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羊花達が駆け付けた時、鱒渕は絶賛ボコられ中だった。
頭を守るようにして蹲る鱒渕を、男達が囲んで足蹴にしている。その周りで見物しているのも入れると、人数は十人程。
小さな悲鳴を上げる篠木や蒼褪める羊花とは対照的に、黒崎と浅黄はあくまでも通常運転だった。
「総長、どっちが行く?」
浅黄がのんびりした声で問うと、黒崎は顎で『行け』と示す。
「りょーかい」
緩い返事をした浅黄は、ポケットに手を突っ込んだまま男達に近付いて行く。ひょこひょこと散歩でもするような足取りだ。
羊花はその背中を見送りながら、戸惑っていた。てっきり二人がかりで相手をするのだと思っていたのに、黒崎は動く気がない様子。
「あ、あの。一人で大丈夫なんですか?」
「十分だろ」
黒崎は、迷いのない口調で断言する。
「でも……」
「心配すんな」
そう言って黒崎は口元に薄く笑みを浮かべ、羊花の頭を撫でる。
チラチラと羊花達の様子を見ていた篠木は、黒崎の行動にぎょっと目を剥く。頭にかかる負荷を感じながら、羊花も内心で同意した。
(漫画ではしそうもない行動だし、驚くよね。……ていうか、やられてる私が一番驚いてる)
たぶんペットを構っている感覚なんだろうなと、遠い目をした羊花は思った。
そうこうしているうちに、浅黄が男達のところへ辿り着く。
穏便に『Zoo』の名を出すのだろうか。顔が知れ渡っているようだから、浅黄が声を掛けたら向こうが引き下がってくれるかもしれない。
ハラハラと羊花が見守る中、浅黄は前触れもなく一人の男に足払いをかけた。背後から躊躇いなく仕掛けられた足払いは綺麗に決まり、男は為す術なく倒れる。何をされたのか、路面に叩きつけられてもまだ理解出来なかっただろう。
突然転がった仲間に、周りが驚いている間も浅黄は止まらない。傍にいた男の肩を掴んで顔面に拳を叩き込み、次いで腹に蹴りを入れる。対象が崩れ落ちるとすぐ様、隣へと狙いを定めて殴りかかる。
羊花は驚きに、数秒呼吸を忘れた。
動きが速すぎて、目で追えない。しかも流れ作業のように無駄がなく、瞬きしている間にも一人倒れているような有り様だ。打撃音はともかく悲鳴も最小限なのは、たぶん仲間に何かが起こっていると理解するのと、自分がやられる番が回ってくるのが同時だからだろう。
呆気に取られている間に、全てが片付いていた。
苦痛の呻き声を洩らしながら、道路に転がる十人の男達。囲まれていた鱒渕は、腫れた頬を押さえながらぽかんとしている。
浅黄は服についた埃を叩いて落してから、羊花と黒崎の方へと戻ってきた。
「ひつじちゃん、見てた? オレ、恰好良かったでしょう?」
今さっき、無表情で男達を殴り倒していたのが嘘のように、人懐っこい笑顔で首を傾げる。
羊花は恰好良いとか悪いとか以前に、『早すぎて何が起こったのか分からなかった』という感想しかない。しかし、羊花は長い物には巻かれる主義なので無難に頷いておいた。
恰好良いって言われたとはしゃいでいる浅黄は、羊花から向けられる生温い目には気付かない。
「終わったならさっさと帰るぞ。そろそろ親御さんが心配するだろ」
「! ……ありがとうございます」
黒崎の真っ当な発言に、羊花は頭を下げた。暗くなり始めてきたので、送ってもらえることは素直に有難い。ビビりな羊花は暗闇も当然苦手だ。
「あの!」
しかし去ろうとする背中に、声がかかる。
「『Zoo』の黒崎さんと浅黄さんですよね?」
篠木に支えられるようにして立つ鱒渕は、キラキラとした目を浅黄達に向けた。
(ちょっと違うけど、出会いのシーンだ)
羊花は目の前で再現されるシーンに、小さな感動を覚える。
漫画の通りならば、二人は恩着せがましい事は言わず、綺麗に立ち去るはずだ。浅黄は『気が向いただけ』と軽く笑い、黒崎は一瞥だけして何も言わずに背中を向ける。
言葉は殆ど交わさないが、二人は主人公に少しだけ興味を持つ、そんなシーン。
そうなるはず、だった。
羊花がまず違和感を覚えたのは、浅黄の視線の冷たさだ。常時浮かべている緩い笑みを消して、不愉快そうに眉を顰めたまま睨んでいる。
「助けてくれて、ありがとうございます! お蔭で大した怪我もなく済みました」
「私のお願い聞いてくださって、本当にありがとうございました。彼が殺されちゃうって、怖くて……」
「あ、篠木もサンキューな。助かった」
なにやら良い雰囲気になっている二人に、羊花はかちんときた。
(私のお小遣いという犠牲のお蔭で、助かって良かったですね!?)
羊花が対価を支払っているなんて、言ってないのだから知らなくて当然だ。積極的に関わる気もないので言うつもりはないが、他人の功績になっているのは何だか納得できない。自分の身勝手さを理解しつつも、羊花はちょっと不機嫌になっていた。
(まぁ、いいよ。これから萌絵ちゃんとの仲を邪魔する時に、罪悪感が減るし。覚悟しておくといいよ、鱒渕くん!)
