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『ひつじ』の偽物が出没している。
その情報を篠木から聞いた日の夜、羊花は色々と考え過ぎて眠れなかった。
目的はなんだろうとか、黒崎達に迷惑がかかっていたらどうしようとか。悶々と悩んでも当然、答えなんて出るはずもなく。
結果的に生み出されたのは解決法ではなく、目元の隈くらいだった。
(そもそもさ、偽物って本当に偽物?)
哲学的にも思える自問自答だが、さして深い事は考えていない。
アニマルパーカーを着ているからって、『ひつじ』を装っていると考えるのは早計ではないかというごく単純な話だ。
羊花が黒崎と浅黄に買い与えられた服は市販品。一点もののオーダーメイドとかではない。同じ服を着た人と、たまたま生活圏が被っていただけという場合もある。
それが事実だった場合、偽物だなんて騒ぎ立てたら、羊花はとんだイタい人になってしまう。
(……でもなぁ)
かといって、放置するのも問題。無関心で誰かに迷惑をかけるのは論外。
どちらにしても、対応するにはもっと詳しい情報が必要だ。
黒崎達に聞けば、新しい情報をゲットできるかもしれない。なんなら、アッサリ解決する可能性だってある。
けれど、黒崎達への態度が悪かった自覚がある羊花は、中々自分から連絡を取る勇気が出せなかった。
大きな溜息を吐き出す。
寝不足に加え、悩み過ぎた事による疲労で、頭が痛い。爽やかな朝には不似合いな暗い顔で、羊花は額を押さえた。
「朝からなんて顔してるのよ」
呆れたような声がかかる。
見ると、覗き込んでいたのは萌絵だった。
「あれ? おはよう、萌絵ちゃん。今日は早いね」
「アンタが遅いのよ」
「あ、そっか」
萌絵は通常、羊花より遅めに学校に来る。
故に通学路でかち合う事は少ないのだが、今日は羊花が何度も立ち止まっていた為に、時間が重なったらしい。
萌絵は羊花をじっと見つめる。
明らかに寝不足の顔で、しかもぼんやりしている羊花に思うところがあったのだろう。ぐっと眉を顰めた萌絵は、鋭い目付きになった。
「羊花。昼休み……ううん、放課後に話があるわ」
「えっ」
「今日という今日は逃がさない。ここ最近、ずっと変な顔している理由を教えてもらうわよ」
羊花は冷や汗をかいた。
ここ最近、確かによく悩んではいたが、一個一個の理由は別だ。
その都度原因があり、解決または持ち越しした後に新たな悩みが出来ていた訳だが、傍目から見てそんなの分かる訳がない。
現に萌絵からしたら、一つの事をずっと悩んでいるように見えるのだろう。
「へ、変な顔は生まれつき……」
「そういうのはいい」
「はい……」
場を和ませようと茶化してみたが、秒で切り捨てられた。
(マズい事になった気がする)
羊花は萌絵を極力巻き込みたくないと、『Zoo』関連の話を一切していない。
つまり話すなら、一から説明する事になる。黒崎達の存在から、知り合った経緯、鱒渕や篠木との関係、それから現在の偽物騒動。その全てを。
山ほど秘密を抱えていたと知ったら、萌絵はどう思うのかを考えたくなかった。
(うう……。でも、ずっと秘密にしておくのも嫌だし、良い機会なのかな)
前向きに考えようとしても、怖いものは怖い。
萌絵は怒らせると怖いというのもあるが、それ以上に、怒ってすら貰えない方が怖かった。
(やだなぁ。自業自得だけど……嫌われたくない)
きゅっと羊花は唇を噛み締めた。
「……ぅわっ!?」
俯いていた羊花は、数歩進んで何かに行く手を阻まれる。
馴染みのあるシャンプーの香りが鼻孔を掠め、前を歩いていた萌絵の背中にぶつかったのだと理解した。
「……?」
さっきまでの羊花みたいに、萌絵が立ち尽くしている。
急に足を止めた理由を探る為に、羊花は萌絵の前方へと視線を向けた。
通学の時間帯の為、当然の事ながら歩道には二人と同じ学校の生徒が多くいる。
ただ、全員ではない。駅が近いので、ちらほらと出勤途中の社会人や、大学生らしき人の姿もある。
その中に、浮いている集団がいた。
年若い……おそらく羊花と同じ年頃で、私服姿。
赤やら金に染めた髪と派手なアクセサリーに、服の隙間から覗くタトゥー。尖ったファッションセンスも相まって、『不良』とレッテルを貼られそうな三人の少年。
そして彼等に囲まれているのは、小柄な少女。
少年等とファッションの系統は違うが、楽しそうに話しているので友達なんだろう。
眠そうに欠伸をしている彼等は、二十四時間営業のカラオケ店の前にいるので、今までそこで遊んでいたのかもしれない。
(この辺に私服の学校ないし、サボりかな?)
勝手な推測をしながら羊花が眺めていると、ふと、少年らに囲まれている少女が顔を上げた。
遠目にも、整った顔立ちの子だと分かる。少し垂れ目がちで、庇護欲を掻き立てる可愛らしい女の子。
それなのに羊花は、一瞬、息が詰まった。
唐突に全身から、どっと汗が噴き出す。まるで、とても恐ろしい獣に出くわしてしまったかのように、身動ぎ一つ儘ならない。
日差しは温かいのに、足元から冷気が這い上がってくる。
体が勝手に震えだす。
怖い、と。
何故か本能が叫んだ。
「っ、行くわよ!」
萌絵が羊花の手を掴んで歩き出した為に、ようやく硬直が解ける。
汗をかいているのに指先まで冷え切った羊花の手は、萌絵が掴んだ場所だけが熱い。重なった場所から伝わる熱が、じわじわと羊花の凍った体を溶かしてくれているかのようだった。
こほ、と詰まったような空咳の後、ようやく呼吸が通る。
少しずつクリアになっていく視界で、もう一度、遠ざかっていく少女を見た。
こちらに気付く様子もない少女の横顔に、思い出の中の小さな女の子の姿が重なる。
羊花の小学校の頃の記憶に、その子がいた。
女子にも男子にも人気がある、とても可愛らしい子。無邪気で、可憐で、虫も殺せないような理想の女の子。
さして親しくない羊花にも笑顔で話しかけてくれたその子は、いつの間にか転校していて、見なくなっていた。
(……あれ? いつ転校したんだっけ)
ふと疑問が浮かんだ瞬間、頭痛がした。
寝不足の鈍痛ではなく殴りつけられたような激しい痛みに、足が縺れそうになる。
まるで、体が拒絶反応を起こしているかのよう。
ぐらぐら揺らぐ頭と足元に、どこが上でどこが下なのかさえ見失いそうだ。
「羊花」
混乱していた羊花は、萌絵の呼びかけで我に返る。
怖いくらい真剣な顔をした萌絵は、もう一度ぐっと羊花の腕を引いた。
「余計な考え事をしていると、転ぶわよ」
目尻が吊り上がっている萌絵がそういう顔をすると、怒っているかのように見える。けれど眼差しは温かく、羊花を気遣ってくれていると伝わってきた。
だから羊花は、ほっと体の力を抜く。
「うん。気を付ける」
「そうしなさい」
偉そうな口調でありながらも、萌絵の声は安堵したように優しいものだった。




