聖獣
■
ラナクロア暦635年 水の月三の火の日
勇者の公募開始まであと三日
◆
「起っきろ~~~!定臣ぃ~!」
翌朝の目覚めは最悪なものだった。二日酔いは魔法の効果とやらで一切ない。では何故、最悪なのか
「起きろっての!」
先程からポレフが起きろ起きろとやかましいのだ。ちなみにそのポレフは結局、昨日丸一日眠りこけていた。
聞こえない聞こえない。むしろ寝起きうんぬんをこいつにとやかく言われる筋合いが無い。
「オレワペンギンカアアアア!」
ポレフのその声とともに定臣はベットから叩き落とされた。
ええい!あえてシカトしてたのに実力行使かこのクソガキ!というか俺はペンギンか言うな!
定臣は心の中でそう叫びながらも子供に怒るのも大人気ないかと自制しつつ、むくりと起き上がるとぶすっとした顔でポレフをじっと見つめる。
「起きたか!天使って寝ぼすけなんだな!」
ものすごい笑顔で見られた。お前が言うなというつっこみはとりあえず置いておくとして、まずはと定臣は口を開く。
「……おはよっ、今日は元気なんだなポレフ」
「おう!元気だぜ!」
元気なのはわかったが挨拶には挨拶で返せよと心の中で呟いては見たものの、その笑顔に毒気を抜かれた定臣は指摘する気にはなれなかった。
「ポレフ」
背後から聞こえてきたのはエレシの声。
そう、俺は指摘する気は無かったんだが……
「ね、姉ちゃんおはよ!」
そう言ったポレフの声は既に上擦っている。これは振り向くまでもなく安易に想像できるなと思いつつも定臣はそぉ~っと振り向いた。
なんというか怖かったです。
「定臣様、おはようございます♪」
ポレフに奥技『にっこり絶対零度』を見舞っていたエレシだったが、うっかりそれを直視して硬直してしまっている定臣に視線を戻すと、いつもの笑顔で挨拶を投げかけてきた。
「お、おはよっ」
「すぐに朝食の用意を致しますね♪……ですがその前に少々お時間を頂いてよろしいでしょうか?」
背後から小声で『駄目って言ってくれ!すぐに飯食べたいって言ってくれ!』と懇願する声が聞こえてきているが気にしない!
定臣はにこやかな笑顔を作るとエレシに向かって口を開いた。
「いいよ!」
「ちょおおお!」
「ありがとうございます♪」
「あああああああああぁあああ」
室内にポレフの悲痛な叫ぶ声が木霊する。定臣に礼を述べた後、即座にエレシはどこから取り出したのか包丁を6本ポレフに投げつけ、壁に張り付けにした。そこから始まったのは躾け(しつけ)という名の人間ダーツ。
「ポレフ、挨拶はきちんと」
「あああああ!ごめんごめん!ごめんなさい!」
「しなさいと」
「ぎゃああああ!」
「前々から言い聞かせて」
「はい!はい!聞いておりました!」
「いましたよね」
「ああああ!今かすったって!痛かったし俺!」
当然ながらポレフを溺愛するエレシが包丁を命中させる事は無かったのだが、あの笑顔から一言事に包丁を射出するその姿に定臣は戦慄させられた。
◇
「それではいただきましょう♪」
「いただきます!」
「うっひっく、うぅ、いだだぎまずひっく」
あの惨劇から数分後、定臣の目の前にはまたしても得体の知れない料理、そして笑顔のエレシとその横にるるる~と涙を流し続けているポレフの姿。
「ほら、ポレフ!いい加減、泣きやめよ、な?」
あまりに可愛そうなので軽く慰めてみる。
「な……うっ、泣いてないやい!」
思いっきり泣いてんじゃん!
「ポレフ?」
エレシがまたしても咎める様にポレフの名前を呼ぶと小声で『ひっ』と声を上げた後、ポレフは硬直してしまった。そして涙を拭うとキリッとした顔を作り口を開く。ちなみにその時の目は死んだ魚の様だった。
「はははっ、泣いてました。すいません定臣さん。それとおはようございます。今日はいい天気ですね」
誰だよ!っていうかどこ見てるかわかんないよ!
