02.「聖龍王国の春乙女」
青い顔のまま不得要領な懇願を続けるモニカをアストリッドが宥める羽目になるが、興奮した彼女が失神する前になんとか落ち着かせることに成功した。
湯気の立つティーカップを両手で包み冷えた指先を温めるモニカいわく、この世界は乙女ゲーム「聖龍王国の春乙女」の舞台なのだという。
主人公であるモニカが攻略対象者の誰かと「運命のふたり」となり「真実の愛」で邪竜の再封印を行わなければ邪竜が復活し、世界が再び混沌に包まれるというのだ。
確かに運命神を祀るこの国には、建国にまつわる伝説がある。
かつて世界を荒らし回った邪竜を、運命神の眷属である聖龍がその身を以って封印。そして運命神より封印を護る使命を賜ったのが、聖龍王国の初代国王なのである。
ここまでは国民なら誰でも知っている、広く知られた伝説であった。
しかしモニカが言うにはその封印は次第に綻んでいくため、そろそろ運命神が作り上げた封印機構を再起動しなければならない状況になっているというのだ。
「『運命のふたり』が、『真実の愛』でって……それはどういう仕組みなのかな?」
「その辺りの詳細は存じ上げず……申し訳ありません……」
同席していた王太子の側近が思わず漏らした率直な感想に、モニカは心底申し訳無さそうに身を縮めた。
そんなモニカに装着したままの嘘発見器は、変わらず真を示したままである。
「……アストリッド。その魔装具が嘘の反応を返していないということは、彼女の言うことが真実だということで良いんだね?」
「正確には、マレヴァ男爵令嬢がそれを心から真実だと思っている……という状況です」
王太子が念のための確認をしてきたが、アストリッドはこう答えるしか無い。
アストリッドが開発したのはあくまで嘘発見器なので、当人の認識が基準となっているのだ。
ちなみに魔装具とは、装着して使用するタイプの魔道具のことを指す。
「この嘘発見器は、装着者の魔力の揺らぎ……嘘を嘘と悟らせまいと感情を抑え込む思考によって変動する魔力を計測するものです。嘘を吐くことに伴う動揺なども感知しますので、当人が懐疑的だと思っている説を揺るがぬ真実として伝える際も嘘だと判定します」
「つまり、今はマレヴァ男爵令嬢が近いうちにその封印が解けると本気で信じている……ということがわかっただけか」
「左様でございます」
王太子には一連の説明を事前に済ませているので、これはただの前提条件の共有と確認である。
アストリッドが生まれた魔法のある世界において、人間なら誰もが持つ魔力というものは良い指標になった。嘘発見器のため、脳波や心拍の計測について模索していた時に思いついたものである。
この世界の人間は強い感情と共に魔力が外に漏れ出てしまう。感情の昂りに応じて涙が出ることがあるのと同じ様な現象だ。けれど嘘を吐くためには昂ぶった感情を悟らせてはならないので、その魔力を抑え込もうとするのが普通なのだ。
研究中のアストリッドはそこに目をつけた。意識・無意識かは問わず体内魔力を抑え込むという行為は強い負荷がかかるのではないかと仮定し、その負荷に伴う揺らぎを計測するようにしたところ手応えを得たのである。
同時に心拍数も計り緊張状態なども考慮しているため、なかなかの精度になったとアストリッドは思っている。
とはいえ単発の質問のみの運用はまだ色々と難があるため、騎士団での試用にはポリグラフ検査での運用を推奨している。
そのためモニカに対しても色々と質問を用意してきたのが完全に無駄になっているのは、まあ仕方がないとアストリッドは自分を慰めた。
「ひとつ疑問なのですが、ハイマール殿下はそれらの事情をご存知だったのですか?」
話題の区切りを確認し、アストリッドの従姉で第二王子の婚約者であるヴラドレン公爵家のエヴェリーナ・コーデュロ・ヴラドレンが静かに疑問を呈する。
青みがかって見える黒髪に、見る者に冷たい印象を与えるのは少し吊り目のブルーグリーンの瞳。しかしその心根は優しく可愛く、アストリッドが敬愛してやまない従姉は今日も美しい。
なお、ハイマールとは問題の第二王子のことであり、兄である王太子に暫く黙っていろと釘を刺されていたので発言の機会がなかった。
急に視線が集まり一瞬固まったが、流石は王子様というべきかすぐに立て直したハイマールは王太子に目配せで許可をとってから口を開いた。
