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迷い子と竜の恋のお話



ある夜にふと目を覚ますと、リラは見知らぬ森にいた。


凍えるような冬の夜に古びた毛布一枚しかなかったが、父と、血の繋がらない義母と義理の妹にコートも取り上げられたまま、使用人のようにお使いに出された後だったリラは、すっかり疲れ果ててぐっすり眠っていたのだ。



(夢を見ているのかしら……………?)



驚いて周囲を見回すと、雪が積もっているというのに薔薇やライラックが咲き誇る不思議な森は、息を呑むほどの美しさだ。

夜ではあるのだけれど、雪明かりとぼうっと内側から光を宿した花々が咲き乱れているせいで、満月の夜よりも明るい。

それだけではなく、木々の枝には星屑のオーナメントのようなものがかけられ、枝に育った結晶石がきらきらと光っている。



(………ここは、どこだろう)



コートも着ていない寝間着姿だったのに、リラは、あまりにも美しい場所なので素敵な夢を見ているのかなと思って周囲を見回すばかりだった。


だが、ちりんと音がしてそちらを見ると、少し離れた場所に、高位の聖職者の装いのような装いをした奇妙な者達が列を作ってゆっくりと歩いていくのが見えてぞっとする。

真っ白なリボンで目元を隠した異様な行列は、雪深い森を歩いているとは思えないような装いで、明らかにこのような場所で遭遇してはならないものだった。


そして、ゆっくりとではあるが、こちらに向かってきているようだ。



(…………どうしよう。おかしなところに迷い込んでしまった!)



ちりんと、また鈴が鳴る。

どうやらその音は、こちらに向かってくる行列の先頭に立つ者が持つ、木製の錫杖のようなものに付けられているらしい。

それが、彼等が一歩前に進む度にちりんとな鳴るのだ。


逃げなければと思うのに悪い夢のように体が動かず、奇妙な行列は徐々にこちらに近付いてくる。

もしかしたら怖い夢なのかもしれないと僅かに期待したが、夢だと思って安心するには、肌に触れる空気の冷たさや、雪に埋もれてどんどん冷えていく足先などの感覚があまりにも生々しい。


このままあの行列の者達と遭遇してしまったらどうなるのだろうと怖くて堪らなくなり、リラが思わず泣き出しそうになったところで、ふわりと周囲の空気が変わった。



(あれ、寒くなくなった………)



ちりんと、また鈴の音が聞こえる。

けれどもその音は、先程より少し遠くはないだろうか。



「迷い子だな。どの時代のどの国から迷い込んだものか。妖精の気配が残っているから、妖精達に悪戯をされたらしい」


その直後に背後から聞こえたのは、低く柔らかな声だった。


「………っ!」


ただでさえ怯えていたところで、突然背後から声が聞こえたリラが飛び上がると、誰かにひょいと抱き上げられてしまう。

慌てて暴れかけたところで、宥めるような優しい声に動きを止めた。


「不快かもしれないが、少しだけ我慢してくれ。………あれは、冬夜の行列と呼ばれるものだ。あのような者達と出会うのは、人間にはいいことではない。君をここから連れ出したいのだが、構わないだろうか」

「ふゆよる、の行列………」

「………俺も初めて見た。月のない夜でもなぜか明るい月光に照らされていると聞いたが、新月の夜でも、彼等の周囲だけは月明かりが落ちるのだな。…………そんなものに遭遇しないように安全を確保する為には、すぐにここから離れなければならないが、それでもいいだろうか?」


体を捻って見上げると、リラを抱き上げているは、背の高い男性だった。

短い銀髪は冬の日の夜明けの色で、覗き込みたくなるような深い青色の瞳を持つ、ひやりとする程の美貌の持ち主だ。

何となく、ああ、この人も人間ではないのだなと考えながら、リラはゆっくりと頷いた。


わざわざ確認を取られたのは、後々にその行為が問題になるからだろう。

となれば恐らく、ここから連れ出す事で、帰り道を見失ったリラが文句を言わないように、事前に確認を取ったのだと思う。



(きっと、私はもう、家には戻れないのだと思う)



だって、リラを抱き上げている男性は、リラのことを迷い子だと言った。


迷い子というのは、魔術のあわいに落ちたり、妖精達に迷わされたりして、元居た場所に戻れなくなった者を示す言葉ではないか。

ごく稀に家に帰れる者もいるそうだが、殆どの場合は迷い込んだ先で暮らしていくしかなくなるそうで、夏至祭の日や霧の日などには森に入ってはいけないと言われているのは、迷子にならないようにする為である。


