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神様機構―悠久なる歯車―  作者: 太郎ぽん太
第 4 部 風鈴 編
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第五十五話:氷の対峙



 羅刹が放つ威圧感は、この部屋の冷気よりも重く、鋭かった。


 一国の王として、そして剣に生きる武人として、目の前の麗人が放つ毒気に、必死に抗おうとしている。


 それは、この極寒の地で「火」を守り抜こうとする、この国の必死な在り方そのもののようでもあった。





 沈黙を破ったのは、羅刹の喉の奥から絞り出されたような低い声だった。


「……それで。漢遼迩かんりょうじの姫と、その護衛を自称する怪物が、この火の国に何の用だ」


 怪物、か。


 せっかく約束を果たしに顔を出したというのに、その言い草は、ちょっとひどくない?


 俺は心の中で軽く肩をすくめると、部屋の隅々で静かに燃え続ける火影を眺めた。


「火の国……。至るところで火を焚かなければ、一晩で凍える。だからこそ、どの国よりも火を慈しみ、火を掲げる。皮肉な名前だね」


 俺の言葉に、羅刹の瞳がわずかに揺れた。


「……ふん、名に縋らねば凍える地だ。貴様のように、勝手に他人の門を直して歩く怪物には、この火の細さはわかるまい」


「皮肉じゃないよ。ただ、この絶やさないための努力。俺は嫌いじゃない」


 俺は火床から目を離し、羅刹を真っ正面から見据えた。


「約束したよね? 羅刹。あなたが振るう剣が、何のためにあるのか。その答えを見つけたら、また会おうって」


 羅刹の表情が、微かに、けれど確実に強張った。


 身に覚えのない合意を、さも当然のように突きつけるサダオミの物言い。


 つい先刻、勝手に城壁を修復された屈辱と、かつて一方的に残された無責任な問いかけを押し殺すように、羅刹は吐き捨てるように言った。


「……答えなど、とっくに出ている。この冷え切った国を、剣で、血で、繋ぎ止める。それ以外に何があるというのだ」


 羅刹の言葉には、王としての覚悟と同時に、出口のない袋小路の響きが混じっていた。


 俺は微笑を深め、そっと立ち上がった。


「なら、ちょうどよかった。その『繋ぎ止める』だけのやり方に、別の選択肢を提示しに来たんだ」


 羅刹の瞳に、王としての疑念と、抗いがたい毒に当てられたような困惑が、複雑に混ざり合って火花を散らした。


「……別の選択肢、だと?」


 羅刹は、立ち上がった俺を射抜くような目で見上げた。


  その瞳の奥には、出口のない閉塞感を打破したいという渇望が滲んでいる。


「だね。あなたがその剣で、この凍てつく大地を繋ぎとめるというのなら――」


 俺は羅刹の視線を受け流し、冷え切った石壁に指を這わせた。


「俺は、この国そのものを滅びない形に変えたいと思ってる。消えない熱源を、この土に根付かせるようなやり方でね」


 羅刹が鼻で笑う。


「……夢想家の戯言か。ここは火を絶やせば、死あるのみだ。それを変える術など、神にしか――」


「神様じゃないけど、手伝いくらいはできる。さっきの門のように」


 俺はそう言って、鈴の隣に腰を下ろし直した。


「あなたが必死に火を守っている間に、俺が少しずつ、この国の土台を整えていく。一晩で国ごと変えるなんて品のないことはしないよ。あなたがここで積み重ねてきたものを、そのまま補強するだけだ」


 羅刹の言葉が詰まった。


 なぜ、漢遼迩かんりょうじの姫の護衛をしているような男が、火の国のために手間を惜しまないと言い出したのか。


 彼には、俺の真意が計りかねるのだろう。


 実を言えば、俺自身にもよく分かっていない。


 ただ、この国の火が消えるのは、ちょっと、嫌だったんだ。


「……何を企んでいる。漢遼迩を裏切り、我らに付くとでも言うのか」


「裏切る? まさか。俺は鈴の味方だよ。だからこそ、ここが脆いままだと困るんだ」


 俺はそう言って、隣で緊張した面持ちで座っている鈴の手を、無造作に握った。





 羅刹の眉が、不快そうに歪む。


「……意味がわからん。我が国が脆かろうと、漢遼迩かんりょうじに何の関係がある。貴様の言う『困る』とは、誰の、何の都合だ」


 羅刹は、目の前の「それ」を鋭く射抜いた。


 だが、その視線はどこまでも虚空を掴むようで、手応えがない。


「さあ。強いて言えば、俺の都合かな」


 緒方刀座は、はぐらかすように微笑んでいる。


 そのかたちはこの世の理を狂わせるほどに整い、それゆえに毒々しい。


 人ならざる者の造形だ。


 羅刹は、奥歯を噛み締めた。


 つい先刻、自身の目の前で、崩落しかけていた北の門が「作り直された」光景が脳裏にこびりついて離れない。


 一切の予兆も過程もなく、ただそこにある現実が上書きされたかのような異常。


 力ずくで壊すよりも遥かに恐ろしい、理の蹂躙。


「今はまだ、あなたが理解する必要はないよ。俺が勝手にやって、あなたがそれを利用する。それで十分だろう?」


 羅刹は押し黙った。


 差し出されたのは、あまりに甘く、あまりに正体不明な毒だ。


 拒絶するには、あのあまりに完璧な城壁が、この国の窮状を突きつけすぎている。


 ――いや、それ以上に。


 この絶世の怪物を敵に回した場合に失うものが、王としての直感に警鐘を鳴らし続けていた。


 危険なのは承知の上だ。


 だが、この毒は、もしかすればこの国を延命させる薬になり得る。


「……好きにしろ」


 羅刹は絞り出すように言った。


「だが、我が民に牙を剥くような真似をすれば、その時は――」


「しないよ。そんな面倒なこと」


 刀座は羅刹の言葉を遮ると、興味を失ったように視線を落とした。


 そして、白く細い指先を、冷たい石床へと這わせる。


 羅刹の背筋に、得体の知れない震えが走った。


 この怪物の気まぐれが、この国の運命を、自分の預かり知らぬ場所へと引きずり込もうとしている。


 羅刹の視界の端で、刀座の指先が石の床を軽く叩いた。


 その瞬間、広間を満たしていた凍てつく空気が、一変した。


 パキパキと、石床の隙間にこびりついていた永久凍土が剥がれるような音が、足元から鳴り響く。


「……っ、何をした」


 羅刹は思わず腰の剣に手をかけたが、それよりも早く、靴の裏から伝わってくる感覚に目を見開いた。


 熱だ。


 薪を焚いているわけでも、魔法の灯火を掲げたわけでもない。


 ただの石の床が、まるで陽光を一日中吸い込んだ土のように、じわりと、生温かい熱を放ち始めている。


「まずは、底冷えからかな。この城の地下に、少しだけ深層の熱を引っ張り上げておいたよ。これで、寝ている間に凍死する心配はなくなる」


 刀座は事も無げに言って、立ち上がった。


 羅刹の額を、場違いな汗が伝い落ちる。


 この男は今、地脈そのものを捻じ曲げ、この極寒の城を「春の暖かさ」に書き換えたというのか。


 しかも、それを「少しだけ」と言ってのける。


 羅刹の足元で、数百年溶けることのなかった氷が、静かに水となって流れ出していた。

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