大いにつっこみたかった定臣だったが隣のエレシが『まぁまぁ!なんていい子なのでしょう!』とか言っちゃってるのであえて黙っておく事にした。
◇
朝の一騒動を終えた定臣達は、クレハ達と合流しようとテントを出る。
「ありゃ」
思わず声がでた。定臣達を出迎えたのはなにやら神妙な面持ちで集まっている昨日、同席した男達の姿。陽気な昨日の空気もどこへやら皆、一様に落ち込んでいるのが見て取れた。
「おはよっ!おっちゃん達」
「あぁ姉ちゃんか、おはよう。昨日は楽しかったねぇ」
「だね!無料酒飲ませてくれてありがとねっ!……でさ」
「ん?なんだい?」
「なんか皆、凹んでない?」
「あぁ、その事かい……」
そう言って視線を足元に落とした後、おっさんはぼそっと呟いた。
「マノフの横断が今日も終わってなくてねぇ……こう、連日ここに足止めくらうとさすがに商売あがったりなんだわ」
マノフ?なにそれわかんない。
顎に手を当て首を傾げていた定臣を他所に男達の視線は奥のテントの方へと向いていく。そこに聞きなれた声が鳴り響いた。
『やぁやぁ諸君!ご機嫌いかがかな~?なに?いいわけないって?そりゃ~そうだ!未だにマ~ノフの横断は続いてるんだしなぁ~!』
視線の先には真っ赤なスーツのもみあげのその人、クレハ・ラナトスの姿。野良のポーター達がいる手前なのかいつも以上にオーバーなパフォーマンスで手を動かしながら話し続けている。
『そ・こ・で!この度、我がサキュリアスはラナクロアの常識をまた1つ変える事にした!』
周囲がざわめく。有言実行の男クレハ・ラナトス。それはもはや、ポーター達の間ではラナクロアの常識の1つと化していた。その男のその言葉は嫌でも注目を集める。一同の視線を一身に集めたクレハはにやりと笑みを浮かべると次の言葉を紡いだ。
『マノフっちをちょっくら走らそうと思うのよ』
周囲がざわめく。皆、口々に『不可能だ!』とか『無茶だ!』とか言っているが、マノフがなんなのか知らない定臣にはそれがどういう事か理解できていなかった。
『でさ~、ここに駐在してるうちの戦力だけじゃちっと心もとないのよぉ~!有志の参加者募集!』
軽い調子で続け様に放たれたクレハのその言葉に傭兵と思しき男達は皆、足元に視線を落とした。周囲を静寂が包む。
『はぁ~……やっぱりねぇ』
予めこうなる事を予想していたのか、クレハはオーバーリアクションで肩を竦めて見せた。
「あ~、俺それ参加するよ」
最初に静寂を破ったのは定臣のその言葉だった。恐らく定臣はマノフがなんなのか理解していてもそう言っていただろう。自分の事を兄弟とまで言ってくれた者達が困っている。それだけで自分が剣が振るうには充分な理由だった。
「ずっりぃ~ぞ!定臣!俺が今それ言おうと思ってたんだぞ!」
次に続いたのはポレフだった。ポレフが来るという事は当然ながら
「私も参ります♪ポレフ、まるで勇者みたいで格好良かったですよ♪」
そう言ったエレシの顔は幸せそのものだった。
『かぁ~!さすがエレシPT!器量が違うねぇ!』
「クレハ様、エレシPTではございません。勇者ポレフとその一行でございます。お間違い無き様お願い致します。」
『こりゃ悪かった!さぁさぁ!勇者ポレフに続く他の者はいないかい!』
またしても静寂。それ程にマノフというのは厄介事なのだろうと思いながら定臣はぼ~っと視線を男達に送っていた。そこで一人の男と目が合う。昨日は話す機会こそ無かったが遠巻きにこちらをずっと見ていた片腕のその男に定臣は見覚えがあった。
『わかった……わかったぜ!俺も参加だクレハ!』
『お~いええぇ!隻腕の剛剣マリダリフが参加表明だ!他はいないかい!』