心の中でぷんすかしつつも、羊花は飲み込んだ。
しかしそんな羊花の考えとは相反し、納得出来ていない人間がいた。
「お前を助けてって対価を差し出したのは、うちのお姫様なんだけど」
「!」
羊花は目を瞠った。
自分の事のように怒ってくれる浅黄に感動すると同時に、言わなくていいのにとも思った。何故助けたのかとか、細かく理由を聞かれたら困る。すぐそこにある身バレの危機に、羊花は戦慄した。
「……君が?」
鱒渕の目が、真っ直ぐに羊花を捉える。
フードで顔が見え辛いとはいえ、目が合っているという事実に焦った。しかしすぐに、大きな手が隠すように目元を覆う。
「見るな。減る」
引き寄せられた胸から、黒崎の声が振動として伝わる。
さり気なく間に浅黄が立ち塞がった事で、羊花と鱒渕の視線は完全に途切れた。
「余計な事言ってごめんね。帰ろ」
二人に促され、羊花は鱒渕達に背を向ける。
背後から何事か聞こえた気がしたけれど、振り返りはしなかった。
街灯に照らされた歩道を進みながら、羊花は隣にいる黒崎を見上げる。気付いた彼に視線で問われ、少し躊躇しながらも口を開いた。
「あの、欲しいものって決まりました?」
「ん?」
「さっきの対価です。お小遣い分足りなかったら、もうちょっと待ってもらうかもしれませんが、先に覚悟だけ決めておこうかと思って……」
声のトーンと一緒に視線も徐々に足元へと下がる。ついには俯いた羊花は、もし想定と桁が違ったらどうしようと内心で震えていた。
「ひつじちゃん、馬鹿正直だねぇ」
数歩後ろをついてきていた浅黄は、のんびりした声で呟く。
「こっちから言い出さないなら、知らんぷりしておけばいいのに」
「忘れた頃に言われた方がダメージ大きいですし。いつ切り出されるかってビクビク待っているくらいなら、さっさと片を付ける方がマシです」
そう羊花が言えば、浅黄はけらけらと楽しそうに笑った。
「臆病なのに、意外と男前だよね。やっぱりひつじちゃんって面白い」
やっぱりと言われる程、長い付き合いでもないのにと羊花は首を傾げる。しかし、すぐに言葉の綾だろうと流した。
「安心しろ。女に集るつもりはない」
「うん。ひつじちゃんに奢らせるなんて、とんでもないよね」
「え、でも……」
金品を要求されないと知った羊花は、眉を八の字に下げる。
大金を要求されるのは困るけれど、何も要求されないのも落ち着かない。一方的に借りを作った状況のままなのは、羊花にとって望ましい状況ではなかった。
困り顔になった羊花に、浅黄は目を細める。
いつもの飄々とした薄笑いではなく、酷く優しい笑みだった。
「要領のいい女の子は、語尾にハートつけて『ありがとう』で済ませるとこだよ?」
「ガラじゃないです」
甘え上手な方が世の中上手く渡っていけるだろうけれど、羊花にその生き方は向いていない。
(まず容姿レベルが圧倒的に足りないしね)
ぽん、と頭に手が乗る。
羊花を覗き込んだ黒崎は、機嫌良さげに口角を微かに吊り上げた。
「ひつじはそのままでいい」
「?」
意味が分からないと視線で訴えるも、二人は答えるつもりはないようだ。生ぬるい目を向けられ、羊花は憮然とした。
「それより、ひつじちゃん。金品は要求しないから、体で返してほしいな?」
可愛らしく笑いながら、とんでもない事を言い出した浅黄に羊花は固まる。
「か、からだ……?」
「うん? もしかして、いやらしい……ことは考えてなさそうだね。大丈夫?」
からかう気満々な様子だった浅黄は、蒼褪める羊花に目を丸くする。
小さな体が小刻みに震えている事に気付き、慌てだした。
「からだ……ないぞう?」
「ないぞ……内臓!? いやいや、なんでそんな物騒な話になった!?」
「だって体で返せって……い、いやです。腎臓が二個あるのは一個売る為じゃないです……っ!」
「だよね、知ってる!」
「なら肝臓……? 切っても戻るからいいだろって?」
「うん、落ち着こうか。ひつじちゃんが日頃、どんな情報収集しているか気になるから、今度本棚チェックさせて?」
真顔になった浅黄は、羊花の両肩に手を置いて視線を合わせる。慈愛と心配の混ざった目は、駄目な子を心配する親か教師のそれによく似ていた。
不毛なやり取りをしている二人を見て、黒崎は喉を鳴らして笑う。
「ひつじ」
呼ばれて視線を向けると、黒崎はフードに付いた羊の巻き角をちょいと摘む。
「これと予備も合わせて渡すから、自分のタイミングで着替えろ」
「……へ?」
「次からは自分の意思で、オレ達のところへ来れるな?」
「…………」
間抜けな顔で動きを止めていた羊花だったが、脳が黒崎の言葉を理解するにつれ蒼褪める。
「もちろん連絡くれたら迎えに行くし、目立ちたくないんならバーの裏口から顔パスで入れるようにしとくよ。危ない目には遭わせない。安心して」
フォローのようでフォローでない言葉の何処に、安心する要素があるのか。
「これが対価だ。逃げるなよ」
だらだらと冷や汗を掻く羊花を助けられる人間は、この場にいなかった。




