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Primula  作者: 澄葉 照安登
第七章 聖夜に灯れ
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聖夜に灯れ 14

「先輩」

 イルミネーションの道を歩きながら、彼女は突然俺のことを呼んだ。

 それまで会話をしていなかったわけではないが、特別はっきりとした声に驚き、少し不思議に思って首を傾げる。

 何か言いたいことがあるのだろうかと思って立花さんを見れば、彼女はこちらに目も向けずに小走りに走り出した。

「立花さん?」

 慌てて俺も後を追おうとする。決して追いつけないスピードではない。スキップにも等しい歩調に追いつくのはとてもたやすい。

「松嶋先輩」

 けれど、その足を止めるかのごとく彼女が俺のことを呼んだ。

 その場で踏みとどまれば、俺から数メートル離れた彼女が彩られた街路樹を背にくるりと振り返る。

 いつもと変わらない、人懐っこい笑顔を携えて。

「今日は一日ありがとうございます」

「え、ああ。……こちらこそ?」

 改まってそんな風に言われたから、何と答えたらいいかわからずに疑問形で返してしまう。なんで疑問形なのかとからかわれるかと思ったが、彼女はくすりと笑っただけだ。

 けれどそうすると彼女はゆっくりと息を吸って、ふっとひと息にそれを吐き出した。

「気付いてますよね、先輩」

「えっ、あ………」

 言われて、何のことかと問い返しそうになるが、頭に一つのことが浮かんでそれを押しとどめた。

「鈍感な先輩でも、さすがに気付いてるはずですよね?」

 言われて、俺は視線を逸らした。彼女のその言い方で、何のことを言っているのかわかってしまったから。

 経験はない、だから確証はないけれどそうなんじゃないかとは思っていた。クリスマスに会いたいと、二人で出かけたいと言われれば、いやがおうにも考えてしまう。その特別は、そういう意味なんだと。

 ソウや真琴の様に、察しの良いタイプではないけれど、これだけ条件がそろっていて、こんな風に対峙すれば気付いてしまう。それに気付けないほど、愚鈍ではないから。

 俺は、彼女に伝わるかどうかも分からないほど小さく頷く。しかしそれでも俺をまっすぐに見つめていた彼女には伝わったのだろう。目の前から、小さく息を吐く音が聞こえた。

「じゃあ先輩、今日のデートはここまでにしましょう」

 彼女はそう言うと、くすりと微笑む。

 そしてまた息を吸い込むと、ため息のように吐息を吐き出した。

 その先に、どんな言葉があるかなんて問われるまでもない。俺はそれを承知の上で今日の誘いを受けた。だから、答えも決まっている。

 前に進むと決めたから、このままではいられないから。

 逸らしていた瞳を彼女へ向ける。すると彼女は待っていたとばかりに微笑むと、曇天の夜空を見上げる。

「ふぅ……」

 彼女が、何かを決意したかのように息を吐いた。

 白い吐息が闇に溶けるのを見送ってから、彼女は俺に向きなおった。

「先輩」

 はっきりとした声に気圧されそうになる。それでも逸らすわけにはいかなくて震えそうになりながらも息を吸った。

 ここから、一歩進むんだと、改めて決意を固めた。しかし――。

「こんなことしてる場合じゃないですよ」

 その声は驚くほどに軽やかで、俺を窘めるための言葉なのにとても甘い響きを持っていた。

「……え?」

 言葉の意味と、声の表情が違い過ぎていて彼女がどんな気持ちでそれを言ったかわからなかった。それと同時に、予想もしていなかった言葉に脳が凍り付いた。

「え、ちょっと待って……。どういうこと?」

 わけがわからず目を丸くしたまま彼女に問う。すると彼女は呆れたように息を吐いた。

「私とデートしてる場合じゃないってことです」

「え……」

 言われて、正直彼女の胸中が何一つわからなかった。だって俺が想像していた言葉はこんなものじゃなくて、それは修学旅行のあの時の様な、文化祭の俺の言葉に似たようなものだと思っていたから。