その後、しばらく募集し続けたクレハだったが他に参加者はいなかった。そして募集を締め切る旨を一同に伝えると皆は散り散りに自身のテントへと帰っていく。募集を締め切った後に『思った以上に集まった』というクレハの呟きを定臣は聞き逃さなかった。
その後、作戦会議を開きたいのでサキュリアスのテントへと指示された一行は歩みをそちらへと向ける。
にしても相当に厄介事なんだなぁ、マノフってなんなんだ。
『な、なぁあんた』
ぼ~と思考を巡らせていた定臣だったが不意に自身に投げかけられた男の声で意識を引き戻された。振り返った先には先程、参加表明してきた隻腕のマリダリフとか呼ばれていたおっさんの姿。
「ん~?」
「お、俺の名はマリダリフ・ゼノビアっつんだ!あんたなんて名前なんだ?」
「あ、わりぃ。俺の名前はサダオミ・カワシノ。この先は同じPTなんだし、よろしくな!」
そう答えた定臣に赤面しながらも男は話を始める。主に自分の武勇伝を。話によると自分は今ここに滞在している傭兵の中では圧倒的な実力者なのだと言う。
なるほどなぁ、クレハが名前を知ってたって事はそれなりに名を馳せた傭兵なんだろうなぁ
得意の愛想笑いでその自慢話しを華麗に受け流しながらも、定臣はそんな事を思っていた。
「そ、それでさ!あんた見たところ旦那も彼氏もいないんだろ!」
そのマリダリフの声にまたしても意識を引き戻された定臣の顔は完全に引きつっていた。
待て待て待て!こいつは何を言おうとしてる!?その先は駄目だ!言うな!
心の中でそう叫んだ定臣だったが既に遅かった。
「お、俺、この戦いが終わったらあんたと結婚したいんだ!」
「お前それ死亡ふr……」
そう言いかけて口をつぐんだ定臣は哀し気な表情のまま空を見上げる。そこには朝だというのに流れ星が流れていくのが見えた気がした。
◇
ラナクロア最大生物『マノフ』。太古の昔より人々と共生してきたその生物は魔獣の巣窟と化したメイヨー平原で唯一、その個体数を減少させなかった種族でもあった。基本的に温厚な彼らだが自身の種に害を為す存在には種をもっての返礼が成される。
マノフが人に見せた初めての『返礼』。それは一匹のマノフを殺した魔獣という種に対して行われた。その事件は長い人の歴史の中、ずっと草食動物であると位置付けられていたマノフに対する認識を大きく覆す事となる。
種をもっての返礼。マノフは決して魔獣を許さない。
それまで草木を主食としていたマノフはその食欲を魔獣へと向ける事となる。食欲の的からはずれた草木はその数を増やし、空気は澄み、大地は潤った。
魔獣を排除するマノフ。人にとっての益獣と化した彼らを聖獣と称える人々が増え、太古より守られてきたマノフ不可侵思想は近年、より一層高まってきている。
その不可侵の領域の1つにニの氷の月のマノフの横断が含まれているのだという。年に一度のマノフの大移動。一月かけてマノフはゆっくりゆっくりとメイヨー平原を横断していく。それはポーター達にとっての営業停止期間を意味する。
◇
「で~!そ~の横断が何故か水の月である今起こっちゃってるわ~けよ!」
軽く説明を終えたクレハはオーバーに両手を開くと、そうごちった。
「で?クレハよ、どうやってあの化け物を走らそうってんだ?」
「それなんだがな隻腕の」
マリダリフの質問に表情を硬くしたクレハは、一呼吸おいて今回のミッション内容を説明する。
「まずはこれを見てくれ」
クレハがそう言うと脇に控えていたライアットが手をかざす。すると何もない空間にモニターの様に映像が浮かびあがった。
でました便利魔法!
