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『Les femmes qui complotent 企む、女たち』  作者: 東曌


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『Les femmes qui complotent 企む、女たち』第六話

第六話 ふたりのオリエ


 

 東京芸術劇場の会議室で、制作プロデューサーが腕時計を見た。


「では、そろそろ結論を出しましょう」


 机の上には、八人の候補者の評価資料が並んでいた。


 富士やよい。

 天野ユリ。

 田所マナミ。

 澤ユキノ。

 倉木リカコ。

 霜田キコ。

 朝倉莉子。

 白石芽衣。


 八人が、それぞれのやり方でオリエを演じた。


 同じ台詞でも、声の温度が違った。


 同じ沈黙でも、そこに隠れている感情が違った。


 そして、同じ一人の女を演じるとしても、観客が劇場へ足を運ぶ理由は一つではない。


 ミシェル・サウンは、評価資料から目を上げた。


「私の推薦は変わりません。富士やよいさんと、天野ユリさんです」


 プロデューサーは、すぐには答えなかった。


「二人とも主演として起用する、ということですね」


「はい」


「どちらかを本命にして、もう一人を代役にするのではなく?」


「違います。二人ともオリエです」


 ミシェルは、はっきりと言った。


「富士さんのオリエは、人を信じたことによって傷つき、それでも人間を理解しようとする。天野さんのオリエは、傷ついた自分を見つめることから始めて、最後に自分の人生を選び直す。どちらも、十年間の旅を経た女です。ただし、帰ってくる場所が同じでも、彼女たちが見ている景色は違う」


「演出家としての評価は理解できます」


 プロデューサーは資料を閉じた。


「では、興行の話をしましょう」


 会議室の空気が、わずかに変わった。


 芸術の話が終わったわけではない。


 しかし、ここから先は、芸術の話だけでは決められない。


「今回の会場は、東京芸術劇場コンサートホール。公演期間は十四日間。一日一公演。客席数は一九九九席を想定しています」


 プロデューサーは、ホワイトボードに数字を書いた。


 一九九九席 × 十四公演 = 二万七千九百八十六席。


「これは、単純計算した延べ座席数です。関係者席などを差し引けば、実際に販売できる席数は変わります。それでも、大きな興行であることに変わりはありません」


「ええ」


 ミシェルは答えた。


「この作品は、朗読劇です。舞台装置も、華やかな転換もない。観客は、俳優の声と呼吸と沈黙から、十年間の旅を想像する。だからこそ、俳優の名前が入口になることは理解しています」


「そのとおりです。観客に作品を知ってもらうためには、名前の力が必要です。予約販売で早期完売を目指すなら、なおさらです」


 プロデューサーは、二人の資料を並べた。


「富士さんと天野さん。お二人を主演に据えることで、二つの異なる観客層に作品を届けられる可能性がある。ただし、名前だけで席が埋まると考えるほど、私たちは楽観的ではありません」


「宣伝が必要ですね」


「宣伝だけではありません。出演料、稽古日程、所属事務所との契約、販売計画、広報活動。全部を成立させなければならない。主演二人の条件が合わなければ、どれほど演技が素晴らしくても契約は結べません」


「当然です」


 ミシェルは、ためらわなかった。


「私は演出を引き受けています。興行の責任まで一人で負うつもりはありませんし、あなた方の仕事に口を出して、決裁権を奪うつもりもありません」


 プロデューサーは、少しだけ表情を和らげた。


「では、具体的な提案をします」


 彼は、ホワイトボードに二つの期間を書いた。


 ◾️第一週 富士やよい


 ◾️第二週 天野ユリ


「日替わりにはしません。一週間ずつ、主演を交代します。第一週は富士さん、第二週は天野さん。稽古期間中に二人とも作品全体を理解したうえで、それぞれの主演期間に集中していただく」


 ミシェルは、ホワイトボードを見つめた。


「それなら、作品の呼吸を壊さずに済みます」


「日替わりだと、観客の期待は公演ごとに変わります。出演者のコンディション管理も、広報の訴求も複雑になる。一週間ごとなら、販売告知も明快です」


「第一週は富士やよい主演。第二週は天野ユリ主演」


「そうです。どちらも主演として、同じ作品の異なる解釈を届ける。優劣を競わせるのではなく、それぞれの一週間を作品の一部として売り出します」


 ミシェルはうなずいた。


「私は賛成です」


「ただし、最終日はJCBカード会員向けの貸切公演です」


 プロデューサーが続けた。


「契約上の公演日程を動かさないなら、最終日は第二週に入ります。したがって、天野さんがオリエを演じることになります。JCB側の会員向け案内や販売施策、広報協力については、合意した契約の範囲内で調整します。JCBに配役の決定権があるわけではありませんが、貸切公演を成立させる責任は私たちにあります」


