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Primula  作者: 澄葉 照安登
第七章 聖夜に灯れ
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クリスマスイブ

 苦しくて、息ができない。

 それでも必死に呼吸を繰り返せば口に出したくもない言葉が漏れる。


――先輩。


 それだけじゃ誰のことを呼んでいるのかなんてわからないのに、私の頭に浮かぶのはあの人だけだった。

 騒がしい文芸部の中で、いつも困ったように笑いながら皆を見守っている、とても優しいあの人のこと。


――松嶋……先輩。


 そう呼んだことがあるのは、意外なことに数えるほどしか無かったかもしれない。わたしはあの先輩を呼ぶときは、先輩、とだけしか呼んでいなかった気がするから。

 だから、そう口にすることが何だか特別みたいで、両手を胸の内に抱きしめた。

 もう、あの人の温もりは消えてしまった。握り返してくれたあの手は、もう私の手には届かないところに行ってしまう。

 あの時から、苦しさは増すばかりだ。

 自分で選んだことの癖に、苦しくて苦しくて、時間は少しも解決してくれない。

 断らなければよかった。そう思うのも一度や二度ではない。

 それでも、あの時の私はどうやったってこの結論しか出せなかったことを知っているから責めたくても責めきれない。

 時間を戻してなんて思わない。それどころか、早めてほしいと思う。

 一カ月じゃ、忘れることも諦めることもできないから。もっと長い時間、先輩たちが卒業して諦めざる負えない状況になるまで、時間を進めてほしい。

 けれど、そんなことが起きるはずもないことはわかっているから、私はどっちつかずな自分の気持ちを押し込めるように体を丸める。

 もしも、またあの人の手に触れていいなら。

 そう思えば思うほど、自分の手の冷たさを実感してたまらなくなる。

 しまい込んだはずなのに、あの時の温もりはどこかへ消えてしまった。思い出したいのにおぼろげにしか浮かばず、私の手は冷たいまま。


――先輩ッ。


 叫びたくなる。けれどそんなことはできないから静かに口にする。叫んでしまえば、一度でも叫んでしまったら、私は泣いてしまうと思うから。

 だから、私はそうしないために縮こまる。そして貯めきれなくなったものが形に変わることがないようにと、小さく漏らすんだ。

 もしかしたら、そんな未来があったのかもしれないと。思ってしまうから。

 私は今日も、冷たい自室で呼べもしないあの人のことを呼んでみる。


――陽人……先輩ぃ……。



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