いい加減、慣れ始めた定臣は特に驚く様子もなくそれをぼ~っと眺める。
「すっげ~な!それどうやってだしてんだ!」
クレハの話に子供らしく、はしゃいで割って入ったポレフだったがエレシに『後で教えてあげますからね♪』と軽く戒められ悪びれた様子も無く、謝ると元の位置に戻った。
一同は押し黙って映し出された映像を見る。中には茶褐色の山が映し出されていた。
「山?」
思わず口を開いた定臣にクレハが軽く笑いかけると
「それが山じゃね~んだよぉ~!サダオミちゃ~ん!」
そう口にする。
マノフの管理は国務であり、常に記録されていると前置きしたクレハは再度、映像へと視線を向ける。映し出された画面は丁度、アングルが切り替わり、先程、山にしか見えなかったものの全貌が映し出された所だった。
ただひたすらに大きなその姿は一面の茶褐色。自身の記憶にある生物に例えるならサイに似たようなフォルムに見える。ただしその目はクレーターの様に陥没し、首は異様に長く尻尾と同じ丈程もあった。
「これがマノフ……」
思わず絶句する。よく見てみるとマノフの足元に見えていた緑は山だった。
草むらだと思ってた……
考えが甘かった。凶暴なだけの生物ならば実力で軽く捻じ伏せる自信があった。しかしながらこの巨大さ・・・個人の実力等、無に等しい。例え大人数で立ち向かったとして太刀打ちできるだろうか・・・
無言のままに顎に手を当て、思考を巡らせた定臣だったが、自身の中で何よりも譲れなかった感想をまずは口にする。
「可愛くねえええええ!なにその目!主にそこが特に可愛くねええええ!」
「そこかよ!」
つっこんだのはポレフだった。
「いや~いやいやいや、怖気ずかれるかとも思ったんだ・け・ど!いいね~、いいよいいよ、いいね~」
拍手しながら嬉しそうにクレハがそう続く。
「んんぅ!クレハ様。作戦の説明をお願いします。」
咳払いと共に釘を刺してきたのはライアットだった。
「すんません、どおおおおしても譲れなかったもので」
顔が怖いのでとりあえず謝ってみました。
「結構です。」
相変わらずに鉄仮面でした。
「サダオミちゃんからも笑顔を勧めてあげてよ~」
「結構です。」
軽くおどけて見せたクレハに短くそう告げると、ライアットは映像に向かって軽く手をかざした。
「あ~、はいはい!説明しますよぉ~」
クレハのその声と同時に映像はマノフの足元へとズームアップしていく。
足元の山から黒い点が無数に飛び出している様子が伺えるところまで映像が拡大されると、一度ズームアップが停止される。
なんだろあれ
首を傾げた定臣を他所に更にズームアップ。
あ……
山の中から飛び出していた黒い点は魔獣の大群だった。その大群は止め処なくマノフに襲いかかっている様に見える。
「ご覧の通りこの映像は魔獣がマノフを襲っているとこ~ろ」
確かに襲いかかっている。襲いかかってはいるのだが……
「びくともしてない?」
「そぉ~そぉ~そぉ~なのよ!」
そう言うとクレハはマノフの外皮は鉄のごとく頑丈で更に遠目に見ると風景と同化して見える擬態効果も保有していると付け加える。
そのクレハの説明に『でけ~カメレオンだなぁ』と感想を抱いた定臣だったが、カメレオンがなんなのか説明を求められても面倒なのでここは口をつぐむ事にする。
映像は更に時を刻む。
マノフは相変わらず微動だにしない。しかしながらその足元には確かな変化が現れていた。
死屍累々。その生命力のすべてを攻撃に費やした魔獣の群れが次々に屍と化してマノフの足元に積もっていた。
巨大すぎるマノフも怖いけど死ぬまで攻撃をやめない魔獣も怖いなぁ
定臣の素直な感想だった。
「マノフの堅強さは理解していただけたと思います。」
「よぅし!いいぞライアット。次だ」
「はい。」
そう言うとライアットは再び映像にむかって手をかざす。
「魔獣の攻撃開始から三日後の映像です。」
さすがにあの猛攻を三日も受け続ければダメージは受けるらしい。映像に再度、映し出されたマノフの足元の外皮は剥がれ落ち、緑色の血液の様なものが流れだしていた。そこをここぞとばかりに魔獣が攻め続けている。
