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Primula  作者: 澄葉 照安登
第七章 聖夜に灯れ
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聖夜に灯れ 9

 毎日のように思うことがある。ベッドから出たくない。

 布団から出た首から上が冷たくて、亀の様に布団の中に逃げ込んでみれば布団の中の暖かさに魅了されもはや一歩も動けなくなる。

 そのまま二度寝に浸ってしまいそうになるけれど、それをぐっとこらえて枕元に手を伸ばす。布団の中で手に取ったスマホを開いてみれば、七時を迎えていることを教えてくれる。

 冬休みなのでここで飛び起きる必要はないが、もう一度目を瞑ってしまうには危険な時間で、俺はもぞもぞと動きながらベッドから足を下ろす。

 ひやりとしたフローリングの感触から逃げるように足を引っ込めるが、ここで布団に戻ってしまうわけにもいかずに意を決して布団から出る。

 のそのそとした動きでパジャマから私服へと着替えると冷たい廊下をつま先立ちで歩きながらリビングへ向かった。

 リビングに入ると、キッチンのほうからカチャカチャという音が聞こえる。俺はエプロン姿の人影におはようと大きめの声で言う。

 するとキッチンでせわしなく動いていた女性がひょこっと顔をのぞかせた。

「おはよう」

 ゆったりとした声でそう返してきたのは言うまでもなく俺の母さんだ。

 俺はもう一度小さくおはようと口にしてからリビングのイスに腰かける。テーブルの上には、丁寧にみそ汁と白米が用意されている。テーブルの真ん中には昨日の残り物の野菜炒め、それと作り置きしてある漬物なんかが用意されている。

「いただきます」

 いつもの光景だけれど、そのことに感謝する意味も込めて大きく口にする。

 水を出す音に交じって「はい」というおっとりとした声が聞こえたのを確認してから箸を手に取った。

 すると母さんも手を止めて、リビングにやってくる。

 俺のちょうど真正面に腰かけた母さんが優しい声で「いただきます」と言うと、俺と同じく箸を手に取って朝食を取り始めた。

「陽人、今日もバイト?」

「うん、十二月は休みほとんどないから」

 俺がそう言うと、母さんはあらあらと不安そうな声を上げた。

「がんばるのもいいけど無理しない程度にね?」

「わかってるよ」

 言いながら箸を動かせば、飲み物が出ていないことに気付いた。

 俺は席を立って冷蔵庫から作り置きされている麦茶を持ってくる。

「母さんもいる?」

「お願い~」

「んー」

 気の抜けるような声に適当な相槌を打つとプラスチック製の透明なコップを二つ持ってリビングへ戻る。その二つに麦茶を注いで一方を母さんの前に押しやった。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 律義にお礼を口にした母さんにそう言うと、また同じように食卓をつつき始める。

