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羊花は財布を手に、自販機のラインナップをぼんやりと眺めていた。
喉が渇いたので飲み物を買いに来たまではいいものの、何がほしいのか分からない。というか、余計な事を考えてしまって目の前の物に集中できない。
(今日の放課後、本当に行かなきゃ駄目……?)
対価に金銭を要求されなかったのは、間違いなく良い事だ。
でも、代わりに黒崎達と積極的に関わらなくてはならなくなった事と秤にかけて、こちらの方がマシだったかと問われると悩む。
「ずいぶん迷っているわね」
自販機の前で固まる羊花を、隣にいた萌絵が覗き込む。
「今日はココアの気分じゃないの?」
「うーん……イチゴミルクと悩んでる」
心配かけまいと、羊花は適当な嘘を吐いた。
しかし付き合いの長い萌絵は、騙せなかったらしい。ぴくりと片眉を跳ね上げ、じっと羊花の顔を見つめた。
「食べ物の事で迷うなんて、アンタらしくないわ。何か別の事で悩んでるんじゃないの?」
ぎくりと肩が跳ねそうになるのを、羊花はギリギリ堪えた。
「そ、そんな事ないよ? やっぱりココアにしよっと」
下手くそな誤魔化しをしながら、羊花は財布から小銭を取り出そうとする。しかし、細く白い手に抑え込まれた。
「誤魔化されないわよ」
美人の鋭い眼光を受け、羊花の口元がひくつく。
「羊花。こっち見なさい」
往生際悪く視線を逸らしていたが、萌絵は両手で羊花の顔を挟み、強引に視線を己へと向ける。
まるきり母親と叱られる子供の図だ。
「アンタ、こないだから様子がおかしいわ。厄介ごとに巻き込まれてるなら、ちゃんと私にも教えて」
「萌絵ちゃん……」
羊花は言葉に詰まる。
心配性な萌絵の事だ。馬鹿正直に全てを話したら、たぶん黒崎達と羊花を引き離そうと躍起になる。
その結果、萌絵が危ない事に巻き込まれたらと思うと、羊花は気が気でない。
それにモブである羊花ならペット枠で済んでいるけれど、萌絵のような美少女なら本気になってしまうかもしれない。
現に漫画では、黒崎が萌絵に興味を持ったと匂わせる描写があった。
主人公である鱒渕だけでなく、黒崎の好意まで得てしまったら、トラブルに巻き込まれるのは最早確定したと言っても過言ではない。
既に漫画の展開から外れている状態で争いに巻き込まれた萌絵が、ヒロイン補正で無事で済むといったい誰が保証出来る?
(それだけは駄目! 絶対に阻止しなきゃ)
羊花は改めて決意した。
「羊花、お願い。……アンタが心配なの」
心配してくれている萌絵に黙っているのは心苦しい。
けれど、そんな萌絵だからこそ巻き込まないと羊花は決めた。
「ありがとう、萌絵ちゃん。でも、本当に何でもないんだ」
「……」
無言で見つめてくる萌絵は、羊花の真意を探ろうとしているようだった。
羊花が笑顔を崩さずにいると、やがて諦めたように手を離す。
「……一旦は引く。でもアンタが怪我でもしたら、原因になった奴を探し出してぶっ殺すからね」
恨みがましい目でじとりと睨まれ、羊花は笑った。
改めて自販機に向かう。小銭を入れようとしたところで、今度は後ろから伸びてきた色黒な手が、投入口を押さえた。
「待った。オレが奢るよ」
「?」
振り返ると立っていたのは鱒渕だった。
左頬に大きなガーゼを貼り、目元の皮膚の色が変色している。明らかに殴られたと分かる顔で登校してくるなんて、勇気あるなと羊花は呆れつつも感心した。
「……なんで?」
羊花は当然の疑問を口にした。
鱒渕に奢られる理由なんて一個もない。厳密に言うと貸しはあるけれど、正体がバレていないのでノーカンだ。
「萌絵に奢るついでって言ったら、気分悪い?」
「気分悪いとかはないですけど、大丈夫です。自分の分は自分で買うので」
羊花は頭を振って固辞した。
正直、百円だって鱒渕に借りは作りたくない。