「性格わりぃな魔獣」
率直な感想が思わず口をついてでる。
「魔獣の性格とか新しいねぇ~」
おどけた様子で定臣に答えて見せたクレハだったが真顔を作ると再度、映像へと視線を送る。
動かない。確かなダメージは受けているもののマノフは一行に動く様子がない。
「なぁ、クレハよ……これを俺達に見せてもマノフを走らせる活路が見出せないのだが」
代わり映えしない映像に耐え切れず、最初に口を開いたのはマリダリフだった。
「もうちょい、も~~ちょっとだ……よぅし!ストップ!」
マリダリフに軽くウィンクを送りながら映像を横目で確認していたクレハがそう告げると、ライアットが映像に手を添えて画面を停止させた。
「ほうら!ここ見てよここ!」
クレハが指差した先にはマノフの尻尾の先端部分に魔獣が飛びかかっているところが映し出されていた。
「ライアット」
「はい。」
クレハの指示でライアットが映像をコマ送りで進め始める。スロー再生もあるのかよというつっこみはもはや不要だろう。
映像はゆっくりと進み、マノフの尻尾の先端に魔獣の牙が触れる瞬間に再度、停止された。
「はい!全員、耳閉じて~!」
クレハのその声にパーティの皆が首を傾げながら怪訝な顔を浮かべる。
「指示通りにお願いします。」
ライアットが促すようにそう続くと全員が手を耳に当てて従った。
「くぅぅ!ライアットの言う事は聞くのね皆あああ」
何か聞こえたけど気にしない。
「それでは」
再び映像が進む。マノフの尻尾に魔獣の牙が突き刺さったその瞬間
『ギョワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』
あまりの大音量に思わず顔をしかめて目を閉じる。クレハの指示に従っていなければ鼓膜が破れていたかもしれない。
うるっさ~……尻尾か!尻尾の先端が弱点って事なのか!
ようやく耳鳴りがやんできたので目を開く、軽い抗議も混めて映像に再度、視線を送った定臣は驚愕して思わず目を見開いた。
「立った!マノフが立った!」
とりあえず言わないといけない気がしたので言ってみました!
画面の中のマノフは定臣が思わずそう叫ぶ程に立ち上がっていた。元が巨大なだけに立ち上がったその背丈は想像を絶するものがある。
先程の咆哮に加えてこの巨大さ、さすがの魔獣達も恐怖したのか攻撃の手を休め、一様に視線を頭上のマノフへと送っている。そんな魔獣達などお構いなしにマノフはゆっくりとその歩みを進め始めた。
まさかの二足歩行……今、俺の目の前の画面の中でマノフがゆっくりゆっくりと歩……
───ドシーン
けんのかいっ!
優雅に二足歩行を始めたと思われたマノフだったが、わずか三歩目にはその前足を地面へと降ろした。
一瞬、わくわくした自分が悲しかったよ!歩くならそのまま歩けよマノフ!
定臣の心の叫びをよそにそこで映像は一度、停止させられた。
◇
「今の一連の流れでマノフが移動した距離は自然移動距離の三倍に値します。」
ライアットがそう説明を加える。
「さてさてさ~て!もう想像ついただろぅ!今回の作戦はこれよ!こ・れ!」
「作戦もなにも尻つっついて早く歩かせるだけだろ!」
思わずつっこむ。定臣のその言葉ににやりと笑い返すとクレハが口を開いた。
「そう言ってくれると気が楽なんだけどねぇ……〝だけ〟とは言うがサダオミちゃん~マノフっちの巨大さを考慮しないといけないよぉ」
確かにそうかともう一度、映像に視線を送る。〝それ〟に気がついた定臣の背筋を冷たい汗が伝った。
マノフが先程歩いたわずか三歩の足跡。その足跡は鮮明な藍色で彩られていた。その藍色から目を離せずにいる定臣にクレハが告げる。
「正解!魔獣の血の色は藍色」
あの巨大な足跡に何百の魔獣が潰されたのだろう。今回の作戦、一歩間違えれば自分達もあの彩りの中に加えられるはめになる。
「悪ぃ、簡単じゃないわな……続けてくれクレハ」
軽く謝罪をいれた定臣に再度、にやりと笑いかけるとクレハは説明を始める。