(でも、私の家族はそうは言わなかった。それどころか、霧の日やあわいの揺らぐ夏至祭の日になると、私を森に入らせる為の用事をわざわざ作って、屋敷から追い出していたくらい)


ここに来る直前まで、リラはそんな人達と暮らしていたのだ。

そこはリラの生まれ育った屋敷だったが、決していいところではなかった。

とある国の伯爵家の娘であったリラは、父である伯爵の先妻の一人娘ということで、屋敷の中では冷遇されていたのだ。



社交的で明るく美麗なリラの父は、青年の頃から社交界の寵児であったらしい。


そんな父の政略で結ばれた結婚相手がリラの母で、毎晩のように夜会や観劇に出かけていく父とは対照的に、読書が一番の楽しみというような物静かな人だったという。

面白味のない妻の扱いにうんざりした伯爵は滅多に家に戻らず、リラの母は、息を潜めるようにして味方のいない伯爵家で孤独に暮らし、流行病で不遇なばかりの結婚生活と生涯を終えた。


そして、彼女の死後に、伯爵の長年の愛人であった歌姫と、その女性との間に生まれていたリラとさして年齢の変わらない双子の妹と弟が屋敷に迎え入れられたのなら、残されたリラがどのような立場に置かれるのかは想像に難くないだろう。


リラの祖国では数年前までに大きな戦争があった為に、騎士の家門であった母の家族は既に亡く、不運にも生真面目な人達だったという先代の伯爵と伯爵夫人までもが亡くなっていた。

そのせいで、あまりにも無慈悲なリラの扱いについて伯爵を嗜めてくれるような年長者や親族が、周囲に誰もいなかったのだ。



(王家の認めた婚姻で生まれた娘は、お父様達にとっては邪魔な存在だったのだろう。戦時中の家門の存続を見越して女でも家督を継げるようになってしまったせいで、私が生きている限り、伯爵家の正当な跡継ぎは私のままなのだもの)



なので、この邪魔な娘がどうにかしてうっかり死なないだろうかとみんなが願っているような生家に帰れなくなったところで、リラは少しも悲しくなかった。

だが、そんな事情を知る筈もないこの男性は、迷い込んだ場所から引き離されることでリラが怖がると思ったのだろう。



「はい。………私は、家に戻れなくても構いませんから」

「………やっぱりそうか。ある程度の身分のある家の子供だろうに、随分と不自然な痩せ方をしている」

「まぁ。そんなことまで、分かってしまうのですか?」



男性は、リラの許可を得るとすぐさま歩き出した。

奇妙な行列から離れられてほっとしていたリラは、自分の置かれている境遇をこの男性が的確に読み取ったことに驚き、目を丸くしてしまう。


(もしかして本当は、移動許可を取る為ではなく、私が家に帰りたくないかどうか、或いは私がどんな境遇にあったのかを確かめる為の問いかけだったのかしら?)



「人間の目にはどうだか分からないが、竜や妖精であれば、一目見れば分かることだ。君の面立ちや魔術可動域は、人間の中でも貴族などに受け継がれるような質のものだ。そんな家の子供がこんな風に痩せていれば、暮らしている場所に深刻な問題があるのは間違いない」

「貴族であれば、没落して貧しくなることもありますが、……それでも、不自然だと思われるのでしょうか?」

「貧しければ、裂けた衣服には継ぎ接ぎをあてるだろう。そもそも、そのような衣服は着古す前に売り払う筈だ。………そして君は、木靴や安価な革靴ではなく、わざとらしく切り裂かれた高価な靴を履いていて、衣服のかぎ裂きも生活で出来たものではなく、ごく最近に、わざとつけられたものに見える。だから、不自然だと思った」

「………沢山観察されていたようです」



言われてみれば確かに、リラが着ている寝間着は、刺繍レースの装飾のある貴族の娘らしいものだ。


決して派手なものではないが、子供の頃からあまり体の大きくならなかったリラは、少し裾が短くなった今でも大事に着ている。

母が存命だった頃に用意された、数少ない質のいい衣服だったからだ。


(…………このかぎ裂きは、一昨日妹にやられたもので、この靴も、妹がいらない靴を壊してしまったと言って、わざと切り裂いてから私に下げ渡したのだわ)


