なんで?
俺が婦人を突き飛ばしたことで、事態は収拾がつかないほど悪化していた。夫人は顔を真っ赤にして俺を睨みつけている。俺は夫人を見て初めて、自分が何をしたか悟った。
「誰か!!!!こっちに来て!!!!!!」
夫人は金切り声をあげた。思わず俺は顔をしかめた。ベッドのそばではレオが声を出して泣き喚いている。
すぐに他の使用人や衛兵がやってきた。その中には、髪を乱したあの紳士もいる。夫人の様子を見て、明らかに焦った顔をしている。
「ど、どうなさいましたか・・・」
「どうもこうもないわ!!
これを見て何もわからないの!?
この奴隷たちが私に手をあげたのよ!!」
夫人は太った体を激しく揺らし、癇癪を起こしている。鼻息は荒く、呼吸するたびに夫人の体が大きく上下した。
「こやつらが大変失礼いたしました!
すぐに他の奴隷をお連れいたします!!」
男は額に汗を流しながら夫人を宥めている。
「そんなことを言ってるんじゃない!!
今すぐこの奴隷どもを処分しなさい。
体を八つ裂きにして、苦しませて殺してやるのよ!!」
「こいつらはこの私が責任を持って処罰いたします。
どうかお怒りを鎮めてください・・・
おい!!はやくこいつらを連れていかないか。」
「連れていくってどこに・・・」
「私の部屋だ!
あとは私が処理する。」
衛兵たちに両腕を掴まれ、俺とレオはそそくさとその場を後にした。今さら俺の心に焦りはない。やっとこの苦痛の人生から解放されるのだ。
「フッ・・・」
俺は、村を焼かれてから初めて笑った。
紳士の部屋に着くと、衛兵たちは部屋の中へ俺たちを放り投げた。両手を後ろに縛られていたので、俺は勢いよく床に叩きつけられた。
「っ・・・・・・」
「お前たち、よくもやってくれたな。
奥様を怒らせるなんて正気じゃない。」
「所詮奴隷なんだ。
たとえ死んでも誰も悲しまないだろ。」
「(笑)そうだな」
衛兵たちは俺とレオに唾を吐くと、笑いながら出ていった。俺はレオに寄り添った。床に投げ飛ばされたときどこかをぶつけたらしく、レオは苦しそうに泣いている。また、部屋の外からは夫人の怒号が聞こえてきた。夫人の癇癪をおさめようとする紳士の焦った顔が眼に浮かぶ。
ようやく声が聞こえなくなってきたかと思うと、こつこつと硬い靴音が聞こえて、
「まったく、なんてことをしてくれたんだ・・・」
男は呆れたように話し始めた。
「奥様はだいぶお怒りである。おまえたちが奴隷としての勤めを拒否したせいだ。まあ、よくあることなのだが・・・
奥様はお前たちに斬首を望んでいるのだが、私としてはこれ以上召使を減らされては困るのだ。奥様にも困ったものだよ。毎度毎度気に入らないものを処刑していては、いくら貴族で金があってもいずれ底をつく。
それに・・・・・・まあいい。とりあえずお前たちはここにはいられない。西の離れに行ってもらう。奥様は普段寄りつかない場所なので、鉢合わせすることもないだろう。」
「・・・離れ?」
俺は男に尋ねた。
「この屋敷の別荘だ。そして、要らぬ問題を避けるため、お前たちは今日ここで死んだことにする。真実を知る人間はごく一部だ。お前たちも、今日起きたことについて、今後一切の口外を禁じる。破れば即刻首を刎ねねばならん。お前たちの存在をごまかすために、お前たちは孤児ということにするゆえ、そのつもりでいるように。今言ったことは肝に銘じておくように。それと、私の名前はアクラだ。もう会うこともないだろうが、なにかあれば私の名前を出しなさい。」
男の名はアクラと言うらしい。離れに移動するのだから、自己紹介なんて必要ないのに。アクラは言い終わると召使を呼んだ。俺とレオは召使たちによって別室へ運ばれた。召使が言うには、俺たちは今夜、密かに屋敷を出て離れの屋敷に向かうらしい。俺たちが夫人と鉢合わせしないよう、最小人数での移動になる。それにしても、アクラはどうして俺たちを手助けしようとするのだろうか。あのまま夫人の指示に従い、俺たちを処刑してしまえば楽なのに・・・
その日の夜、俺たちは手錠をかけられた状態で、衛兵に連れられて、離れへと向かった。屋敷を出る時、あの男はとても難しい顔をしていた。俺は数日世話になった屋敷には目もくれず、離れへと足を進めた。自分にとって大切なものはもうない。今回の騒動で自分は処刑されるはずだった。でも、この苦痛からやっと解放されると思った矢先、思いがけず罪を免れ、遠くの地へと移動になってしまった。恨みこそ抱けども、この屋敷に対して感謝することは思い当たらない。
道中、レオは俺の服の後ろをずっと握っていた。レオは寂しがり屋なんだろう。レンとは大違いだ。あいつは天邪鬼なところがある。素直さに欠けると言うか、しかし時折見せる笑顔はとても愛おしかった。そんなレンにはもう会えない・・・俺は拳を強く握りしめた。