絶対条件としてマノフの前方には布陣しない事。
マノフの擬態には二段階あり、1つは近寄れば視認できるものでもう1つは近寄っても視認できないものである事。
マノフは群れで移動しているが、先導役を一匹に定め、視認可能な一匹がその役目を担っている事。
マノフの歩みはクレハ専用メヘメヘよりも少し遅いのでいざとなれば逃げ切れる事。
マノフの敵として認識されてはいけない事。そして説明はどうなれば敵として認識されるのかという内容へと及ぶ。
◇
「ライアット、最後まで一気に飛ばしてくれ」
「承知しました。」
ライアットが手をかざすと映像は一度、点滅し中の時を進めた。
尻尾に攻撃を受けてからどれくらい時間が経過したのだろう。マノフの外皮はほぼ剥がれ落ち、辺りにはその血液がばら撒かれ、長かった尻尾はその丈を半分ほどまで短くしていた。
えぐ……
「ここまでされてマノフはまだ魔獣を敵として認識していない」
クレハは冷たい声でそう言い放つ。
「生物が死ぬ瞬間はいつ見ても気分が良いもんじゃないねぇ~……ライアット」
「はい。」
クレハの指示で再びライアットが映像を止める。
「全員、耳に手を当ててくれ。あ~それと目は絶対にそらさないでやってくれ」
全員の無言の承諾を受け取るとクレハはライアットに目配せをする。
『ギョワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』
咆哮。断末魔の咆哮。
山よりも巨大なその身体をゆっくりと地面に横たわらせるとマノフはそのまま動かなくなってしまった。
辺りを静寂が包む。
『ギャア!ギャア!ギャア!』
一呼吸おいて鳴り始めたのは魔獣達の勝利の凱歌だった。しばらくその耳障りな音が映像を支配するが映像は尚もマノフの死体を映し出し続けていた。
『ルウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!』
しばらくして突然鳴り響いた重低音に再び魔獣達は沈黙する。映像はその重低音の発信源に辿り着き、マノフの顔にズームアップしていった。
特徴的なクレーターの様な目玉。陥没したその底辺から鮮やかな青い瞳が神秘的な光を放ちながら顔を出す。
「これが伝説に名高いマノフの碧眼」
クレハのその声に一同が感嘆の声を上げる。
『これが』と
当然ながら伝説など知る由も無い定臣には理解できなかったのだが、映像の中で起こったその後の出来事でその伝説の内容は大よそ想像がつく事となる。
『ルウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ……』
最後の一息まで叫び続けると、マノフはその碧眼をゆっくりとクレーターの中へと沈めていった。
「終わりだ」
クレハの言葉通り、映像の中の風景は『終わり』を意味するものへと変貌していた。
魔獣の群れの頭上を鮮やかな碧眼が覆う。擬態を解いた幾数ものマノフが突如、出現しその場でスタンプを始める。一面の青色が消え失せた頃にはそこにマノフ以外の生物は存在しなかった。
◇
「……と、まぁ敵と認識されればこ~なるわけ」
軽い調子でそう〆たクレハはこの事件以降、マノフは魔獣を攻撃し、その死骸を食していると付け加える。
◆
正直、びびった……とりあえず確認してみる。マノフを殺さない限り敵として認識される事は無い。加えてあの頑丈さ、殺意をもって攻撃さえしなければまず絶命させる事は無いだろう。
後は……あの大きすぎる一歩には要注意だなぁ。下敷きになれば俺は兎も角、皆は即死だ。
そこで気がついた。
マノフは群れで移動している。視認不可な擬態中のマノフの一歩は回避のしようがない。これはやばいなと記憶を探った定臣を違和感が襲う。
先程の映像で視認不可な擬態を解いたマノフ達は殺されたマノフの間近に出現した。つまり、殺されたマノフの間近にずっといた事になる。それなのに姿が見えない他のマノフの足跡が擬態を解くまで一切、確認できなかった。
これはどういう事だ……?