それは多分、自分はこんなに美しい靴を幾らでも買って貰えるのだという、自慢だったのだろう。

そして確かに、冬だというのに数歩歩くだけで脱げてしまうような絹張りの靴しか履く物がなくなり、リラの心はばらばらになった。


それまでに履いていた靴は使用人用のものだったが、それでもせめてまともに履くことが出来たのだから。



(そうか。よく見れば、私の身なりからも色々なことが知られてしまうのね)



だが、観察力に驚くよりも困惑したリラが見上げると、その男性は、なぜこの人間は困り顔で自分を見るのだろうという顔をするではないか。

どうやら、人間は不躾に観察されると少し怖いのだということまでは、理解していないようだ。


「暮らしていた土地に、家族以外の親しい者がいたのなら、これから君を連れて行く街の騎士団で連絡が取れるかどうか頼んでみるといい」

「私を、この土地の騎士団に連れて行ってくださるのですね。………家族の他にも、連絡を取って欲しい人はいません。なので、この土地でどうにか受け入れて貰えるといいのですが………」

「ここは、ヴェルクレアという国の北方にあるウィーム領というところだ。魔術が潤沢な土地なので、迷い子は珍しくない。近隣諸国の中でも類を見ない程に手厚い迷い子の保護制度があるので、安心していい」


こんな風に見知らぬ国に迷い込んだ人間が不憫だったのかもしれないが、大きな手で背中を撫でられると、リラは、あんまりな子供扱いに少しだけ笑ってしまった。


これでも一応はデビュタントの年齢を超えているのだが、栄養状態が宜しくなく体が小さいので実際の年齢よりもかなり低く見積もられることが多い。


この男性も、リラがまだ子供だと思っているのだろう。



(………それにしても、ウィームだなんて!)



その名前を、リラはよく知っていた。

竜や妖精達が当たり前のように隣人として暮らしている、大陸で最も魔術の豊かだと言われる美しい土地だ。


リラの国からは馬車でもふた月ほどかかる距離にあるので、きっと家族とうっかり再会するというような事態も起こらないだろう。

であれば、有り難くこの土地にあるという保護制度を利用させて貰い、その間になんとかここで暮らしていけるだけの方策を見付けなければ。



(でも、保護制度って何だろう。働き先を見付けてくれるのかしら。これまでも、屋敷で働く使用人達と同じような下働きをさせられていたから、掃除などの仕事なら得意だわ……)



しかし、ウィームの保護制度の手厚さは、リラの想像を大きく超えた。



そう言えば初対面ではないかという男性に、なぜかその後も抱き上げられたまま森を抜けて街に出ると、リラはまず、壮麗な石造りの街並みに目を奪われた。


一国の王都でもない領地だが、高い階数の石造りの建物はこの土地の建築技術の高さを物語っているし、街を歩く人々の装いはかなり上等なものばかり。

歩道の花壇に植えられているのが高価な薔薇ばかりであることも、ウィーム領がどれだけ豊かなのかを示している。


そして、初めて見るような美しい街並みに呆然としている間に運び込まれた騎士達の詰め所で、リラの身の上を知った騎士がとんでもないことを言い出したのだ。


なお、人外者と言葉が通じるのは当たり前だが、この騎士は、一介の街の騎士だといいながらも大陸の共用語を使うリラの国の言葉が、かなり滑らかに話せる。



「き、今日の内に、初期手当が貰えて、当面の間暮らす場所と着る物まで用意して貰えるのですか?!」

「ああ。普通の手続きだと本当に迷い子かどうかを調べる審査もあるんだが、高位の人外者の推薦や紹介があれば間違いないからな。………ええと、今空いているのは、魔術学院の寮と、仕立て妖精の工房。女の子だから騎士団の宿舎はまずいしなぁ。………お、文書館の住み込み工房も空いているが、魔術封印用の封筒に文字を書くばかりの毎日が嫌じゃないなら、給金はここが一番いいぞ」

「………しかも、すぐに雇って貰えるのですか?!」

「そりゃ、初期手当を使い潰すだけじゃ、自立なんて出来ないだろう。とは言え、さすがに今日からは働けないが、就業可能となるまでの期間内は、無料で土地の作法やウィームのことを教えてくれる教師がつくし、衣食住の生活は保障される。その上、その期間が終わっても、祝祭の季節には祝祭を楽しめるような手当ても出るぞ」