 母さんがBGMの代わりなのかテレビをつける。するとテレビに映し出されたニュースキャスターがクリスマスがどうとしゃべっているのが目に入った。

「今年も総君たちとどこかに行くの?」

 母さんもそうだったのだろう。キャスターの声を聴くなり思い出したように俺に問いかけてくる。

「今年はないよ」

「そうなの?」

 俺が言うと母さんは珍しいと言いたげに口元を隠した。

 上品なしぐさに自分の母親ながらに感心していると、母さんが身を乗り出して言う。

「じゃあ、今日も晩御飯はうちで食べるの?」

「あー、いや。今日は晩御飯いらない。外で食べてくる」

 俺がそう言うと、母さんはまたあらっと口元を隠した。そして小さく微笑むと優しい声音を少しだけ弾ませて言う。

「女の子と?」

「……そんなとこ、かな?」

 俺が困り笑いを浮かべながら言うと、母さんは嬉しそうに「あらあら」と言いながら頬を染めた。

「とりあえず、晩御飯は外で食べてくるよ」

 苦笑いを浮かべながら目の前の女性との血の繫がりを感じていると、ややテンションの上がった母さんが悪戯っぽく訊ねてくる。

「アルバイトしてたのも、それが理由?」

「そういうわけじゃないよ」

 たははと苦笑いで返せば、母さんは少し残念そうな顔をした。

 なんだか自分の写し鏡を見ているような気分になる。

「バイト代入るのだってすぐじゃないよ」

 微苦笑を携えながら言えば、母さんは「そうね」と数度頷いた。

 けれどまたすぐに悪戯っぽく微笑む。

「バイト代が入ったら何か買ってもらおうかしら」

「あはは、買える範囲ならね」

 意地悪をするように言った母さんに苦笑いを浮かべながら言えば、母さんは冗談だと手を振った。

「女の子のために使うんでしょ?」

「違うって」

 その言い方は少しあれだと思ったけれど、笑顔で返す。すると母さんは首を傾げて言った。

「でも、無関係じゃないでしょ?」

「いや本当に関係ないよ」

 若干呆れながらそう言うと、母さんは心底残念だという顔をした。

 俺の妄想癖はこの人から譲り受けたのだろうなと思うとなんとも言えない気持ちになる。

 嫌気がさすとまではいわないが、身内にこんな風に詰め寄られてしまうとどう反応したらいいものかわかったものじゃない。もちろん友人だろうが他人だろうがどう反応していいかわからないことは変わらないのだが、それでも家族というものはその比ではない。

 なんとも言えない恥ずかしさを感じながら手を早めてさっさと朝食を済ませてしまう。自分の使った食器をひとまとめにすると台所にそれを持っていき汚れが落ちやすいようにと水をためた。

 するとそれを見ていた母さんがふっと微笑んだ。

「じゃあ、何か他の理由があったのね」

 優しく微笑んだ母さんは、どこか嬉しそうで、俺は苦笑いを浮かべた。

 そのままリビングから出て、自室へと戻る。まだ家を出るには早すぎるくらいの時間だが準備くらいはしてしまおうと貴重品やその他もろもろをいつも使っているボディバッグに入れる。

 クローゼットの外側にかかっているコートを手に取って、一応身だしなみを整える。

 バイト先に行くのにそこまで気にすることは無いかもしれないけれど、気持ちがはやってしまってそんなことをした。

 そんな自分を顧みて自嘲気味な笑顔を浮かべながらズボンのポケットに入っているスマホを取り出して連絡用のSNSを開く。

 アプリを開くと、一番上のトークに元気な後輩の名前が表示される。俺はそれをタップしてトークの履歴を開いて今日の予定を確認した。

 今日はクリスマス。立花さんとの約束の日だ。

 バイト終わりに電車で少し都会のほうまで向かって買い物をしたり夕飯を食べたりする。

 特別何かをするというわけではないが、集合時間を見れば妥当なプランと言えるだろう。全部立花さんだよりで予定を組んでもらったことは心苦しくはあるが、だからこそ俺が遅れたりするわけにはいかない。

 バイト終わりで焦りながらごたごたと何かをするのも嫌なので集合場所の駅までの乗換案内なんかを事前に調べておく。そうしながら数か月前の教訓で癖になり始めた天気予報のアプリに目を通す。

 今日は、夜に雪が降るらしかった。

 窓の外を見てみれば空には薄い雲がかかっている。今でこそ雨や雪が降りそうだということは無いが、このまま時間が経てばどうなるかはわからない。夜の降水確率は八十パーセント。雪が降るかどうか定かではないが、ほぼ間違いなく雨は降るだろう。

 小さな折り畳み傘をバッグに入れると、もともと容量の少ないボディバッグは何も入らなくなる。

 俺はそれをコートと一緒にベッドにおいて、その隣に腰かける。時間にはまだだいぶ余裕があるのでどうしようと思ってスマホをいじり続ければ、開きっぱなしになっていたトークアプリの中でもう一人の後輩の名が見えた。