 すると彼女は、まるで俺の心を読んだかのように嘆息した。

「先輩、私が先輩のこと好きだからデートに誘ったんじゃないか、とか思ってますか?」

「え?」

 俺が驚きの声を上げれば、立花さんはまた小さくため息を吐いた。

「そんなつもりはありませんよ。私がデートに誘ったのは、そんな理由じゃないです」

 少し苛立ったように早口になりながら言った彼女は、雰囲気だけでも明るいままを保とうとしたのか両手を後ろに回して体をゆすった。

 そんな彼女に対して俺は、驚きと羞恥で何も言えなくなっていた。

 彼女の言う通り、そうなんじゃないかとは思っていた。だからわざわざクリスマスを選んだのだと。髪の毛も普段とは違う形にアレンジして、ヒールを履いてスタイルをよく見せようとした。そう思っていた。

 それを彼女の口から否定され、自意識過剰な自分を認識して肩身が狭くなる。つい一か月前にも同じようなことがあったのに、また同じ勘違いをした。そのことが恥ずかしくて、後ろめたくて。

 そんな俺を見た立花さんは、ヒールを鳴らして一歩、俺に近づく。

「私が先輩を誘ったのは、先輩を信じたかったからです。先輩が、まだ諦めていないって、そう思いたかったからです」

 言われた瞬間、脳裏にあの子の姿が浮かんだ。物静かな、迷惑をかけたがらない、黒髪の、もう一カ月も目も合わせていない彼女のことが。

 視線を逸らすふりをして俯く。それを見た立花さんはふっと小さく笑った。

「諦めてはいないですよね。…………諦めきれてないですよね」

 言われた瞬間、逃げるように視線を逸らした。足元に下ろされた視線は、石畳の上をうろうろする。

「先輩、気付いたはずですよ。今日こうやって私と、楓じゃない女の子とデートしてみて。先輩には、派手な相手は会わないってわかったはずです」

 そう言った立花さんは、バランスを崩したようにヒールを鳴らした。それが俺に歩み寄った音だと気付いたのは、石畳を見つめていた視界に人の影が入ったときだった。

 顔を上げ、手の届くところにいる彼女と目を合わせる。その瞳は、とても優しいのに、その奥に憤りに似たものが見えた。

「先輩には、こんなところは似合わないんですよ。キラキラした街も、きっちりおしゃれした女の子も、騒がしい時間も。そういうのは…………先輩の求めてるものじゃないですよね」

 そう言うと彼女は、一歩後退りながら、初恋を語るかのような瞳で空を見上げた。

「先輩が求めてるのは、いつもと変わらない街で、普段通りの生活の中で、何も変わらないはずの時間の中で、小さな特別を見つけることじゃないですか? …………先輩、私とテンポ合ってないの気が付いてましたよね?」

 瞬間、息を呑んだ。とっさに後退りそうになる。けれど半歩下げた足をそれ以上逃がすまいと自らの意思で止める。

 図星だった。今日彼女といる時間は、決して楽しくない時間ではなかった。楽しかった。騒がしい、駆け足のようなテンポで、にぎやかな街を歩いていく。楽しくないはずがない。楽しくないはずがなかったのだ。

 けれど、その指摘の通り、テンポがかみ合っていないのはわかっていた。彼女の会話のペースは俺からすれば矢継ぎ早のようにも感じて、喜怒哀楽が顔に出るからこそ翻弄され過ぎてしまって、何よりこの時間は、その中でいるときこそ楽しいのに、振り返ってしまえば疲労感すら感じてしまうことを理解していた。

