22.芍薬とジギタリス
パトヴェレ侯爵家のガーデンパーティーは、つい先月に卒業したばかりの学園卒業生とそのパートナーが主な招待客なようである。
卒業パーティーでパトヴェレ侯爵令嬢が「夏風邪」で「熱」を出したことはまだ記憶に新しく、侯爵家としては娘にパーティーのやり直しをさせてやりたい……といったところだろうか。
今回は一部の在校生も招待するので、夕方の明るいうちから始まり夜が深まる前に終わる気楽なものらしい。
もしかしたら、かつての友人や取り巻きから距離をとられたパトヴェレ侯爵令嬢の立ち位置の再調整の場かもしれない。
正直なところ、アストリッドは喧嘩を売られていた身なので面倒さが勝る。
けれどこういった場合、先約などの大した理由も無く欠席という判断をすることは難しい。あの程度も許せないアストリッドのほうが狭量だということになってしまう。
無関係の周囲にとってその辺りの真偽などはどうでもよく、アストリッドが招待を受けなかったという事実のみが重要なのだ。ああ実に心外だとアストリッドは苛立つしかない。
卒業パーティーから数週間が経ち「熱」が下がったパトヴェレ侯爵令嬢が、未だにアストリッドを敵視しているかどうかはわからない。けれどクイドゥ夫人のこともあったし丸腰で行くのも心許ないため、なんらかの準備はしていきたいところである。
しっかり学んだとはいえ、一部の天才でなければ魔法の発動には多少の時間がかかる。他所様の屋敷に明確な武器の類を持ち込むことも流石にできない。だから、さり気ないが咄嗟に使える何らかの効果があるものを用意したい。
アストリッドは何らかのアイデアの刺激を求めて裏日記を開き、夕食前に襲い来るジャム欲をジャムサンドクッキーで誤魔化した。
◇
招待状の到着からまた数週間後――太陽が赤く染まりだす頃、新作の扇を手にしたアストリッドはロディオンと共にパトヴェレ侯爵家の自慢の庭に赴いていた。
庭の主役は、赤やピンク色の花を開かせた八重咲きの芍薬たち。現在の聖龍王国の庭園は芍薬ブームで、どの株も美しく艷やかな花弁を見せつけている。
いまのような夕陽に照らされた姿も美しいが、できれば青空の下でじっくりと見たかったほどの素晴らしい花々だ。
ちらりと視線を向ければ、パトヴェレ侯爵令嬢は八重咲きの芍薬のようなたっぷりのフリルを用いたドレスを纏い笑顔で来客を迎えている。
アストリッドとロディオンも挨拶は既に済ませたが、まだ持っているかもしれない刺々しさはうまく笑顔の下に隠せていた。ひと月ほどの休養で彼女の「熱」はちゃんと下がったらしい。
「……今のところ、暴走の気配は微塵もありませんね」
「まだ始まったばかりだし、ボロが出るならもっと後だと思うけど……そうならないことを祈りたいものだね。何もないのが一番だ」
「ええ、まったくその通りで」
アストリッドとロディオンは主催家の令嬢を注視していると思われないように、庭を見るふりで視線を巡らせる。
そのまま庭を見渡せば似た色の薔薇が芍薬と混植されており、更にはアクセントにジギタリスが植わっている。その他にも小さな花々で全体のバランスをとっているため、どこを見ても飽きない。
ゆったりと眺めていると、視界の端に近寄ってくる男女の影が入り込んできた。
「――やあモニカ嬢、こんばんは」
「モニカさん、ごきげんよう」
「ロディオン様、アストリッド様、ごきげんよう」
ヴラドレン公爵家の遠縁でひとまわりほど年上の男性にエスコートされてきたのはモニカだった。実はモニカはいま、ヴラドレン公爵家で秘密裏に王子妃としての勉強をはじめている。
まだ外に出せる話ではないため語学や作法などをエヴェリーナが直々に指導しているという、アストリッドにとって羨ましい話だ。思わずハンカチを噛んでしまいそうなほどに羨ましい、実に妬ましい。