 恐る恐る彼女とのトーク画面をタップすると、そこにはもう何か月も前にしたやりとりが表示されていた。修学旅行の時の、写真を送った時のことだ。

 そこから時間が止まったかのように更新されないトーク画面を見ながら、俺はため息を一つ吐いてスマホの電源を落とした。

 何か他の理由が、か。

 母さんに言われた通り、理由がないわけではなかった。

 けれど、それを素直に口にしてしまうのはあまりに女々しくて、バイトの相談に乗ってくれた真琴にだって言っていない。

 俺はそれにもう一度蓋をしてから、時間を確認する。

 けれど、スマホを手に取った時からあまり変わらない時間を見て、俺はため息を吐いた。

 ここにいてもやることがないので、傍らのコートとバッグを掴んで一階に降りる。リビングに入れば、食事を終えてテレビを見ていた母さんが首を傾げながら尋ねてくる。

「もう行くの?」

 俺はそれに頭を振って返すとさっき座っていたリビングの椅子に腰かけて、つきっぱなしのテレビに視線をやった。

 テレビから聞こえてくる話題は、やっぱりクリスマスに関するものが多い。

 どこのカフェがいいとか、この町のイルミネーションがどうだとか、そんな話ばかり。

 普段であればあまり興味のない話題ではあるが、テレビがついていると無意識に視線が向かってしまうもので、気付けば俺はテレビにくぎ付けになっていた。

 昨日のインタビューなのであろう。クリスマスイブはどうやって過ごしていたのかなんて話題にすり替わる。そう思えば、街頭インタビューに答える何組みものカップルが映し出された。

 カップルばかりなのは、そういう趣旨なのだろう。真琴だったらくだらないと吐き捨てそうなものだが、幸せそうなカップルを見るのは嫌いではない、むしろ大好きなので俺はそのインタビューを見て何度か熱い溜息を吐いていた。

 街を闊歩するオシャレなカップルたちは、どこかへ出かけたり、特別な思い出を作ったりするものらしい。俺だってそれを理解できないわけではないし、もはやクリスマスはそういう日なんだという認識だってある。もちろん例外もないわけではないが、そういう人たちはみな一様に、自分は幸せだと言わんばかりに笑顔を浮かべていた。

 微笑ましい。そう思うのはもしかしたら珍しいことかもしれない。面識もないカップルを見てニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべている俺のことだ、自分が多数派だなんて思いはしない。

 俺は自分のことを少し気持ち悪く感じて視線を逸らす。テレビの中でまたしても話題が変わった。

 今度の話題は星座占いだった。

 それを見て、そういえば占いがどうだという話を立花さんとしたな、なんて思い出す。

 ちょっと興味を引かれてみてみれば、俺に当てはまる牡羊座は六位、十二星座のど真ん中だった。

 なんとも言えない順位にたははと苦笑いを浮かべると、母さんがふっと笑った。

「陽人、こういうの見るの珍しいんじゃないの?」

「そうだね」

「彼女の影響かしら?」

「あはは……」

 ラッキーカラーがどうとか言っているテレビを聞き流しながら笑ってごまかす。そんな俺を見た母さんは面白そうに笑うとまたテレビに視線を戻した。

 俺も母さんに倣ってテレビに視線を戻すと、画面左上に表示されている現在時刻が目に入った。

 もう九時近い。バイトは十時からで、それまでには仕事に取り掛かれる状態にしなくてはいけない。

 ここから郵便局までは三十分近くかかるのでそろそろ出なくてはいけないな、と思って腰を上げるとちょうど占いの一位と最下位の発表だった。

 俺はそれを右から左へと聞き流しながらコートを羽織ってバッグを担ぐ。

「母さん、そろそろ行くね」

 振り返りざまにそう言うと、母さんはおっとりとした笑顔を浮かべて「行ってらっしゃい」と言った。

 相槌を打ちながら背を向けると、またラッキーカラーがどうという話が聞こえた。

 それが一位のものか最下位のものかはわからなかったけれど、どうやらラッキーカラーは白のようだった。


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