体調不良の時にこんな精神的ダメージまで咥えられるとは思わなかった。

 とはいえそれを見たソウがあたふたとしている様を見る限り、嫌味を言いたかったというわけでもないらしい。

「いやいいよ」

 本当に悪気があったわけではなさそうなので部誌を奪い返そうとしたソウから部誌を逃がして呟く。俺の気分が落ちている理由に気付いたらしいソウはなおも「悪かったよ」なんて謝っていたが、別に他意がなかったのならいつものように笑ってくれていてよかったのにと思う。

 代わりにお腹を抱えていた立花さんを横目にもう一度部誌を見れば、さっきの文章の下に付け足したように『初恋』なんて記されていて、なんてひどい文章を書くんだと呆れてしまった。

 きっと、気分が落ちているのはその文字列の影響というよりも風邪の影響が大きいのだろう。事実として今も頭は重いし吐き出す息も喉を焼かんとしている。

 それを落ち着けようと買ってきてもらったスポーツドリンクに手を伸ばしたところで気付いた。

 間城が、いやに静かだ。

 いつもであれば永沢さんとそろって言葉を畳みかけてくるところであろうに今日の間城は静かすぎた。

 俺の体調を気遣ってそうしてくれているのではとも思った。しかしそれにしてはあまりに言葉がなさすぎる。まるで借りてきた猫。とても一年以上の付き合いになる友とは思えない。

 彼女らしからぬ様子をいまさらながらに不思議に思ってペットボトルのふたを開けながら間城を窺った。

 瞬間、呼吸が止まりそうになった。

 間城は、ソウのことを横目で見つめていた。

 ここで間城にどうかしたか、なんて声をかけられるはずもない。どうしたかなんて、今更問えるはずもなかった。

 冬休み後半に間城の口にした言葉がリフレインする。

――だからもう一回ぶち当たろうと思う。

 その言葉の意味を理解できないだなんて、今更言えるはずがない。

――……総の一番になりたいから。

 すべてを語られなくても。具体的にどうするかと言われなくてもわかってしまうから。

 だから、俺を息を呑むしかできなかった。

「……ハル?」

「え、ああ。なに?」

 突然固まった俺を不思議に思ったらしいソウが俺のことを呼ぶ。けれど俺は曖昧に返事をするしかできなくて、気付かれないようにと横目で間城のことを窺った。

 すると、そこでようやく間城と目が合った。間城はすぐに笑顔を浮かべたが、俺は苦笑いしか返せない。

 もう、ぶち当たったのだろうか。そう思ったけれど愚問だと自分の中でかき消す。

 もし何かをしたのなら。もう一度ぶち当たったのなら。間城はきっとバイトに行っている。今日こうしてソウと一緒に俺のお見舞いになんか来なかっただろう。

 きっと、タイミングを窺っているんだろう。

 タイミングがあれば、ぶつかりに行く気なんだろう。

 そう思えてしまったから。間城と気持ちを同じくしている俺の頭には、彼女の顔が浮かんでしまった。

「……そういえば、真琴は? 真琴も風邪?」

 小首をかしげて、なるべく自然体を装って問いかける。すぐにソウが答えてくれた。

「いや、マコは大人数でそろっていくのが嫌らしい。明日にでも一人で来るって言ってたぞ」

「そうなんだ」

 あははと苦笑いを浮かべる。

 真琴ならわざわざ休日に出かけることのほうが嫌がりそうなものだが、大人数で動くのを嫌がったという話も真琴らしい。

「もしかしたら明日には治ってるかもしれないのにね」

 自分の状況を鑑みて、まず間違いなく治らないであろうことはわかっていた。けれど熱にうなされた頭では。うまく会話を繋げるためにはそんな言葉しか浮かばなくて苦笑いと一緒に吐き出した。

 そして当然、抑えの利かない頭ではそんな疑問が口をついて出るのも必然だった。

「…………永沢さんは、今日は休み?」

「楓ちゃんは、ちょっといろいろあって来れなかった」

「……そっか」

 期待なんて、していないつもりだった。

 それなのに、あらためて実感してしまう。

 彼女は来てくれなかったという事実。ソウの言いにくそうな表情。それを見れば断られたんだということが嫌にでも伝わってくる。

 風邪で弱った心に槍で貫かれたような痛みが走る。疲れたように繰り返していた呼吸も途端に苦しく感じ始めた。

 それを見たソウが、気遣うように声を上げる。

「いや、別にそういうことじゃねえんだ。今回のは――」

「気にしないで大丈夫。わかってたから」

 笑顔を浮かべて答えたが、疲労感が増しただけだった。

 大きく息を吸って吐き出すと、その音が反響して返ってくる。あまりに悪い自分の体調に苦笑いを漏らしそうになる。

 しかし、返ってきたのはどうやら俺のものではなかったらしい。

「じゃ、そろそろ帰りますか、先輩方」

 ため息を吐いたはずの立花さんは笑顔で立ち上がる。戸惑っているソウを無理やりに引っ張って廊下のほうへと向かっていく。

「じゃあ先輩、早く治してくださいね」

「うん、ありがとう」

 力なく返せば立花さんは再度笑顔を浮かべた。

 それを見たソウもこれ以上話はできないと諦めたのか、ため息を吐いてから俺に手を振る。

「よく寝とけよ」

「うん」

「じゃね、松嶋」

「ありがとうね」

 ソウと間城に手を振って笑顔を浮かべる。部屋のドアが閉まるまで手を振って、バタンと言う音が聞こえてから手を止めた。

 息を吸う、吐く。それを数度繰り返してから俺はもう一度ドアを見つめた。

「……はぁ……」

 誰もいなくなったのを再度確認してから、俺はベッドに倒れ込んだ。


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