「こ、こんな素敵な土地があるだなんて………」



今迄の暮らしよりも遥かに人間的な暮らしが約束されるばかりか、住み込ませて貰う場所は、どこも手に職を付けられるようなところばかりなのだそうだ。

さてはとんでもない奴隷労働かと思えば、物価の高い土地らしいので適正価格だというが、それでもリラが飛び上がってしまいそうな好条件であった。


(おまけに、魔術誓約で契約書を交わしてくれるから、この約束が勝手に反故にされることもないのだわ………!)



「す、凄いです!ここで半年も働けば、私はあっという間にお金持ちですよ!」


ついつい興奮してここまで連れて来てくれた男性にそう言うと、青い瞳の美しい人はくすりと笑った。


(…………笑った!)


整った面立ちが排他的で伶俐に見えるので、こんな風に笑うと印象ががらりと変わる。

リラは、そんな微笑みを見た途端に、なぜだか、胸がどきどきしてして息が苦しくなる。



「それなら、君をここに迷い込ませた妖精達は、いい仕事をしたんだろう。これは俺の想像だが、君を迷い子にした者達は、君をどこか安全なところに逃してやりたかったのかもな」

「………私を?」

「以前の暮らしで、妖精達との交流は?」

「いえ。全くないです」

「そうか。…………だとしても、近くで見守ってはいたのだろう。君は、妖精達に好かれそうだからな」

「そうなのですか?」

「ああ。妖精達は、寄る辺がなく努力をする子供が好きだ。その上君は、彼等が好むような容姿や髪色をしているから、妖精の恩恵を受けても不思議はない」

「茶色い髪の毛に、緑の瞳ですが………」

「茶色と言っても、複雑に色の入り込んだ多色性の茶色い髪だからな。おまけに瞳は、深い森のような色彩に僅かに水色の虹彩模様が入る。妖精だけではなく、その他の種族でも目を留める色合いだ」



では、この人はどう思うのだろう。


ふいにそんな事を考えてしまい、リラは赤面した。

幸い、その理由に目の前の男性が気付くことはなかったが、迷い子の受付をしてくれた騎士は何となく察したのか、父親が幼い娘の初恋を見守るような顔をするとにっこり微笑んだ。



「お嬢さん。彼は竜だよ。ウィームの商業ギルド長の知り合だから、身元もしっかりしている」

「…………ウィームは、時々訪れるくらいだったが、俺は、ここでそんなに知られているのか?」

「俺は、ギルド長とは家業の方で親しいので、それで何度か見かけたのかもしれないな」

「成る程。君は、あいつの知り合いだったのか」


騎士とそんな会話をしている男性を見上げ、リラはひどく落ち込んでいた。

人生をやり直す切っ掛けを得て喜んでいた筈なのだが、この青い瞳の男性はウィームに暮らす人ではないのだと思うと、なぜかがっかりしてしまう。



(…………もう、会う事もないのかしら)



「あなたは、この土地の方ではなかったのですね」

「ああ。用事を終えたので発とうとしたところで、君を見付けたんだ。………どうした?」

「い、いえ。そのような時に助けていただき、有難うございました。その、………お引き留めして申し訳ありません」


おまけにすぐに発ってしまうのだと思えば落ち込むばかりだったが、出会ったばかりの相手を引き止める訳にはいかない。


「………これも何かの縁なので、こちらのお嬢さんに小さな祝福を授けてやっては?次にウィームに来る頃まで残る程度のものにしておいて、その時にまた、この土地でお嬢さんがどんな風に暮らしているのかを確かめるのもいいかもしれない」

「俺が………?」

「い、いえ、ご迷惑ですから!」


すっかり応援してくれる雰囲気な騎士はそんな事を言うが、リラでさえ、高位の人外者の祝福がどれだけ稀有な事なのかは知っている。


それを強請るだなんて、不敬だとこの場で殺されてもおかしくはないくらいのことなのに。


「…………そうか。まだ小さいから、そのようなものがあった方が生きやすいかもしれないな。次にこちらに来るのは、二年後の予定だが、それくらいあれば、新しい生活にも馴染むだろう」

