第5話「正しいルートの応援席」
宮廷の庭園で、エステルに会った。
薔薇の回廊——白い薔薇と赤い薔薇が交互にアーチを作る細い散歩道。午後の柔らかな日差しの中を一人で歩いていたら、向こうから淡い金色の髪が近づいてきた。
エステル。
ゲームの正ヒロイン。聖女の力を持つ男爵家の養女。天真爛漫で善良で、まっすぐで——レオンハルトルートでは、レオンハルトと結ばれるべき相手。
(正ヒロイン、来た)
ゲーム知識が頭を高速で駆け巡る。レオンハルトルートにおけるエステルとの初接触イベント。ゲームでは、悪役令嬢セラフィーナがこの場面でエステルに嫌がらせをする。花瓶の水をかけるか、毒のある言葉を吐くか。それがフラグの一つになる。
私は——当然、何もしない。
「ごきげんよう、エステル嬢」
にっこりと令嬢スマイルで挨拶した。
「あ、セラフィーナ様! ごきげんよう」
エステルが花のように笑う。まるい目がきらきらと光って、口角が自然に上がっていて——なるほど、この子がヒロインに選ばれた理由がわかる。画面越しでも可愛かったが、実物はもっと可愛い。
「お散歩ですか?」
「ええ。少し風に当たりたくて」
「わたしもです! 今日はお天気がよくて、薔薇も綺麗に咲いていますね!」
エステルが薔薇のアーチを見上げて、嬉しそうに言う。白い薔薇の花びらがひらりと舞って、エステルの金色の髪に一枚落ちた。絵になる。完全に絵になる。この子はどこに立っても背景が映える。さすがヒロイン。
「あの、セラフィーナ様」
「はい?」
「わたし、前から気になっていたのですが……セラフィーナ様って、嫌がらせなんかしない方ですよね?」
思わず足が止まった。
「……なぜ、そう思われるのですか?」
「だって、こうしてお話しすると優しいですし。舞踏会でもわたしに声をかけてくださったことはないけれど、遠くから睨んでいるとかもなくて。むしろいつも窓際で何かに夢中になっていらして——」
(推しのダンスを観察していたのを目撃されていた)
「——なんだか楽しそうだなって思っていたんです」
エステルの目には曇りがない。純粋に私を見ている。
「あ、それとですね!」
「はい」
「セラフィーナ様、もしかしてレオンハルト様のことご存じですか?」
(知ってる。ゲームの全台詞暗記するレベルで知ってる)
「……存じておりますわ。婚約者ですので」
「あっ、そうでした! 婚約者様でしたよね! すごいですね、レオンハルト様って剣がお強くて、真面目で、素敵な方ですよね!」
(素敵……だと……?)
心臓がざわりとした。
いや待って。これはゲームの正規ルートだ。エステルがレオンハルトに好意を持つのは、ストーリー上の正しい流れ。ヒロインが攻略対象に惹かれるのは当たり前のことで、私はそれを応援する立場で、推しとヒロインの幸せを見届けるのがオタクの本懐で——
「先日の訓練場でお会いしたんですけど、すごく丁寧に挨拶してくださって。わたし、騎士の方って怖い方ばかりだと思ってたので、びっくりしちゃいました」
(推しに会った。この子が。推しに。直接。会って。話した。推しが。丁寧に。挨拶した)
胸の奥で、何かがちくりと刺す。
——ガチ恋じゃない。
私は推しのオタクであって、ガチ恋勢ではない。推しの幸せが最優先。推しが正規ヒロインと結ばれるのが、このゲームの最良のエンディングで、私はそれを知っている。前世で何十回も見た。
だからこのざわつきは、ガチ恋の嫉妬ではない。断じて。
ただ——推しに関する新情報が他人経由で入ってきたことへの、情報収集者としての悔しさ。推しの挨拶シーンを見逃したことへの、記録者としての無念。それだけ。
「セラフィーナ様? お顔が少し——」
「いえ! 何でもありません。レオンハルト様は確かに素敵な方ですわ。騎士としても人としても、素晴らしい方です」
声に力が入りすぎた。エステルがぱちぱちと瞬きしている。
「わあ、セラフィーナ様、レオンハルト様のこと好きなんですね!」
「好き——いえ、尊敬しておりますわ。婚約者として」
「そんな嬉しそうに話す人、初めて見ました!」
(嬉しそうに話してた? 私? また? 推しの話になると顔面が制御不能になる持病をどうにかしたい)
「本当に仲良しなんですね! わたし、お二人を見ているとなんだか幸せな気持ちになります!」
エステルが両手を胸の前で組んで、きらきらした目で言う。この子は本気で言っている。悪意がゼロ。好意しかない。
「……ありがとうございます」
薔薇の甘い香りが風に乗って通り過ぎた。
エステルと別れた後、回廊を一人で歩きながら、胸の奥のざわつきをもてあました。
ガチ恋じゃない。
推しが実在する世界に転生して、推しの好物を手作りして、推しの訓練を塀の上から見守って、推しの敵を調べて、推しのことを毎晩ノートに書いている。でもガチ恋じゃない。オタクとして推しているだけ。
——そう、私はオタクなのだから。応援席にいるべきで、ヒロインの隣に座るべきではない。
帰宅後、推し活ノートの片隅に一行だけ書いた。
『エステル嬢、推しと接触済み。正規ルート進行中。応援席から見守ること。ガチ恋ではない(重要)』
インクが乾くまで、窓の外の夕焼けを見つめていた。薔薇の残り香が、まだ袖口に染みついている。
次話:「6回目の偶然」




