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明日を捨てた夜に、君を拾った  作者: なつめ


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6 訪問者

第五話を読んでいただき、ありがとうございました。


ハルの身体に現れ始めた異変。


猫耳という少し可愛らしい変化の裏で、二人の日常には確かな不安が忍び寄っています。


そんな中、主人公たちの前に突然現れた謎の訪問者。


彼女はハルについて何かを知っているようですが、その言葉は新たな疑問を生むことになります。


今回の第六話では、少しずつ物語の核心へと近づいていきます。


これまでの日常とは少し違う空気を感じながら、最後まで楽しんでいただければ幸いです。


それでは第六話をお楽しみください。


コンコン――


玄関のドアが静かに叩かれた。


インターホンは鳴らない。


ただ二回。


まるで中に誰かいることを知っているようなノックだった。


「ご主人……」


ハルが不安そうに俺を見る。


猫耳がぴくりと震えている。


「隠れてろ」


「うん」


ハルは急いで寝室へ駆け込んだ。


ドアの隙間から耳だけ見えている。


全然隠れられていない。


「耳」


「はっ!」


慌てて引っ込む。



俺は玄関へ向かった。


コンコン――


再びノック。


恐る恐るドアを開ける。


そこには一人の女性が立っていた。


二十代後半くらいだろうか。


黒髪を肩まで伸ばした落ち着いた雰囲気の女性。


だが一番印象的だったのは、その瞳だった。


琥珀色。


ハルと同じ色。


「初めまして」


女性は静かに頭を下げる。


「突然申し訳ありません」


「……どちら様ですか」


「あなたが保護した猫について、お話があります」


俺の背筋が凍った。



部屋の空気が変わる。


女性は自分から名乗った。


「私は篠宮玲奈しのみや れいなといいます」


「……」


「まず安心してください」


玲奈は真っ直ぐ俺を見る。


「私は敵ではありません」


その言葉が一番怪しい。


俺は警戒を解かない。


「何者なんですか」


玲奈は少しだけ考えたあと答えた。


「猫守りです」


「……は?」


聞き間違いだろうか。


「猫守りです」


「いや聞こえてます」


意味が分からない。



その時だった。


寝室のドアが勢いよく開く。


「ご主人危ない!」


ハルだった。


そして玲奈を見た瞬間。


固まる。


玲奈も固まる。


数秒の沈黙。


やがて玲奈が呟いた。


「やっぱり……」


「知ってる人?」


ハルが首を傾げる。


玲奈の表情が少し柔らかくなる。


「君は覚えてないのね」


「?」


「そうでしょうね」


俺だけ置いていかれている。



玲奈はテーブルに座ると一枚の古びた写真を取り出した。


そこには一匹の白猫が写っていた。


今のハルによく似ている。


「この猫は?」


俺が尋ねる。


玲奈は静かに答えた。


「百年以上前から伝わる猫です」


「……は?」


「正確には、人と猫の境界を行き来する存在」


「待ってください」


情報量が多い。


頭が追いつかない。


ハルもぽかんとしていた。


「猫?」


「猫」


「私?」


「たぶん」


「たぶん?」


「記録が残っている特徴と一致しています」


ハルが自分を指差す。


「すごい猫?」


玲奈は少し笑った。


「かなり特殊な猫ね」


ハルはなぜか嬉しそうだった。



だが玲奈の表情はすぐに真剣になる。


「ただし問題があります」


部屋が静かになる。


「猫耳が現れたんですよね?」


俺は頷く。


玲奈は目を伏せた。


そして。


「残された時間は、あまり長くないかもしれません」


その言葉に空気が凍った。


ハルの顔から笑顔が消える。


俺の心臓が嫌な音を立てた。


「どういう意味ですか」


玲奈は静かに答える。


「人間の姿を維持できなくなり始めています」



窓の外では夕日が沈み始めていた。


誰も言葉を発しない。


ハルは自分の耳に触れる。


俺はそんなハルを見ることしかできなかった。


せっかく手に入れた日常。


せっかく笑えるようになった毎日。


それが終わるかもしれない。


その現実だけが重く胸にのしかかる。



玲奈はゆっくり立ち上がった。


「でも方法がないわけではありません」


俺とハルが同時に顔を上げる。


玲奈は真っ直ぐ二人を見た。


「人間として残る方法があります」


その言葉が。


絶望の中に差し込んだ小さな光のように聞こえた。


玲奈は真っ直ぐハルを見つめていた。


ハルも不安そうな顔で見つめ返している。


部屋の中は静まり返っていた。


時計の秒針だけがやけに大きく聞こえる。


「本当に……あるの?」


ハルが小さく尋ねた。


玲奈は頷く。


「あります」


「じゃあ教えて!」


ハルは身を乗り出した。


猫耳までぴんと立っている。


その姿を見て、玲奈は少しだけ苦笑する。


「ただし簡単ではありません」


「難しいの?」


「ええ」


玲奈はテーブルの上に指を置いた。


そして静かに話し始める。


