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神様機構     ~悠久なる歯車~  作者: 太郎ぽん太
ラナクロア
22/57

カルケイオス I



 ■




 ……こんにちは。


 ……名前?……鞘野小夜子。


 はぁ~……


 じぃ~……


 誰?知らない人。


 ……え?定臣見せてくれるの!?


 どこ??どこ!?


 ……え?その前にこれ読めって?


 ……ふむふむ


 ぽれふれいぶぁるぶぁん……ってこれ名前なの?嘘だぁ……え?この世界では皆そんな感じの名前なの?


 ぅ~定臣ぃ……大丈夫なの?なんか変な世界にいっちゃってるみたいだけど……


 ぇ?次、読めって?わかったよもぅ


 その、ぽれふれいぶぁるぶぁんって子に『しあ』って子がついていく事になったみたい。


 ん、ほらちゃんと読んだんだから早く、定臣見せてよ。


 ふむふむ、ここを覗くと見えるのね。


 ぉ~!定臣ぃ~!……ってあの子、誰?


 ……ろいえる・さ~ばとみん?……ふぅ~ん……ろいえる・さ~ばとみんねぇ……ふ~ん……


 ……定臣のばかあああああああああ!




 ◆




 ポレフが無事に最初の課題を通過したその頃、定臣はロイエルを待つ間にうつらうつらと眠りに堕ちていた。



 まぁそれで……俺がようやく目を覚ましたのは昼を過ぎてからだったんだが……


「どうしてこうなった……」


 目を覚ました俺の第一声はそれだった。


 目の前には鉄格子。どう贔屓目に見ても明らかに牢屋の中に入れられている。


 そもそも俺は寝起きは悪い方じゃない。


 いくら疲れていたからとはいえ、誰かに移動させられて目が覚めなかったとは思えないんだが……


『ようやくお目覚めになりましたのね。侵入者さん』


 顎に手を当てて『う~ん』と唸っていた俺に声がかかった。


「侵入したわけじゃないんだけどな」


 そう言いつつ、どうせ美女なんだろとか思いながら声の主を確認してみる。


 まぁ美女には美女だったんだが……


 最初に目に飛び込んできたのは超ド派手なくりんくりんな金髪。そして次に『私は気が強いです』と言わんばかりに吊り上った鋭い眼と漆黒の瞳だった。


 その女性は手の甲を顎に添えると軽くしなを作り、意地の悪い笑みを浮かべつつ俺に向かって口を開いた。


『さぁ、尋問を始めますわ。出ていらっしゃい』


 きっと名前の後ろにつく愛称が『夫人』な方なのだろう。なにやら怖そうなので出来るだけ刺激しない様にしよう。


「って牢屋に入れてた意味は!?すぐに出すならなんで俺、なんで牢屋に入れられてたんだよ!」

 

 ってつっこんじゃったよ!刺激しない様にするんじゃないのか俺!


 心の中で猛反省するも時すでに遅し。目の前の女性は吊り上った鋭い眼を更に吊り上げると烈火のごとく怒りだした。


『なっ………なんですのなんですのなんですの!!あなたあなたあなた!!』


 ってこれ怒ってんのか?


『ファステル無しの下民の分際で!!この私に口答えしようと言いますの!?』


 一瞬なにを言ってるか把握できなかったけれど、その女性の言ってる意味を頭の中でゆっくりと理解していった俺の感想は


 あぁ、そういえばロイエがそんな事言ってたなぁ……


 と実に淡白なものだった。


 それにしてもファステル無し=下民とか……


 そういうのはどこの世界にもあるものなんだな。その土地のその人間にしか理解できない類の風習の様なものなのだろう。そういった類のものにはなるべく関わらないに越した事はない。 

 

 そう判断した俺は、得意の愛想笑いでなんとかこの場を切り抜けられないものかと、もう一度その女性に視線をやった。


 う~む……相変わらずに『下民、下民』と連呼していやがります。というか下民とか言う人、初めて見たよ。なんというかそういうのって


「めんどくさ」


 思わず声にでた。


『なっ!?ななななな!!』


 意地悪夫人の怒りのボルテージが加速した!


