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Primula  作者: 澄葉 照安登
第七章 聖夜に灯れ
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聖夜に灯れ 5

 今日も変わらず、外では冷たい風が吹き抜けている。日の光が当たって暖かくも見えるのに、窓によれば途端に冷たさを感じるのだから溜まったものではない。コートも着ずに外に出るなんて想像するだけで身震いしてしまう。

 そんなことを思いながらもう気温も上がり切っているはずのお昼時に、俺たちはいつものように鞄を背負って部室へ向かおうと顔を合わせていた。

 ソウと真琴が乱暴に鞄を背負い、俺も同じく鞄を背負いながら最後の一人へと視線を向ける。

「なんか、久しぶりだね。間城が部活に来るの」

「うちもそんな気がするよ」

 そう口にしながら鞄を背負い直した間城は、立花さん同様コートのボタンも留めずに裾を翻した。

 それを合図に久々に四人で教室を出れば、間城が俺の隣を陣取ってきた。

「冬休み部活ないって聞いたから、何とか顔出しておこうって思ってね」

 言いながら、間城は運動部のエースのような恰好のいい笑顔を浮かべる。

 きっちりと着ていないコートは立花さんと同じような着方なのに、彼女に感じたそれとはまた違った印象を受ける。だらしない、不真面目といった印象は不思議と抱かず、やはり格好のいい、様になっているという感想ばかりが出てくる。

立花さんとは違い髪の毛が短いというのもあるのかもしれないが、その雰囲気が何より堂々としてカッコよかった。

 そんな彼女に対して、俺はぽやっとした顔で頭上を見上げる。

「そっか、間城が最後に部活に顔を出したのって…………文化祭の時?」

「あー……たぶんそう」

 俺が記憶をたどりながら口にすれば、間城も同じように頭上を見つめて口にした。

 文化祭があったのは十一月上旬。今はもう十二月下旬だ。もう一カ月以上も部活に顔を出していなかったのかと思うと、ちょっとした驚きがある。

 俺たち三人は教室で顔を合わせてはいたけれど、後輩たちはそれ以来一度も顔を合わせていないかもしれない。そう考えると、顔を合わせていない一カ月と言うのはとても長いものに感じた。

「後輩たちと会うのも久しぶりなんだね」

「そうだね、うちは帰りもバイトがあるからすぐ帰っちゃうし、すれ違うこともなかったからね」

 間城は言いながら詫びるように笑顔を浮かべた。そんな顔をする必要はないのにと思いながら曖昧に笑って返せば、間城がはっと思い出したように言った。

「松嶋と最後に喋ったのも、結構前だよね」

「あー、そうだね」

 ここ最近は学校で姿を見たとしても一緒に昼食をとることもなければ、こうやって一緒に部室に向かうこともなかった。

 最後に間城と喋ったのはいつだろうと思って記憶をたどってみれば、記憶にこびりついているのは修学旅行のことだった。

 ほかにも何か喋った気がしないでもないが、真っ先に浮かぶのはそれだった。

 その時のことを思い出してたははと笑顔を浮かべれば、間城はふっと優しく微笑むと静かな声音で言った。

「答え、聞かせてもらっていい?」

「えっ!? 何!?」

 いきなりそんな風に言われたから驚いてのけぞってしまう。さっきまで男らしいだとかかっこいいだとか思っていたのに、いきなり女性らしい一面を見せられて心臓がバクバクいう。

