第53話 落涙と怪光
全身から余剰の稲妻が放出されている。
アテナにはなるべくバイヤードとしての私は見せたくなかったけど、こんな事になってしまった以上は力づくで連れていくしかない。
浩太は守護の左手も報復の右手も回収済みだと話していた。にも関わらずアテナが右手に持っているのは槍の神器では無く、橙の宝玉を嵌めたいつもの杖だ。
報復の右手を回収したと言うのはブラフ? いや、単に私を攻撃したくないだけかもしれない。あるいは天界神器を使うまでの相手じゃないと思われているのか。
「リカ、人間態に戻るんだ。すぐに納得するのは難しいかもしれない。だけど、必ずお前が幸せになれる道を見つけ出す」
「生憎ね。戻るも何も、こっちが私の真の姿よ」
このガラス細工のような美しい肌も、絹のように揺らめく触手も、全て私自身だ。
硬質化した触手を右腕に収束し、剣を形成する。切っ先をレヴァンテインに定めて突きの構えを取った。
「紅ノ雷剣!」
「守護の左手!」
間に立ったアテナの盾によって雷剣は防がれた。
使い手がアテナだからと言って加減するつもりはない。ゼドリー様の意思はアテナよりも優先される。
「リカ。いい加減にしないと怒るよ。ゴアクリートは100年前私たちが魔王から命がけで守った国なの。その平和を乱そうとする人は、たとえリカでも許せない」
「大丈夫。すぐにアテナを戦いから解放してあげる。ゼドリー様が支配した世界で私たちは幸せに暮らすの」
「……ッ! リカァァァァ!」
雷剣を盾で押し上げられ、空いたボディを盾で殴られる。
鈍痛を抱えながら背後に後ずさる。普段のアテナからは考えられないような力。天界神器というのは使用者の身体能力にも影響を及ぼすみたい。
「村長も、村のみんなも、私も! 皆リカの事を信じてた! 確かに私が攫われた時は酷い事を言ったかもしれない。だけど、私はちゃんとみんなの誤解を解いて、ほとんどの人は今もリカの帰りを待っている……! なのに、リカ自身が私たちを裏切るって言うの!?」
「ああ、そんな事を心配してたの? 安心して。アテナだけじゃなくて、アタトス村の皆もバイヤードに等しい権利を持てるよう、ゼドリー様にお願いしてみるわ。私はバイヤード四天王リカルメ・バイヤード。この世でゼドリー様の次に偉い存在なんだから」
「ゼドリーなんて人知らない。その人のせいでリカがおかしくなっているっていうなら、私がそいつを倒して見せる!」
「ダメだよアテナ。アテナじゃ絶対にあの御方には勝てない。殺されちゃうわ。それに――」
雷砲級の雷撃を蓄積した触手を思いっきり地面に叩きつける。轟音が鳴り響き、閃光が周囲に散った。
「そんな事したら、いくらアテナでも殺さなきゃいけなくなる」
「…………!」
驚愕はしても怯みはしない。流石は元勇者といったところかしら。
どうやらお互いに譲れないみたい。
バイヤードであること、勇者であること。そんな肩書を忘れて過ごしたあの半年間は本当に幸せだった。アテナが普通のバイヤードの女の子だったら、これから先もずっと幸せでいられたのに。
ううん。私はまだ諦めるわけにはいかない。エルフの寿命は長いんだから、アテナを改心させる時間は充分にあるわ。
その為にも私はここで浩太を殺し、アテナを無力化しないといけない。守護の左手の結界を私が破れるかどうかはわからないけど、挑戦してみる価値はある。
雷剣の硬化触手を解いて砲筒の形に再形成する。
受け止めてよアテナ。今の私の全力を!
「紅ノ雷砲!」
体内で精製できる限界量の稲妻を掻き集めた災害級の一撃。本来遠距離から放つべきこの雷砲を零距離で喰らわせる。
アテナの身体に少し傷を負わせてしまうかもしれない。後でリゼルに宮廷の治癒魔法師を呼ばせなきゃ。アテナは自分を治すのは苦手だし、なによりアテナに武器を持たせられない。
紅い閃光に満ちた空間でアテナの顔を見る。その額には汗の一つも掻いていない。
「……え?」
紅ノ雷砲は守護の左手に直撃している。そう簡単に破れるモノではないのもわかっているけど、だからって反動すら受けていないってどういう事なの?