 なんかログに見えた気がしたが……気のせいか。


『だ、だ、誰が意地悪夫人ですの!?』


「ログじゃなくて俺が声に出してたのか……それは知らなかった」


『あなた、この私を馬鹿にしていらっしゃいますのね!?』

 

「ぃ、ぃぁ、そんなつもりはないんだけど」


『いいえ!いいえいいえいいえいいえ!許しませんわ!』


 どんだけ怒ってんだよこの人。というかこれは全く話が通じないタイプの人間だ。


「ぁ~……」


『あなた!この私がお話している最中だと言うのになんですの!?先程からのその態度!』


「ん~……まぁ、あんたみたいなタイプの人間とは久しく出会ってなかったからさ、ちょっとげんなり気味」


『なっ!?誰があんたですか!!』


「ぃゃ~……名前知らないからさ、悪い」


『侵入者に名乗る名前などございませんわ!』


 こ、こいつめんどくせ~!


「ぁ……はは、ん、それで俺はどうすればいいのかな?」


『取調べを致しますわ!ついていらっしゃい!』


「ぁ~……はいはい、ついていきますよっと」


『〝はい〟は一回です!』


 ここでお前はお母さんか!などとつっこめば更にややこしくなるんだろうな。というか母さん元気にしてるかな?


 そう言えばいきなり天使にされて以来、元の世界で自分がどういう扱いになっているのか聞いた事がなかった。


 よし今度、天界に戻ったら、るるかさんにでも聞いてみよう。きっと喜ぶだろうし……

 

「っと、手引っ張らなくてもついていくって」


『速く歩きなさい!』


「なんでそんなイライラしてるかなぁ」


『イライラなどしておりませんわ!』


「してるじゃんってつっこみ待ち?」


『あ、あなたは少し黙りなさい!』


「へいへい~っと」




 ◇




 定臣が何故か牢屋に入れられていたその頃、手続きを終わらせ定臣を迎えに戻ったロイエルは定臣がいなくなった事を知り、街中を探しまわっていた。


「まったくもぅ、どこいっちゃったのよ……」




 ◇




 ロイエル・サーバトミンが定臣のために済ませた手続き。それはこの『カルケイオス』での彼の生存権を獲得する内容のものだった。


『カルケイオス』はエドラルザにしてエドラルザに在らず。


『カルケイオス』はミレイナ・ルイファスを王とする小さな王国である。故に内部に存在する法も外部のものとは異なってくる。


 それは門を通過する方法の違いであり、カルケイオス民を雇用する際の契約の違いであり、外部の人間に対しての考え方の違いでもあった。


 特筆すべき例を挙げるならば、それは城壁の外側の人間に対しての捉え方の違いであろう。


 そもそも、城壁の内側の人間に多く見られる傾向として外側の人間を見下しているというものがある。

 

 では何故その様な考え方がまかり通っていたのか。

 それは城壁設立当時、優先的に貴族や富裕層が内部に移動できた事が起因している。


 外部の人間は貧民である。我々は選ばれた人間なのだ。


 実に簡素でわかりやすく、くだらない考え方であるが、得てして人間という種が最も陥りやすい『下』に他人を作りたがるという理解し難い現象なのである。


 とはいえ昨今、制定された『特産品制度』により城壁の内と外を行きかうポーター達を通し、その考え方を改める者も多く現れてきた。しかし閉ざされた空間にはそんな明るい兆しは到底及ばない。


