熱が寒空を溶かして 2
初詣から数日。ご飯でも食べに行こうと呼び出された。
中学生のころから使っているダウンジャケットを着て、いつも通り幼馴染と共に駅へ向かえば、そこには同じく呼び出されたのであろう真琴の姿があった。
「今日も寒そうだね」
あいさつ代わりにそんな風に言って見せれば、真琴は何を言っているんだという顔で俺を見た。
俺はそれに苦笑いを返しながらきょろきょろとあたりを見回す。
「ユサはまだ来てねぇのか?」
ソウも同じように視線を巡らせていたのだろう。そんな風に真琴に問いかける。
「見てない」
真琴は真琴で、呼び出されたにもかかわらず自分には無関係だとばかりにスマホをいじる。画面を九十度回転させて横持にしているあたり、ソーシャルゲームだろうということはすぐに分かった。
俺はそれに小さく苦笑いを浮かべてからソウに向きなおる。
「でも、珍しいね。間城から誘いが来るなんて」
「そうだな」
同意を求めて小首を傾げれば、ソウはポケットに手を突っ込んだまま鯉のように口を空に向けた。
空へ上っていく靄を見つめながら、俺は吐息で手を温める。
今日俺を――俺たちを呼び出したのは、いつも先陣を切っていくソウではなく間城だった。それも、ソウ伝いに俺や真琴に連絡するのではなく、間城から直接連絡が来た。
普段間城は、どちらかと言えば誘われる側の人間だ。バイトで忙しいというのもあって大体の場合こちらから間城の予定が空いているかどうかを聞く。そしてその場合、俺たち三人のグループチャットには加わらず、ソウ伝いに連絡が来るものだ。
だから、今回のことは珍しいと言わざるをえない。
間城自ら予定を組んだこと、各々に連絡を入れたこと。その両方が、今までにはなかったことだった。
「なんかあったのかな?」
何の気なしにそう呟いてみればソウは大げさに分からないとジェスチャーした。
「普通に飯食いたかっただけじゃね?」
「そうかな?」
「あとはハルに説教だな」
「なんで!?」
いきなり言われて飛び退いた。説教されるいわれはないはずだと思いながら小さくファイティングポーズをとって防御の姿勢を取れば、ソウはカラカラと笑った。
「そりゃお前、浮気の件だろ」
「え、浮気って…………。もしかしてそのこと?」
恐る恐る尋ねれば、ソウは得意げに笑った。
「ほかにねえだろ」
「えぇ……」
自信満々に断言されて肩を落とす。するとソウはさっきと同じようにカラカラと笑った。
クリスマスのあの一件は、二年生全員が知っている。
どういうやり取りをしたのかということを事細かに把握しているわけではないが、この場にいる二人とこれから現れる間城はそのことを少なからず知っていた。
間城は、終業式の時のメッセージのやり取りで、真琴であればバイトの時の会話で、ソウは毎年行っている男三人のクリスマスパーティーの予定を断った時に。
タイミングはそれぞれだが、全員が全員そのことを知っていた。
ただ、三人とも、というには少し語弊がある。
あのクリスマスの出来事は、二年生だけでなく文芸部の全員が知っている。
立花さんは当事者だから言わずもがな。永沢さんは約束をする瞬間を見せつけられていた。
俺が玉砕したことと同じく部員全員が知っている。
だから何だということでもないが、少なからず後ろめたい気持ちはあった。
前に間城は、それも答えの一つで悪いことではないと言ってくれた。だから、攻め立てられるとはあまり考えられない。間城は唯一そのことに関して俺の先導者とも呼べる立ち位置にいるし、嫌味でそう言っていたわけではないことを理解している。
けれど、後ろめたい気持ちがある以上、それは不安となって押し寄せてくる。
もしかしたら、ソウの言うように俺に何か言うためにご飯へ行こうなんて連絡をよこしたのかもしれない。
そう考えたら途端に血の気が引いて、寒さも相まって大きく身震いした。
「遅れてごめんー! 待った?」
すると、タイミングがいいのか悪いのか、駅の方ではなく大通りのほうから待ち人の声が聞こえてきた。
錆びついた歯車が悲鳴を上げるようにぎこちない動きで振り返れば、俺たちのもとまでやってきた間城はきょとんとしていた。
「なに、どうしたの?」
「……どうかお許しを」
「……………総、松嶋どうしたの?」
「ぷっははっ」
頭を下げた俺を見て、ソウは盛大に噴き出していた。俺としては大まじめに頭を下げたのだが、そんな反応をされてしまえばさっきまでの恐怖心なんて北風にさらわれてしまうのもも必定。俺は嘆息を交えながら間城に言った。