 俺が求めていたのは、こういうものじゃなかった。

 俺が求めていたのは、それこそ文芸部のみんなで花火をした時の様に、みんながいる空間で、ゆっくりとした時間を過ごすことだった。

 そういう日常の中で、小さな幸せを見つけることを求めていた。

 部活動で大会やコンクールを目指すのではなくその場にいるみんなと楽しくすごすように、劇的な出会いでなくありきたりな初恋を求めたように。

 今あるものの中から、何かを見つけたいと思っていたんだ。

「ごめん」

 彼女の言葉を何一つ否定できなくて、そう口にした。

 すると彼女は仕方ないとばかりに鼻息を荒げると、気に食わないという態度を前面に出して言った。

「それにですよ先輩。先輩が前に私に言ったこと覚えてないですよね?」

「え……?」

 いきなり言われて、いったい何のことだと思った。彼女と会話したときのことを思い出して、それでもどのことを言っているのかわからなくて目を見開く。

 すると彼女はやっぱりため息を吐いた。

「江ノ島に行った時、先輩は何て答えました?」

「え、っと……」

 言われて、あの時彼女とどんな話をしただろうかと思い出す。けれど出てきたのはカップルのジンクスの話だとかどうでもいい事ばかりだ。

 いつまでも黙考していると立花さんはしびれを切らしたのかそこまで、とばかりに勢いよく息を吐いた。

「先輩、もしも誰かから告白されたら、好きでもない相手から告白されたら、試しにで付き合ったりしますか?」

「あ…………」

 そういえば、そんな問いかけをされたことがあった。永沢さんとの間柄を誤解されたままからかわれていた時、そんな風に言われたことがあった。

 思い出しながら、俺はそのときどんな答えを口にしただろうと思いを馳せる。

 けれど、そんなこと必要なくて、今自分の気持ちに聞けばすぐに答えが出た。

「本気で告白してくれた相手と、何となくで付き合うなんてできない……」

 きっとあの時もそんな風に答えた。そんな失礼なことはできないと、そう答えたはずだ。

 俺が呟くように言えば、立花さんは心底嬉しそうに笑った。

「その考えは、変わっちゃいましたか?」

 俺は首を振った。すると彼女はまた笑顔を浮かべる。

「なら、もしも私が先輩のことを好きだったら、なんて考える必要ないですよね。結論は、どちらにしろ決まってますし」

 言うと彼女は大きく息を吸い込んでから、言った。

「何となく、諦めるのが正しいと思うから諦めるために努力する。そんな感じでしたよね今日一日。振られたから諦めるしかない。それが当たり前のことだって。そんな先輩らしい、先輩らしくないこと考えてましたよね。恋にだけは夢を見てた先輩が、そんな風に思ってましたよね」

 彼女の言う通り。俺は諦めなきゃいけないと思っていた。だって俺の思い描いた恋愛というものは、お互いが引かれ合って成就するものだ。どちらか片方が強く言い寄って強奪するものじゃない。何より底抜けに甘い、一度の告白で成り立つものだと思っていた。

 けれど彼女はそんな俺の考えに異を唱える。

「でも、そんな決まりなくないですか? 一度しか告白したらダメなんて、それ言ったら間城先輩はどうなるんですか」

 その通りだ。間城は諦めずに告白しなおした。いい答えがもらえないとわかったうえでもそうしたんだ。

「…………えっ、立花さんなんで知ってるの!?」

 少し考えてから、納得しそうになった自分を振り返って声を上げた。間城のその話は、知っていたとしても俺たち二年生の間での話のはずだ。

 しかし驚いている俺に対して、立花さんは呆れたように言う。

「夕紗先輩が振られたのはすぐにわかりましたよ。それでいろいろ話したんですよ。鈍い先輩と一緒にしないでください」

「あ……そうなんだ」

 一言多い気がする、と思いながらもそれを口にしたらなんだか怒られてしまいそうで口を噤む。

 しかし、そんな俺の配慮も意味をなさなかったようで立花さんは苛立ったようにため息を吐いた。

「って言うかそもそもですよッ、先輩が諦めるための道具に私を使わないでくれませんか? 私それがすっごいむかついたんですけど」

「あ、えと…………ごめんなさい」

 それに関してはもう何も言えない。彼女の怒りはもっともだと思う。

 まともな思考回路じゃなかったとか、どうしたらいいかわからなかったとか、そんな言い訳を口にするのも憚られるほど俺の行いは糾弾されるべきものだった。

 だから、このまま罵られてしまうんだろうなと思って首を垂れる。けれど彼女は嘆息すると、まだ少しだけ苛立ちを残しながらも言った。

「先輩、どうせ誰と付き合っても諦められませんよ。先輩はそういう人です」

 そう言うと、彼女は自分を落ち着かせるためなのか大きく深呼吸をする。

「卒業して、連絡も取らなくなれば忘れられるかもしれないですけど、それまでは絶対無理ですよ。だから先輩、諦められないうちは、がんばってみるのもいいんじゃないですか?」