『カルケイオス』とはそんな閉ざされた空間なのだ。もっと言うならばカルケイオス民には城壁内部の人間すらをも見下している節が見られる。


 城壁を創りだせる自分達こそが選ばれた人間なのだと。




 ◇




「手続きは済ませたけど、連絡が行き渡るまでに誰かに捕まってたりしたら危ないわ……まぁ、サダオミがどうにかされるとは思わないけど……」


 そういえば超強いのよね……あいつ


「ん~……探すのあほらしくなってきちゃった!お礼くらい言ってあげようと思ったけど……いなくなっちゃったんなら放っておいても大丈夫よね?」


 そう言い放ったロイエル・サーバトミンの表情は実に晴れ晴れしいものだった。




 ◆




 思えば俺の人生、健やかな眠りの終わりにはいつも試練が待っていた気がする。とはいえ、起きたら牢屋の中でした!というような不思議体験をするのはこれが初めての事だった。


 そう、牢屋の中にいたんだ。なのにいきなり出ろと言われた挙句、散々に罵倒され、連行され、そして今は無駄に寒い密室で取り調べを受けている。


 しかし、なんだってこんなに寒いんだ。また便利魔法で演出しているとかなのか?


 そんな事を考えつつも、目の前の意地悪夫人様の小言を笑顔で華麗にスルーしながら部屋の中を見回してみる。


 薄暗い何もない空間に机が一つ。この際、わざわざ魔法で薄暗く演出するのはやめろ!というつっこみはおいておく。


 壁は薄汚れたねずみ色でそこに小石が無数に埋め込まれている。ってよく見れば血痕の様な跡が無数に見受けられるよ!暴力反対!


 これは穏やかじゃないなと半ば頬を引きつらせながら、視線を意地悪夫人様に戻してみる。すると目の前のその人は既に穏やかではなくなっていた。


『あなたあなたあなた!!!』


 ああ、めんどくさい。なんだってこの人はこんなにイライラしているのか。


 ここでお決まりの台詞で煽って遊んでみるとどうなるのかと、一瞬、好奇心に苛まれたけれどここは我慢しておこう。


 ───にしても


 ちらりと視線で確認する。俺の背には取り調べ中である今も大太刀『轟劉生』がしっかりと背負われている。仮にも侵入者扱いを受けて取り調べするくらいなのだから、武器くらいはきちんと取り上げるべきなんじゃないのか?


 加えて牢屋から出す際もこの女性一人でしかも丸腰。そもそも牢屋に入れていた意味が全くない。更に手枷の類は一切されておらず、身体はフリーダム。


 もしかしてこの人……


 あほの人なのだろうか。


『なんですの?』


「ぃゃぃゃ」


 笑顔で受け流す。どうやら思考がにやにやと表情に出てしまっていたらしい。


 あんまり怒らせると死刑とか理不尽な事、言いかねないしなこの人……


『誰があほの人ですか!!!』


「まさかの時間差ーーーー!!!」


『あなた先程から失礼な独り言が口から漏れていらっしゃいますのよ!!』


「な、なんだってーーー!」


『もう許しませんわ!!あなたをここへ招き入れたカルケイオス民の名前を教えなさい!』


「ってそれ信じたんだ?さっきまでどうやって侵入したのか、やたら聞いてたのに」


『お黙り!』


「……」


『早く仰いなさい!!』


 めんどくさーーー!!


 とはいえ、ここでロイエの名前を出して大丈夫なのだろうか。


 これだけ話の通じない人間なのだ。出会ってまだそう時間が経過していないとはいえ、少なからずロイエには情が移っている。


 ここで下手に名前を出して、彼女に迷惑をかけるのも憚れると定臣は顎に手を当て思案する。


 その定臣の仕草を見た女性は、その仕草こそが定臣の容疑を確定させたと言わんばかりに意地悪な笑みを浮かべ宣告した。


『言えないという事は、やはり先程までの証言は口からのでまかせでしたのね』


「ぃゃ~……そういうわけじゃないんだけどな」


『あなた、このカルケイオス内でカルケイオス民である私に嘘をつく意味をご存知なのでしょうね?』 


「嘘は言ってないけどその意味っていうのも知らないなぁ」


『とぼけても無駄です。あなた……死刑ですわ』


 なぜそうなる。


「意味が……」


『意味などありません。文字通り死刑ですわ』


「え~と……抵抗しても?」


『……あはは、あはははは!お~ほっほっほっほ!』


 なんか笑いだしたーーー!しかもお~ほっほっほって!