「視認不可な擬態中のマノフは物理干渉が一切無くなります♪その特性から移動中の自然破壊を最小限に留めています♪マノフが聖獣と言われる由縁の一つでもありますね♪」
質問しようとした定臣にエレシが小声でそう説明する。
エレシ……本気で心、読めるんじゃないのか……
「あ、ありがと」
「いえ♪」
にしても物理干渉が無くなるって……まぁ便利魔法が横行するこのラナクロアならばそれも納得するしかないかぁ……
苦笑いを浮かべつつ顎に手を当てた定臣だったが、相手にするマノフが一匹だけでよいならばと、ほっと胸を撫で下ろすのだった。
◇
その後、定臣達はクレハの指示でレイフキッザから乗車して来たクレハ専用のメヘ車へと、予め決められた組み合わせで乗り込んでいく。
ちなみに作戦の概要から乗車スタイルは、ここまでのライアットさながらに車の天井に乗るというものになった。
右手のメヘ車へはクレハとライアットが、左手のメヘ車へはポレフとエレシがにこにこと乗り込んでいった。そして俺は……
「よ、よろしく頼む!」
NGワードを先程言っちゃったこの人、マリダリフ・ゼノビアとの乗り合わせだ。
◇
『これはポーター結社サキュリアスによる社命を賭した作戦である!』出発前にそう宣言したクレハの言葉に嘘は無かった様だ。
自分達の他に用意されたメヘ車は計十台。クレハはそれに野営地に駐屯していたサキュリアスの全戦力を的確に分散させ、乗車させていた。
野営地の防衛どうすんだろ……
後ろを振り返りながらそう心配した定臣は、クレハと今回の作戦に参加しなかったサキュリアスに所属していない傭兵達との間で交わされた『約束』など知る由しもなかった。
サキュリアスが少しでも力を発揮できる様、せめてものと野営地の防衛を買ってでた傭兵達とそれを快諾し、マノフを無事に歩かせる事と城壁の外で再び生きて再会する事を誓ったクレハとの兄弟の『約束』を。
◇
それから半日程、北上し一行はマノフを目指す。道中、定臣の目の前には常時赤面なマリダリフがずっと黙って俯いていた。
話題を探した定臣はなんとなしに先程ついていけなかった『マノフの碧眼伝説』をマリダリフに尋ねる。それにマリダリフはどもりながらも丁寧に答えてくれた。
【大いなる者の秘めたる碧眼現われし時、大地が激震し、大いなる災いをもたらせるだろう】
いつ、どの時代に作られた伝説かは知られていないと締めくくったマリダリフに軽く礼を述べた定臣だったが、その伝説に何やら嫌な予感を感じずにはいられなかった。
こういう予感って昔からはずれた例がないんだよなぁ……
◇
半日後、クレハが乗車するメヘ車を先頭に部隊は目的地付近まで辿り着いていた。
『はいはいは~い!皆、一旦ストップ~!』
クレハのその声に各メヘ車は一様に停止を始める。各メヘ車は等間隔の距離を保ちながら移動していたのだが、全員が車外に待機しているために大声を出せば聞き取れるのだ。
それを証拠に道中、隣を併走していたポレフの車からは『わ~!姉ちゃんやめろおおお!』だの『皆見てるだろおおお!』だのといったポレフの絶叫が木霊し、常に耳に入ってきていた。
◇
『皆聞いてくれ!マノフっちの背後に布陣すればまず間違いなく安全に作戦を遂行できるだろう!で・も!マノフっちはあくまで生き物だ』
だから予想外の動きをするかもしれないと肝に命じておいてくれとクレハは締めくくる。そのクレハの言葉に全員が雄叫びで返事をし、いよいよ部隊は臨戦体勢へと突入していった。
再び進軍を開始した部隊の先頭はもちろんクレハのメヘ車。そのクレハの傍らには当然の様にライアットの姿があった。マノフに遭遇する数分前、二人は軽く会話を交わす。
◇
「なぁにか言いたそうだなぁ?ライアット」
「はい。」
「言いたい事があるなら言えよ~、らしくねぇ~なぁ」
「では」
「おぅ」
「先程の事ですが、作戦開始前にわざわざ部隊を停止させてまで傭兵達の不安を煽るような忠告をされた事が気になりました。クレハ様は過去にその様な事をされた事が一度もございません。私が思うにk」