「・・・・ろい・・・・さん?」
はっとして俺は力を抜いた。レオはあれから随分俺に懐いている。泣き虫なのは相変わらずだが、いつも俺の側を離れない。まるで子犬のようである。
「ごめん、少し力んじゃったんだよ。心配ない。」
「・・・・うん。よかった。」
あれから丸一日経って、ようやく離れと呼ばれる屋敷に着いた。これまで滞在していた屋敷と比べると小さめだが、とても立派な建物だった。
屋敷に着くと、使用人の代表が門にある鈴を鳴らした。ちりん、と綺麗な音が響き渡る。すぐに中から人が出てきた。使用人たちと同じような格好をしている。おそらくこの人も使用人なのだろう。
「知らせは受け取っているか?」
「はい、もちろんでございます。
それで、あの子達が例の・・・」
「左様だ。今後は其方に預けるので、色々と躾をしてほしい。頼んだぞ。」
「えぇ、承知致しました。」
話が終わると、俺とレオは中へと連行された。道中付き添ってくれた兵士と召使いはそそくさと帰っていった。
「さてと、ようこそ離れの屋敷へ。私はゆりこ。ここの使用人をしているわ。あなたたち、よく生きてこられたねぇ。あんたたちが奥様に無礼を働いたって、屋敷内は大慌てだったよ。いくら奥様の日頃の行いが目に余るものがあるからって、あんたたちのような命知らずの奴隷は、過去にいなかったさ。」
恰幅がよく、どこか母性的なその女性はゆりこと言うらしい。彼女は驚いたように俺たちに語りかけた。
「外で話すのもなんだ。中に入って、まずは食事をとってから話そうか。」
ゆりこはそう言うと、俺たちを食堂へ案内した。俺とレオが席に座っていると、厨房から良い匂いがしてきた。奴隷に落ちた者に、満足な食事は与えられない。そのためこの移動中はほとんど何も口にしていなかった。俺は腹が鳴るのを抑えられなかった。
そしてしばらくすると、中から厨房服を着た男がでてきた。
「お前たちが例の少年だな!
俺はヒデ、ここで料理を作っている。お前たちの噂は嫌って言うほど聞いたからな。そっちがロイ、そっちのチビがレオだな!」
俺は軽く頷いた。レオは俺の袖をギュッと握りしめ、口を強く結んでいる。
「まあそう警戒するな。この屋敷じゃお前たちに悪さしようなんてやつはいないさ。むしろ俺はスッキリしたね。」
そう言って、ヒデと名乗る男は足の裾を出した。
「実は昔あの性悪女に仕えていたことがあって、そのときから料理を作っていたんだが、好みじゃないとかなんとか言って片足を切られたんだ。あの時のことは今でも忘れられん!まぁ、今では自由にしてるさ。旦那も親切だしな。
おっといけねぇ、飯が冷めるぜ。”俺特製じゃがいも煮込み”だ。熱いから気をつけて食えよ!味は保証するぜ。」
皿が机に置かれると、急いで匙を持ち、じゃがいもを半分に砕いた。じゃがいもが割れるともわっと湯気が立ち、食欲をそそる香りが広がった。そして軽く冷ましてから口へ放った。舌を火傷しそうになり、はふはふと言いながら、ゆっくりと飲み込む。すると香草や鶏の出汁が口いっぱいに広がり、幸せな気持ちになった。
(久しぶりに温かい料理を食べた。母さんの手料理を思い出す)
俺は感傷に浸りながら食べ続けた。
「ゆっくり食ってくれ。時間はいっぱいあるんだからよ。」
そう言い残してヒデは厨房へと戻っていった。料理にがっついている俺を見て、レオは恐る恐るジャガイモに手をつけた。小さな口で一生懸命じゃがいもを冷まして口に運ぶと、急に目をきらきらとさせて、がむしゃらに食べ始めた。
俺たちが食べ終わる頃、ゆりこがやってきた。
「どうだい?美味かったろ。ヒデの料理は、使用人の間でも好評なのさ。
ご飯も食べたところだし、さっそく行くとするかね。旦那様に紹介してやるよ。」
ゆりこに案内されたのは屋敷の奥にある一室だった。廊下を照らす松明の光で、自分の影がゆらゆらと揺れている。
「(コンコン)旦那様、失礼します。」
「・・・・・入りたまえ。」
中から重々しい声が聞こえた。レオが俺の手を強く握る。
「失礼します。ほら、入るよ」
部屋に入ると、ベッドに横たわる一人の男がいた。
「(ゴホッ、ゴホッ!!)」
「旦那様!お前たち、食堂に戻って冷たい水をもらってきてくれ!」
「(ゴホッ)よせ、大丈夫だ。それよりも、君たち、もっとこちらに来てくれ。」
俺はレオの手を握ったまま、ベッドへ近づいた。近くで見ると、その男性はひどく痩せ細り、白髪で、今にも倒れそうなほど顔色が悪そうだった。
「すまない。最近は思うように体が動かなくてね。
それにしても災難だったね。話は聞いているよ。可憐がまた暴走したそうだ。怪我がなくて本当によかった。君たち子供には何の罪もないんだから。」
男のその言葉を聞いて、ひとしずくの涙が俺の頬を伝った。
「なんで?」
俺は思わず呟いた。