「私もいらないわ」
萌絵も素気無く断ると、さっさと小銭を投入してしまう。
無糖の缶コーヒーを買って、プルタブを開けた。
せっかくの申し出を二人共に断られ、鱒渕は苦笑している。
厚意を無下にされたと怒りださない辺り、人間が出来ていると思わなくもない。ただ羊花はそれでも、この男が好きになれなかった。
(漫画では結構好きなキャラだったんだけどなぁ)
紙パックのココアにストローを刺しながら、羊花は溜息を吐き出す。
「二人にはいつも迷惑かけてるから、今度何か恩返しさせてよ」
「私達に馴れ馴れしく近づかないのが恩返しよ。てかその顔はいったい何? 人に構う前に自分の面倒見なさいよね」
「心配してくれんの?」
「自惚れんな」
くっと一気に珈琲を飲み干した萌絵は苛立たしげに、少々乱暴に空き缶をゴミ箱へと投げた。
取り付く島もない。
困ったような視線を投げられても、羊花は鱒渕の援護なんて絶対にしない。傍観していると、鱒渕はふと何かに気付いたような表情をした。
じっと羊花の頭の辺りを見つめ、考える素振りを見せる。
「羊花ちゃんって身長何センチ?」
「え?」
「いや。ちょっと探している人と背丈が似ているような気がして……」
「へぇ」
適当に相槌を打ちながら、『知らんがな』と心の中で投げ遣りな返答をした。
この世界にどれだけ羊花と同じ背丈の女子がいると思っているのか。校内だけでも結構な数がいるというのに、背丈だけで人を探そうなんて無謀が過ぎる。
「体つきも似てる……?」
「おーい、透!」
何やら不穏な事を呟いた鱒渕の声は、呼びかけに打ち消されて羊花の耳には届かなかった。
バタバタと騒がしい足音をたてながら駆け寄ってきたのは、確か鱒渕の友人の一人。
「朝霞」
蟹江 朝霞は、主人公の親友ポジションのキャラクターだ。
良く言えば明るく、悪く言えば騒がしい。
顔立ちはそれなりに整っているものの、染めて痛んだ金髪とアホっぽい言動のせいで、どうにも軽い印象が拭えない。ピアスの数は両耳合わせて計五個。不良に憧れている為に派手な外見だが、体格はひょろっとしており、喧嘩は鱒渕と同様に弱い。
親友である鱒渕の事が大好きでスキンシップも多く、とある界隈をざわつかせていた。あと実は成績優秀だという裏設定があった気がする、と羊花はぼんやり思い出していた。
「お前、黒崎さんと浅黄さんに会ったってマジ!?」
「おう。ボコられてたところを助けてもらった」
「うぉー! めちゃくちゃ羨ましい! オレも近くで見たかった」
盛り上がっている二人を尻目に、萌絵はこの隙に立ち去ろうと羊花に手ぶりで示す。羊花は頷いてから、静かな足音で萌絵の後に続いた。
「そういや朝霞って『Zoo』に詳しかったよな。二人の彼女の話って知ってる?」
「彼女? 特定の女がいるなんて聞いた事ないけど」
鱒渕達は声が大きいので、距離が少し離れても会話が聞こえた。
捉えように因っては中々にクズな話なのではと思いつつも、羊花はさして興味がなかったので足を止める事はない。
「どうやらオレが黒崎さん達に助けてもらえたのって、その時、二人と一緒にいた女の子のお蔭みたいなんだよね」
「え、そうなの?」
「しかもただお願いしただけじゃなく、対価を支払ったみたいな事言っててさ」
羊花はどこかで聞いた事のある話に、嫌な予感がした。
「なにそれ、めっちゃ良い子じゃん!」
「そう。だからその子に恩返ししたいんだけど、どこの誰かも分かんなくて」
「なんか手がかりないの? どんな外見で何処の制服だったとか」
「ロング丈のアニマルパーカー着て、フード被ってたから顔も制服も見えなかった」
他人事だと己に言い聞かせ、目を逸らすのももう限界だった。
アニマルパーカーまで言われてしまえば、逃げ場はない。
しかし羊花は名乗り出る気がゼロなので、振り返る事も立ち止まる事もしない。むしろ足早に廊下を進み、教室を目指した。




