第2話「推しの敵の敵は」
推し活情報ノートは、2冊ある。
1冊目は推し活ノート。レオンハルトの訓練記録、好物リスト、表情変化の観察メモ。純粋な推しの記録。
2冊目は情報ノート。社交界の噂と派閥関係を記録したもの。推しの周囲を知ることは推し活の基本——前世でも推しの出演作品の相関図は全部作った。この世界でも同じことをしているだけ。
書斎の机に情報ノートを広げて、先日の王太子呼び出しの件を整理していた。午後の陽が窓から入って、ノートのインクを乾かしている。
エステル嬢への嫌がらせの訴え。3件。
1件目。4月の舞踏会で花瓶を割った件。証言者はクラウス伯爵家の侍女。——クラウス伯爵家。つまりディートリヒ・フォン・クラウスの実家に仕える人間。
2件目。中庭でエステルを突き飛ばしたとされる件。証言者は騎士団付きの文官。ディートリヒの部下。
3件目。エステル宛の脅迫状。筆跡鑑定を依頼した役人が、先月突然異動になっている。
3件とも、ディートリヒの息がかかっている。
「……あれ」
指がノートの上で止まった。
この情報、私が推し活で集めたものだ。
レオンハルトの上官であるディートリヒが不穏な動きをしていると気づいたのは半年前。推しの昇進を妨害する人物がいるかもしれないと思い、社交界で耳を澄ませ、噂を集め、人脈を辿って情報を記録していた。推しの敵を知ることは推し活の基本中の基本。孫子も言っている、彼を知り己を知れば百戦殆うからず、と。
その過程で、嫌がらせの訴えの証言者がディートリヒの関係者ばかりだと気づいていた。
気づいていたけれど、それが何を意味するか深く考えなかった。「推しの上司がきな臭い」という情報として記録しただけ。
でも今、並べて見ると——。
(私に嫌がらせの濡れ衣を着せたのが、全部ディートリヒの周辺だとしたら?)
立ち上がって、本棚の前を行ったり来たりする。
レオンハルトの政略婚約者である私が「悪役令嬢」として失脚すれば、レオンハルトにも傷がつく。婚約者が問題を起こした騎士に、次期団長の座は与えられない。ディートリヒにとって、私を悪役令嬢に仕立て上げることは、レオンハルトの昇進を妨害する手段になる。
(推しの敵が、私を道具にしている——?)
ノックの音。
「お嬢様」
マルガレーテが書斎に入ってきた。手には銀の盆と茶器。ローズヒップの酸味が先に届く。
「お茶をお持ちしました。それと、訴えの件、少し調べがつきました」
「早いわね」
「使用人仲間の伝手で。——花瓶の件、お嬢様がその舞踏会で花瓶の近くにすらいなかったことを覚えている者がいます。お嬢様はあの日、ずっと窓際で推し——レオンハルト様のダンスを観察していましたから」
「推し活のアリバイ……」
「はい。推し活をしていたおかげで、嫌がらせの現場にいなかった証拠が成立します」
カップを受け取った。ローズヒップの酸味が舌を刺して、頭が少し冷える。
「つまりこういうことですか。お嬢様の推し活が、結果的にアリバイになり、訴えの不自然さまで浮き彫りにした」
「偶然よ」
「偶然にしては出来すぎています」
「推し活をしていたら、推しの敵の情報が集まるのは自然なことでしょう? 推しの敵は私の敵なんだから」
「推しの敵の敵は味方、ということですか」
「……そう。そういうこと」
マルガレーテが今日2回目の深いため息をついた。
「お嬢様。自覚してください。あなたの推し活は、気づかないうちに人助けをしています」
「人助けなんてしていないわ。推しの周辺を調べていただけ」
「結果は同じです。ディートリヒ・フォン・クラウスが不正な訴えを仕組んでいる可能性が見えてきた。これはお嬢様の身を守る材料になりますし、エステル嬢への嫌がらせの真犯人に繋がるかもしれない」
マルガレーテがお盆を胸の前で抱えて、こちらを見ている。その目には呆れと、少しだけ——感心が滲んでいた。
「この情報、まとめておきましょう。王太子殿下の耳に入れる機会があれば——」
「推し活ノートの存在がバレない範囲でね」
「推し活がバレることのほうが訴えより怖いんですね」
「当然でしょう? 推しに推し活がバレるのは、オタクにとって社会的な死よ」
マルガレーテが額に手を当てて、書斎を出ていった。
一人になって、情報ノートの該当ページに赤い印をつける。
推しの敵を調べていたら、自分への濡れ衣の構造が見えてきた。なんだそれは。推し活の副産物にしては出来すぎている。
でも——悪い気はしない。
推しのために集めた情報が、巡り巡って自分を助け、もしかしたらエステル嬢への嫌がらせの真相にも繋がるのだとしたら。
それは推し活冥利に尽きるというものではないだろうか。
情報ノートを本棚に戻して、推し活ノートを取り出す。今日の分の記録を書かなければ。
『訴えの出どころ、判明。3件ともディートリヒ関連。推しの昇進妨害の一環として、婚約者の私を失脚させようとしている可能性大。推し活で集めた情報が自己防衛に転用できることが判明。推し活、無限の可能性あり。
明日は推しの好きな焼き菓子のレシピを試作する。推しの敵を調べるのも大事だけれど、推しの好物を届けるのはもっと大事。優先順位は、いつだって推しが最上位』
次話:「偶然、余りましたので」




