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Primula  作者: 澄葉 照安登
第七章 聖夜に灯れ
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聖夜に灯れ 8

  コートを着込み、マフラーを巻き、手袋をしてもなお冷たい風に文句を言いそうになりながらも自転車のカギをガチャリと鳴らせば、隣でも同じような音が鳴る。

 郵便局の駐輪場から自転車を引くようにして出せば、雨よけで遮られていた街灯の光が俺たちを映し出した。

「真琴、寒くないの?」

 横目で見ながら自転車を引く影に投げかければ、愚問だなと言いたげに鼻で笑われる。俺はそれに苦笑いを返してもう一度真琴の姿を見直した。

 シルエットは全体的に黒。街灯の光がなければ、真っ黒な髪の毛も相まって闇に紛れて見つけることもできないほどだ。

 真っ黒なパーカーに暗い紺のジーパン。首を守るためのものは何もなく、手袋すらしていない真琴は、とても真冬の出で立ちではない。パーカーの内側がもこもこしてはいるものの、それだって気休め程度のものだ。そしてその内側は薄手のシャツ一枚。誰がどう見たって寒いと思うだろう。

 けれど真琴は、むしろこれが心地よいと言うように軽やかに歩いていく。

 それを見て、暑いのよりも寒い方が好きなんだなと改めて納得してふうと息を吐いた。

 雪色に染まった吐息が昇っていくのを眺めると、冴えた星空が目に入った。

 冬休み初日。俺は予定通り、郵便局で年賀状の仕分けをしていた。アルバイトも、そういった細かい作業も初めてで、全然役に立てた気はしていなかったけれど、それでも、一日目が終わった。

 隣にいる真琴は去年もやって慣れているおかげか、俺とは比べ物にならない速さで仕分けをしていた。年賀状の仕分けに練度も何もあったものではないかもしれないけれど、その真琴の姿を見て、熟練という言葉が浮かぶほどだった。

 しかしそれでも年賀状の仕分けは終わったりしない。年賀状文化も衰退し、メールやメッセージでのやり取りが主流になってきてはいるが、それでも郵便局には年賀状が山のように積まれている。

 これから何日もの間年賀はがきの山と格闘するのかと思うと頭がおかしくなりそうだけれど、それもいいかななんて思う自分もいた。

 自転車を押しながら、郵便局入り口の門のところまで歩く。そこまで自転車に乗ってはいけない、なんて決まりがあるわけではないが真琴につられてそうしてきてしまった。

 まさか一日で脳が疲労を訴えているのかと思って苦笑いをすると、真琴がちらりと俺のほうを振り返った。

 門のところで立ち止まり、自転車と一緒に俺のほうを振り返った真琴がぼそりという。

「そういや、今年はどうするか聞いたか?」

「どうするって?」

 主語を交えない言葉に意味するところが分からず首を傾げる。

「クリスマス。今年はどうするのかってこと」

「…………三人で何かやるかってこと?」

 俺が確認すれば、真琴は当たり前だろと言うように鼻を鳴らした。

 そんなの俺やソウでなくちゃ絶対に気付かないだろうなと思いながら苦笑いを返せば、真琴が自転車のハンドルから片手を離してパーカーのポケットに突っ込んだ。

「総は何か言ってたか?」

「いや、何も聞いてないけど?」

 俺が言うと真琴はため息を一つ吐いてから、スマホを取り出した。

「バイトあるから気を遣ってたんじゃない?」

 俺が適当にそんな風に言うと、真琴はまさか、と鼻で笑ってスマホを操作しだした。

「そっか、クリスマスか……」

 言いながら空を見上げてみれば、キラキラと光る星が雪のように見えた。

 何もクリスマスだからって雪が降るわけでもないのに勝手な妄想に浸る。イルミネーションの施された街を手をつないで歩く後ろ姿、それをにぎやかす光の粒のような雪の結晶。

 そんな光景を見たことがあるわけではないけれど、この時期になると毎年テレビシーエムやニュースでそういった映像を見せられるから、クリスマスと言えばそんな光景が思い浮かんでしまう。

