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とある日の放課後。
羊花は珍しくもコーヒーショップで一人、お茶をしていた。
本来ならば帰途についている予定だったのに、寄り道しているのには訳がある。
駅を出てすぐ、見知った二人組に遭遇した。
咄嗟にそっぽを向いた羊花に、漫画の主人公とヒロイン……鱒渕と篠木は、気付いた様子はなかったように思う。
漏れ聞こえた会話では、ヒロイン篠木が悪い男に付き纏われており、主人公鱒渕はボディーガードがてら送ってあげている途中らしい。
それを聞いた羊花はピンと来た。
これは、主人公と黒崎達の出会いのシーンだ。漫画のエピソードにもあったので、間違いない。
不良達に絡まれた主人公はどうにかヒロインだけを逃がし、あわや絶体絶命、という場面で黒崎と浅黄の登場となる。
そこで羊花は考えた。
もし自分の帰り道で喧嘩が始まり、更に黒崎達が来てしまったらまずいのではと。巻き込まれるのは嫌だし、下手に顔見知りの羊花がいる事で、展開が変わってしまってもマズい。
なら大人しく屋内で時間を潰していようと結論付けて、今に至る。
更に万全を期して、迎えに兄を呼んでから遠回りして帰る予定だ。あと三十分も経てば、兄のバイトも終わるはず。
そんな訳で羊花はのんびりと、カスタムしたバニラクリームのフラペチーノを堪能していた。
黒崎のせいでまともに読めなかった小説をリュックから取り出し、改めて最初から読み始める。
汗をかき始めたプラスチックのカップに手を伸ばし、ストローを咥えようとしたその時。横から伸びてきた手が、羊花の手ごとカップを引き寄せる。
「!?」
大きな口が、ばくりとストローを食む。
際限まで目を見開いた羊花が凝視する先、嫌になるくらい端整な顔をした男は、フラペチーノを吸い上げてから眉を顰めた。
「甘ぇ」
「ななな……」
(なにしてんの、この人!?)
わなわなと震える羊花の背後に立ち、フラペチーノを強奪したのは黒崎だった。隣には浅黄の姿もあり、「総長ずりぃ」と呑気に口を尖らせている。
「オレも欲しいけど、総長と間接キスとか嫌だし……。もう一回飲んでくれる?」
小首を傾げて可愛らしくお願いされた羊花は、即座にNOと首を横に振った。絶対に嫌だ。
いかに顔が良くても許されない発言がある。浅黄のそれは審議するまでもなく、完全にアウトだった。
黒崎は黒崎で、「甘い」と文句を言いながらも、羊花の手からカップを取り上げてしまった。決して好きな味ではないだろう顔で、飲み干そうとしている。一体何がしたいんだと、羊花は呆れながら思った。
「こんなんで腹を満たすなよ。もっとお前好みの味をオレが作ってやる」
ずずっと最後の悲鳴を上げて、カップは空になった。ゴミ箱へと放ってから、黒崎は羊花を立たせる。
店を出るのに、逆らうつもりはなかった。美形二人に囲まれて目立ちたくない。
人目につかない建物の影に隠れ、こそこそとアニマルパーカーを被る。変身ヒーローというよりコソ泥だなと、羊花は肩を落とした。
「お二人は何でここにいるんです?」
「ひつじちゃんこそ、寄り道したのは何で?」
「は?」
疑問に疑問を返されて、羊花は意味が分からないと首を傾げた。
「いつも真っ直ぐ家に帰るひつじちゃんが珍しく寄り道してるから、オレも総長も心配したんだよ?」
「…………?」
責められているような発言に、羊花は更に首を捻る。
羊花が真っ直ぐに帰らないのは確かに珍しい。早い時間なら友達と遊ぶことはあっても、夕方過ぎに寄り道するのは稀だ。
でも何故、それを二人が知っているのか。
そして今日寄り道している事も、何で分かったのか。
もちろん羊花は予定を教えていないし、逐一連絡を取るなんて面倒な事もしていない。当てずっぽうや、偶然居合わせたという可能性もゼロではないが、限りなく低いだろう。
訝しむ羊花を、二人は楽しげに眺める。
なにか言いようのない不安を感じ、羊花はそれを言葉にしようとした。
しかし声に出す前に、羊花の意識は黒崎の背後へと移る。
蒼い顔をして駆けて来るのは、ヒロインこと篠木だった。
何か怖いものから逃げ出してきたような様子の彼女を見て、羊花の不安は全く別のものへとすり替わった。
(ヒロインが逃げてきたって事は、出会いイベントが始まっちゃってる!?)