「なんか、説教食らうんじゃないかって脅された」
「松嶋頭大丈夫?」
しみじみと、割と真剣に諭されて自分が小さくなったような気がした。
俺たちを見ているソウは相変わらずぷぷぷっと笑いをかみ殺しきれていないし、真琴は真琴でゲームにご執心。
やっぱりどこか人としての歯車の形を違えている四人の集まりは、珍妙と言って差し支えないものだと思う。
とはいえ、そんな慣れ親しんだ空気のおかげで俺もいつも同様の苦笑いが顔に戻ってくる。それを深呼吸で納めてから、間城に向き合った。
「今日はどうしたの? 間城が呼び出すなんて珍しいよね?」
「…………はぁ」
使い物にならないソウに変わってそう訊ねれば、間城は重々しいため息を吐いた。
「え、何かあったの?」
つい数刻前に浮かべた疑念が揺蕩いながら戻ってきたと思っていると、間城はもう一度ため息を吐いてから一息に口にした。
「暇なの」
「…………え?」
気の抜ける回答を耳にして、素っ頓狂な声を上げる。
しかし間城はこれは一大事だとばかりに腕をわななかせる。
「最近バイトも休みで部活もない。友達皆実家に帰ったりしてて会えないし。あんたたちだって全然連絡無いし。暇で暇でしょうがなかった」
「え、あはい」
なぜだか苛立ちにも似た感情を目の当たりすることになって俺は半歩後退った。
するとその瞬間、間城はカッと目を見開いて俺たち三人をぐるりと見まわして声高らかに叫んだ。
「っていうかなんでうちを誘わないの! 初詣うちも誘ってよ!」
「…………」
まるで小学生のような駄々のこね方に、俺たち三人は同じく冷めた表情を浮かべていたと思う。
何と言っていいかわからず固まっていると間城の瞳が俺に向けられた。
「松嶋、うち前に言ったよね。うちも呼んでって」
「あー、そういえばいつだかそんなことが………」
頭上を見上げながら数か月前のことを思い出す。男三人で遊んだという話をした時にうちも誘え、なんて確かに言われたなとおぼろげに思い出す。
「自分の浮気にばっかり気を取られてるから!」
「やめてやめて!! 全否定できないのがまた辛いから!!」
「結局今もどっちつかずでしょ!」
「結局責められてるぅ!」
ソウが言っていたことが現実になって、謝罪の前借は通用しないんだなということを思い知らされた。必死になり過ぎて顔が真っ赤、呼吸もつらくて冬なのに汗が浮かんでくる。心なしか周囲の視線が痛くて、幻聴かもしれないが幼馴染の声で「修羅場だ」なんて言うつぶやきが聞こえてきた。
「ほんともう松嶋はさぁ」
「ごめんなさいお願いします止めてください」
そんな懇願を受け入れてもらえる立場ではなかったのだが、必死で頭を下げて頼み込む。こんな物言いをされてしまう原因は俺で、俺が悪いというのは重々承知なのだが、それでもこれ以上はやめていただきたい。
そう思って頭を下げると、間城はふうと息を吐いた。
「じゃ、挨拶はこの辺で、早速お店行こうか」
「挨拶なんていうものじゃないでしょこれ……」
一通り楽しんだらしい間城は上機嫌だったが、その分俺は疲労困憊。これからどこかへ行く気なんて起きるはずもなく、それどころか今すぐにでも帰宅してベッドに倒れ込みたい気分だった。
しかしそんな俺の思いなんて届くはずもなく、届いたところで気にかけてもらえるのかどうかも怪しいので何も言えないままに、ソウと間城はとっとと目的地の選別に移っていた。
「で、どこ行くんだ?」
「あ、ここ行こうと思っててね」
「スイーツバイキングかよ」
「今和菓子キャンペーンやってる。隣の駅だよ」
二人がそんな会話そしているのを聞き流しながら、真琴にでも助けてもらおうかな、なんてお門違いな期待を抱いて真琴のほうを振り返る。
「……あれ? 真琴?」
しかしそこに悪友の姿はなく、どこへ行ったのかと思って視線を巡らせれば駅の改札へと続く階段のほうにその姿が見えた。
「お前ら早く行くぞ」
ちらりと振り返った真琴はそれだけ言うとついて来いとばかりに堂々と階段を上り始める。
「…………甘いものに関してはさすがの熱意だなぁ……」
感心半分呆れ半分に、なぜか大きく見えた小柄な背中を追いかける。
そういえば、昼間に郵便局にいないのなんて何日ぶりだろう。
ふとそんなことを思いながら駆け足のまま二人の方を振り返れば、当然肩を並べた男女の姿が見えた。