 我ながら困った妄想癖だな、なんて思って苦笑いを浮かべる。

「陽人」

「ん? なに?」

 すると突然、真琴が俺を呼んだ。どうかしたのかと思ってそちらを見てみれば、俺の悪友はなぜか眉をしかめて俺を睨んでいた。

 何事だろうと思ってきょとんとしてみれば、真琴は訝し気に尋ねてきた。

「お前、クリスマス予定あんの?」

「……あー、うんある」

 俺は、今まさに思い出したという顔でそう答えた。

 真琴はそれを見ると、少し残念そうに「そうか」とだけ呟いた。

「ソウが何か言ってたの?」

「ん」

 俺が尋ねれば、真琴は自分のスマホを俺に差し出してきた。夜闇の中ではまぶしく感じる液晶画面に目を凝らしてみると、真琴が送った「クリスマスどうする?」というぶっきらぼうな言葉の後にソウの返信があった。

『今年はハル参加できないからやんないつもり』

 別にソウにそのことをしゃべった記憶はないのだけれど、文面を見る限りソウは知っていたらしい。

 間城に聞いたのかと一瞬思ったが、小さく頭を振ってその考えを払う。

「ごめんね、予定入れちゃって」

 顔を上げながら真琴に言えば、少しすねたような真琴と目が合う。

「別に」

 どうでもいいと言いたげに吐き捨てた真琴だけれど、その声には不機嫌な色が見えた。

 ぶっきらぼうで人当たりの良くない、言葉数も少なすぎるくらいの真琴だけれど、俺たち三人で過ごす日々を気に入っていたのだろう。

 素直ではない悪友を少し微笑ましく思いながらも申し訳なくて苦笑いを浮かべれば、真琴がまたすねたような声で言ってくる。

「珍しいな。家族となんかするのか」

「いや、そうじゃないよ」

「…………は?」

 反射的に答えれば、真琴がどういうことだと眉をしかめた。

 俺は内心やってしまったと後悔しながら苦笑いに混ぜて言う。

「ちょっと出かけるだけだよ」

「…………誰と」

 真琴は全く心当たりがないと眉をしかめたまま問い返してくる。

 俺は何と答えようかと考えて、苦笑いを浮かべた。

 中学のころからクラスもずっと一緒の真琴のことだ、ここで中学の友達と、なんて誤魔化してみてもそれが嘘だということはばれてしまう。中学の頃に特別仲の良かった相手なんて真琴くらいのものだ。高校に入ってからも文芸部のメンバー以外としゃべることなんてほとんどない。

 だから、その苦笑いで真琴は頭の中に数人の姿が浮かんだのだろう。

 俺の悪友は、眉をしかめたまま信じられないという顔で言った。

「永沢と、うまくいきそうなのか?」

「…………」

 瞬間、俺は息を呑んだ。

 彼女の名前が出てきたことにも驚きだし、真琴がそんなことを訪ねてくるのにも驚愕した。。けれど、何より予想外だったのは、真琴がその目を期待に輝かせたことだった。

 俺は目を逸らし、足元を見た。その拍子に傾いた自転車が小さくチェーンを鳴らした。

 とっさに視線をそらしてしまったことが何だか情けなくて、そのままふっと笑うとそれを真琴のほうに向けた。

「…………」

 その瞬間、真琴の顔に影が差す。顔を少しだけ俯け、品定めするような視線を向けてくる。

 俺はそれを払うために身動ぎする。けれど真琴の視線は剥がれない。秋にも垣間見たあの鋭い視線を思い起こしながらふうと息を吐いた。

「文芸部の奴か」

「……うん」

 もう今更隠しても意味がないだろうと思って素直に答える。

「永沢じゃないのか」

「……うん」

 また素直に答えれば、真琴が残念そうに視線を落とす。なぜそんな顔をするのかわからなかったけれど、それでも真琴の考えていること、思っていることはなんとなく理解できて首を傾げて見せるなんてことはできなかった。