『たまにいらっしゃいますのよね~……カルケイオス民と凡人との違いがわからない方が』


 そう言うとその女性は徐に両手を広げ、なにやらぶつぶつと詠唱を始めた。それを定臣はいつでも抜刀できる心構えだけは忘れる事なく、じっと見つめる。


 あれたぶん魔術唱えてるんだよなぁ……


 攻撃魔術は既にライアットのそれを見ている。それと目の前の女性とを見比べた定臣は明らかな違和感を感じていた。


 ライアットさんって詠唱なんてしてなかったよなぁ……


 それにしても光の集束が異常に遅い。あれならば詠唱を終えるまでに百回は斬り伏せる事ができるなどと、定臣は半ば興を削がれた形でそれをぼんやりと眺めていた。


『さぁ、準備ができましたわ!いつでも抵抗なさって下さいな!』


 どうやら準備ができたらしい。見ればその女性はあの『ミスターどや顔』ドナポス・ニーゼルフ顔負けのどや顔でこちらに向かって人差し指を向けていた。


 あぁ頭痛くなってきた。


 とりあえず適当に相手をすれば満足してくれるだろうかと、軽くため息をついた後に首をコキコキと鳴らしてみる。


『いいこと!あなたを拘束しなかったのも、武器を取り上げなかったのも、その必要が一切無かっただけのことですわ!』


 定臣のそんなやる気のない仕草をどう勘違いしたのか、その女性は一人でボルテージを高めていった。


『このカルケイオス民である私の美しく素晴らしい魔術で塵と化しなさいっ!』


 どうやらやっと向かってくるらしい。というかなんで戦う羽目になってんだよ。全くもって意味がわからん。


『ちょええええ!』


 うわっ、なにその掛け声。


 女性は謎の掛け声と共にこちらへ向かって猪突猛進。魔術はどうした魔術は!


『私の素晴らしい体術と融合して初めてこの魔術は完璧!』


 解説なしには語れないなにかがあるらしい。


 とはいえ、このままじっとしていればあの変な魔術を食らう羽目になる。さすがにあんなのにやられるのは気が進まない。というか遠慮願いたい。


 というかあれを魔術と認めていいのだろうか。ライアットさんあたりが見れば無言で殴り続けそうで恐ろしい。


 まぁ……


 かわしてもいいよな?


 なんとも言えない表情を浮かべた定臣が、首を傾げながら半歩だけ横に移動する。それとほぼ同時に定臣が先程までいた位置をその女性が『ほぅはっああ!』などと謎の掛け声を上げながら通過していった。


『なっ!?回避ですって!?』


「そりゃかわすだろ……っていうかそっち壁」


『ぅぇ!?……ほげっ!!』


 ほげっって……っていうか今のは痛いわ……受け止めてやった方が良かったか?


 哀れみの視線を女性に送ってみる。見れば女性は両鼻から鼻血を噴出したまま仰向けに床に寝そべっていた。


 う~む……ものの見事に気絶してるなぁ……


 というか壁の血痕は実は全部、この人のものなんじゃなかろうか。自身の中で既に可哀想なキャラクターにカテゴリー分けされているだけに、そんな疑問すら浮かんでくる。


「まぁ言ってる事は無茶苦茶だけど根は悪い人じゃなさそうかぁ」


 そう呟くと定臣は自身の服の裾を軽く破り、一応の手当てを女性に施すのだった。




 ◇

 



