おはようひな鳥
目覚ましの音よりも早く眠気が去っていった。起き上がろうとしたウィルは、自分の真横に人がいることを忘れていた。
むに、と温かい感触が手に当たり悲鳴をあげそうになる。しかしすぐに昨晩の祐基とのやり取りを思い出して息を飲んで押さえた。
すやすやと規則正しい寝息が聞こえてくる。さすがに二人で寝るのは暑かったのか、祐基の額に汗が浮かんでいた。拭ってやろうかと手を伸ばしたが起こしたらばつが悪い。
ゆっくりとベッドから出てルーティンをこなすために洗面所に向かった。
ひげを剃り、軽く筋トレとランニングを済ませる。朝食を用意しているところで時刻は七時ごろになった。
祐基も起きてきたが、その顔は一緒になってから三日間で見たものとはまったく異なっていた。
「おはよう、ウィリアムさん。さすが軍人さんですね、朝からトレーニングなんて精が出てすごいや」
整えられた笑顔がこちらに向く。寝起きとは思えないほど快活な声は耳心地のいいトーンだ。ぎょっとして固まったウィルを笑ってから、祐基は用意された朝食をテーブルに運んだ。
「おばけでも出たみたいな顔をして。ふふ、今日はでかける予定だからなるべく早めに起きようと思ってたんですよ。でも先越されちゃったなぁ。そうだ、俺も一緒にトレーニングしたいです! 健全な精神は健全な肉体に宿る、なんて言いますし。あまりちゃんと鍛えたことなくって、お勧めのやり方はありますか」
「ゆ、祐基、変な薬でも飲んだ?」
「なんのことです? あぁ、これですか。やっといつもの俺になる余裕が出てきたんですよ。ご迷惑をおかけしました。家の中でこんなに話すのも慣れてないから、変なところがあったら言ってください。最適化するので」
「待て、そうじゃなくて! 一体なにがどうなったら急にそんな口調になっちまうんだ。最適化ってロボットじゃないんだから」
「だから」と席に着いた祐基はコーヒーをかき混ぜながら首を横に振る。「〝家〟ではこうしなければならないんですよ。もう一度言います。変なところがあったら教えてください。俺が行動を起こすためにはジェスチャーで伝えます。人差し指を立てたらトイレに行かせてほしい、という意思表示です。それと水を飲んだ回数、歩数、ほかにもすべて共有しますか? パートナーとしてどんなものが必要ですか?」
ある部分だけ強めに言うと、祐基はそのままパンにかじりつく。なにか意図があるような言い方だった。
ハ、と気づいたウィルが自分の額を叩いた。祐基の指の爪が白くなっているのに気づいたからだ。余裕を浮かばせた笑顔の奥の目は暗く、助けを求められているように感じた。
(おかしなところがあれば指摘しろって、そういうことか。俺が知らないって言ったから教えてくれてるんだ)
この雛は、自分は殻の中に閉じ込められているとわかっている。出てくるためにはくちばしを使えばいいとどうやって伝えればいいものか。それは本能と、少しの親の助力によって可能になるのだろう。
ウィルも席に着き、机の上で手を組んだ。向かい側にいる祐基は緊張した面持ちに変わった。一息吐いて、ウィルも重くなった口の中を軽くするためにコーヒーを流し込んだ。
「ルールがあった方が過ごしやすい?」
問えば、祐基の人差し指がピク、と跳ねる。
「それとも初めてルールの外へと足を踏みだしてみるか」
「外……?」
「この家はきみのために用意されてる。だからきみが一番の権力者だ。ルールを布いてもいいし、治外法権にするのだってだれも止めはしない。俺はあいにく家族からは〝好き放題〟に生きることを教えてもらってきたから多少なりアウトローな方が過ごしやすいかな。もちろん悪事に手を出すのはダメだが、心の赴くままになんでもやればいい。国を守るために軍隊に入るのも、他国で怪獣から人々を守るのも俺は自分で決めた」
「あなたはどうしてその道を選んだんですか。ご両親も同じだから?」
「いいや、うちの親はオレンジを育ててる。でも未来がないから継ぐなって言われちゃってさ。それでなにか人の役に立つことがしたいと思って、軍に志願したんだ。幸い体力には自信があったから」
バターの蓋を取り、ナイフでたっぷりと掬い取る。その量に祐基が顔をしかめたのが見えた。そのままパンに塗りたくるとじゅわ、と溶けて良い匂いが漂う。
ウィルは口角をあげた。祐基のパンにもバターを落とす。「あっ」と驚いた顔に満足して塗り広げた。なんとも健康に悪そうだが、これがこの世で一番手っ取り早く贅沢を手に入れられる方法だ。
あとはジャムでもマヨネーズでも上からかけたっていい。
「これが自由ってことだ。もっと塗りたければ使っていいけど、胸焼けしないようにな」
「どこがいいんだよ、こんなびちゃびちゃなの。むぐ、えっ、おいしい。背徳的な味がするっ」
「ほらな」とウィルもかぶりつく。試してみなければなんだってわからないものだ。
「それで、ウィルはどうして怪獣と戦うことになるわけ」
敬語もポーカーフェイスもなくなった祐基に、ほっと安心する。ようやくこの雛鳥もくちばしが固いと気づいてくれたのかもしれない。
「別に特別な理由があるわけじゃなくて、推薦されたからだよ。ただずっとニュースの映像が頭にこびりついてたんだ。十五年前の侵略で人が、子どもたちが泣き叫んでるのが忘れられなかった。俺は泣いてたり、悲しんでいる人を傷つけるヤツは絶対に許せない。いじめっことも喧嘩してきたしな」
ぐ、と拳を握る。最初はそんな想いだった。
市民の危険を排除するために、軍からの要請に従った。しかし日本に来ていかに軽い気持ちだったか思い知る。骨を代替するのも抵抗はなかった。英雄になるんだとチームで団結し、怪獣対策に当たっていたのだが──。
「症状を持った子と一時期過ごしたことがあるんだ。順調に回復に向かっていて、もしかしたら克服できるかも、と思われた矢先その子の症状を抑えられなかった。それで結果悲しいことを起こしてしまった。そのあとから俺の骨が怪獣と相対するとけたたましく鳴くようになってさ、そのせいかはわからないが、怪獣が憎いのかもしれない」
「憎悪が湧くの……?」
「うるさくてイライラしてくる。自分が自分じゃなくなるような、嫌な感覚を消したいんだ」
「それは、少しわかるかも。俺も咳が出たときはそういう気持ちになる」
「それで衝動に駆られるようになって、気づけばジェノサイダーって恥ずかしいニックネームをもらってた。あれじゃどっちが怪獣かわかんないよな。さんざん怒られていまやパートナー業務ってわけだ。っと、つまらない話はここまでにしておこう。今日は忙しいぞ。まずは祐基の分の食器を買いに行くだろ、そのあとお待ちかねのドーナツを手に入れたら海に行くんだ」
「うみぃ? こんな春先に? まだ寒いからいやだよ」
「いいぞ、その調子でわがままになっていけばいい。よし、食い終わったら準備しよう。なにか必要なものはある?」
考え込んだ仕草のあと、祐基が身を乗り出した。嫌な予感がしてウィルの口が引きつる。今後はあまり気軽に訊かない方がよさそうだ。
「キ、」と言いかけた彼の口を手でふさぎながら、パンを急いで食べてコーヒーを飲み切った。