『嫌な予感。まぁ~だ治まってないなぁ~いんだよなぁ』
ライアットの声を遮る様にクレハがそう言い放つ。それに手馴れた様子で軽く目を閉じるとライアットは
「やはりそうですか。」
と続いた。
「まぁなんだ、いつでも出れるようにだけはしといてくれ」
「言われるまでもありません。」
「まぁ~ねぇ」
「……」
「なぁライアット」
「はい。」
「たまには笑えよぉ」
「結構です。」
◆
その頃、クレハのメヘ車から後方、最後尾寄りを定臣とマリダリフを乗せるメヘ車は走っていた。
あのクレハの言い様だとそろそろマノフと遭遇するんだろうなぁ……
ぼんやりと空を見上げながら定臣は作戦行動前に見せられたマノフの映像を思いだしていた。
マノフかぁ……
どうにもあの青い瞳が頭から離れてくれない。
「にしてもざわざわするなぁ」
「あんたもかい?」
定臣のその言葉に急に真顔になったマリダリフがそう聞き返す。
「なんか落ち着かないっていうか……嫌な予感がするんだよなぁ」
「俺もそうだ。死線を越えてきた者だけが持ちあわせる勘ってやつだな」
「え?俺、死線なんて越えてないけど」
「……」
急に黙り込んだマリダリフを定臣が不思議そうに眺める。するとマリダリフはみるみる内に真っ赤になって俯いてしまった。
ええいまたか!面倒くさいおっさんだな!
心の中でしみじみそう思いながらも仕方ないかと定臣は口を開く。
「どした~マリダリフ~(超棒読み)」
定臣の上辺だけの心配を受け、マリダリフは晴れやかな表情で顔を上げると拳を前に突き出して宣言する。
「サダオミ!お、おおおお前は俺が命にかえても守る!!」
こいつはどれだけフラグ立てれば気がすむんだ……
思わず頭を抱えた定臣だったがマリダリフが『て、て、照れるなよ』などと言っちゃってるのでとりあえずは軽く手をあげてそれに応えるのだった。
◇
定臣が頭を抱えていたその隣にはポレフとエレシを乗せたメヘ車が走っていた。
「姉ちゃん離せってえええ!」
「まぁまぁまぁまぁ」
「もおおおお!」
「ふふふ、ポレフ?マノフに踏まれてはいけませんよ?」
「わかってるよもぅ!」
「ふふふ」
◇
そしていよいよ一行はマノフと遭遇する。近寄る事で視認可能なマノフを最初に発見したのは当然ながらクレハだった。
「おいおい……冗談だろぉ」
「これはまずいですね……」
『異常事態だ!全軍ストオオオップ!』
事態を把握したクレハが絶叫する。
◆
なにやら異常事態らしい。クレハの叫びに即座に身構える。前方から順に急停止を始めた各メヘ車からは驚愕する声が各々聞こえてきていた。
自分のメヘ車が停止するまでのわずかな時間、定臣は思考を巡らせていた。
ゾクゾクするなぁ……
背中に背負う大太刀『轟劉生』の柄をしっかりと右手で掴む、そういえばラナクロアに来てから初めて抜刀するなぁなどと考える余裕くらいはあるらしい。それにしてもあの碧眼が頭から離れない。
「なんなんだよったく!」
定臣が思わずそう口にした時、定臣が乗車するメヘ車はマノフの擬態をかい潜り、遂に視認可能な領域へと侵入を果たした。
遥か前方、先程までただの景色にしか見えなかった空間に突如にして巨大すぎるその姿が出現した。
「!?……で、でけ~!」
映像で見るのと実際に目の当たりにするとではやはり勝手が違う。首が痛くなる程にマノフを見上げる。ここにきて定臣の胸騒ぎは最高潮に達していた。
でかいでかいでかい!
脳内に道中にマリダリフから教えられたマノフの伝説が木霊する。
【大いなる者の秘めたる碧眼現われし時、大地が激震し、大いなる災いをもたらせるだろう】
後になってあの時のあの感覚は虫の知らせってやつだったんだと理解した。
すべてのメヘ車が停止する。辺りを静寂が包み込む。時間の流れが妙に遅く感じる。
目の前の巨大生物がゆっくりゆっくりとこちらを振り返る。頭上にそびえるその巨顔には
───そこにあってはならない青色があった。
『るううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!』