「立花と、出かけるのか」

「…………うん」

 頷いた俺よりも、真琴のほうが悲しそうな顔をしていた。

 普段から、どちらかと言えば攻撃的な真琴がそんな顔をするのは予想外で、俺が問い詰められているはずなのに、真琴のことを責めているような気になってしまう。

「そうか」

「…………」

 そこで会話が途切れると、俺は恐る恐る真琴の目を見た。

 きっと、真琴の視線は恐ろしいほどに刺々しいものになっているということは簡単に理解できたから。

 俺のやっていることは、前に真琴が口にした事と、まったく一緒だから。

 真琴の言っていた、『そんなもの』にすっぽりとあてはまる行為だったから。

 だから真琴はあの時の様に、憎悪すら感じ取れるような瞳で俺のことを見ている。そう思った。

「…………真琴?」

 けれど真琴は、悲しそうに、悔しそうに、眉を伏せた。

 予感に反した真琴の姿に動揺して俺は一歩歩み寄った。

 俺と一緒に動いた自転車が、カチャカチャとチェーンを鳴らす。空気が澄んでいるおかげなのか、その音がとても大きく聞こえて、それでも真琴の罵声は聞こえてこないから不安に駆られる。

 いったいどうしたんだろうと思いながら真琴の顔をのぞき込もうとすれば、真琴は隠すように踵を返してしまった。

「帰るぞ」

 真琴は、自転車にまたがりながらそう言った。

 振り返って、早くしろと目で訴えかけてくる。けれど俺は動くことが出来ず、代わりに寒さに震えながら声を出した。

「なんで、何も言わないの……?」

「…………」

 問えば、真琴は言いにくそうに視線を逸らした。

 真琴が言葉数少ないのはいつものことで、身振り手振りや表情、ため息のつきかたなんかから言いたいことを読み取るなんていうのは日常茶飯事で、もはやそれ自体が真琴との会話だった。

 それなのに、今だけは真琴の内側が見えない。何を思っているのか、何を言いたいのかが理解できない。

 俺の知っている真琴なら、俺に向かって罵声を浴びせるはずだ。そんなもんで満足するのかと、その程度ならどうせ破綻するだけだと、所詮意味のないものだったんだと、吐き捨てて見せるはずなのだ。

 なのに、今の真琴は口を閉ざし、目を逸らすのだ。それも、自分を責めるような面持ちで。

「……真琴?」

 俺はもう一度、友の名を呼ぶ。そしてようやく返ってきたのは耳慣れたため息ではなく、覇気のない声だった。

「別に、何も言うことなんかない」

「…………」

 耳を疑った。この状況で、真琴がそんなことを言うはずがないと思っていたから。

 目を見開いて、真琴に問う。なんでそんな風に言うのかと。俺が今していることは、立っている場所は、真琴が最も忌み嫌ったものではないのかと。

 真琴は戸惑う俺を見て、ふっと息を吐くと背を向けた。

「もう、何も言わない」

 そう言いながら片足をペダルに乗せる。

 カチャンと音が鳴ると同時、街灯が自分を見失ったようにちかちかと点滅する。

 俺は何も言えないほどまでに幻滅されてしまったのかと思って視線を下げる。それもそうだ、俺自身が自分でわかっている。これは、真琴の最も嫌ったことだと理解している。

 当然のことだ。そう思いながら、俺は真琴の言われた通り自転車にまたがる。

 自転車に軋む音でそれを察知したのだろう真琴は、ふうと息を吐いた。そして浮かび上がった白い靄が消えると同時、真琴はぼそりと言った。

「もう、邪魔はしない」

「…………どういうこ――」

 その言葉の真意を訪ねようとして顔を上げたが、言葉の続きは出てこなかった。

 振り返った真琴が、とても申し訳なさそうな顔をしていたから。

 なんでそんな顔をするのだろうと、戸惑い固まっている俺に、真琴はくるりと背を向けながらふわりと言った。

「邪魔して、悪かった」

 そんな風に謝る真琴は初めて見て、何も言えない俺は片足をペダルに乗せたまま動けなかった。

 だから当然、自転車をこぎ始めた真琴は俺から遠ざかって行った。


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