「人間になった理由を見つけなければいけません」



「理由?」


俺が聞き返す。


玲奈は頷いた。


「普通の猫が人間になることはありません」


それはそうだ。


できたら世の中大騒ぎだ。


「何か強い想い」


「願い」


「未練」


玲奈は一つずつ言葉を並べる。


「そういったものが奇跡を起こすことがあります」


ハルは首を傾げた。


「願い?」


「心当たりは?」


「うーん……」


考え込む。


だが答えは出ないらしい。


ハルは困った顔をした。


「分からない」


玲奈も予想していたのか、大きくは驚かなかった。


「でしょうね」



その時だった。


玲奈の視線が部屋の隅へ向く。


俺の心臓が止まりそうになる。


ロープだった。


まだ捨てていない。


あの日買ったままのロープ。


玲奈は何も言わない。


だが気付いたのは明らかだった。


沈黙が流れる。


ハルは気付いていない。


不思議そうに二人を見比べている。


「……」


玲奈は俺を見る。


その視線だけで十分だった。


全部見透かされている気がした。



「あなた」


玲奈が静かに口を開く。


「死ぬつもりだったんですね」


ハルが固まる。


俺も固まる。


逃げ場なんてなかった。


否定もできない。


部屋の隅にあるロープが全てを物語っている。


「ご主人……?」


ハルが俺を見る。


その声は震えていた。


「本当?」


答えられない。


何を言えばいいのか分からない。


黙ったまま俯く。


すると。


ぽすっ。


何かが肩に触れた。


ハルだった。


いつの間にか隣に来ていた。


「……」


「……」


言葉はない。


ただ肩に頭を預けている。


まるで猫だった頃みたいに。



「ご主人」


小さな声。


「今は?」


俺は目を閉じた。


数日前なら答えは決まっていた。


でも今は違う。


ハルがいる。


笑って。


騒いで。


魚に興奮して。


段ボールに入って。


毎日をぐちゃぐちゃにしてくる。


そんな存在がいる。


「……分からない」


正直に答えた。


「でも」


声が少し震える。


「前みたいには思ってない」


ハルの耳がぴくりと動く。


そして。


「よかった」


本当に安心したように笑った。



玲奈はその様子を静かに見ていた。


そして小さく呟く。


「やっぱり」


「?」


「それが理由かもしれません」


俺は顔を上げる。


玲奈は窓の外を見る。


夕陽が部屋を赤く染めていた。


「この子が人間になった理由」


「あなたを助けたかったから」



その言葉に。


誰も返事ができなかった。



ハルは目を丸くしている。


「私が?」


玲奈は頷いた。


「偶然じゃないと思う」


「でも私、そんなこと……」


「覚えてなくても不思議じゃありません」


玲奈は微笑む。


「猫は案外、人間のことをよく見ていますから」



夕陽が差し込む部屋の中。


ハルは黙ったまま俺を見ていた。


俺もハルを見る。


言葉は出ない。


ただ胸の奥が熱かった。


もし本当にそうなら。


もし本当にハルが俺を助けるために人間になったのなら。


俺は――



その瞬間。


ハルの耳が激しく動いた。


「っ!」


顔色が変わる。


「ハル!?」


耳だけじゃない。


今度は右手が白い毛に覆われ始めていた。


変化の速度が今までと違う。


玲奈が立ち上がる。


「まずい……!」


「どういうことだ!?」


俺が叫ぶ。


玲奈は険しい顔で言った。


「思ったより早い!」


ハルは苦しそうに手を押さえている。


「ご主人……」


その声は震えていた。


「私……消えたくない」



その一言が。


主人公の心を大きく揺さぶることになる。

第六話を読んでいただき、ありがとうございました。


今回は玲奈という新たな登場人物が現れ、ハルの秘密に少しだけ触れるお話となりました。


これまで「なぜ猫が人間になったのか」という疑問はありましたが、今回初めてその出来事に意味がある可能性が示されました。


そして主人公自身も、自分の過去と向き合うことになります。


雨の日に猫を拾ったこと。


そして、その夜に抱えていた本当の想い。


ハルはそんな主人公を見ていたのかもしれません。


また、今回の終盤ではハルの異変がさらに進行しました。


今までのように笑って見過ごせるものではなくなり、物語は少しずつ新しい局面へと進んでいきます。


主人公はハルを守ることができるのか。


そしてハルは人間として生き続けることができるのか。


二人の運命が大きく動き出そうとしています。


ぜひ次回もお付き合いいただけると嬉しいです。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


この作品は猫と人間の不思議な物語ですが、その根っこには「誰かと出会うことで人生が変わることもある」という想いを込めています。


ハルと主人公の関係が、これからどんな形になっていくのか。


温かく見守っていただけたら嬉しいです。


それではまた、第七話でお会いしましょう。

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