「え………?」



ふわりと額に落とされたのは、雪片が触れるような儚い口付けだった。


人ならざる者からの祝福がそのように為されることは知っていたが、びっくりし過ぎたリラは固まったしまう。

そして、後悔してもしきれないが、リラがそんな風に固まっている間に、竜だと言うその男性は立ち去ってしまった。




(……………あれから、二年経った)



リラは、ウィーム領の文書館で、今も封筒に文字を書く仕事をしている。


文字を書くだけとはいえこれは立派な魔術師の仕事で、魔術誓約の書類の内容を把握した上で、書類の魔術を損なわないような分類名を記載して保管庫に届けなければいけない。

リラは、迷い子の保護制度を貪欲に活用し、ウィームで魔術師となったのだった。



とは言え今はまだ見習いであるし、正式なウィーム領民として登録されるのは、これから更に何年かして登録資格を得てからになる。


でも、今はもう職場近くの素敵な家を借りられるようになったし、その上で、休日には少し奮発して美味しいものを食べに行けるくらいの余裕が出来た。


まだ、妖精刺繍のドレスは買えないし、高級商店の素敵な結晶石の置き物も買えないけれど、職人街にある人気店の雪靴は既に購入済みである。



(沢山のことが変わった………)



今のリラには友達がいて、なんと、妖精の女の子が親友になっている。


リラの大切な水色の髪の刺繍妖精な親友は、リラを虐げた家族を見付けたら腕をぽきんと折ってやると言ってくれるくらいの仲良しだ。

なお、妖精は本当にそういうことをするので、リラは、親友が犯罪者にならないように、かつての家族がウィーム観光に来ないようにと祈っているところだった。



「でも、そいつ等はもう不幸になっていると思うわ」

「え?どうして………?」

「妖精はね、お気に入りの子を虐める相手を絶対に許さないのよ。リラを迷い子にするくらいの階位の妖精達がその土地にいたのなら、きっと、リラがいなくなった後にその人間達は報いを受けたでしょう」

「そうなのかな。………でも、あの人達が今も幸せでいても、私の方がずっと幸せだから気にしないわ」


笑顔でそう言うと、親友もにっこり笑ってくれる。

儚げな美少女にしか見えないが、先日、リラを強引にお茶に誘おうとした他国からの観光客を掴み上げて水路に捨てた剛腕の親友だ。

妖精は割とそんな感じなので、リラの親友だけが特別な訳ではない。



「あとは、リラの恋が実ればいいのだけれど」

「………っ?!ミシュ!!……………こ、こいなんかじゃ!!」

「因みに竜は、よほど気に入らない限りは、見知らぬ子供の面倒なんて見てくれないわよ?」

「………そうなの?」

「おまけに、リラを保護したのは階位の高い方だというじゃない。竜は優しいと言うけれど、それはお気に入りの相手や自分の家族にだけ。そうではない相手に対してはとても冷淡だし、そもそも階位の高い竜はとても傲慢だもの」

「…………ええと、竜と何かあった?」

「あら、通常仕様よ?そんな竜が、リラには祝福まで授けたのだもの。イアンだって、その竜がリラを気に入っていると思って、祝福を取り付けてくれたのだと思うし」

「でも、身分の高い方だから………」



苦笑して首を振ると、リラの親友はなぜか呆れ顔になったが、それ以上は何も言わなかった。



(ウィームで暮らすようになって、沢山のことを学んだわ)



そこには、かつての祖国では知り合う機会もなかった高位の人外者との接し方もあり、リラは学べば学ぶ程に、あの日の自分がいかに礼儀知らずだったのかを思い知らされた。


リラを保護してくれた人は、本来であれば、目を合わせるのも不敬となるような階位の竜だったのだ。



(だからきっと、次に会った時に、あの日のお礼を言えば、そのままもう二度と会う事はなくなるのだろう)



不作法を詫びて、しっかり顔を見てウィーム風のお辞儀をしてお礼のお菓子でも渡して、それで終わり。

あの美しい人がもう一度笑いかけてくれたらだとか、お友達になってくれたりだとか、そんな事を願ってはいけない。


望めば望むだけ、手のひらからこぼれ落ちると悲しくなるから。



(………せっかく手に入れた幸せを、そんな不相応な願いで損なってはいけないわ。こんな幸運に恵まれたせいで、私はすっかり欲しがりになってしまった)