 落ち着いたトーンでそこまで言うと、彼女はにこりと笑顔を浮かべて言った。

「純粋な先輩には、それがお似合いです」

 どこか挑発的だったけれど、それはとてもやさしい音をしていた。

 いや、もしかしたら本当にからかっていたのかもしれない。ただそれだけだったのかもしれない。

 けれどそれが俺にはそれが、背中を押してくれたように感じた。

 本当に情けない、女々しいことこの上ない。けれど求めていたんだ、そう言ってもらえるのを。

 諦めなくていいと、そんなことする必要ないと。背中を押してもらいたかった。

「…………自信は、ないけど」

 喧騒でかき消されてしまうような声でそう切り出す。

 けれどそんな弱弱しい声ではまた立花さんに叱られてしまうと思って大きく息を吸い込む。地元とは違う、排気ガスの匂いが強い空気を吸い込んで、そのいらないものを吐き出した。

「諦められないのはその通りだと思うから、できることはやってみるよ」

 言うと、彼女はふんと満足げに鼻息荒く頷いた。

 彼女はタタッと軽やかにステップを踏んで俺から少し離れる。

「じゃ、解散ですね。遅くならないうちに帰ってくださいね」

「それ俺のセリフ……っていうか帰る方向一緒でしょ……」

 駅に着いてすらいないのにそんな風に言って手を振り出した立花さんに呆れながら言う。けれど彼女は変わらず笑顔で手を振った。

「私はもうちょっと遊んで帰るので、先輩先に帰ってください」

「え、いや、それは」

 さすがにそんなことはできなかった。いくら叱咤され肩身が狭くなったとはいっても女の子を一人夜の街へ残して帰るわけにはいかない。

 そう思って声を上げれば、立花さんは悪戯っぽく笑った。

「こんなところにいる場合じゃないって言ったじゃないですかー」

「いやでも」

 あくまで先に帰れという彼女にどういったものかと思いながら条件反射で声を上げる。

 すると彼女はにこりと笑って、蠱惑的に言って見せた。

「それとも、本当に私と付き合いますか?」

「…………」

 口ごもり、視線を逸らす。

 俺がその反応をするのをわかっていて彼女はそれを口にしたのだろう。あからさまにため息を吐くと、これ見よがしな言い方で彼女は言った。

「振った相手と同じ電車で一時間以上も一緒に居れるんですかねー?」

 そう言うと彼女は獲物を狙う猫のごとくジリッと俺に歩み寄った

「…………わかったよ」

 俺はとうとう観念して、ため息交じりにそう言った。

 そんな脅し文句のようなことを言われてしまえば引き下がるしかない。たとえお遊びだったとしても、面と向かって告白なんてされてしまえば俺は答えなくてはいけなくなる。そうなれば当然彼女の言う通り帰りの電車は気まずい雰囲気になることだろう。

 さっさと一人で帰れと言い続ける彼女に従って、俺は足元を確かめるように少し後退る。

「でも立花さんも、早く帰るんだよ? 遅くなったら危ないし」

「言われなくてもわかってますよ」

 付け足すように言えば、立花さんもさすがに耳にタコだと言うように面倒くさそうに返した。

 俺はそれに少しだけ苦笑いを浮かべて、深呼吸をしてから居住まいを正した。

「……じゃあまた…………来年だね」

「そうですね。先輩が怖がってバイトなんて入れたせいで」

 笑顔でそんな風に言われたから、俺は苦笑いを浮かべるしかできない。

 本当に何もかも図星だ。それこそ超能力かというくらい俺の思惑は筒抜けだった。

 けれどそれは決して悪いことではなくて、むしろ嬉しい事だ。

 俺が混乱したまま逃げ出しそうになっていたところに現れて、目を覚ませと連れ出してくれたようなものだ。それを咎めることがどうしてできようか。

 だから俺は、苦笑いが消え切らない代わりに、その上から笑顔を上塗りした。

「ありがとう」

「……はー」

 本心からの言葉で、それがなるべく届くようにと努めたつもりだったのだが、立花さんは気に入らなかったようでため息を浮かべた。

「先輩早く帰ってくれませんか、私が帰るの遅くなるじゃないですか」

「あ、ごめん……」

 辛辣だな、なんて思いながらも少しだけ笑顔が浮かんで、それを苦笑いで隠した。

 俺は彼女と向き合っていた体を九十度回して、駅のほうへと向ける。そのまま歩き出そうとして、ちらりと彼女のことを見た。

 立花さんは、もういい加減にしてくれと呆れたように手で追い払うしぐさをしていた。

 後輩のあんまりな扱いを受けて本当に上下関係もないなと改めて思い直してから、息を吐いて一歩踏み出した。


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