 う~む……今の状況をどう説明したものか。


 起きたら牢屋で、目の前には変な女がいて、すぐに出されて取り調べを受けた挙句、襲われたので回避した。


 ―――『変な女』かぁ……


 思えば俺に最初にそう表現させた女は小波透哩だった。


 あの帰り道、あの日も数十円を惜しんで遠回りして缶コーヒーを買いにいってさえいれば……俺はあいつに出会う事なく、今も平凡に暮らしていたのだろうか……


 なんとなく思い出した過去の出来事。それと同時に思い浮かんだ黒い笑みに口元を吊り上げる透哩の姿によって、その思考は即座に否定された。


 無理だな……あいつからは絶対に逃れられなかったはずだ。運命ってものが本当にあるのならば、俺はこうなる運命だったんだろう……


 まぁ火の国での出会いをへて、悲観していた自分の状況も、極めて前向きに捉える事が出来るようにはなったんだけどな……


 ───いや、小夜子と出会えたのはむしろ、透哩のお陰か……そうなるとむしろ俺はあいつに感謝していると言ってもいいくらいだ。


 とはいえ……


 目の前で先程から『およよ、およよ』と泣き崩れている女性と、小波透哩とでは『変』の本質が全くもって違うわけだが……


 そう、目が覚めたその女性は俺に敗れた?事を知り泣きだしてしまったのだ。


『ぉ~よよっよよっ……お~よよよ』


 あれ泣いてるのか……およよって口に出して泣く人、初めて見たよ俺。


「まぁ、まぁほら、今のはあんたの負けじゃないって」


 可哀想なので慰めてみる。俺のその声に女性は一旦、泣くのをやめ、こちらを見上げてきた。


「い、今のなしでいいって……ほら、俺なにもしてないしさ?」


『……なにもしてない方に私は敗れ去ったのですわ~!ぉ~よよよよ!ぉ~よよよよっ!』


 また泣き出したーーー!


 う~む、女の涙は最終兵器とはよく言ったものだ。出会って間もない自分を殺そうとした相手だというのにも関わらず、可哀想に思えてくるから不思議なものだ。


 いや、まぁかといって殺されてやるつもりはないわけだが……


 顎の手を離し、もう一度、眼下に蹲るその女性に視線を落としてみる。すると自分の視線と蹲っていたはずのその女性の視線がものの見事に交差した。


 いやいや、つい今しがたまでこの女性は派手に蹲って泣いていたはず。そう自分に言い聞かせて定臣は得意の笑顔でスルーを駆使しつつ、視線を元の天井へと戻しそっと顎に手を添えた。


『なにか仰いなさいなっ!!』


 なんか怒鳴られた。泣いてたんじゃないのか。 

 

「ん~……俺さぁ、ちょっと人と待ち合わせしてて」


『?』


「すぐにカルケイオス出て行くから、解放してもらえるとありがたいんだけど」 


 もちろんダメ元で振ってみた話題である。何か言えと言われたのでとりあえず思い浮かんだ自分の願望を述べてみただけなのだが。


『……良いでしょう』


 許可された。


『あら、ご自分で言っておいて不思議そうな顔をなさるのですねぇ』


「そりゃ今の今まで殺されかけてたわけだし……な?」


 俺のその言葉を聞くと女性は更に不敵な笑みを浮かべ、ビシッと効果音がつきそうな勢いで俺に向かって人差し指を向けてきた。というか人を指さすなよ。


『それですわ!』


「な、なにですわ?」


『……まぁいいでしょう。あなたは私が気絶している間も逃亡しなかった。それどころか……その……手当てまで……』


「ぁ~……そりゃ目の前で女の子が気絶してりゃ手当てくらいするだろ」


 見れば女性の顔は耳まで真っ赤になっていた。


『あ、ありがとうございました!……と言ってあげなくもない事もないです……わ』


 あぁ、やっぱり根は悪い子じゃないな。素直にお礼が言えるのはいい事です。


 そう思いつつも うん、うん と一頻り目を瞑って頷いた定臣は、満面の笑みを浮かべて女性に向かって口を開いた。


「どういたしまして」


 更に赤くなる女性。というかいつまでも、あんたとか、この人とか、この女性では拉致があかない。一応の信頼を得た今ならば名前くらいは教えてくれるかもしれないと、定臣は更に得意な愛想笑いに磨きをかけつつ、その女性に尋ねた。