「承知しています」


「主催者側も、予算と契約条件を確認したうえで、この方式を承認する必要があります」


 会議室の奥に座っていた主催者側の責任者が口を開いた。


「その点は、すでに確認を進めています。富士さん、天野さん、両方の所属事務所に、出演条件と日程の最終確認を取っています。予算上も、二人を主演に据える案で調整可能です」


 プロデューサーが資料を差し出した。


「仮押さえの条件、出演料、稽古期間、宣伝協力の条件は整理できています。正式な契約書を締結することが前提ですが、現時点で大きな障害はありません」


 ミシェルは、二人の名前を見た。


「では、私は二人を推薦します。プロデューサーとして、興行上の責任を引き受けられますか?」


「はい。条件を確認したうえで、私はこの案を採用します」


「主催者としては?」


「必要な承認手続きを経て、二人を主演として起用します。契約を締結し、正式発表まで責任を持って進めます」


 ミシェルは、ゆっくりと息を吐いた。


「では、決めましょう」


 プロデューサーは、会議記録に結論を書き込んだ。


 オリエ役。


 富士やよい、第一週。


 天野ユリ、第二週。


 日替わりではない。


 代役でもない。


 「二人の主演による、一週間交代のダブルキャスト。」


 決定の瞬間は、拍子抜けするほど静かだった。


 誰かが拍手したわけでも、劇的な音楽が流れたわけでもない。


 ただ、紙の上に書かれた二つの名前が、これから二万席を超える観客の期待を引き受けることになった。


     *


「ほかの六人は、どうしますか?」


 主催者側の責任者が尋ねた。


 ミシェルは、残る六人の資料を見た。


「彼女たちを、落選者という言葉だけで片づけたくありません」


「しかし、オリエ役は二人に決まりました」


「分かっています。だからこそ、別の役を機械的に割り振るのではなく、作品に必要な声を考えたいのです」


 ミシェルは、脚本を開いた。


「この作品には、キクロプスという巨大投資家がいます。サイレンたちの声があります。キルケーの誘惑があり、カリュプソの甘い逃避がある。会社の買収を進める者たち、監査の不正を知りながら沈黙する者たちもいる」


「朗読劇ですから、声の使い分けが重要になりますね」


「ええ。舞台装置がないから、声の一つひとつが舞台装置になる。俳優が一人の人物を演じることもあれば、別の場面ではまったく違う人物の声になることもあります。ただし、声を何種類も出せることだけが条件ではありません。観客が、いま誰の声を聞いているのか、迷わず想像できなければならない」


 ミシェルは、資料に目を落とした。


「田所マナミさんには、キルケーをお願いしたい。人を魅了する声の奥に、相手の判断力を奪う怖さがある。あの方なら、華やかさを単なる悪女の記号にしないでしょう」


 プロデューサーがうなずいた。


「澤ユキノさんは?」


「カリュプソです。オリエを閉じ込めるのは、暴力ではなく、あまりにも快適な暮らし。澤さんの声には、拒絶することが難しい優しさがある」


「倉木リカコさんと霜田キコさんは?」


「買収側の中心人物と、監査委員会の責任者。倉木さんには、数字と権力を信じる人間の鋭さを。霜田さんには、正義を知りながら組織の論理に従ってしまう人間の重さを担っていただきたい」


 プロデューサーは、メモを取った。


「ただし、本人たちの希望と契約条件を確認する必要がありますね」


「もちろんです。オリエ役のオーディションを受けたからといって、別の役を引き受ける義務があるわけではありません。私は推薦をします。出演を決めるのは、本人と制作側が条件に合意したあとです」


 ミシェルは、田所、澤、倉木、霜田の四人に、それぞれ別の役を提案した。


 四人は、すぐには返事をしなかった。


 それは当然だった。


 彼女たちは主演を目指して、ここまで来たのだ。


 自分が選ばれなかった理由を聞きたい者もいるだろう。別の役に価値を見いだせるか、考える時間が欲しい者もいるだろう。


 ミシェルは、急かさなかった。


「あなた方の演技を見たうえで、お願いしたい役があります。主演ではないから価値が低い、という話ではありません。でも、納得できないなら断ってください。役を引き受けることは、私たちへの恩返しではありませんから」