「そんな驚くこと?」

 そんな俺を見て、間城は目を丸くしてこっちがびっくりだと言わんばかりに笑って見せた。

「あ、いやぁ……」

 俺は自分の挙動が少し恥ずかしくて、間城から視線を逸らした。

 そらした先では、俺の声に驚いたのかソウが振り返りながら首を傾げていた。

「何してんのお前ら?」

「あはは……」

 曖昧に笑って返せばソウはわけわからんと首と一緒に肩まで傾げて不思議な体制になった。

 俺は何も言えずにただ苦笑いを浮かべていると、ソウの隣にいた真琴がふっと吐き捨てるように息を吐く。

「総、鍵取りに行くぞ」

「ん? ああ」

 真琴がぶっきらぼうに言えば、ソウが思い出したように足を動かし始める。真琴もそれに続くと、職員室へと続く段差を下り始めた。

「総、うちら先上行ってていい?」

「おう」

 間城が二人の背中にそう投げてみれば、振り返りもせずに手だけを上げてソウが答える。

「んじゃ先行くねー」

 それを受けた間城がお気楽に言うと、早く行こうと視線で訴えてきた。

 俺は二人の後に続くべきかと思ったが、間城がうちらと口にしたのでその必要もないかと思い至り間城と一緒に階段を上ることにする。

 すると間城はさっきまでの明るいテンションはどこかへやって、また静かな、優しい声で言った。

「んで、答え、どうなの?」

「答え…………」

 言われて、いったい何のことだろうと思う。

 答え、なんて言われても俺は間城に何か問われていた覚えはない。テストはもうとっくに終わっているしその答え合わせをしたいということでもないだろう。

 いったい何のことだと思って足元を見つめながら考えると、一つの答えに行きついた。

「あ、もしかして立花さんから聞いたの?」

「へ? 美香ちゃん?」

「えっ?」

 そのことだろうと思って尋ねてみれば、間城は何を言っているのかわからないとばかりにきょとんとした目で俺のことを見ていた。

「え、立花さんの星座を当てるクイズの話じゃ……」

「……何それ?」

 恐る恐る確認してみれば、間城はそんなこと聞いたことないと眉をしかめてしまう。

 俺は万策尽きてあはは、と苦笑いを浮かべるしかない。

 すると間城はため息を一つ吐いてから、なんで覚えていないのかと言いたげに眉を吊り上げて、たしなめるような口調で言った。

「前に話したこと、覚えてないの?」

「え、何のこ……と?」

 戸惑いながら問い返せば間城はため息を吐く。なおも心当たりのない俺はそれを見て申し訳なくて視線を逸らした。

 いったい俺は間城とどんな問答をしていたんだろうと思っていると、間城は諦め半分にふうと息を吐いた。

「もしも時間を戻せたら、って話」

「えっ………………あっ! そういえば」

 言われて、いつだかそんな話をしていたことを思い出す。確か修学旅行が終わってすぐのことだ。

 ようやく間城の言いたかったことを理解し頷いていると、間城は本当に忘れてたのかと困り笑いを浮かべていた。

「今度訊くって言ったじゃん」

「あーっと……ごめん」

 すっかり忘れていた事実は覆らないし、きっと間城もそのことに気付いているだろうし言い訳をする気にもなれずに素直に謝った。

 すると間城はため息交じりに「ま、いいけどさ」と呟くとまた大きく息を吐いてから俺に問いかけてきた。

「で、どう。時間を戻したいと思うこと、ある?」

「あー、小学生の時のこと、かな?」

「小学生?」

 言うと、間城は目を丸くした。

 俺はそれに頷いて返すと、最低限の言葉で説明する。

「昔飼ってた犬が死んじゃった時、平気な顔してたことがあって。それが後悔かな」

 思いのほか簡単に言葉がつながって、俺自身びっくりした。何年も誰にも言えなかったことだったのに、こんなにもあっさりと口にできたことが不思議で仕方ない。

 内心で驚きながらも自嘲気味に話せば、間城はほーんと興味もないと言いたげな声を上げる。

「えっと、お気に召しませんでしたかね?」

「…………」

 不安になって尋ねてみれば間城はじっと俺のことを見る。いったい何だと思いながら身を引きながら見つめ返せば、間城はふうとため息を吐いた。

 息を吐き切ると同時、間城は上履きをきゅっと鳴らしながら階段の踊り場で足を止めると、体ごと俺に向きなおる。

 そして、まるで幼子を窘めるかのように優しく、それでいて少しだけ呆れを含ませた井富で俺を見た。

「文化祭の前に、戻りたいって思う?」

「あ………ッ!」

 言われて、奥歯を噛んだ。

 胸が苦しくなって、喉の奥から何かがこみ上げてきそうになったから。

 それを見た間城は、小さく息を吐くとぼそりと付け足した。

「思わないわけないよね」

 まるで俺の心の内なんて手に取るようにわかると、言葉を交わさずとも理解できていると言いたげに。間城は目を細めてそう言った。

 俺は奥歯をかみしめているせいで何も言えない。気付けば息も止まっていて、それに気づいて慌てて呼吸をし始める。そんな俺を見ている間城は、同情でもしているかのように物悲しい瞳を向けていた。

 実際同情しているのだろう。きっと間城はあの時、俺と同じ気持ちを味わったのだから。この上なく恋焦がれ思った相手にその心を届け、それでもそれ以上を叶えることが出来なかった彼女には、わかってしまうのだろう。