いや、反動というなら私自身もそうだ。最大出力で雷砲を放っているのだから、その衝撃で私の身体も後退しなければおかしいはずなのに、私は零距離のまま微動だにしていない。
まるで、雷砲がまるごとブラックホールに飲み込まれて、消失しているみたいだ。
「そんなバカな……! いくら結界が頑丈だからって、こんな現象あり得ない……!」
「結界はあくまでも守護の左手の広範囲防御の一機用の一機能に過ぎないよ。守護の左手の本来の能力は接触した『脅威』の『完全無効化』。衝撃も熱も呪いも光も闇も、雷も。守護の左手本体に触れてしまえば跡形も無く消失してしまう」
涼しげな顔で淡々と話すアテナ。やがて稲妻が底を尽きて、紅い閃光が終息する。
「魔王の一撃もこれで防いだの。悪いけど、リカに勝ち目なんて無いよ」
「……ッ!」
圧を感じる。アテナのあんな冷たい目は初めて見る。
親友として半年間過ごしたあの暖かさはどこにもない。私を化け物扱いする他の劣等種と同じ目だ。
「リカ。もう一度だけ言うぞ。人間態に戻れ」
《----Disk Set Ready----》
レヴァンスラッシャーに黄のエーテルディスクが嵌めこまれる。現在のレヴァンテインが放てる最大級の攻撃。
妹だなんだとぬかしていたけど、仮にもヒーローってわけね。私情で世界征服目論む悪は見逃してくれないらしいわ。
万事休す。と言いたいところだけど、まだ私にはあいつがいる。
幹部怪人の意地としてなるべく一人で片付けたかったところだけど、こうなったらリゼルを呼ぶしかないわね。
元々あいつの役目はアテナの誘拐なのだから、ここにいなくてはおかしいわ。それに、あいつは瞬間移動が使えるからここまで一瞬で来ることが出来る。なんなら、2人の背後に呼び寄せることだって難しくないわ。
――リゼル。アテナを発見したわ。今すぐ宝物庫の前に来て。それとレヴァンテインが変身済みだからその点も要注意よ。
『さっきベアーとタイガーが精神感応で助けを求めてきたから知ってますよ。まんまとしてやられましたねリカルメさん』
――は? わかってるならさっさと来なさいよ! こっちも力使い果たしてギリギリの状態なんだから!
『そうしたいところですが、姫の護衛2人が手を抜ける相手じゃなくて困っているんですよ。おまけに妙な魔道具を使われて位置感覚に少し誤差が生じています。あと5分ほど待っていただければ回復して瞬間移動が使えると思います』
――5分!? かかりすぎよ! 私は今まさに殺されかかってるんだから!
あっちはあっちで苦戦しているらしい。2人がかりとはいえ、リゼルと互角に戦えるなんて、あの近衛たちは何者なのよ。
そうだ。とりあえず改心したフリだけして人間態に戻っちゃえば……。いや、この2人に捕まるというのはエリッサに捕まる事とイコールだ。
この2人はともかく、あの奇天烈な姫からどんな扱いを受けるのかわかったものじゃないわ。
あの人間は得体が知れない。なるべく、敵として関わるべきじゃない。
でも、それじゃあここで死ぬしかなくなるわ。いったいどうすれば……!