「ねっ、そろそろ名前くらい教えてもらえないかな?」


『なっ!?ななななななな前ですか!?……そう……そうですわね……』


 なにやらえらい驚かれた。まぁさすがに『もう一度、死刑ですわ!』な事態に陥りそうな空気ではない。そう結論付けた定臣は小首を傾げつつ、その女性に表情で先を促した。


 定臣のその仕草に、女性の赤面度が更に増した事は言うまでもなかった。赤面度ってなんだ。


『……良いでしょう。名乗りますわ……ですがその前に』


 そう言うと女性はパチンと指を鳴らした。すると定臣の着ている服が光輝いた。

 見れば先程、女性を手当てするために破いた箇所が一瞬にして修繕されている。いや、新品同様に戻っていると表現した方がいいだろうか。


「ぉお!?」


 思わず感嘆の声を上げた定臣をよそに女性は更にもう一度、指を鳴らす。すると今度は定臣の足元から水流が下から上へ、重力を無視した流れで吹き上げた。


「わぷっ!?」


 完全に油断していた定臣はそんなまぬけな声を上げつつ、水流に飲み込まれてしまった。


 これが攻撃魔術の類ならば完全にやられていただろう。しかしその心配は、水中ではっきりしない視界の中、あちら側に見えた女性の穏やかな笑みですぐに打ち消される事となった。


『仕上げですわ』


 ───パチンッ


 軽快な音が部屋に鳴り響く。その音を聞きつけた水流が『わかりました』と言わんばかりに定臣の足元へと帰っていった。


「ふぅ……」


 大した事はなかったとは言え、完全に不意をつかれた上に一瞬、呼吸を止められた定臣は思わず大きく息を吐いた。


 情けない事にパニクった。過去の経験上、こういった事態に陥った時は一度、頭を冷やす意味で自分に起こった出来事を頭の中で整理してみるに限る。


 この女性、魔術を行使する際には詠唱を必要としていた。更に発動までが異常に遅い。それに比べ、先程の発動までの工程の短さから発動までの速度……服を修繕した事もあるし、あれは恐らく便利魔法の類なのだろう。


 魔術=人に害を与える事の出来る不思議な力。


 魔法=人にとって都合が良い利益を与える不思議な力。


 旅の途中にエレシと交わした何気無い会話の中で教えられた事が思い出される。

 

 確かに水流に飲まれている間、視界は水中さながらに歪んで見えてはいたものの、耳に水が入るような事は一切なかった。


 恐らくは自分にかけられたのは魔法の類、そして慌てて、呼吸も止める必要は無かったのであろうと、このラナクロアにおける便利魔法のご都合っぷりを思い出した定臣は、そう当たりを付けた。


「って!?」


 自身の中での分析が終わり、安心したのも束の間。今度は視界一面が泡の様なもので一気に覆われる。それを『のわぁ!!』などと情けない声を上げつつ、手で払おうとするものの、泡には触れる事すら叶わなかった。


『ご安心を、すぐに終わりますわ』 

 

 定臣を気遣った女性が落ち着かせる様にそう告げる。


 しかしながら、慌てる必要は無いと知りつつも、慣れない魔法をすんなりと受け入れる事など、そう容易くは出来ない。


 思わず強張った身体を、背筋を伸ばす事によって安心させようとした定臣が泡の中から、とても良い姿勢で現れた事を誰が笑えようか。


『ぷっ……ぁは、あはは、お~ほっほっほ』


 笑われましたよ?