第二王子ハイマールとヴラドレン公爵令嬢エヴェリーナの婚約解消が公になるのはまだ先の話。
しかし王家と公爵家の仲が円満であることと国家のための例外的な婚約解消であるというアピールのために、ヴラドレン公爵家が正式にモニカの後ろ盾になることが決まった。
更にはモニカがヴラドレン公爵家の養女となることも検討されているのだ。あのエヴェリーナが義理の姉というのは羨ましすぎないかと、アストリッドはつい嫉妬の視線を送ってしまう。
まだ事情を明かせないため将来有望な治癒属性の使い手を後援している……といった体だが、モニカに少しでも社交の経験を積ませるために、ヴラドレン公爵がパトヴェレ侯爵にモニカの招待を頼んだらしい。
娘であるパトヴェレ侯爵令嬢は同じ年で格上のエヴェリーナ――と、その取り巻き扱いのアストリッド――を敵視しているが、ヴラドレン公爵とパトヴェレ侯爵はいたって普通に親交がある。
モニカの初々しい会話に合わせていると噂のハイマールとエヴェリーナも到着したようで、主催と挨拶をしている様子が遠目でも見てとれた。
群がられる前に合流すべく、挨拶を終えたふたりの視線がすぐにアストリッド達を捉える。ハイマールはエヴェリーナをしっかり伴って足を向けてきたので、アストリッド達は礼をとって迎えた。
視線を下げているためはっきりとはわからないが、気配を探ればモニカの礼も様になってきたように思える。
「――ああ、楽にしてくれ。侯爵曰く、今日は気楽な会だそうだから」
「ご自分が堅苦しいのがお嫌だからって、早速侯爵閣下に擦り付けるんですのよこの方はもう……ごきげんよう、皆様」
機嫌の良さそうなハイマールと苦笑いを見せるエヴェリーナの会話は落ち着いたもので、既に婚約が解消されているとは思えない雰囲気だ。
しがらみがなくなってからのほうが良い距離を保てているということは、本当にその方面の相性が悪かったのだろう。
モニカに目を向けるハイマールの表情はずいぶんと優しく、ハイマールを見るモニカの瞳も可愛らしい。
ヴラドレン公爵家で密かに会っているふたりの秘密の恋はちゃんと進展しているようで、王国の未来のためにもアストリッドは安堵した。
「今日のリッドも可愛いわ。庭の花々に負けていないわね」
「はい、今日の私はリーナ姉様のためのジギタリスですから。お庭はご覧になりました? 全体のバランスが素晴らしいと思います」
「まだ侯爵閣下とお話するための角度でしか見てないのよね。気に入った場所はある? ……モニカさんもいらっしゃい。すこし実践をしましょう」
「はい、先せ……エヴェリーナ様」
(いま先生と言いかけた……!?)
いつも通りの会話をするアストリッドとエヴェリーナに、モニカも加えられる。
するとグループで小さくまとまっている場ゆえに愛称でお互いを呼ぶふたりにつられたモニカによるうっかりが、驚きの呼称を判明させた。
エヴェリーナとモニカは義姉妹というよりも、師弟関係のようなものが既に出来上がっていた。アストリッドは内心で驚きつつも、関係が良好でエヴェリーナが楽しいのならなんでもいいやとも思うのだ。
モニカ曰く何かが違っていたら悪役になっていたかもしれないというエヴェリーナが、いま穏やかに笑っている。それはとても嬉しいことなのだからその他のことは些事である。
講師のエヴェリーナに助手のアストリッド、そして生徒のモニカという形で庭の鑑賞についての軽い講義が進んでいく。そんな臨時講義が落ち着きをみせればちょうどよく、薄暮が迫る会場の中央付近でパトヴェレ侯爵の挨拶により宴が始まった。
いまのところパトヴェレ侯爵令嬢は父親の後ろで大人しく淑やかに微笑んでいる。
何も起こらなければいいと思いながら、アストリッドは笑顔のままで扇を握りしめた。