『安心してください。私はリカルメさんから「確実」にレヴァンテインを倒せる戦力とオーダーを受けました。ベアーとタイガーは前座です。「本命」がそろそろ現れるはずですよ』
「本命……?」
間違えて心の声では無く口で喋ってしまった。
全く会話になっていない私の一言にアテナは眉を顰め、レヴァンテインは軽く首を傾げている。
「おうおう。随分と懐かしい顔がいるじゃねーか」
正面から軽快な男の声が聞こえた。
アテナは後ろを振り向くと、その顔を曇らせていく。
「な、なんであなたがここに……! 魔人族が王国の結界を壊さずに侵入出来るわけがないのに!」
「リゼルっちに頼んでワープさせてもらったんだよ。久しぶりだなアテナ=グラウコピス。お前らに復讐をするこの時を100年待ちわびたぜェ!」
そこに立っていたのは黒いローブを羽織った男だ。顔が異常なほどに青い。明らかに人間では無かった。
「お前が魔公爵デュグラスって奴か。アテナから聞いてるよ。魔王直属の幹部なんだってな」
「は? 誰だお前。モブはすっこんでな。【■■■滅■■の■影■■投■】」
デュグラスから伸びる影が実体を持ち宙へ浮かぶ。影が無数の矢を形成したかと思うと、それが一斉にアテナ達に襲い掛かる。
だが、そのあまりに膨大な矢は避ける隙というものが一切ない。2人の近くに立つ私にもその脅威が迫ってくる。
「いけない! 守護の左手!」
アテナが守護の左手から広域の結界を展開した。
それを見た私は思わず目を疑った。結界が守ったのはレヴァンテインだけじゃない、この私もだった。近くにいるから間違えて入れてしまったの?
「リカ。裏切るにしても仲間はちゃんと選ぶべきだぜ。今の攻撃、アテナが守ってくれなきゃお前にも当たっていたぞ」
「とにかく逃げて! ここはイヌイコータさんと私でなんとかするから!」
一転して2人は私を慮る言葉を投げかける。少なくともこれから殺そうとしている相手に言うセリフではない。
「……逃げる意味なんてないわよ。あいつはリゼルが寄こした増援で、私の仲間。第一、私がここで逃げたら、私を倒す機会も失われるのよ?」
「デュグラスは魔王ヴィドヴニルには絶対の忠誠を誓ってるけど、他の仲間の事は道具程度の認識しかないよ。それに、色々危険な思想の持主だから、むしろ味方の方が危ないかも」
「あと勘違いがあるみたいだけど、俺たちはお前を倒すためにここにいるわけじゃないぜ。お前は俺の妹で、アテナの親友だ。そう簡単に決別なんて出来るかよ!」
《----MERKABAH DESTRUCTION SLASH----》
レヴァンテインが剣を大きく振ると、黄色い円状の斬撃がデュグラス目がけて放たれた。
影で出来た無数の矢を薙ぎ払い、一直線に進んでいく。
「【我■■■■闇■理■。■■壁■■■■■の■■】」
反撃など想定内だと言わんばかりに、デュグラスは影の盾で斬撃を受け止めた。
だが、斬撃は一度弾かれた後、軌道を変えて盾の側面から回り込む。
「あぁっ!? なんだそ……グハッ!」
横腹に斬撃を受けたデュグラスが床に倒れ込む。
同時に影の矢と盾が消滅し、視界の7割ほどを覆っていた闇が晴れた。
「大丈夫か、リカ」
――大丈夫か、霧果!
その一瞬、私の脳裏に幼い人間の顔が映った。
あれは、おそらく浩太だ。それも小学生くらいの年齢だ。
見たことも無いはずの光景だ。なのに、どうしようもなく懐かしい。
私は、本当にこいつの妹だったって言うの。
「……知らない。知らない知らない! 私はリカルメよ! 霧果でもリカでもない! 私は、ゼドリー様に一生尽すって決めたんだから!」
「なんで、そうまでしてゼドリーに忠誠を誓うんだ?」
「それは……! あの人しかいないからよ。私たちバイヤードが、堂々と本当の姿で生きていける世界を作ってくれるのが、ゼドリー様だけだからよ! 私が化け物なんじゃない! 人間が劣等種なんだって思い知らせてやるんだから!」
「だったら、ゼドリーはむしろ憎むべき相手だぜ。お前は元々人間だったんだ。ゼドリーがお前をそんな身体に作り替えたんだ。ゼドリーさえいなければ、お前は堂々と本当の姿で生きていけたんだ!」
「そんな……、そんなことって……」
頭がグラグラする。気分が悪い。
ふと見下ろすと右手が肌色に戻っていた。どうやら怪人態が維持できず、中途半端に人間態に戻りかけているようだ。
維持できない? 戻る?