「……一応、途中からそれらの事情は聞いていた」
仲を深めていく最中、焦りと罪悪感に耐えきれなくなったモニカはハイマールに事情を説明した。
とはいえあまりにも荒唐無稽に思える内容のため、ハイマールのほうも誰かに相談することを躊躇してしまいここまで拗れたという。
事態がこれ以上拗れることを懸念したハイマールの側仕えが計画を漏らさなければ、もっと厄介なことになっていたのを考えると、早くどこかに相談してほしかったというのが正直な感想だ。
「一番拗れてるのは殿下の頭だというのに……」
「そんな便利な装置があると知っていたら、こちらも妙に考え込まずに済んだわ!」
「すまないねハイマール。モノがモノなんで、まだ極一部にしか情報が共有されていないものなんだ」
思わず小声で飛び出したアストリッドによる不敬アウトラインの文句を耳聡く捉え、ハイマールが言い返し王太子が宥める。
エヴェリーナの扱いに対してその従妹であるアストリッドが憤っていることはハイマールも身に沁みているため、それ以上の反論は続かなかった。
「その、エヴェリーナにも悪いことをしたと思っている」
「ええ、全く。そういった際にはまずご相談いただきませんと。トラブルの解決は何事もそこから始まると以前にも申し上げたでしょう?」
「私もそなたのそういったすぐ説教をするところが苦手だと以前言ったがな……!」
アストリッドなどの懐に入れた者に対してはだいぶ甘くなることもあるが、エヴェリーナは基本的に真面目で頑固。融通の利かないところが結構ある。
少し緩い性格のハイマールに説教をすることも多く、煙たがられていた。
そうやってお互い遠慮のない物言いをするので、大人たちからはむしろ相性に問題がないと見做されていたのは不幸な事故だろう。
だからといってエヴェリーナを罠にはめるような真似を許せるはずもなく、アストリッドはまだ怒っているのだが。
「御二方、それは後ほどお願いします。ハイマール殿下、つまるところ卒業パーティーでの企みは狂言のようなものだったので?」
「ああ、そのようなものだが――」
「あ、あの、それはあたしのせいなんです! あたしが他のやり方を知らなくて、そこから外れるのが怖くて……!」
脱線しそうになった流れを、王太子の側近が引き戻す。
その疑問の説明のためにハイマールが口を開きかけたところを震えた声のモニカが遮った。不敬であることは流石に承知のようで、その顔色は再び血の気が引いてきている。
モニカは止められないことをすこしだけ待ってから、細い声で話しだす。
いわく、彼女が目指したのは「聖龍王国の春乙女」のノーマルエンド。
ノーマルエンドは別名が前提エンドであり、その他のエンディングを見るためにはまずクリアしなければならない部分だという。
それは悪役令嬢エヴェリーナの妨害を掻い潜り第二王子との仲を深めて卒業パーティーで断罪するという、実に前世のどこかで沢山見たようなテンプレートだった。
ノーマルエンドは難なく邪神の封印の再起動を済ませることが可能であるらしい。
しかしトゥルーエンドに向かうためには第二王子を含む各攻略対象の好感度を調整して「運命のふたり」を回避。そのまま一度は邪神の封印を解放しなければならないうえに、前世のモニカはノーマルエンド以外に到達したことがなく勝手がわからないという。
ついでに言えばそのゲームのウリはレーティングギリギリを狙った大量の各種バッドエンドらしく、モニカはその状態に陥ることをひどく恐れているのがよくわかる。
そういった幾つかの理由によりノーマルエンドを目指したかったのだが、何らかの事情でエヴェリーナの性格なりスタンスなりが違っていたため彼女は悪役令嬢にはならなかった。
けれど代打でいじめてくる令嬢がいるわけでもなく、このままではノーマルエンドに辿り着くことができないと焦ったモニカはハイマールに全てを打ち明けた。
そうして物語の強制力みたいなものに賭けた結果が、卒業パーティーでの冤罪狂言らしい。
澄ました顔でモニカの話を聞きながら、アストリッドはクソゲーの予感に辟易する。
家族のことは大好きだし今の環境はとても恵まれているので、運命神や他の何かに文句を言うのはおそらくお門違いではある。
しかしどうしてこんなクソゲー世界に生まれてしまったのかと、アストリッドは若干遠い目になりかけたのであった。