ヒロインと黒崎達を交互に見比べて、羊花は愕然とした。
颯爽と主人公を助けるはずの二人が、何故か今、ここにいる。つまりイベント失敗。主人公が大怪我を負う未来を思い浮かべ、羊花は血の気が引いた。
(ど、どどど、どうしよう!?)
「ひつじ、どうした?」
オロオロと狼狽え始めた羊花を、黒崎が覗き込む。
けれど羊花は、上手く考えを纏められずにいた。
(助けてって私が言うのってアリなの? それこそ漫画の本筋、邪魔してない? それに、大して親しい訳でもない二人に面倒ごとを押し付けるのも、どうなんだろ……)
「ひつじちゃん、なんか困ってるなら教えてよ。お兄さんが何でも我儘聞いたげる」
浅黄は優しい声で、羊花に言葉を促す。
「……えと」
「うん?」
「助けてっ!!」
叫んだのは、羊花ではない。
浅黄のシャツを掴んで必死に訴えているのは、逃げてきたヒロインこと篠木だった。
「うわ、なに?」
普段の浅黄よりも数段低い声に、向けられた訳ではない羊花がビクリと跳ねる。優しげな笑顔が消えると、浅黄の綺麗な顔は凄みがあった。
しかし篠木は強かった。
頬を赤らめた彼女は、浅黄の顔に見惚れながら、小さな声で「実物やばい」と呟く。それを拾った羊花は息を呑んだ。
(実物? 実物って言った?)
「君、なんなの」
不愉快そうに顔を顰めた浅黄は、掴まれていた手を振り払う。
すると篠木は我に返った。
「私の友達が変な人達に絡まれているんです。お願いします、助けてください!」
「は? 突然何を言ってんの?」
「え、あの……あれ?」
浅黄の冷たい反応に、篠木は狼狽した。
思ってもみない返答に戸惑っている篠木を見て、羊花はもしやと思った。
さっきの『実物』という発言は、浅黄のファンという可能性もあった。なにしろイケメンなので、他校生のファンくらいいても不思議じゃない。初めて間近で見る彼を『実物』と表現したとも取れる。
しかし、まるで助ける事が当然という篠木の態度は不自然だ。
浅黄も黒崎も有名人だし、喧嘩も強いが、正義の味方じゃない。見ず知らずの相手をわざわざ助けに行く程、お人好しではないだろう。
たぶん漫画で主人公を助けたのも気まぐれとか、そんなところ。
それなのに助けに行かない二人に驚いている理由は、おそらく羊花と同じ。
(篠木さんって、もしかして漫画の知識がある……? 私と同じ、前世の記憶持ちだったりするのかな)
前世の記憶持ちなんて、そうそういるはずがない。でも羊花という前例があるのだから可能性はある。
だとしたら、漫画の展開から外れている事に驚くのも当然。
それに原作の浅黄は篠木に興味を持っている風だった。出会ったばかりとはいえ、こうも邪険にされるとは想定していなかったのかもしれない。
「ひつじ、行くぞ」
「え、あの?」
「家まで送ってやるよ」
浅黄達の遣り取りなど、まるで聞こえていないかのように、黒崎は羊花の手を掴んで歩き出した。
「ちょっと総長! 抜け駆けは駄目でしょ」
黒崎と羊花の後を、文句を言いながら浅黄が付いてくる。その背後にいる篠木は、ようやく羊花の存在に気付いたようだった。
訝しげに「あの子、誰?」と呟いた声を拾い、羊花は慌ててパーカーの裾を引っ張った。
顔はたぶん見られていない。ロングパーカーはすっぽりと羊花の体を覆っていて、裾からちらっと見えるスカートは、珍しくもない紺のチェック。ありふれているので、特定はし難いだろう。
角を曲がり、篠木の姿が見えなくなったところで、羊花はほっと息を吐いた。
