熱が寒空を溶かして 4
気付けば冬休みも今日で最終日だった。
刺すような寒さは依然その力を増すばかり。暖色の街灯も吐き出す息のせいでまったく暖かそうに見えない。初詣の時の様に真夜中というわけでもないのに、太陽が隠れたばかりの町はただひたすらに寒かった。
「ようやく終わりだね」
ふうと空に向けて息を吐けば、マフラーの隙間から寒風が吹きこんできて身動ぎした。
冬休みが終わる、という意味に撮られても間違いではないのだが、ほかにももう一つ今日が最終日となる出来事があった。
「そうだな」
珍しく素直に同調した真琴を見れば、自転車のカギをカチャンと鳴らしてスタンドを蹴飛ばしていた。
妙な達成感に浸っている俺とは違って、今すぐにでも返って寝ころびたいとでも言うような真琴の様子を見ながら俺も同じく自転車のスタンドを上げる。
駐輪場から自転車を引っ張り出しながら、もう通いなれてしまったともいえる郵便局の屋根を見上げる。
今日は、バイトの最終日でもあった。
一日何時間もの間、普段使わない脳みその中途半端なところを使って年賀状の仕分けに勤しんでいたことも、こうして終わってしまうとなんだか少しだけ寂しくも感じる。
瞼を閉じればその裏側に山積みにされた年賀状が浮かび上がってくるほど嫌気がさしていたのに、我ながら都合のいい頭をしていると内心で苦笑いを浮かぶ。
「真琴は、バイト代何に使うか決めてるの?」
それを吹き飛ばそうと思いながら振り返りざまに問いかければ、真琴はため息を吐いた。
「ゲーム」
「あ、課金ですか……」
「そう」
わざわざ聞くことでもないだろうと言いたげな真琴の瞳に迷いは感じられなくて、俺は呆れと心配半分に愛想笑いを浮かべた。
「……陽人は決めてるのか?」
「……いや、特にこれと言ってはない、かな?」
問い返されたのが少し意外で、とっさに考えてみる。けれど、もともとお金が欲しくてバイトをしていたわけでもないので何も浮かばずに首を傾げた。
「そ」
それを見た真琴は、初めから興味もなかったと言うようにそっぽを向いた。そのままそそくさと駐輪場を出て行ってしまう。
少し急いでその後を追うと、二つの自転車がチェーンを鳴らして掛け合いを始めた。
「どうなったんだ」
「何のこと?」
「いや、いい」
いつにもまして要領を得ない真琴の問いに首を傾げて返せば、真琴は申し訳なさそうに顔を逸らした。
真琴が何を問うているのかわからず首を傾げながら郵便局の出口まで歩いていく。
「……クリスマスのこと?」
ふと、アルバイト初日の会話を思い出して問いかければ、真琴は視線を明後日のほうへと投げた。そんな反応をするのが真琴らしくなかったから、そのおかげで答えを聞かずともわかった。
俺はなんと言葉にすべきか少し悩んでから、ほうと息を吐いた。
「叱られた、かな」
「は?」
自嘲気味に笑って言えば、真琴は眉をしかめて振り返った。
訝し気に睨んでくる真琴に苦笑いを返しながら説明する。
「諦めるための道具にしないでくれって、怒られちゃったんだ」
「……は?」
我ながら情けないなと改めて思い直しながら口にすれば、真琴はなおも鋭い視線で俺を見る。
「お前、諦めたわけじゃないのか」
「……とりあえずは、かな?」
なんだか、諦めることが出来ないと豪語するには自信が無くて、恥ずかしさも相まってそんなおぼろげな言い方をした。
「……そうか」
けれど真琴は、なぜか満足そうに呟いた。
いつも仏頂面の悪友は、珍しく安心したような顔をしていた。
「真琴?」
その反応がまた真琴らしくなくて、どうかしたのかと思いながら顔をのぞき込めば、そこにあったのはいつもと変わらない仏頂面だった。
「なんだよ」
「あ、いやなんか変だったから」
言いながらまじまじと真琴の顔を見れば、ふんと鼻を鳴らされた。
そしてそのまま、それ以上近づくなとばかりに早足に歩き出す。
俺は置いていかれまいと慌てて体を起こして自転車のハンドルを握りしめる。
しかし、勢いよく体を上げたせいか平衡感覚がくるってたたらを踏んだ。そのはずみで自転車にしがみつくような形でハンドルを握ればブレーキが喚いた。
「何してんだ」
「ちょっとバランス崩した」
言いながら膝に力を入れて、自転車を手すり代わりに使って体勢を立て直す。そのまま小走りに真琴のもとまで寄って行くと大きなため息を吐かれた。
「疲れてんだろ、早く帰るぞ」
「真琴が帰りたいだけじゃない?」
「当たり前だろ」
ふざけて茶々を入れれば真琴が得意げに答える。それが少し滑稽で軽く吹き出せば、すぐ目の前をヘッドライトが駆けずりまわっていた。
「早くイベントやらなきゃいけないからな」
そう言いながら自転車にまたがった真琴は早くしろと言いたげにペダルに足をかける。
その言い分に苦笑いを浮かべながらも自転車にまたがれば真琴が自転車を漕ぎ始める。一瞬遅れて俺も自転車を漕ぎだそうとすれば、またもバランスを崩してたたらを踏んだ。
「何してんだよ」
「いやぁ、バイトのし過ぎで疲れてるみたい」
たははと笑いながら自転車を漕ぎだせば、自分の膝が思いのほか鈍く動いていることを自覚する。
疲れているのかも、なんてここしばらく考えたこともなかったが。言われてみれば確かにハードワークではあった。
年明けどころか冬休み始まってからすぐにアルバイトが始まった。休みもほぼ入れずに暗くなる時間まで。そんな生活をしながら大晦日の日付の変わる時間帯に初詣に出向いたりと、思い出してみれば体を酷使し続けていた。
それはそもそも冬休み中あまり嫌なことを考えたくなくてそうしていたわけなのだが、酷使した分の疲労はしっかりと溜まっていたらしい。
呆れ半分に息を吐けば白く灯った体温が重々しく落ちていくのが見えて、いよいよ疲れを自覚してしまったんだなと思わされる。
明日が月曜日でなくてよかったと心底思う。木曜日という中途半端なタイミングで冬休みが明けてくれるおかげですぐ眼先に休日が見える。
俺はそのことに安堵してペダルを踏む足に力を込めた。
頬に当たる風はやっぱり冷たくて、目を瞑ってしまいそうになったけれど、それでも転ばぬためにと目を開き続けた。