なによそれ。まるで人間態が本来の姿みたいな言い方じゃない。
「私はリカが人間でもバイヤードでも構わない。だから、お願い。もうこれ以上悪いことをするのはやめて」
アテナの真っ直ぐな瞳に見つめられて、身体が石になったかのように動けなくなる。
私は、どうするべきなの?
まさか、この私が、こんな安っぽい言葉に心動かされているというの?
あり得ない、そんなの、あり得ないわよ……!
「そう、あり得ないのですよ。リカルメさん」
背後から声が聞こえて振り向くとそこには紫色の三つ目の狐、リゼル・バイヤードが立っていた。
「さてさて、お久しぶりですねぇ勇者とヒーローのお二方。せっかく地下に宿を提供してあげたのに、逃げ出されてしまい苦労しましたよ」
「そいつは悪かったな。早くチェックアウトしないと迷惑だろうと気を利かせたんだが」
喋りながらレヴァンテインは黄のディスクをレイバックルに装填しようとするが、その手が唐突に止まった。
リゼルが右手の目でレヴァンテインを見つめている。念動力でフォームチェンジを阻止しているのだ。
「……おいおい、変身妨害だなんて、小賢しい手段使ってくるじゃねえか。幹部怪人らしく全力で殴り合いしようぜ?」
「生憎私は特殊能力特化で身体能力はそこまで高くないのですよ。まあ覚醒によって多少マシにはなりましたがね。……何をしているのですリカルメさん。今のうちに攻撃しなさい」
「……あ」
リゼルの要求は状況を考えればごもっともだ。
リゼルが念動力で動きを封じている以上、私がレヴァンテインを倒す役目に応じるべきだ。
なのに、私はまだ迷っている。このまま、ゼドリー様を信じて、浩太とアテナを捨てて、その先に何が待っていると言うのだろうか。
「……はぁ、いいでしょう。貴女は少し休んでいなさい。後はデュグラスにやってもらいます」
「【彼の■■■同■■■。■■■影■■■絞■■■】」
奇妙な詠唱が聞こえると同時、アテナの影から無数の黒い腕が飛び出し、身体を締め上げる。
「しまっ……! ぐ、ぅう……!」
苦しそうに呻くアテナ。不意を突かれた攻撃だが、守護の左手はまだ手放していない。
左手を動かし、影の手に接触させると守護の左手の無効化が発動し、黒い腕という脅威は粉々に砕け散った。
しかし、無効化を発動させたという事は結界を解除したという事。
見るとそこには青い肌の男が立っていた。先ほどレヴァンテインの必殺技を受けて、倒れていたはずの男が。
「【■■■滅■■の■影■■投■】」
再び無数の黒い矢が、襲い掛かる。
既に詠唱は終わっている。守護の左手の結界は間に合わない。
◇
「……え?」
気がつくと私はリゼルの擬態元であるマキナ大臣の私室に立っていた。
気を失った? いや、違う。リゼルの瞬間移動だ。
「彼の攻撃は大雑把ですからね。一緒に戦う時は自衛の手段が必要になります」
「私たち、だけ? あの2人はどうなったのよ!」
「落ち着いてください。戌亥浩太も、アテナ=グラウコピスもゼドリー様の敵ですよ? 後は我々が始末するのでリカルメさんはここで待っていてください」
「待って、リゼル!」
私は震える唇を必死に動かし、言葉を紡いだ。
「私は……人間なの?」
「…………」
リゼルは何も言わず、再び瞬間移動で宝物庫まで行ってしまった。私を1人この部屋に取り残して。
「……あ」
部屋に置いてあった大鏡に私の姿が映っていた。
右手は人間、左手は怪人。
肩から触手が蠢いて、左サイドのツインテールが揺らめいている。
「わかんないよ……。急に人間とか妹とか言われても……」
人間態の左目から涙が溢れ出た。怪人の右目は今も怪しく光っている。