 ◇




「……むぅ、普通にびっくりしたんだよぉ」

 

 どれくらい笑われただろうか。ようやく笑い終えた女性に向かって、定臣は不服そうにそう述べた。


『し、失礼しましたわ……先程、あなたに行使したのは魔法。壁の外ではあまりお目にかかる事の出来ない難易度の高い類のものでしたので、慣れないのも仕方のないことですわね』


「う~ん……それは理解したけど、なんでその魔法を俺に使う必要があったんだ?」


『それは……あなたがあまりにも汚らしかったからですわ!』


 汚らしいとか生まれて初めて言われたよ……


 ショックでおもしろい顔になっている定臣を見て、慌てた様子でその女性は訂正する様に話を続けた。


 曰く、自分の名を聞く人間の服が破れていてはいけないとか。


 曰く、自分の名を聞く人間の顔がすす汚れていてはいけないとか。


 ん?すす汚れ?……


 そういえば、ロイエに爆発させられたんだったな。その際にお気に入りの旅人の服(仮)を更に無残な事にされ、着せたと言い張られたロイエのローブを、エロティックに身体に巻きつけていたはず……

 

 先程、女性を手当てする際に何気なく破いた自身の着ている服を再確認してみる。見ればやはり自分が着ている服は天界産の旅人の服(仮)だった。


「なぁ、もしかしてあんた」


『ルクエ・マリネ……それが私の名ですわ。あなたの名前も教えていただきましょうか』


「ぁ~、悪い。俺の名前はサダオミ・カワシノ。定臣って呼んでくれ」


「な、名前でですか……それは私ともっと親しくしたいという表れ……良いでしょうサダオミ」


「ん、んで俺もルクエでいいか?」


「そ、その……」


 む?何やら更に真っ赤だ。


「よ、よよよよ良いですわ!許可します!良いですわ!」


 なぜ怒る。


「あ、あぁよろしくな、ルクエ」


 ぼっと音がでそうな勢いでルクエが更に赤くなったが、話が進まないのでとりあえず見なかった事にしておく。


「は、はぃいいい!」


「ん、それでさ、もしかして俺を牢屋に入れる前に服の修繕とかしてくれたのか?」


「……あぁ、その事ですか」


 そう呟くように言ったルクエの表情は先程までと一転して、つまらないと言った感じのものへと変化していた。


「このカルケイオスにも……相応しくない品位を持つ輩が残念な事に存在しておりますわ」


「?」


「半裸で寝そべる女性を見て、何か良からぬ事をしでかそうとしていた輩がいらっしゃいましたのよ」


「!?……ルクエ、さんきゅ!まじ助かったよ……」


 主に精神的に。


 ルクエ曰く、牢屋に入れていたのはむしろ俺を避難させるためだったようだ。まぁその後、殺そうとしたんだから大差無いとは思うのだが。


『例え罪人であったとしても正規の手続きで裁かれるべきですわっ!』と即座にルクエによって熱弁された事により、定臣がその考えを口にする事は無かった。


「それにしても……あなた」


「ん?」


 何気なく聞き返した定臣。そこに向かって放たれたルクエの一言によって、定臣はラナクロア初のお決まりの台詞を絶叫する事となった。


「すす汚れて先程まで気がつきませんでしたけれど……とても美しいですわ!」


「……」


「これならば先程の男達の、あの行動も理解ができると言うもの!私、壁の外の人間に興味を持たれる方々の思考自体が理解できておりませんでしたの!」


「……俺は」


「それ!その『俺』という一人称には大いに否!と唱えたいですわ!それだけ美しいのですから然るべき言葉をお選びになるべきですわ!それだけ美しいのですから!あ、これはあれですわね!とても大事なことでしたので二回、申し上げましたのよ!?」


「だから俺は……」


「サダオミ!その『俺』と言うのをよして下さいと申し上げておりますの!」


「俺は男だああああああああああああああああああああああああ!!!!!」










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