 その言葉を聞いて、田所マナミが笑った。


「ミシェルさん、ずいぶん正直ですね」


「舞台では、嘘をついても構いません。けれど、契約の場で嘘をつくのは、あまり好きではないんです」


「そういうところ、嫌いじゃありません」


 田所は脚本を手に取った。


「キルケー、やらせてください。オリエを帰らせない女ですよね。彼女が悪いと思っているだけでは、演じられない役だと思います」


 澤ユキノも、静かに口を開いた。


「カリュプソを希望します。私なら、オリエに帰ってほしくない理由を、もう少し丁寧に考えたい。彼女を愛しているのか、自分の孤独を埋めたいだけなのか。その違いを声にしたいです」


 倉木リカコは、買収側の役のページをめくった。


「悪役ですか」


「人間です」


 ミシェルは答えた。


「本人は自分を悪役だと思っていない。会社を買収するのも、利益を出すのも、正しい経営だと信じている。だから怖いんです」


「なるほど。なら、やってみたいですね」


 霜田キコは、監査委員会の台詞を読み返していた。


「この人は、不正を知っていた。でも、組織が壊れることを恐れて黙った。自分が正しいと信じたいから、沈黙した理由を後から作る。……分かりました。引き受けます」


 その日のうちに、制作側は四人の所属事務所と出演条件を確認し、全員との合意を取りつけた。


 残る朝倉莉子と白石芽衣にも、役の提案があった。


 莉子には、オリエがかつて育てた若い技術者の役。そして、買収された会社に残り、最後の株主総会で彼女に証拠を渡す社員の声。


 芽衣には、物語の終盤に登場する若い社員の役と、SNS上でオリエを称賛し、やがて手のひらを返す群衆の声の一部。


 ミシェルは、芽衣に説明した。


「あなたのオーディションでの言葉は、私に考えるきっかけをくれました。でも、それだけで役を与えるわけではありません。あなたの声を聞いて、この役に合うと思いました。学生だからという理由で、舞台の上に置くつもりもありません」


 芽衣は、少し驚いたように顔を上げた。


「私で、いいんですか?」


「あなたが、この役を演じたいなら」


 芽衣は、台本を胸に抱いた。


「やりたいです。ちゃんと、やってみたいです」


 莉子も、笑顔でうなずいた。


「私もお願いします」


 こうして、八人全員の出演条件が確認され、制作側と本人たちの合意が成立した。


 主演は二人。


 そのほかの出演者も、それぞれの役を担う。


 誰かを慰めるための配役ではない。


 作品を成立させるための配役だった。


     *


 午後五時三十分。


 最後の確認事項は、宣伝計画だった。


「第一週と第二週を、どう売り出すか」


 プロデューサーが尋ねた。


「まず、作品そのものの説明を統一します。これは女の一生を描いた物語であり、現代のオデュッセイアです。AI企業の買収戦争を生き抜いた女性が、十年を経て東京へ帰ってくる。しかし、帰る場所が残っているとは限らない」


「そこに、主演二人の個性を加える」


「そうです」


 ミシェルは言った。


「富士さんの第一週は、他人を理解しようとするオリエ。天野さんの第二週は、自分の人生を選び直すオリエ。これは宣伝上の切り口です。実際の舞台では、二人とも相手の感情を理解し、自分の人生を選びます。片方だけが正解という売り方はしません」


「第一週と第二週で、観客の受け取り方が違う可能性もありますね」


「違っていいのです。同じ物語を二度見る意味が生まれるかもしれない」


 プロデューサーは、販売資料を確認した。


「予約販売の開始時期を調整します。出演者の名前を使った告知、インタビュー、作品紹介、稽古場からの発信。JCB側とも、契約に含まれる会員向け案内や貸切公演の告知について協議します。ただし、即完売は目標であって、保証ではありません。売り切るために、私たちができることを全部やります」