「だいじょーぶ。ひつじちゃんには手出しさせないよ」
背後を振り返ろうとした羊花の背を、浅黄がそっと叩く。
「さて、また変なのに絡まれないうちに帰ろっか」
柔らかな笑顔に気が抜けて、思わず頷きかけた羊花は、大事な事を思い出す。
もしかしたら既にボコボコにされているかもしれない、隣のクラスの男子の存在を。
「あ、あのっ!」
「ん?」
立ち止まった羊花に、二人は不思議そうな顔をした。どうした、と視線で問う。
「今の話、なんですけど」
「今のって?」
「友達が絡まれているってやつです」
「ああ」
浅黄は羊花が何を言いたいのか掴み兼ねているのか、曖昧な顔で頷く。
羊花自身も、何を言えばいいのか分かっていなかった。
助けてと言っていいのか。自分にその権利があるのか。二人に迷惑をかけていいのか。そもそも本当に鱒渕を助けたいのか。
もし助けてと願うなら、羊花が対価を支払う事になる。
大して仲良くない……しかも羊花の大切な友達に迷惑ばかりかけるので、あんまり良い印象を持っていない男子の為に、だ。
(そう……そうなんだよ。私、あんまり鱒渕くんの事、好きじゃないんだよね。それなのに助ける必要ってある? 萌絵ちゃんも鱒渕君の事好きじゃなさそうだし……)
言い訳めいた事を考えていた羊花は、掌を握り締めた。
萌絵はたぶん、鱒渕を好きではない。
ツンデレでもヤンデレでもなく、普通にうざいと思っていそうな節がある。
ただ、嫌いではないのだろうとも、羊花は思っていた。
怒りっぽくても面倒見の良い萌絵は、鱒渕が大怪我を負ったらショックを受ける。
素直じゃない萌絵は『自業自得だ』なんて憎まれ口を叩きながらも、心を痛める。そんな未来が羊花には想像出来た。
(そんなの、やだ!)
きゅっと口を引き結んで、顔を上げる。
少し驚いた顔した黒崎と目が合った。
「助けてください」
「……ひつじ?」
「さっきの女の子の友達って、たぶん私の知り合いなんです」
真剣な表情で訴える羊花に、黒崎と浅黄は顔を見合わせる。
「ひつじちゃんの知り合いって、どういう関係? てか男?」
軽い口調で浅黄が問いかける。表情は緩かったが、視線だけはひやりと冷たかった。けれど自分の事に必死な羊花は気付かない。
「私とは直接的に、あんまり関係のない人です。友達の幼馴染の男の子で……」
「それなのに助けたいの?」
問われて羊花は一瞬躊躇した。けれどすぐに、しっかりと頷く。
「友達が哀しむのは嫌」
普段の怯えた様子が嘘のように強い目で言いきった羊花に、二人は目を瞠る。
「バイトはしてないので大金は無理ですが、お小遣いは貯めてます。可能な限りなんでも奢りますし、私に出来る事ならパシリでもなんでもやりますので、お願いします」
助けてください、と羊花は言葉を重ねた。
真っ直ぐに羊花を見つめていた黒崎は、目を伏せて溜息を吐く。
「発言には気を付けろ」
「え?」
「男相手に迂闊過ぎる。まぁ、もう撤回はさせねぇけど」
言葉の意味を尋ねる前に、羊花の肩に手が置かれる。強引にぐるっと進路変更され、押されるようにして来た道を戻った。
さっきの場所にはまだ、篠木が立っている。
泣きそうな顔でウロウロしている篠木に、浅黄は手を振った。
「おーい、さっきの彼女」
篠木は引き返してきた浅黄達を見て、驚きながらも駆け寄ってくる。
期待の籠った目で見つめられても、浅黄はあくまでマイペースに緩く笑った。
「ちょっと事情が変わった。助けてあげるから、道案内よろしく」




