第四十二話 北関東へ
三日後、東京にバルサンラジオの新スタッフ、総勢六名がやってきた。
「鷲尾さんですね、よく来てくれました」
「いやぁ噂には聞いてたけど、ホイホイされたウィンドウの数すごいですねぇ」
愛知から来たアナウンサー、ワシワシさんこと鷲尾忙さんがそう返す。同伴しているのはいずれも中部圏で生き残っていた、機材や放送を担うお仕事をやっていた人たちで、バルサンラジオ東京放送局担当として結成されたメンバーだ。
本放送は相変わらず石川の百万石ラジオから流すとして、世界中の放送を仕切るこのNHKt放送センターにも人材がいたほうがいいという事で、彼らが派遣されてきたという訳だ。
ちなみに鷲尾さんのワシワシさんという愛称は、愛知県のボートレースの実況を務めていた時のファンから名づけられたもので、その独特の盛り上げ方は聞いていて楽しく、舟券が的中しそうなときには演出効果抜群で、手に汗を握ったものだ。
ま、まぁ、私も土建屋のオッサンなので、こういったバクチは嗜んでいたのだが……なんかそれを知られて、くろりんちゃんとヒカル君からの尊敬度が少し下がった気がした、少し悲しい。
「そうそう、もうひとつ明るい話題がありますよ」
笑顔でそう言う鷲尾さんに、全員が「なに、なに?」と食い付く。居住まいを正した彼はゴホンと咳払いした後、実況中継のノリで驚きの事実を話す。
「な~んとぉ! DJ~松波とUFO~マニアの羽田嬢がこの度、ご結婚の運びと相成りましたぁ~」
「「え、ええええええっ!?」」
子供二人が目を丸くして驚いている。私はというと(あー、それはあるだろうな)と心中納得する。私たちが石川から旅立って以来、ずっと百万石ラジオで本放送を担ってきた大人の男女二人、お互い惹かれ合っても不思議は無いだろう。
「いやぁ、それはめでたい」
「なんでも羽田さんの方から、ぐぐっ、ぐぐっ、ぐぐっ! と迫ってぇ~」
「あ、いやもう実況風はいいから」
話を聞くに、私たちがこの後、北関東~東北の南部を回ってから石川に帰還するのに合わせて結婚式をやるそうだ。なら急いで帰ろうかとも思うが、それは却下された。
「この末期的世界の中でもめでたい事ですから、出来るだけ多くの人に集まってもらいたいんですよ」
なので早めに告知して、日本中に散っている同志たちが石川まで旅を出来るように日程に余裕があった方がいいとの事。私達が各地を巡る旅、それがそのまま二人のゴールインへのカウントダウンとなる、という演出をしたいそうだ。
その後、ヒカル君は機材や放送のスタッフたちに引き継ぎやアドバイスを受け、くろりんちゃんはワシワシさんに実況中継のコツや心得を色々と教えてもらっている。
そんな時、一人の女性スタッフが、私の横に来て耳打ちをして来た。
(ねぇ椿山さん、あの子たちって、もしかしてラブラブ?)
(あ、やっぱ分かりますか)
(そりゃぁねぇ、放送聞いててもフラグ立ちまくりだし、実際見ててもねぇ)
ま、分かる人には隠しようもないだろうな。既にキスは済ませてるし。
(じゃあじゃあ、石川での結婚式、二人の分も用意しましょう)
「え”!?」
思わず変な声が出る。いや、いくら何でもすっ飛ばし過ぎだろそれは。まだ小学生と中学生だぞあの二人は。
(まぁ本気の結婚式じゃないけどね。でも、あの少年と少女がタキシードとウェディングドレスを着て居並ぶ景色、見たいでしょ?)
見たい。そりゃもう絶対見たい。限りなく微笑ましい光景になるだろうし、この人の激減した世界で、そのシーンは未来への大きなエールにもなるだろう。
(是非やりましょう!)
(りょーかい♪ 保護者承認ゲット)
◇ ◇ ◇
翌日。車の給油と出立準備を終えた私達三人は、いよいよ首都東京を離れることになった。
「じゃあみなさん、NHKtでの放送をお願いします」
「そちらも、リポート頑張ってくださいね」
私たちはこれからもリポーターとして各地を回り、放送を盛り上げ、そして各地の役場やラジオ局でのバルサンラジオの拡大を担う事になる。と言ってもNHKtの放送をジャックしている以上、今までよりずっと楽な旅になる。どの都道府県でもNHKtの放送は入るので、それをそのまま各地の放送につなげばいいだけなのだから。
ちなみに日本の放送枠は午前十時と午後五時からのそれぞれ二時間だ。それ以外は世界各国からの放送が受け持つのだが、翻訳AIのお陰で日本語でそれが聞けるのは有り難い事だ。
世界情勢や生き残っている人の情報、そしてもしかしたら、一度捕らえられたホイホイから脱出した人とかが現れるかもしれないから。
行程としてはまず埼玉に向かい、そこから群馬まで足を延ばした後、少し戻って茨城、栃木と回った後、福島と山形を経由して再度南下。新潟、長野、岐阜経由で石川に戻る予定だ。ひとつの県につき4~5日かけるとして、約三カ月弱の旅程を見込んでいる。
道中の仕事が減ったとはいえ、やらなきゃならない事は山積みだ。かなりハードスケジュールな旅になるだろう。だが現在は九月半ば、雪が積もる冬までには石川まで戻りたいので強行軍もやむなき事だ。
「じゃあ、行きますか!」
東京のスタッフに別れを告げ、私たちは一路埼玉を目指した。
◇ ◇ ◇
旅の道中は予想以上に順調だった。今まで同様に田舎になる程、太陽光や風力発電で電気が生きている所が多く、各所の電波ジャックや町内放送はスムーズに進んだし、くろりんちゃんのリポートもすっかりこなれて、今まで以上の人気を博していた。
さらに嬉しい事に旅の途中のラジオ放送で、世界各地から生き残った人が連日名乗りを上げていた。やはり通信という方法は潜んでいる人を呼び込むのに有効なようで、ますます増える「世界からの声」に、私たちは明るい未来に希望を持つ事が出来た。
埼玉西部を北に抜け、群馬をぐるっと回って再び南下。約一週間かけて埼玉に戻った所で、私たちは一度資材や食料の補給の為のお休みを貰った。
そして、立ち寄ったホームセンターで、思わぬ再会を果たす事になる。
「あ、あれ……天藤さん?」
「あ、あーっ! ラジオリポーターの三人組!?」
資材置き場で鶏糞などの肥料を軽トラに積んでいるのは、神奈川で相対した元プロのキックボクサー、天藤 巽その人だった。