「草原の出会いと薬草と」
声のした方に向かった。
草を踏む音と、くぐもった悲鳴。森の手前あたりで人影が後退りしていて、その前に四足の何かがいる。月明かりでも輪郭がはっきりわかるくらい、大きい。
近づきながら目を凝らして、シーザーは小さく息を呑んだ。
狼だ。ただし普通の狼ではない。肩までの高さが人間の腰くらいはある。毛並みは黒く、目が暗闇の中で鈍く光っている。
アルカナ・リングアに出てくる魔物、グレイウルフに似ていた。いや、似ているどころではない。ゲームで何度も相手にしてきたあの魔物そのものだ。
近づこうとした瞬間、気配を感じて振り返った。
いつの間にか、別の個体が後ろにいた。二匹で連携する習性もゲームと同じだ。
低く唸りながら距離を詰めてくる。考える間もなかった。こんな異常事態に対して、とっさに頭の中に浮かんだのは、ゲームのことだった。
魔物が跳びかかってきた。
その直前、シーザーと魔物の間に半透明の障壁が展開された。魔物は障壁に激突して弾かれ、唸り声を上げながら後退する。
シーザーは自分の手を見た。
魔法が、使えた。
VRで何百回と繰り返してきた防御魔法が、頭の中で構築した瞬間、現実でそのまま発動した。ゲームと同じように。まったくもって同じだった。
驚くべきことだが、でも今は後回しでいい。
弾かれた魔物が体勢を立て直す前に、もう一枚障壁を展開して人影との間に割り込んだ。二匹はしばらく障壁を引っかいたり体当たりしたりしていたが、やがて諦めたように森の中へ消えていった。
静寂が戻る。
「……助けてくれたの、あなた?」
月明かりに照らされたのは、長い茶髪の少女だった。年は自分より少し下くらいだろうか。両手で籠を抱えて、こちらをじっと見ている。
「あー、はい」
少女はしばらくシーザーをじろじろと眺めた。上から下まで、遠慮なく。それから小さく首を傾げた。
「王子様、って感じじゃないね」
「は?」
「ううん、なんでもない」少女は気を取り直したように咳払いをした。「ありがとう。助かった。エリナっていいます」
「俺は……ええと、シーザーかな」
「シーザー」エリナは繰り返して、また少し首を傾げた。「変わった名前」
「そうですか」
変わっているのはお互い様だと思ったが、口には出さなかった。
「こんな夜中に一人で何を?」
「薬草をね」エリナは籠の中を見せた。白い小さな花が摘まれている。「夜露月花っていって、夜にしか咲かないの。解熱に使えるから、お母さんに頼まれて」
「なるほど」シーザーは草原を見回した。「こんな夜中に一人で来るには、危なくないですか」
「いつもは大丈夫なんだけど」エリナは少し唇を尖らせた。「今日は運が悪かった」
「あなたこそ」と彼女は続けた。「こんな時間にこんな場所で何してたの。旅人?」
「まあ、そんなところです」
嘘ではない。答えようがないだけだ。
エリナはもう一度シーザーをじっと見た。さっきより少し長く。それから何かを飲み込むように小さく頷いた。
「……まあ、いっか」
「何がですか」
「なんでもない」エリナはさっさと歩き出した。「村まで送ってよ。お礼に泊まるとこくらい紹介してあげる」
有無を言わさない口調だった。
シーザーは苦笑しながら、その後を追った。