 たぶん俺は、間城によく似た顔をしていると思う。輪郭がどうというわけではなく、心が顔に出ているという意味で。

 苦しくて、辛くて、ひたすらに痛くて。もうどうしよもないくらいに誰かを攻め立てたくなってしまう。そんな気持ちが、顔に出ているのだろう。

 ただゆっくりと階段を上っていただけなのに息も絶え絶えな俺を見た間城は、ふうと優しく息を吐いた。

 踊り場の端まで歩いていくと、間城は壁に背を持たれてこっちに来いと視線で促す。

 苦しさは一向に和らいでくれなかったけれど、俺は胸を思い切り鷲掴みにする痛みでそれを紛らわせながら間城と同じように壁に背を預けた。

 胸から手を離し、深呼吸する。そうしてしばらくすると。俺が落ち着くのを待っていてくれたのであろう間城が吐息交じりに言った。

「諦めれてないんでしょ」

「…………」

 間城の言葉は、やはりわかっていると言うように疑問符など付いてはいなかった。

 俺は少しだけ胸の苦しさを感じながらも、深呼吸をして落ち着ける。そして今しがた穏やかな声を発した同級生に視線を向ける。彼女の目は、とてもやさしかった。

「……なんで、そう思うの?」

 言い訳のつもりでも何でもなく、素直に疑問に思った。

 ここ最近間城とは話していなかったし、挨拶だってろくにかわしていない。それなのにそんな風に言えるのはなぜなのかと、素朴な疑問だった。

 俺の問いを受けた間城は、ふっと息を吐くと眉をしかめて苦しそうに笑った。

「うちと、同じだからだよ」

 言われて俺は、間城と同じように眉をしかめた。

 その言葉は、どんな同情の言葉よりも重みが伴っていて、何もかも同じなわけではないだろうと、受け流すことが出来なかった。

「簡単に、諦められないもんだよ」

 そう言った間城は、その瞳におそらくソウを映したんだと思う。俺は一カ月以上言葉どころか目線すら交わしていないあの子のことを浮かべたから。

「……間城は、すごいね」

「何がよ」

「こんなになっても、もう一回告白したんでしょ」

「まーね」

「……すごいね」

 悔しさに奥歯をかみしめながら言うと、間城は深く息を吐いた。

「……松嶋はうちと同じようにはしないの?」

「……できないと思うよ」

 言いながら、もう一度彼女に振られる光景を浮かべた。

 諦めきれずに、もう一度告白して、そして振られてしまう予知にも等しい未来予想を。

「振られるってわかってるのに……また同じ思いをするってわかってるのに、告白なんてできないよ」

 ずいぶんと情けない言い分だったけれど、想像しただけで恐ろしくて、腕が震えてしまうほどだから、できる気がしなかった。

「諦められるの?」

 本当にできるのかと、確認するように尋ねた間城の目を見ることが出来ずに俯く。

「……時間が経てば、多分」

 今はまだ引きずったままで、目を合わせることすらできないけれど、時間が経てばきっとこの苦しさも薄れていって、またそれまでの様に過ごすことが出来るはずだから。と、そんな期待を抱く。

「……そっ」

 俺が答えれば、間城は自分には関係ないとばかりにそっけなく返事をして壁から背中を引きはがした。

 けれど間城はそっけない音に乗せて温かい言葉を紡ぐ。

「松嶋。うちは諦めるな、なんて言おうとは思ってないよ。それがどれだけ辛いのかは、うち自身が一番よくわかってるつもりだから。…………だから松嶋か、自分で決めて好きにすればいいと思う」

 間城はそう言うと、ふうと息を吐いてから言葉を続けた。

「うちは部活に顔出してないからわかんないけど、多分みんな気遣ってるんでしょ」

 言われて、その通りだと思いながら息を吐いた。

 息を吐き出した拍子に頭が下がると、それを頷きと捉えたのか間城は言葉を続けた。

「でも、松嶋の問題だし、周りに気を遣わせたくないからどうこうって決め方はしなくていいと思う。諦めるなら諦めるでいいし、諦められないならそれでいいと思う。それを決めるのは松嶋自身で、ほかの誰かがどうこう言う権利はないからね」

 間城は何度も、自分の選択だと言い続けた。

 きっとそれは周りを気にするなという意味が込められているのだろうけど、俺は責任転嫁などできないと脅されているような気がした。

「松嶋、周りなんて気にしなくていいよ。どんな後悔をしたくないかは、自分で決めることだから」

 言われて、間城とそんな話をしていたことを思い出した。

 どんな後悔をするかではなく、どんな後悔をしたくないかだと。

 俺はそれを思い出して、ああなるほどと今になって思う。

 確かに大きな後悔をしてしまえば、そう思えるようになる。この後悔の仕方だけはしたくなかったと思えたから、間城の言葉の意味が理解できた。

「……もっとよく、考えてればよかったな」

 何も考えていなかったわけではなく、むしろ精一杯考えて出した答えだったけれどそう思った。

 しかし、後悔してもすべては後の祭り。今更どうにもできない。過去を変えることも、時間を戻すこともできはしないのだから。

 俺は震えながら息を吐く。苦しくて震えただけなのに、涙が絡んだみたいに聞こえてしまうのは俺自身が泣きたいと思っているからだろうか。

 俺は頭を振ってそれを追いやると、間城と同じように壁から背を離した。

 足にかかる重みが増したように感じられて前に踏み出す足がとても重いけれど、それでも必死に動かして間城のもとへとたどり着く。

 間城は、俺が隣に来たのを確認すると階段を上っていく。

 言いたいことは、もう全部口にしたのだろうか。そう思っての背中を見ると、振り返らない彼女の唇からひっそりと音が聞こえた。

「松嶋」

 目の前の彼女が、俺を呼ぶ。

 俺の数段先を歩く彼女を見上げると、男子に見間違えてしまいそうなほど短い髪の毛の彼女は、振り向きもせずに囁くようにやさしく言った。

「これから、どうするかだよ」

 その声は俺の耳に届いていたけれど、どう答えていいかわからずにそっぽを向いた。

 そうするうちに間城との距離が開いてしまって、俺は慌てて歩調を上げて、その勢いのままに言った。

「わかってるよ」

 息を吐きながら口にしたせいで、その声は不貞腐れた子供のようだった。


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