「それでお願いします」


 主催者側の責任者が、最終確認をした。


「配役、日程、予算、広報計画。契約条件に問題がないことを確認しました。正式な契約書への署名をもって、本日の配役決定を確定します」


 全員が、必要な書類に署名した。


 その日、オリエ役は正式に決まった。


 第一週、富士やよい。


 第二週、天野ユリ。


 日替わりではない。


 二人とも主演であり、どちらかが誰かの代わりを務めるのでもない。


 最終日のJCBカード会員向け貸切公演は、第二週の天野ユリが演じる。


 公演期間は十四日間。


 会場は東京芸術劇場コンサートホール。


 客席数は一九九九席を想定。


 目指すのは、予約販売での早期完売。


 そして、売り切れた客席に見合うだけの舞台を届けること。


     *


 会議が終わるころ、窓の外では池袋の街に灯りがともり始めていた。


 ミシェルは、会議室に残った脚本を一冊、手に取った。


 表紙には、作品のタイトルがある。


 『女という名の業』


 彼女は、オリエの最後の台詞を開いた。


 十年間の旅を終えた女が、夫に別れを告げる場面。


 愛したことを否定しない。


 傷ついたことも否定しない。


 それでも、二人がかつての家族に戻ることはできないと認める。


 彼女は泣く。


 しかし、泣いたまま相手にすがりつくことはしない。


 自分の人生を、もう一度、自分の手に取り戻す。


 ミシェルは、その台詞を小さく声に出した。


 会議室には、誰もいなかった。


 それでも、声は部屋の壁にぶつかり、静かに戻ってきた。


 舞台装置はない。


 豪華な背景も、海を表す青い照明も、十年の旅を示す映像もない。


 あるのは、俳優の声だけだ。


 そして、その声を受け取る観客がいる。


 ミシェルは、窓の外を見た。


 二万七千九百八十六席。


 数字にすれば、ただの座席数だ。


 けれど、一つひとつの席には、一人の人間が座る。


 誰かは富士やよいを見に来るだろう。


 誰かは天野ユリを見に来るだろう。


 誰かは、二人の名前を知らずに、物語の題名に惹かれて来るかもしれない。


 誰かは、たまたま手に取ったチケットで、この舞台に出会うかもしれない。


 その誰かが、終演後に何を思うのか。


 それだけは、契約書にも、販売計画にも書けない。


     *


 数日後、正式な配役が発表された。


 告知の中心には、二人の名前が並んだ。


 富士やよい。

 

 天野ユリ。


 第一週、富士やよい主演。


 第二週、天野ユリ主演。


 同じ脚本、同じ役、異なる二人のオリエ。


 予約販売の開始を告げる情報が公開されると、制作チームは販売状況の確認に追われた。


 問い合わせが増えた。


 公演日程を確かめる人がいた。


 第一週と第二週の違いを尋ねる人がいた。


 両方の週を観たいという声もあった。


 制作側は、日程と出演者を明確に案内し、販売開始に向けて準備を進めた。


 やがて、第一週の販売席が予定数に達した。


 続いて第二週にも、申し込みが集まり始めた。


 公演の成功が、すでに約束されたわけではない。


 売上は、実際の販売結果によって決まる。


 評判も、観客が舞台を見たあとで決まる。


 しかし、作品が観客のもとへ届くための第一歩は、確かに踏み出されていた。


 ミシェルは、稽古初日に二人の主演と向き合った。


「今日から、あなたたちはオリエです」


 富士やよいが、脚本を開いた。


 天野ユリも、同じページを開いた。


「ただし、同じ女を演じようとしなくていい」


 ミシェルは言った。


「あなたたちは、それぞれのオリエを見つけてください。十年間、帰れなかった女。帰ってきたら、かつての家族が変わってしまっていた女。それでも、自分の人生を選ぶ女です」


 富士が顔を上げた。


「彼女は、最後に幸せになるんでしょうか?」


 ミシェルは、少し考えた。


「私には、分かりません」


「演出家なのに?」


「演出家だからです。私が先に答えを決めてしまったら、あなたたちが見つけるものがなくなるでしょう」


 天野が、脚本を閉じた。


「では、観客が決める?」


「いいえ。観客も、答えを決めなくていい。彼女の選択を見届けて、それぞれの人生に持ち帰ればいいのです」


 二人は、互いの顔を見た。


 第一週と第二週。


 同じ役を、別々の七日間で生きる。


 その違いを、競争にする必要はなかった。


 富士は富士の声で。


 天野は天野の声で。


 オリエを、舞台に立たせる。


 ミシェルは、二人に向かって言った。


「さあ、始めましょう」


 誰かが台本をめくった。


 紙の音が、静かな稽古場に響いた。


 その瞬間、まだ誰も見たことのない舞台が、ほんの少しだけ、そこに生まれた。


 女たちの企みは、終わったのではない。


 企みは、契約書の署名によって興行となり、興行は、俳優たちの声によって物語となる。


 そして最後に、その物語を完成させるのは、客席に座る人々だった。


 第一週、富士やよい。


 第二週、天野ユリ。


 二人のオリエが、東京へ帰ってくる。


 その帰還を見届けるために、劇場の扉が開く。


 果たして、劇評はどちらに軍配をあげるのだろうか。


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