だから次のイブメリアの祝祭では、そろそろ、何度も食事に誘ってくれた気のいい同僚と出かけてみてもいいかもしれない。


それが恋ではなくても、いつかは家族が欲しいなら、ゆっくりと恋を探し始める頃合いだ。




しかし、そんなリラの計画は、二年ぶりに恩人と再開した場面に、うっかり親友が同席していたことで思わぬ方向に転がり出した。




「……………随分と、大きくなったな」

「ええ。栄養が足りていなかったみたいで、ウィームで暮らし始めてから一気に身体も伸びたんです」

「あの時は、………まだ、肩に乗せられるくらいだったが」

「…………さすがにそこまで幼くはなかった筈ですが」

「人間は、とても成長が早いのよ。そもそもこの子は、近くにいた妖精達に意図的に成長を止められていたみたいね。馬鹿妹に虐められないように、子供のままにしておいたのだと思うわ」

「え、………そうなの?」

「まず間違いなくね。………だから、友達になりたいと思ったらすぐに仲良くなるべきだし、いつまでも鈍感なままだと、リラが老衰でいなくなった後に後悔するわよ。それと、この子は妖精だけじゃなくて同族にも好かれるから、ダンスに誘いたいならすぐに行動しないと誰かに取られるわ」

「ま、待って!ミシュ?!な、何を言っているの?!」

「リラは黙っていて。竜はね、本当に鈍いのよ。伴侶にしたい相手を見付けても気付かないで、その相手が先に死んでから暴れたりするんだから」

「ななな、何を言っているの?!」



親友のあんまりにも強引な応援の仕方に、リラはこの場から走って逃げ去りたくなった。


よりにもよってここは祝祭の日で賑わう街の広場で、イブメリアは恋人達にも人気の祝祭なので、ダンスを踊ることも出来るように楽団も来ていた。


雪の上に魔術仕掛けの暖かくなる台を出し、そこに楽団員達が椅子を置いて演奏してくれるのだ。

王宮の舞踏会とは比べ物にならないだろうが、こっそり精霊の王様や他国の王族なども隠れているのがこのウィームである。


先程も、何だかよく分からない巨大な包装紙のような生き物と、彫模様のある棒のようなものが踊っていて、包装紙にしか見えない謎生物が、伯爵位の魔物だと聞いて愕然とした。



楽団の奏でる音楽が聴こえてきて、リラは恥ずかしさのあまりに項垂れる。

もう二度とこんな風に話す機会はないかもしれないから、恋をした人の顔をずっと覚えておきたかったのに。


(それなのに、ミシュが私を応援してくれようとするあまりに、とんでもない押し売りをしてしまった……!!)


ミシュはそれでも巧みに言葉を選んでいたが、恋をしていたリラは、不相応な想いが見透かされてしまいそうで顔を覆いたくなる。


おまけにこの後にきっと、ばっさりと振られてしまうのだろう。



(いくら何でも、イブメリアに失恋なんてしたくなかった………!!)



ぎゅっと指先を握り込み、深く息を吸う。

もはや先回りして泣きたいくらいだが、これで最後かもしれないから、しっかり顔を見ておきたい。



そう思って涙を堪えると、顔を上げた。



「…………祝福付与は、延長しよう」

「…………はい?」

「それと、今夜は誰かと約束しているのだろうか」

「………この通り、友人と祝祭を楽しんでいます」

「彼女だけだな?」

「………はい?」

「……………やれやれ、あまりもお粗末な誘い文句だから、私が翻訳しましょうか?」

「ミシュ!!………ご、ごめんなさい。彼女は悪気はないのですが、いつも言葉選びが好戦的過ぎて……」



またしても失礼なことを言った友人の口を慌てて塞いでから視線を戻したリラは、とんでもないものを見てしまい、目を瞠った。



(ええ!?)



向かいに立った美麗な竜が、なぜか目元を染めているではないか。



「……………すまない。あまりにも不躾だったな。このような場合はまず、どうすれば」

「このような場合………」

「君を、ダンスに誘っても?…………それと、今回は、また君に会うのを楽しみにしてきたんだ。あれからの二年でどんなことがあったのかを、沢山教えて欲しい」



リラは、そこで自分がどんな風にダンスに応じたのかを、まるで覚えていない。

ミシュ曰く、二人揃って残念勝だったということなので、相当酷いものだったのだろう。



でも、その日のリラは、初恋の人と五曲もダンスを踊った。



ミシュは、たまたま近くに店があったホットワインの屋台のご主人と、リラとリラの初恋の竜が結婚するかどうかの賭けをして、その後、結婚に至るくらいに盛り上がったようだ。




「そう言えば、名前を教えて欲しいです」

「…………俺は、名前すら伝えていなかったか」

「実は、あの騎士さんから教えて貰ってはいたのですが、ご本人から聞かなければ、呼ぶと失礼ですから。あ、私から名乗らないといけませんね」

「リラ」


ふっと微笑んで名前を呼んだダンスの相手を見上げて、リラは、艶やかに微笑んむ美麗な竜の色系に、その場で心臓が止まりそうになった。


保護された日に、領主館に提出する書類を書いているのを隣で見ていたので、名前を知ってはいたのだろう。

でも、その名前を二年経った今でも覚えていてくれて、こんな風に呼んでくれるなんて思ってもいなかった。



(…………凍えるような冬の日に、一人ぼっちで薄い毛布に包まって眠っていた私が、こんなに幸せな祝祭の夜を過ごせるなんて)



「まぁ。あなただけが私の名前を呼べるなんて、ずるいです」

「なぜだか、………君の名前をずっと忘れられずにいた。あまりにも小さかったので心配でならないのだろうと思っていたが、今はもう小さくないな。…………俺のことは、ウォードと呼んでくれ。父が王族のせいで正式な名前はもう少し長いが、それはまた、君に求婚した時にでも」



そんなことばかりはあまりにもはっきりと言い過ぎるウォードに、初めて恋をしたリラは、その後も何度か息の根を止められそうになった。

ミシュによると、竜は兎に角溺愛する気質なので、甘過ぎて吐きそうになった時には足を踏んで黙らせるといいのだとか。



もし、ウォードが気に入らなくなって別れたいなら、一緒にウィームの森に捨ててきてあげるわと笑った親友を抱き締め、リラは、恋人になるのかなと思ったら婚約者になっていた大好きな竜の話を沢山した。



リラよりも遥かに長生きな妖精であるミシュは、ずっと昔に恋をした人が自分よりもずっと短命な人間であることを理解していなかった頃に、何も言えないままに終わってしまった恋があるらしい。



「だからね。リラにも友達になろうって、すぐに声をかけたのよ。………それと、あなたの竜が何だかすぐにでもウィームに引っ越してくる勢いだから、転入申請をきちんとするようにって伝えておくといいわ」

「え?!」



それは文書館で働くリラにっては見過ごせないことなので、慌てて必要書類を揃えて、ウォードが引っ越す手伝いをした。



なお、伴侶が酷い目に遭っていたと思うと段々腹が立ってきたということで、ウォードがリラの祖国にある生家を探したことがある。

しかし、リラの父親や義母達は三百年ほど前に亡くなっていることが分かり、どうやらリラは、第三等級の時間も飛び越えてしまった系の迷い子だったらしいと判明した。


リラの過保護な伴侶は、報復をするべき相手が既にいないと知ってがっかりしたので、土地の妖精達の障りを受けてあの後すぐに病死したという伯爵一家の屋敷の跡地に、とても嫌な匂いでべたべたする木を植えてきたそうだ。


それを見ていた土地の妖精達が大喜びをした結果、リラの祖国の人達が、あの愚かな伯爵と後妻やその子供達はまだ呪われているのかとざわざわしたそうなので、リラも、何だかちょっぴりすっきりした次第である。


祖国から姿を消したリラは行方不明からの死亡扱いであったが、家名などに未練はないのでそれでいいと思う。



(だって、今は幸せだもの!)



「リラ。次の休日には、二人で出かけないか?」

「あら。ミシュと、その旦那様が遊びにくるって言ったばかりなのに?」

「あの二人が来ると、君とゆっくりと過ごす時間が減るだろう………」



しょんぼりとした顔でそんな事を大真面目に言う伴侶を抱き締めて微笑むと、世界で一番幸せだと思ってしまう。

リラはもう世界で一番幸せなので、それ以外のことは瑣末な問題なのである。









次にくるライトノベル大賞 2021 ご紹介記念のお話です。

総合: 4位 部門賞は、WEB発単行本部門3位、女性部門3位でいただきました。

沢山の応援をいただき、有難うございます!



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